三好達治の俳句/9月25日

俳句
晴れ
○三好達治は、萩原朔太郎が、「そんな隠居趣味なことは、やめたまえ」といったにも拘らず、俳句を作り続けた。「路上百句」として、三好達治詩集(岩波文庫)にある。目に付いた句を挙げる。
 街角の風を売るなり風車
 柿うるる夜は夜もすがら水車
 雲代謝(たいしゃ)みなうつくしき枯木立
 ゆく春の店きららかに扇売る
 柿落葉家鴨よごれて眠るなり
 水門をいくたびくぐる初燕
 堤より低き家並の鯉幟
 土佐よりは伊予が美し麦は穂に
 つばくらめどこまで揚る土用波
 ひなげしのちる日のほどを歌の選
 水に入るごとくに蚊帳をくぐりけり
 ひるがえるのみとはいへど青はちす

防災訓練/9月26日(土)

俳句
黄花コスモス甍ある家を囲みける
晴れし日は桜が紅葉し始めぬ
楽隊のドリル演奏秋天へ

晴れ
○町内会の防災訓練。炊き出し係りを急遽仰せつかる。日吉本町西町は、4500世帯ほどある。今日は、2200食の五目御飯と水一人500mlペットボトルを用意。アルファー米の五目御飯で、5キロのアルファ米の入った袋に炊き込みの乾燥させた具、しゃもじ、割り箸、パッケージ、ナイロン袋がセットされている。米と具をよく混ぜ、それにお湯を定量注ぎ、25分待つというもの。5キロで50食。訓練なので、100食分とする。実際は1700人分用意すればよかったが、パッケージに詰めすぎたのか、人数を間違えたのか、500人分不足。すぐに追加。この不足というか、誤差に対しては、慣れたもので、手際よく埋め合わせた。例年そうらしい。味はなかなかよろしい。午前8時から12時までかかる。消防音楽隊も来て、啓蒙につとめる。

○訓練は、実際の災害の1割ぐらいなのだろうという気がした。それぞれの家庭の備えが大切と思えた。わが家も、まだまだ不十分とは思いつつ、それでも非常時持ち出し袋、水を備蓄しているが、普段でも急な場合は、利用する。あと補充を忘れないようにしないといけないが。

○昨夕、NTT西日本長崎支店から、「インターネット俳句センター」をHPにおいて、リンクさせてほしいという相談があった。光栄なことである。

○愛媛新聞に「インターネット俳句コンテスト」について、本日、記事が載ったと、洋子さんが、添付ファイルで送ってくれた。

○敬二さんが、「俳句界10月号」を注文されたので、メール便で送った。

9月24日(木)

俳句

晴れ
○授賞式交流パーティーを都合で、中止に。

○三好達治詩集を読む。

○思潮社社長の小田九郎の「現代詩手帖」50年の歩みの記事を日経(23日付け)で読む。出版物は、社長の意向次第であろう。出版の理念は大切。出版物に限らず、社会的役割を認識している会社のものを買うようにしなければいけないだろうが、消費者はすぐ踊らされる。マスコミや広告任せは、やめなければ。

○やさしい経済学というコラムで「情報の経済学とシグナリング」(神戸伸輔)を読む。
学歴、広告、チケットを買う行列において、共通するものがあるが、それは、何だろうか、と言う記事。経済学では、情報(市場で取引する際の情報)をもっていないものに、行動を通じてその情報を伝えることを「シグナリング」と呼ぶそうだ。これは、身近なところに、多種多様な形で存在する、とある。

これを俳句にあてはめると、
値打ちのよくわからない俳句がある。これを、値打ちがある、よい俳句であることを相手に伝えるためには、「学歴」を示すと納得してもらえる。「学歴」を取得するには、費用と時間がかかっているからだ、と言う理論。費用をかけて情報を伝達する。万事、経済の世の中。マスコミの俳句を見えれば、俳句も例外ではなさそうだ。

9月23日(水)

俳句

晴れ
○敬老の日。お彼岸。よい天気。

○インターネット俳句センターのグーグルの順位が下がったと思うと、6,7位に回復する。その意味はよくわからない。

○コープのお萩が届く。蓋を開けると、胡麻の香りがすばらしい。あん、きなこ、胡麻の三種だが、胡麻が近年になくおいしい。

○源吉兆庵の某饅頭を買うが、正子謹製のふくらしこ饅頭のほうが、美味しいと言われる。素朴で、単純、だれでも、いつでも、ちょいとできる。

9月21日(月)

俳句

曇り
○インターネット俳句協会理事長印ができあがる。
この名前は、利用されているようだ。これも現代の風潮。

○暫くぶりに抹茶を買う。

○26日に町内会の防災訓練があるが、炊き出し係を頼まれる。予定の担当者が急用のため。

俳句界10月号を読む/9月20日(日)

俳句

晴れ
○花冠11月号入稿。エックスパックで原稿を送る。メール、CD-ROM、USB、のどれでも原稿を送るのが可能だが、目下のところ、CD-ROMとプリントアウトした原稿、割付を揃えて送っている。

○水煙の割付や原稿、会計、NPOの書類などを、整理。捨てるものは捨てた。これまで、金は儲けず、使うばかりであったが、よく仕事をしたと振り返る。著名になるわけでも、金を儲けるでもなかったが、その時々に、自分のことはさておいて、すべきことはした。もうこれくらいで、よろしいのではないかと、結論づける。

