★秋の潮満ち来る波の触れあいて 正子
穏やかな秋の日に、潮波の触れ合う音が聞こえてくるようです。(祝恵子)
○今日の俳句
寄りし娘に持たす枝豆ゆでたてを/祝恵子
ゆでたてのほっくりした枝豆に母のさりげない愛情が読み取れる。立ち寄る娘のさりげなさも、自然体で美しい。(高橋正子)
●曇り。
『朝吹秀和句集』恵送のお礼を投函。
【句集感想】
第一句集の『青いサーベル』の印象が今でもとても強く残っておりますが、
その時は、朝吹さんが磯貝碧諦館氏の弟子であることをあまりに重く考えな
いで、拝読したように思います。今回の句集に収められました「論考・草田
男の詩精神継承を目指して」を拝読し、朝吹さんの句は、草田男ー碧諦館と
繋がる師系のなかで生まれたのであろうと思うと、俳句の構造に随分納得し
て鑑賞できました。高みのある御句にいつもながら姿勢を正される思いです。
二十年ぐらい前になりますけれども、上野で「ケルト美術展」が日本で初
めて開催されて、それを偶々見ました。そのケルトの印象が未だに強く自分
の内に残っていて、何かそういった印象のものに出会うと、それを思い出し
ます。勝手な読みですが、朝吹さんの俳句の何句かに、そのケルト的なもの
を感じました。
『夏の鏃』以後の句から好きな句を選ばせていただきます。
末枯やゴッホの燃やす日の沈む
「末枯」と「日の沈む」のもつイメージにゴッホの色やうねるような筆遣
いが様々思い浮かびました。
枯野より眠れるチェロを抱き起こす
こんな感じで始まるチェロの弦の響きが耳の底から聞こえて来るようです。
蕭条とした中の温かみのある音色。読み手に音楽を聞かせてくれて、いつも
ながら、さすがと思います。
角材の切り口香る年の暮
年の暮に木材の切り口が、よく香るのに出合った経験はしばしばあります。
冬の空気に匂う木材のかぐわしさに、新鮮さと明るさを感じます。
酢海鼠や死者と一献交わしける
一献交わすとき死者はそこに来ているのでしょう。斎藤 史の「ひつそり
と死者の來てゐる雪の夜熱い紅茶をいれましようね」を思い出しておりまし
た。
追悼 磯貝碧諦館
握る手の永遠の温もり花月夜
かたく握った手の温もりはそこに静止し、永遠に続く。最期の時は永遠の時であって、
それにふさわしい美しい花月夜です。
海鳴りの彼方の母やかき氷
「かき氷」とあるから、少年の日ころの母を思い出されたのでしょうか。「海鳴りの彼
方」の切なさが、なんともいいと思います。
○現の証拠(げんのしょうこ)
[げんのしょうこ/横浜・四季の森公園] [げんのしょうこ/東京・向島百花園]
★うちかヾみげんのしょうこの花を見る/高浜虚子
★山の日がげんのしょうこの花に倦む/長谷川素逝
★手にしたるげんのしょうこを萎れしめ/加藤楸邨
★草掻き分けてげんのしょうこの花がある/高橋信之
ゲンノショウコ(現の証拠 Geranium thunbergii)は、フウロソウ科の多年草。日本では北海道の草地や本州~九州の山野、また朝鮮半島、中国大陸などに自生する。生薬のひとつであり、植物名は「(胃腸に)実際に効く証拠」を意味する。玄草(げんそう)ともいう。茎は約30-40cmに伸び、葉は掌状に分かれる。紅紫色または白紫色の花は夏に開花し、花弁は5枚(紅紫花種は西日本に、白紫花種は東日本に多く見られる)。秋に種子を飛散させた後で果柄を立てた様が神輿のように見える事から、ミコシグサとも呼ばれる。近い仲間にアメリカフウロ、老鶴草などがある。
ゲンノショウコはドクダミ、センブリなどと共に、日本の民間薬の代表格である。江戸時代から民間薬として用いられるようになり、『本草綱目啓蒙』(1803年)にも取り上げられた。現代の日本薬局方にも「ゲンノショウコ」として見える。但し、伝統的な漢方方剤(漢方薬)では用いない。有効成分はタンニン。根・茎・葉・花などを干し煎じて下痢止めや胃薬とし、また茶としても飲用する。飲み過ぎても便秘を引き起こしたりせず、優秀な整腸生薬であることからイシャイラズ(医者いらず)、タチマチグサ(たちまち草)などの異名も持つ。
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