10月15日(火)十三夜

晴れ
ひろびろと紺の深空の十三夜  正子
道に出て見上げる空に十三夜  正子
自転車の灯が来て止まる十三夜 正子

ネット短信No.424を出す。10月月例ネット句会の入賞発表と、来年度年会費と維持費の案内。   https://blog.goo.ne.jp/kakan02d

●いろんな林檎が出回るようになった。売り場には「お待たせしました。JA青森のりんご入荷。」とポップをついている。サンつがるが終わり,秋映、紅玉、フジ、トキなど。前に松山で水煙大会をしたとき、岩手の会員のかたが、松山城の二の丸庭園の蜜柑をめずらしそうに、しばらく眺めていたが、私なら、岩手行ったら、林檎の木をつくづく眺めるだろう。

(十四)リルケと俳句について
リルケを読むようになったいきさつは最初(一)に書いた。『ドゥイノの哀歌』の第一哀歌を読みつつ思うことだが、十代から今に至るまで俳句を60年間詠んできて、人生のほとんどを俳句に充てて(それしかできなかったのであるが)よかったのかを検証できそうな予感がしてきたのだ。肯定を期待している気持ちが働いているとも言える。しかし、よく読んでみなければわからない。

第一哀歌にある、なぞえの丘の樹、歩いてきた道、犬のように慣れまとわりつく習慣、窓辺から聞こえる提琴(バイオリン)の音色、そして夜。われわれはこれらから委託を受けていると考える。「委託」という考えは、日本人の私からは、逆の発想に思える。が、そうなれば、委託にどう応えるか。私の場合は、それが俳句を作ることなのだろうと、思えるのだ。信じるもの、恃むものからの委託ということになる。

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