★枯れ道の白くかがやく固さ踏む 正子
作者身辺のささやかな行為ではあるが、そこに日常生活の力強さがある。作者内面の強さを評価したい。(高橋信之)
○今日の俳句
大雪の朝の光と鳥の声と/矢野文彦
生き生きとして、かがやきのある句。目に大雪の朝のまぶしい光、耳に鳥のはずんだ声。こういった世界が目の前にあるよろこび。
○年逝く/年の瀬
ゆく年の硯を洗ふ厨(くりや)かな/三好達治
年賀状など書くのに使った硯であろうか。日常的にも筆がまだ使われていた時代である。私も、硯をどこで洗おうかと思うと、厨となるのだが、硯を洗ってさっぱりとして年をゆかし、新年を迎える。そういう心持が読み取れる。
年の瀬の遮断機上り街動く/藤田洋子
遮断機が上ると一斉に車が忙しく動き出す。年の瀬の街の風景をよい視点でとらえた。(高橋正子)
年逝かす蘭の華やぐ丈見上げ/高橋正子
一日一日と慌しくなる年の瀬ですが、花茎を高く上げて咲く見事な蘭の花々に、心和み明るくなります。その華やかな存在感に、過ぎ行く年の感慨と、来る年を迎える新たな喜びも感じられます。(藤田洋子)
○29日に、ブログを読んでくださる皆様へ、年末のご挨拶を済ませたので、正月が来るまでの30日、31日は、まるでこの世を辞して、千里を走る靴をはいて、あの世へいったような気持ちとなっている。また、正月には帰ってきますが、なかなか快適な年の瀬です。
昨日信之先生が、白万両、南天の実ばかりの小束、満開のヒアシンス、それに水仙、千両、ひめ南天の花束を買ってきて、狭い部屋を満たしている。シクラメンの鉢も取り込んで咲くのを待つばかりとなっている。
○千両
花束の中より散らばる実千両/平田弘
千両は生家にはなくて、砥部の家の玄関脇に赤と黄色を植えていた。植木屋さんの勧めで植えたと思う。万両は日当たりがいらないが、千両はいると聞いている。間違いかもしれない。正月花に赤い千両を一枝切って入れたいと思うが、一枝切ると間が抜けたような姿になるので、正月花には花屋で買っていた。先日東海道53次の戸塚から藤沢まで歩いたときには、お寺などに千両をあきるほど見た。こちらのお寺は千両がお好きなようだ。
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