11月23日(土)勤労感謝の日

晴れ
●夕方暗くなって、URの団地を歩いた。道に落葉が振り込んでいる。植え込みの萩の枝も栃の葉も寒い風に吹かれて、野辺山の風に吹かれる風情だった。
●一月号を一日編集。「音楽のしっぽ」「散文集」の初校ゲラをそれぞれ筆者にメール。三人から、返信メールあり。
ますみさんの返信に、貴重な朝日新聞の記事を紹介いただいた。
朝日新聞「谷川俊太郎さんと音楽」
https://www.asahi.com/articles/ASSCL7DQ3SCLUCVL01RM.html 
――シューベルトは、朗らかな長調で悲しみの奥底を描いた。レッテルが虚(むな)しくなる。そうした世界は、言葉でも表現できるものか。
 「できるかどうかはわからないけど、目指してはいます。モーツァルトの、僕が大好きな数小節に匹敵する詩が書けたら死んでもいいと思ってる」
 「散文は絶対、音楽には近付けない。詩も、長ければ散文になるからやっぱり近付けない。意味が生まれちゃいけないんだ」
 「意味から一切離れるってことは不可能だから、究極にあるものは、僕は『存在』と呼んでいる。言葉はその存在に一生懸命迫っているわけだけど、存在そのものにはなれない。その場合には、言葉を通して存在の手触りみたいなものに近付くしかないというか。俳句なんて特に、言葉で直接存在に触る世界でしょ」

●和人さんの俳壇投稿原稿についてメール交換。晃さん雑詠の一句について、メール交換。
●「正子の日記」の編集。9月まで済む。何を残し、何を削るか、悩ましい。明日で決着をつけたい。その後、リルケに取り掛かる。

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