3月2日(土)

鴨帰り池のさざ波陽を受けぬ  正子
鶯の声を身近に山にいる    正子
耕しの畑の傾斜のびやかに   正子
●おととい、松山の麗美ちゃんからメールが来た。返信したら、きのうまた新しくメールをくれた。暮に喪中の葉書きを出して、合同句集『泉』を送っていたが、とくに返事はなかった。おととい、「ご無沙汰しています。信之先生のおくやみを申しあげます。『泉』もありがとうございます。」と。
麗美ちゃんは、松山で私が家庭塾をしていた時の教え子。中学のとき高校受験の勉強を5教科、砥部の家で見てあげた。高校生になっても来ると言うので、そのときは衣山のマンションに日曜日に来ていた。信之先生が、ポップコーンを作ったり、ポトフを作ってあげたこともある。高校に入ってからの成績はいつもクラスのトップクラス。おじいさんが作った大根を持ってきてくれて、それがおいしいこと。信之先生が喜んで、「うまいなあ」とよく言っていたことなどメールに書いてあった。
私は、メールの返信に「あと4日で92歳だったけど、最後まで元気で過ごしました。亡くなったときは、看ていただいた看護師さんたちにも、お医者さんにも『幸せだったと思いますよ』」と言われたと書いたら、納得したようだった。
 『泉』の信之先生の「旅衣以後」の句の冒頭の一句は、麗美ちゃんを詠んだ句。
 今日を来て少女夜学の灯を点す 信之
気づいてないようだったので、今日メールでそのことを教えてあげた。

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