2月12日(水) 望月

晴れたり、曇ったり
ひとり居の部屋の余寒の天井まで  正子
春こたつ雑誌数冊読みすごす    正子
●「俳壇」3月号が届く。今月は奇数月なので花冠の広告が載っている。
面白かった記事は以下の二つ。
①「俳壇時評」「俳句を教える話・AIの話」(鴇田智哉)は、よく言ってくれた。
藤田湘子著『20週俳句入門』の影響で、取り合わせの俳句が流行しているとし、これについて教えるときに困る事をあげている。「一物仕立て」と「二物衝撃」(取り合わせ)で鴇田氏は自分が俳句を習った経緯から一物仕立てから教えるという。どちらから教えるにしても、「取り合わせ」の俳句を教えるのは、大変難しい。それをいとも簡単に、簡便に教えているのが、最近の流行。

②特別寄稿「加須・岡安邸 虚子から岡安迷子への書を訪ねて」(藻井紫香/書道家/書友会)は虚子が岡安迷子に書いた屏風などの書があるという。その書についての書家による説明。
●洋子さんに電話。アンソロジーについて。最近の花冠の俳句について、私は「レベルが上がっているのではないかと思う」と言うと、洋子さんも「そう思う。正子先生が言うんだったら、間違いないと思う」と言う。
●きのう、発行所ブログに正子の「リルケと俳句と私」を読んだ感想の終わりに、川名ますみさんがメシアンの『七つの俳諧』という曲を紹介してくださった。今日、You Tube で探して聞いた。
①序、②奈良公園と石灯籠 ③山中湖-カデンツァ ④雅楽 ⑤宮島と海中の鳥居 ⑥軽井沢の鳥たち ⑦コーダ となっている。⑤の「宮島と海中の鳥居」が見つからなかったので聞いてはいない。

音楽に昏い私の個人的な感想にすぎないが、 いわゆる音楽としてではなく、ただ音として、自然の中の音として聴けば面白さがある。音色、リズム、曲の短さに俳句の精神を表したのだろうか。 武満徹に比べると、日本人の私には、音に澄んだ感じが、つまり静謐感があまりしなく、音が多すぎると思わないでもない。それがメシアンなのだろうが。

これも私個人の感想にすぎないが、リルケの3つのハイカイを思い出しても、俳句としても詩としてもいいとは思わない。墓碑銘となった三行詩を俳諧とする学者もいて、これは別格であるが。リルケが俳句の精神をくみ取ろうとして、俳諧を実際作ったことのほうに意義があると思える。その後、リルケが俳句をどのように消化して彼の詩に生かしているかの方が面白いのではと思う。

●中・高の同級生が、彼女が習っていた俳句教室の修了作品集『春一番』を送ってくれた。中学校の同窓会の写真のコピーや高校の90周年記念の校歌が印刷されたクリヤファイル、鞆の浦歴史民俗資料館、福山城博物館のパンフレット、それに因島のはっさくゼリーまで送ってくれた。高校の校歌は葛原しげる作詞、下総皖一作曲。私が懐かしがるだろうようなもの。
同級生T. Mさんの俳句
はつ夏やひめわたすげも風の旅
この胸に紫苑の束を抱きし日も
荒地にも冬たんぽぽのひかりあり
入門して一年の作品のようだ。夜電話。長電話になった。


コメント