★家の灯に盆灯籠の灯を加う 正子
お盆が来れば、精霊さまの魂は灯りを頼りに家にやって来られる。そして帰省して来た家族、縁者と、目には見えなくとも楽しいひと時を過ごされる。家の灯りに加え、盆灯篭の灯りは、楽しく過ごされる為のご馳走なのである。お盆に親類縁者の集う賑わいがよく見えて、明るく楽しい一句である。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
水平線の蒼き一筋盆の海/桑本栄太郎
盆の海を眺めている。盆の海がひろびろと広がって、遠く水平線が実にきれいな蒼の一筋としてある。作者の思いが一句に籠められ、季節が的確に捉えられた(高橋正子)
○午後3時ごろから、横浜緑区の四季の森公園に出かかる。日吉本町駅から電車で25分。中山駅から徒歩15分ほどで、公園に着く。今日はお盆なので、公園を入ると溝萩の花盛り。池には蒲の穂。小道を辿ると、あきのきりんそう、洋種ヤマゴボウ、へくそかずら、コスモス、きぶしの実、数珠玉、萩、ぎぼうし、はなみずきの実、タマアジサイ、野菊などがある。公園内を1時間ほど写真に撮りながら休みなしで歩くが、この暑さに、小さい花はようやく咲いている感じだった。帰って、信之先生と写真をブログにUP.
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◇生活する花たち「コスモス」(横浜四季の森公園)

★白桃の無疵を少女に剥き与う 正子
少し力が入ると黒くなる白桃ですが、それを少女に無傷で剥き与える優しさが溢れた情景を感じます。(高橋秀之)
○今日の俳句
数本の摘みしコスモス母に出し/高橋秀之
コスモスを摘んできたのは、幼い子どもであろうが、小さな手には、数本で溢れるほどである。きれいな花を母に摘んであげる子どもらしい優しさと、それを受け取る母の温かさが滲んでいる句。
◇生活する花たち「ハイビスカス」(横浜日吉本町)

★西瓜切ってみなの心に故郷(くに)ありぬ 正子
西瓜には、誰もが大切な夏の記憶を持っています。家族で一玉の西瓜を切り分ける時、みなの心に浮かぶ「故郷」は、どの場面でしょうか。今の家族で過ごした曾ての夏休みを語ったり、或いは、一家を構える前の実家の夏座敷をふと想ったり。時に同じで、時に夫々の故郷を思いながら、切り分けた西瓜を頂く。幸せで趣深いひとときです。(川名ますみ)
○今日の俳句
車椅子とんぼの群へ触れに入る/川名ますみ
「触れに入る」がすばらしくよい。とんぼの群れに、自ら入り、とんぼと同じように交わることに純粋な喜びがある。(高橋正子)
◇生活する花たち「青葡萄」(横浜日吉本町)

★ひとつぶのつめたさうましぶどう食ぶ 正子
夏の暑い日、冷やして置いたぶどう一粒を口にした時、冷たい!の感触にほっと汗を引く思いが致します。その冷たさと甘酸っぱさの触感をひとつぶ又ひとつぶと手を伸ばしゆっくりと楽しんでいらっしゃる様子がひらがな文字からも窺えます。(佃 康水)
○今日の俳句
露草を今朝の客にと摘みて来る/佃 康水
まだ露草が咲いているうちの来客。すずしい露草の花を摘んで来てもてなす心。主客ともにすずやかな気持ちのひと時が過ごせそうだ。(高橋正子)
○花冠10月号の校正中であるが、これに関してネットで「表記」の問題を読む。メディア戦略研究所のHPなどを見る。「表記ゆれ」という問題もある。「文体」の元気ということもある。
○「二句一章」、「一句一章」の句について調べる。「二句一章」が称揚され過ぎの感がある。物事の追求の深さは一句一章にあると思える。
一句一章の俳句
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり/蛇笏
○俳句のまことについて調べる。芭蕉、鬼貫、亜浪。
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◇生活する花たち「朝顔」(横浜日吉本町)

追悼 志賀泰次さん(2009年8月11日逝去)
★北の大地を詠みて秋立つ頃逝きし 正子
○今日の俳句
三人の夕餉を透けるかなかなよ/安藤智久
かなかなの声は、木立ちを透けるようなところがある。三人の家族の夕餉は必ずしも賑やかなものではないが、かなかなの声が聞こえることで、小津映画にあるような、じみじみとした夕餉の食卓となった。(高橋正子)
○花冠10月号の入稿。ファイルをダウンロードしてもらう。花冠会員のみなさんには、早速校正をしていただく。
○志賀泰次さんが亡くなられて、一年。北海道の風景をよく句にされて、楽しませていただいた。
網走の亜浪先生の句碑を訪ねてご紹介くださったこともある。
◇生活する花たち「日日草」(横浜日吉本町)

