曇り、午後大雨、雷
冠水の路の波立つ秋豪雨 正子
天じゅうの雷へと電車走り入る 正子
電車徐行漠とかすめる秋豪雨 正子
●もらった葡萄と、今年の梅ジュースを句美子に持って行く日を今日にしていた。午後大雨の予報で、なるべく早い時間に行く予定だったが、プリンを焼いていて遅なった。それでも、いつもより1時間は早い。行こうとしたところへ、いよいよ雨が降り出した。夕飯のおかずをいろいろ作っていたので、今日渡したい。雨の中へ思い切って出た。信之先生の大きなこうもり傘と、濡れた場合の着替えも用意して出かけた。本町駅までは、100歩ない。多少、濡れる程度で済んだ。電車は、大雨でさすが空いていた。
電車は定刻に出発して、武蔵小杉に来ると、雨はホームの屋根を伝い落ちるのではなく、屋根からホームへ音を立て勢いよく流れ落ちている。多摩川に差し掛かったところで、雷と大雨。雷は天じゅうが、雷であるように、バリバリ、バリバリと絶え間なく鳴る。雨はこれでもか、と降っている。降っているより、こぼれている。電車は普通に走ったが、田園調布を過ぎ、奥沢に着いたとき、さらに雷ははげしく鳴りつづけ、雨もますます降る量が増えている。電車はしばらく奥沢駅に停車したままだった。止まるかもしれないと思ったが、五分ぐらいして、「これから徐行運転をします」と車内放送があった。電車は雷と雨のなかへ出て行った。落雷をいつ受けるか、という心配が湧いた。雷と雨のなかを電車は目黒の手前の駅で停まった。そこで降り、改札を通りると、かなりの人が雨の様子を見ながら立っている。雨が少し落ち着くのを待っているようだった。待ちきれずに、大雨の中へ出ていく人もいる。私も、ガード下を伝えば行けそうだったので、雨の中へ出た。傘は雨を防いでくれたので、山手通りへ出た。山手通りは、周囲の道から雨が流れ下って、少し冠水していた。渡ろうか、どうしようかと思いながら立っていると、道路は見るまに水が増え、車が通ると、私が立っているところへ波が寄せて来た。波はひたひたと寄せて、次第に水は深くなる。すぐ見えている向こうに渡りたいのに、渡れない。横断報道の真ん中あたりは、まだゼブラ模様が見えている。青信号を一度見送り、赤信号を待って、次に青信号になったところで、川となった道を歩く覚悟で横断歩道へ踏み出した。二十センチは水があったろう。パンツの裾が濡れ、スニーカーは、川の中を歩いていると同然に濡れた。水は流れているので、二十センチの水深でも足を掬われそうになる。すぐ前を、脚の悪い人が渡っている。ここで、老女が転倒などしたら、話にならない。一歩一歩、踏みしめて、水に足を取られないよう歩いて渡った。向かいのビルの人たちが、仕事をやめて、窓のところに集まり、雨の様子や、横断歩道を渡る人たちを見ている。
句美子からは、駅の待合でしばらく待つようにメールが入っていたが、メールを確認する間がなかった。句美子の家の玄関を入るや、バスルームを借りて着替えた。ゆうまくんは、午前中、BCGを打って、眠ったところだった。離乳食を始めたが、重湯やおかゆは食べないらしく、野菜のペーストを平気で食べると言っていた。そして、仰向けになった状態で、上へずりあがることを、今朝から始めたのだと言う。
午後五時ごろには空が晴れて来た。大雨はどこへ行ったかという感じで、陽が差している。ゆうまくんがお風呂に入るのを手伝って、六時半ごろ句美子の家を出た。外に出ると、冠水していた山手通りは、水がすっかりひいて、何事もなく車が通っていた。夕暮れのバス停には数人がバスを待っていた。いつもとおりの風景だった。
山手通りを渡り不動前駅に着くと、目黒線は西小山駅の冠水で運休し、再開は未定と張り紙が出してある。本当かと目を疑い、どう帰ればいいか、すぐには思い着かなかったが、都会ではありうることだ。一瞬、「目黒までタクシー」が、頭をよぎったが、こんなときの交通渋滞を思い、歩いて目黒駅にいく決心をした。
目黒駅までを歩いたことはなかったが、ちょうど、近くの日産ビルから出て来た女性社員に、目黒駅の方向を聞くと、「まだ止まってるんですか。目黒は次の駅だから、この線路を伝うといい。坂があって、暗いとこともあるけれど」と教えてくれた。高架線路に沿う道を歩くと、通勤人が流れるように目黒へ、あるいは反対方向から歩いて来る。その人たちの流れに乗って歩いた。目黒駅までは二キロほである。思ったより軽く歩けた。帰る路線を頭に浮かべながら、山の手線にのり、渋谷で降りた。渋谷から東横線で帰ることにした。駅に着くと電車は満員であるのに、いつまでたっても出発しそうにない。電光掲示板に出発時間が現れない。大丈夫かな思いつつ、通勤特急に乗った。日吉には特急は停まらないが、通勤特急は停まることを、いつか覚えていたので迷わず乗った。日吉に着いた時は九時前。それから地下鉄に乗り換え、一駅でわが家。無事帰宅できた。四十分足らずで帰れるところが、二時間以上かかった。
ラッシュアワーの通勤電車であったが、こうもり傘が杖の役目を果たし、
電車に乗る前に飲んだお茶が、体にに効いている気がした。それに、薄手のパンツに着替えたことも、家を出るとき、織り目の荒い綿ブラウスを着て出たことも、これらが、小さい困難や、体調を保つのに役立った。この些細なことが、おろそかにできない年齢になっている。遠いと言えない娘の家に行くにも、旅だ。
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