○俳句界10月号が届く。秋の連休のせいか、いつもより早い発行。一通り読む。
特集「結社の継承」について。
「結社は一代限りは美徳か」の星野高士「玉藻」副主宰の話が、秀逸。
「俳諧の宗匠と世襲について」橋本直の文は、眠い。
「鷹」が「鷹」であるためにの小川軽舟は東大出身と聞くから、その理由で主宰に推されたのかもと思わせる。よくある結社の事情。
「真っ当な組織論の実現ーー「古志」検証」の岸本尚毅。東大出身者らしい記事。
理論と俳句の実際に乖離が感じられ、組織を意識すれば政治に。別世界。
「師系の継承ーー「青樹」終刊」野田禎男は、曲折ある継承に、継承という難しさが見える。
「にれ」終刊に思う事」椎名智恵子は、北海道という地方を支えた俳誌の終刊と主宰者の功績と称えたもの。地方の事情は文学とは違うもの。

○俳句界の2番目の特集。
「兜太ばかりがなぜもてる?」
「金子兜太さんの魅力」松澤昭、「兜太を肴に秋の夜をだべる」八木健、「拝啓 金子兜太様ー円熟とは肯いへの優しさでしょうか。」池田澄子、「俺が五七五そのものなんだ」金子兜太、と読んできて、漫画的なあまりに笑う。金子兜太については、兜太自身が語るものが、一番分かりやすい。真正面から話す方ではなさそうだ。本音から逸れている。これは、第一人者としての責任、また文学者としての大切なものの欠如と思えるのだが。草田男とよく論争しているようだが、草田男が突くそこが問題であろう。
兜太の近作鑑賞では、若手の神野紗希「一回性を生きること」は、もっともらしいテーマに兜太の俳句を結びつけただけの優等生の作文。鑑賞に感性がないと感じさせるのは、俳句が読めていないからであろう。。
若手の佐藤文香「生生しさを愛する」は、等身大で兜太を捉えて、ややひ弱だが、感性がある。「兜太先生が好き」という文句も忘れていなのが、しおらしい。

○俳句界時評「俗から造化へー俳句精神の自由」坂口昌弘が、『日常』(金子兜太著)、『夏至』(正木ゆうこ著)を採り上げる。句が採り上げられているが、どれも読みたくない句である。俳壇では、言語について、どの程度の認識があるのだろうか。言語への懐疑はないのだろうか。自然観はどうなのか。特にインテリたちの俳句に精神を含めた体験というものの不足、頭で操作されたものを感じる。詩はそういうものではないだろう。

○高屋窓秋の特集は、窓秋の俳句の詩性のせいであろうが、面白い。林桂らが書く。

日経記事/9月18日(金)

俳句
秋祭りの近き空気がポストまで
新駅の広場に秋風よく通り
林檎食ぶそのあたたかき皮を剥き

曇り
○第35面「経済教室」。
「社会」意識した消費 一段と。質や絆重視鮮明に。
「いま、企業価値は経済的な面だけではなく、環境保護はもちろん、地域社会とのかかわり、人権や労働環境、情報公開など、さまざまな尺度から評価されるようになっている。企業による多様な取り組みは消費者の商品やサービスの選択基準となっており、そうした傾向は今後ますます強まっていくだろう。」「このように新しいマーケティングは「質」と「絆」を重視する新しい消費トレンドを後押ししている。経済危機を経て、こうした流れは一段と加速し、消費者との新たな関係の構築を企業に迫ることにもなるだろう。」

9月17日(木)

俳句
黄昏の一気に寄せて虫の声
虫の声鈴音のごときが地にころがり
鶏頭の立ったる土の乾ききる
ほうれん草お菜に茹でて暮れ早し
何事も思わず今夜の秋刀魚買う

晴れ
○11月号の原稿書きと編集。目次、後記、裏表紙、表紙を除いて出来上がり。日曜日に入稿の予定。

○わが子曰く。「首相になるのは、みんな年寄りだね。60過ぎないと、いろいろ分かってないことがあるから、首相になれないのか。」と。

○鳩山総理はじめ、閣僚の方々、さすがうれしそうで、緊張しておられる。総理も菅さんも私とは同じ年。戦後生まれの宰相は、初めてではないかと思うが、このことは、誰も話題にしない。戦後民主主義はどうか、明らかに問われるであろう。著名人のアメリカナイズした思考に、唖然とすることも多い。まるで、鹿鳴館時代、ジャポニスムの外国人の日本理解と同じなのだろうかと、思うこともしばしば。珍妙で、滑稽であるけれど、それを、珍妙で、滑稽と感じない世代があるところに、現代がある。

されどシェークスピア/9月16日(水)

俳句

晴れ
○鳩山さんが首相となる。理系宰相に熱い視線、という見出しもある。菅さんも東工大の出身。理系の頭で、クリアな政治を行ってもらいたい。

○リチャード三世を見たいと思いネットで検索。リチャード三世を悪役にしすぎた劇団のメークに失望。意外とよさそうなのが、子どものためのシェークスピア。華のん(カノン)の企画したもの。パナソニックの後援を受けて活動しているようだ。チェーホフと、古典落語もある。良いものを、本物を、の精神のようだ。

○一昨日の続きだが、シェークスピアは、やはり面白い。原文と翻訳と比べながら、そのエッセンスが読める。リチャード三世に出てくるエリザベス王妃の話す言葉には大いに感心。短く、あまり難しくない言葉、心がぽつっと零れるような言葉は、決して男性の言葉ではない。若いときは、このようなことには気付かなかったが、年をとってわかものがあるので、年をとるのもよいことであろう。劇の台詞を少々覚えて、ロンドンにでも行って、イギリス人の芝居を見てみたくなった。宝くじにでも当たったら、そうしよう。

シェークスピアは、老後の楽しみによさそうだ。それにアガサなどの推理小説。漱石も。老後は古典を楽しむのがいいだろう。こういった人たちの御蔭で、人生の日々がたのしく送れる。クラッシクの音楽家の多くの楽しみを残してくれた。願わくば、俳句でも人生の楽しみとなるような句を遺して欲しいものだ。