7月8日(日)

★子が去りしことも静かや夏の歯朶  正子
子どもが来て、にぎやかに過ごしていましたが、やがて去っていき、あたりはしんとして静かな空気が漂っています。夏風に歯朶が揺れ一抹の寂しさを感じます。 (井上治代)

○今日の俳句
何かしら飛び出て楽し草取りも/井上治代
夏になると草が生い茂る。草取りの作業もたいへんだが、バッタが​ぴょんと飛び出したり、天道虫が飛び立ったりする。それが案外楽​しいのだ。(高橋正子)

○第14回七夕フェイスブック句会投句
小さき街の七夕飾りはすぐ尽きぬ/正子
七夕飾りを通り抜ければ山が見ゆ/〃
なでしこの苗に花あり風があり/〃

○句美子がお菓子教室で「リンツァートルテ」というオーストリアの伝統菓子を作ってきてくれた。フランボワーズ(ラズベリー)ジャムをタルト生地に載せた素朴な味わい。お茶はアールグレイで。

○夏あざみ

◇のあざみ/群馬・尾瀬ヶ原 2010年8月28日◇

★埃りだつ野路の雨あし夏薊/飯田蛇笏
★牛の背の海真青なり夏薊/手島靖一
★断崖の引き寄す怒濤夏薊/大見川久代
★辰雄忌の乳鉢くもる夏薊/徳田千鶴子

夏薊と、わざわざ薊に夏がついていると、いつも思う。薊は春の季語。私にとっては、なぜかむしろ夏の花なのである。この感覚のずれは、どこからきているのかよくわからい。田舎で暮らした子ども時代だが、薊を春に見ることはなかった。夏の朝、家で飼っていた山羊の草を刈りに出た小さな野原にあった。露に濡れた草を刈る中に、たまにあったぐらいだが、緑の草のなかで紫がかったピンクのボンボンのような花はかわいらしく思えた。しかし、棘を恐れて遠巻きに見るか、思い切って指を草に突っ込んで茎を折り取るか迷う花であった。折り取って家に持ち帰っても、すぐにクタッとなった。自分では気づいていないが、娘に言わせれば、私は薊の花が好きらしい。四国カルストの大野が原に愛媛コープの夏の旅行企画で参加したときも薊の花が印象に残っている。子どもたち二人が高原を歩いている写真が残っているが、薊は映っていないものの薊の花がどこかに咲いているような感じがする。

★夏薊草に溺るる花なりき/高橋正子

◇生活する花たち「エンジェルトランペット・百合・ビョウヤナギ」(横浜日吉本町)


コメント

  1. 井上治代
    2012年7月7日 22:23

    お礼
    正子先生
    8日の句に「草取り」の句をお選びくださりありがとうございます。毎日少しずつ草取りをする時間が私にとってストレスの解消になっています。

    子が去りしことも静かや夏の歯朶
    子どもが来て、にぎやかに過ごしていましたが、やがて去っていき、あたりはしんとして静かな空気が漂っています。夏風に歯朶が揺れ一抹の寂しさを感じます。