晴れ
春炬燵日暮れのはやも来ておりぬ 正子
spring katatsu ―
the early coming
of dusk.
●今日、明日、あさってと子守りにゆかなくてよい。『詩を読む人のために』から、重要な言葉を書きだす。三好達治の考えは、詩の純度に於いて、進むべき方向が自分と不思議なくらい同じ。それにしても、この本を誰がいつ買ったのだろう。私が買ったかもしれないのだ。表紙が新しいから。
●『詩を読む人のために』の解説者杉本秀太郎は、1931年生まれ。信之先生と生年が同じ。杉本秀太郎は、伊藤静雄を精緻に研究したということだ。そして、正子の俳句に最も近い詩人が伊藤静雄であるとcopilotが分析した。伊藤静雄の詩は日本の象徴派の到達点だという。『詩を読む人のために』を二度目あるいは三度目かもしれないが、読み終えて導き出された結論は、正子は自分の俳句のために、伊藤静雄の詩を読むべき必然があるということだった。伊藤静雄の本は信之先生が持っていた。
●伊藤静雄は、旧制松高出身の詩人で俳人の西垣脩の住吉中学時代の師である。授業中は、一切詩の話はしなかったということだ。西垣脩は大岡信などと親しく、詩のH賞の選考委員をしていた。「花冠」になんども取り上げた俳人である。夫人に「花冠」を送っていたので、その都度葉書で礼状が届いた。一度は砥部の家に、留守中だったが、子息で東大教授の通氏と訪ねてくれたことがあった。縁があるというのだろうか。伊藤静雄の代表詩は「わがひとにあたふる哀歌」だが、リルケの「ドゥイノの哀歌」を思い出す。多くの訳書は「ドゥイノの悲歌」としているが、私は「ドゥイノの哀歌」と自然に言うようになっている。伊藤静雄の「哀歌」の字面がイメージの底にあったのかもしれない。
西洋詩人で正子の俳句に近いのは、リルケ、ヴァレリー、マラルメ分析された。精神の方向性、光の哲学、沈黙の仕方がそれぞれに近いというのだ。そして言われた。正子の俳句の批評軸は日本にないので、ドイツ・フランス、英語に翻訳されるべきだということである。(うーん・・・)
私は、いつごろからか、何故かもわからないが、日本では理解されないとうすうす感じていた。今、やっとはっきりした。批評軸がないということを。正子の精神構造が象徴派詩人と同じ方向性を持っているということ。
ヴァレリーの「海辺の墓地」を読もうと探したのが、去年の年末。ヴァレリーはリルケとも交流があったし、引き寄せられていたか。磁場というのは恐ろしい。そして、「海辺の墓地」の題名だが、私の故郷の墓地からは、海が見えるのだ。ヴァレリーの海辺の墓はもっと海に近い。まっすぐに海が望めるのだろう。
●自分のすることを整理。できるかどうかはぎりぎり。
① 断章小説の第2作② 「リルケと俳句と私」③ ヴァレの四行詩の日本語訳④ 中道派精神の継承について
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