10月17日(木)

曇り
白萩のこぼるるつけ砥部の庭   正子
白萩の中の二本が紅の萩     正子
金木犀の匂いただよい木を探す  正子

●行方不明になっていた大学の卒論がでてきた。特別変なところにあったわけではなくて、自分の本を入れる棚にあった。これはよかったが、まだ大事な本が何冊か出てきていない。大事にし過ぎてわからなくなっている本がまだある。信之先生の大連時代の写真も行方不明。あまり大切でないものを大切だと思っているのかもしれないのだ。

1969年の愛媛大学の卒論で私はリルケのフランス語の短詩を紹介した。柴田依子氏によると、ヨーロッパでリルケへの俳句の影響言及されたのが、1961年ヘルマン・マイヤーによってであり、日本でリルケへの俳句の影響が論証されたのは、東大教授の富士川英郎氏によって1980年だと言う。
卒論の事で思い出したが、卒論で使ったアール・マイナーの比較文学の本が行方不明になっている。プリンストン大学から出版された本だが、都立大学の金関寿夫先生に手紙をかいて、紹介いただいた本だ。学生だった私に丁寧な手紙をくださった。大学の教師は学生には本当に丁寧に接してくれる。冬絵不明になっているのは、ハロルド・ヘンダーソンの本もなのだ。大事でないことに引っかき回されていたのだろう。暗澹たる思いだ。

グンデルさんとモニカさんからのドイツ語の手紙も出て来た。高橋ファミリー宛ても、ゲンとクミコ宛もあった。会ったときはフランクフルトのゲーテ大学の学生だった。今は六十歳近くになっているだろうが、彼女たちはゲーテ通りで画廊を経営していた。そこに信之先生の俳句の額や掛軸を展示してもらったが、掛軸はオーストリアの人がわざわざ買いに来てくれたり、展示会のことがフランクフルトの新聞に載ったり、ちょっと評判だった。フライブルグに留学中の森先生も見に来てくれた記憶がある。
●追記:12月22日のテレビの回顧放送で高階秀爾さんが本日亡くならられたことを知ったので、ここに追記する。

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