4月22日(日)

★春月の光りにも触る午前二時  正子
書きものをされたり、読書をされたり、あっという間に時間が過ぎていきました。窓から差し込む春月の光りが手許に届いていることに気が付きました。ふと時計に目をやると午前二時をさしていました。集中した時間を過ごされ、春月の光りにも触れることができ、幸せな喜びを感じられたように推察致しました。(藤田裕子)

○今日の俳句
日は昇り横たう春山まぶしかり/藤田裕子
「日は昇り」の「は」で、この句は詩となった。昇ったばかりの朝日を受け、まぶしく輝く春の山の、のびやかで堂々とした風景。(高橋正子)

○今日の秀句/フェイスブック句会
フェイスブック句会に毎日7・8名の投句があり、その中から<今日の秀句3句>を選ぶ。その中の1句にコメントを書く。発表は、投句の翌日になる。フェイスブックにシェアされると、ときには8名ほどの<友達>が、<いいね!>ボタンを押してくれる。読んでいただくことは、大変嬉しい反響である。

★桜蘂降り初む午後の風強し/多田有花
もう、桜蘂が降る季節になった。朝は静かだった風も午後には強く吹き、桜蘂を降らせた。「春が行く」感慨。(高橋正子)
★さくさくと土掘る音と囀りと/古田敬二
★春暑し六甲ライナー海の上/桑本栄太郎

○通草の花(あけびのはな)
★バスを待ちくたびれてをり花あけび/飴山 実
★藤村の地へ山一つ花あけび/稲垣陶石

通草(あけび)は、アケビ科の蔓性落葉低木の一種(学名 Akebia quinata)、あるいはアケビ属(Akebia)に属する植物の総称である。茎はつるになって他物に巻き付き、古くなると木質化する。葉は五つの楕円形の小葉が掌状につく複葉で、互生する。花は4~5月に咲き、木は雌雄同株であるが雌雄異花で淡紫色。花被は3枚で雄花の中央部には6本の雄しべがミカンの房状に、雌花の中央部にはバナナの果実のような6–9本の雌しべが放射状につく。雌花の柱頭(先端部)には、甘みを持った粘着性の液体が付いており、花粉がここに付着することで受粉が成立する。雌雄異花で蜜も出さないので受粉生態にはよくわかっていない点が多いが、雌花が雄花に擬態して雄花の花粉を目当てに飛来する小型のハナバチ類を騙して受粉を成功させているのではないか、とする仮説がある。ハエ類が甘みを持った粘着質を舐めに来る際に受粉していると考えられる。受粉に成功した個々の雌しべは成長して果実となり、10cm前後まで成長する。9~10月に熟して淡紫色に色づく。成熟した果実の果皮は心皮の合着線で裂開し、甘い胎座とそこに埋もれた多数の黒い種子を裸出する。この胎座の部分は様々な鳥類や哺乳類に食べられて種子散布に寄与する。
種子を包む胎座が甘みを持つので、昔から山遊びする子供の絶好のおやつとして親しまれてきた。果皮はほろ苦く、内部にひき肉を詰めて油で揚げたり刻んで味噌炒めにするなど、こちらは山菜料理として親しまれている。主に山形県では、農家で栽培されスーパーで購入することができる。また、東北地方などでは新芽(山形や新潟などでは「木の芽」と呼ぶ)をやはり山菜として利用している。その他、成熟した蔓はかごを編むなどして工芸品の素材として利用される。また、秋田県では種を油の原料としている。江戸時代から明治時代にかけては高級品として珍重され、明治以降生産が途絶えていたが近年復活した。

子どものころは、年上も年下も一緒に遊んだ。秋になるとあけびを採ってきたといって自慢げに見せてくれた。山のどのあたりにあるのだろうと、いつも不思議に思っていた。遠足などで山を越えるときに、あけびがある、などという声も聞いた。しかし、あけびの花は見たことがない。子どもだから、花があるなどと思ってもいなかった。さつま芋のような実が割れ、黒い種をミルクのような白いものが包んでいた。その姿だけ覚えていた。聞けば、受粉形態もおもしろい。
砥部焼の産地である砥部に住居を構えたおりに、家裏の川崖に木にあけびの花が咲き、実をつけた。山に入らねば見つからないのに、家の裏に出ればあけびが採れた。もちろん食べた。楕円状の葉もなかなかよいし、淡紫の花も、そして実も、果てはあけび籠となって、蔓まで身近になった。横浜では、近所の家に鑑賞用に植えられているので、見て楽しませてもらっている。蕾は、濃い紫の風船状で、それが割れて花が咲く。

★花あけば曇れる空のいや高く/高橋正子
★花あけび日差しそろそろ強くなり/高橋正子

◇生活する花たち「あけびの花・白山吹・をだまきの花蕾」(横浜日吉本町)


コメント

  1. 藤田裕子
    2012年4月21日 23:28

    お礼
    正子先生、「今日の俳句」に「春山」の句をお
    取り上げくださいまして有難うございます。

    ★春月の光りにも触る午前二時 
     書きものをされたり、読書をされたり、あっという間に時間が過ぎていきました。窓から差し込む春月の光りが手許に届いていることに気が付きました。ふと時計に目をやると午前二時をさしていました。集中した時間を過ごされ、春月の光りにも触れることができ、幸せな喜びを感じられたように推察致しました。