1月24日(金)

晴れ
寒ぬくし桜若木のすくすくと    正子
午後の墓地供花にも石にも日脚伸ぶ 正子
寒ぬくし祈れば祈りきりもなし   正子

●墓参。午前中に行くつもりだったが、お昼を回った。今日はあたたかくて、いい天気なので出かけるのにはいい。お墓には珍しく誰もいなかった。線香をあげたり、お花を立て替えたりするのも慣れてきた。日脚が伸びて、墓域全体が明るく、きれいに見えた。枯れた供花は取りのぞかれて、パンジーやアリッサムなどを花壇のように植えた墓もいくつかある。お墓に貼られた芝生はまだ枯れたまま。桜の冬芽が太っていた。

帰り、駅前に小田急OXがあるのに気づいたので、入ってみた。お花も売られていた。生きがいいし、値段も手ごろ。次からは買って来なくてもここで買えばいいと思った。ようやくお墓のある鶴川の街の様子がわかってきた。

●お墓から帰ると5時を過ぎていた。夕飯は思いつかないので、冷凍の浅利飯にした。冷蔵庫から茹でキャベツやトマトと卵を取り出し、みそ汁を作って終わり。食後には、はれ姫。今日はなにもしない日にした。「自由な投句箱」の選とコメントは朝早く済ませたので、しなければいけない仕事はない。

●花冠1月号(No.372)に載せた「リルケと俳句と私」の私の文について感想をいただいた。文面から評価いただいたことはわかるが、それをどう受け止めてよいか悩んでいた。今夜、何もしないでいると分かることがあった。その評価の言葉は「絶大なやさしさ」から生まれたものなのではないか、と気づいた。これまで、私が感覚的に「やさしさ」を把握できるのは、人間の等身大のやさしさでしかなかったのだ。そうではなく、「神の」というものではなく、人にも「絶大なやさしさ」があるのだと気づいた。「絶大な」の代わりに「計り知れない」と言い換えてもいいかもしれない。

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