晴れ
なでしこの絵の灯籠のまん丸し 正子
盆二日灯してお膳をあげ下げす 正子
鶏頭の真っ赤な色がスーパーに 正子
●台風7号が発生。あす夜からあさって、関東地方を襲う予報。
●私のこの日記を熱心に読んでくださる読者が一人や二人でないことを最近、よく知った。具体的に顔が思い浮かぶのは数人ぐらい。「読んでいる」と葉書をいただいたり、「面白いと言っては失礼かもしれないが面白い」と電話で話してくれる人がいる。中には私の生活を気遣って毎日のように読んでくれている人もいる。俳句に関心をもって句集を送ってくださった方が一人いる。前には、信之先生が亡くなったと日記で知り、元会員の方からお悔みの電話をいただいた。女の人ばかりではなく、男の人がいることも知った。なかには学者がいることも知った。
私自身も一日の終わりに、いくつかの意味をもって日記を書くことは苦痛ではないし、誰とも話すこともなく終わる日が多いなかの、読者がいることを向こうに見て、ある種の楽しみでもある。少しでも、印象に残る、読みやすい日記を目指そうと思い直して、先日はひとり暮らしのアメリカの作家、メイ・サートンの『独り暮らしの日記』を読んだ。その日記から、日本国憲法の付属法である裁判法の草案をつくったGHQのアルフレッド・オプラ―を知った。ケネディ暗殺時やジョンソンのリアルな話も知った。彼女は講演会にもでかけたり、著名であるようなのだ。そのせいかどうか、共感する部分が少なかったが、書いた日記の一年分でも本になっていることを知った。日本には古くから女性の日記文学もある。それは、なんとなく知っている。
このところ図書館からヘッセの著作を借りて読んでいる。『車輪の下』や『郷愁』などは青春の読書のなかにある。雲を見て暮らした人と知っている。後半生の著作は知らない。老境に入って書かれた『人は成熟するにつれて若くなる』のエッセイを読むと、メイ・サートンよりはるかに私の感じ方や心の陰影のありように重なるところがある。『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/小沢書店)には、ここは違うが後は私の感じ、と思う詩もある。彼はヨーロッパ人だし、私は東洋人のなかの日本人。重なるはずもないだろうが、今、大いに考えさせられる。
『人は成熟するにつれて・・』の中の「小さな煙突掃除屋さん」は妻に外出を誘われて祭のなかに立ったときの気分が書かれている。何か、似ている。続く「復元」は自分の野菜畑や果樹園の趣味であろう庭仕事の話は、生家の畑を思えば、話に共感するのだ。読んで、書き方を習うのもいいかもしれない、と思った。
●『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘルマン・ヘッセ著/岡田朝雄訳/草思社刊)の「運動と休止の調和」(『四月の手紙』より)より思うこと。
「春はほとんどの老人にとって、けっしてよい季節ではない。私も春にひどく苦しめられた。(中略)痛みはあちこちにひろがり、ますますひどくなった。(中略)それでも日中は毎日、戸外へ出られるわずかなひとときに、痛みを忘れ、春のすばらしさに没入できる休憩時間を、時には恍惚と天啓の数瞬間をもたらしてくれた。これらひとつひとつの瞬間は、もしも記録することができれば、つまりこれらの驚異や天啓が書きとめられ伝達されるものであれば、どれもそうする価値のあるものばかりであろう。それらは不意にやってきて、数秒間か数分間続く。」
この文は俳句については全く述べてなく、早計に俳句に結び付けるのは問題だが、そうは言っても私の作句経験から見れば、おどろくほど作句の経緯に似ている。また、この文章に続くあとの文章も、長い人生を経ての、回り道をして得られる人生の本質を述べて、これも俳句に通じて、俳句を極めるには歳月がいることを悟らせてくれる。ヘッセの老境に至っての文章であることを考えれば、なお興味深い。
俳句に通じていると感じるのは、私が俳人と言う特性からである。ヘッセがここに「瞬間」と言う言葉を使っていることから、小説ではなく詩の場合を考ええてよいが、ヘッセはこのような瞬間をどうしていたのだろうと思う。「もし記録することができれば」「つまりこれらの驚異や天啓が書きとめられ伝達されるものであれば」と仮定法なのである。俳句を知っていたら、俳句に昇華したかもしれない、と想像するのである。
この瞬間がのちにヘッセに詩を生ませた可能性はあるだろう。それが一つの詩の要素であるなら、そういう特徴にきわめて似ている俳句は詩であるという特徴が明らかになるのではないかと思える。
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