1月15日(水)

曇りのち晴れ
あまやかな色に剥かれて冬林檎  正子
水を撒いてしずめて工事の寒埃  正子
昼の匂い寒中豆を炊きいれば   正子

●リルケの「時祷集」の「貧困と死の巻」(1903)からは、何の思いとどまり、考え込むことなく、わからないということなく読めた。貧困について人生ずっと長く考えざるを得なかったからかもしれない。人生を不安に陥れる貧困は人間が純粋であるために必要なのだ。
「なぜなら貧困は内部(うち)からの大きな響きなのだから」これたった1行の詩。
●引き続き「ピエタ」を読む。このピエタは聖母マリアではなくマグラダのマリア。なぜ聖母マリアではなく、マグラタのマリアを登場させたのか、私なりに思うに、マグラダのマリアノ方がより人間的なので、内面の感情を深く、また新しい視点から掘り下げることができるからではという気がした。

●リルケ「新詩集」の「早期のアポロ」は西脇順三郎の詩を思い出させるので、本棚に西脇の詩集を探した。あったと思うが見つからない。ギリシャ神話のようなイメージがあり帆船の白い帆が海を行く光景だったと思う、その詩を探したかった。西脇の詩集の代わりに『立原道造・堀辰雄翻訳集ー林檎みのる頃・窓』(岩波文庫)と『立原道造詩集』(ハルキ文庫)がみつかり、開いて見た。開いたものの落ち着かなくてすぐ閉じた。これらの本がある事が確認できた。

●今日はモーツァルトのピアノソナタ全曲を聞いて、やはりモーツァルトのバイオリンとピアノのソナタ全曲を聞いた。締めはベートーベンの7番をイヴァン・フィッシャーの指揮、コンセルトヘボウで2回聞いた。大きな抱擁のような分厚い感じの音。結構情熱的だった。

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