3月15日(日)

曇り
プランターの春菊急に葉を育て    正子
薔薇の芽のくれないなれど濃く淡く 正子

●部屋に暖房をつけないで、炬燵だけにあたっていた。寒いと言うより冷たい。立ち上がってエアコンをつけたわけだ。

●送られてきた「奥の細道むすびの地記念館」『共鳴』2月号を読んだ。主宰者の句が載っている。主宰者の俳句を言うのではないが、今の俳句は、栄養失調で、サプリメントを食べたり飲んだり、そして、刺激的でおいしいファーストフードのように思えた。すっかりテレビのコマーシャルの性質になっている。

●『詩を読む人のために』の口語自由詩以前のまとめを先日書いた。日本の詩は象徴の濃度の違いで推移している。象徴を軸に詩史を見た人は稀とある。三好達治のこの本はほぼ歴史順に、形式を分けて並べられている。内容で分けているのではないが、時代の空気はどこかに感じとれる。
それが歴史順に並べてほぼ差し支えない理由だろう。

芭蕉の言葉は象徴性がある。だから深さがあるのである。現在、芭蕉を語る人は多いが、本当にその精神がわかっているかというと、そうではなさそうなのだ。芭蕉は精神の人だが、現俳壇は技巧に偏っている。この段階で、芭蕉理解は無理とわかる。
また、「奥の細道むすびの地記念館」の『共鳴2月』をAIに分析してもらった。予想に近い結果が出た。そして結論。私はあるところまで到達しているので、自分の俳句をこつこつ作っていればよいということ。ただそれだけの事だった。


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