今日、零時から元号が令和と変わる。新元号を祝って、大いににぎわっているようだ。
明け方のラジオのニュース解説を寝床で聞いていて、電波がぶれたものだから、小型ラジオをベッドの傍の窓に置きなおした。しばらくして、ラジオが顔面へどかっと落ちて、顎のところを打って、歯茎から出血。かくして令和が不機嫌の内に始まった。多分、ねぼけ眼でいい加減に置いたせいだろう。とても令和を祝う気になれない今朝なのだ。
朝日の今朝の朝刊、古井由吉氏が、平成はどうもぼやけている時代だったと寄稿していた。周囲もそういう感想だと。私もそうだ。インターネットが普及した時代でもあった。纏まった思想がいくつかあったのだろうか、と思い返す。てんでんに物を言った時代ではなかったか。俳壇からつぶされないように、気を付けて、私は私で、「花冠の目指すところに拠って」、俳句を作ろうっと。
若葉燃え令和ひえびえ始まりぬ 正子
自然教育園(白金台)
夫を撮る若葉の空の雲を入れ 正子
草草の反射に光りあやめ立つ 正子
憩うとき垣根通などをよくよく見 正子
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