★淀川の上に集まる初秋の雲 正子
川風に誘われきらきらと雲がながれる。水に映る秋の気配に安堵します。立秋を待っていたかのように、高知でも昨日から高く透明な雲が流れています。数日間「よさこい祭」で街は喧騒につつまれますが、今朝の雲間の青はひときわ澄んでいます。日本各地、台風の影響もなく爽やかな秋に向かえたらと念じています。 (宮地祐子)
○今日の俳句
★ピーマンの輝き詰めて朝市に/宮地祐子
ピーマンのぴんと張った緑色の輝きが、朝市でひときわ新鮮な輝きを放って、袋詰めのピーマンのイメージがクリアである。(高橋正子)
◇生活する花たち「淩霄花」(横浜日吉本町)

★淀川の初秋の水の岸濡らす 正子
○今日の俳句
遮断機の降りしを蜻蛉越し行けり/原 順子
遮断機が降り、電車の通過を待っていると、うしろから来 た蜻蛉は、遮断機が降りていようといまいと、それはお構 いなしに、踏切を越えていった。とんぼのようにかろやかな自在さへの憧れがある。(高橋正子)
◇生活する花たち「百日紅」(横浜日吉本町)

★朝顔の紺一輪を水に挿し 正子
その朝早く咲いた朝顔をがくごと摘んで水に挿せば、紺色の花が涼しく目を楽しませてくれます。身近に一輪のある、さわやかな朝のひとときが思われます。(小川和子)
○今日の俳句
西瓜切る水音たてて俎板に/小川和子
大きな西瓜を切ると、皮の割れる音と共に水の音、水の匂いがする。西瓜のみずみずしさが切った瞬間にあふれ出た句。(高橋正子)
○<広島のとある岬のひろしま忌/正子>について
上の句について、啓輔さん、あゆみさんからコメントをいただきました。お二人の心に触れる句であったことをうれしく思います。。
平和公園では、大々的に式典がおこなわれている。しかし「とある岬」でも、今もって忌まわしい思い出を、胸に秘めている人がいるであろう。それぞれの原爆忌が、きっと日本のいたるところにある。そんなことを、ふと気付かされた。(山中啓輔)
「広島のとある岬のひろしま忌」の句を読んだ瞬間に伯母のことが思い出され涙が溢れてきました。静かな淡々とした句に込められた深い思いがひしひしと伝わって参りました。 (後藤あゆみ)
●「はるか南十字星の下で」(後藤あゆみ)
http://tategakibunko.mydns.jp/novel/12158
「広島のとある岬」は、広島県の東端にある私のふるさとの岬のことです。地図には小さな点が阿伏兎観音の所在を示しています。この観音様のある岬のことです。この岬を回れば鞆の浦へ、反対に鞆の浦からの潮は、小さな私の村の湾を流れて尾道水道へとつながります。この潮に燈籠流しの燈籠が置かれると、燈籠は昼間は四国山脈が霞む沖へと流れてゆきました。景勝の地ですが、多くの人から見れば「とある岬」にしか過ぎません。広島県の端とはいえ、原爆の犠牲者がいました。私の父親も同級生の父親も被爆者でした。お盆の夜は、小学校の校庭で慰霊祭と盆踊りが行われ、昭和30年代までは、慰霊祭に遅れることのないように夕方になると主婦たちは気が気でないようでした。まだ戦死者の記憶がなまなましく残っているころだったからでしょう。三人の息子が戦死して子どもが居なくなた家が道路と川を隔てた斜め向かいにありました。子ども心にもお気の毒と思っておりました。どきどき牛を見せてもらいに行くと(当時は牛を見に行くことも子どもの遊びのひとつでした)、柔和な顔で仕事をしておられました。人ごとのように詠んでしまった句ですが、しかし、このように言えるもの戦後65年経った原爆忌に、私が63歳になっているせいもあるでしょうと、思いました。
●阿伏兎岬
http://www.citydo.com/prf/hiroshima/area_fukuyama/kenbun/rekishi/fukuyama022.html
http://www.sukima.com/14_sanyou01_04/15abuto.html
http://blowinthewind.net/koji/abuto.htm
◇生活する花たち「木槿」(横浜日吉本町)

★七夕の星はいずれも澄み透る 正子
澄み透るのは、旧暦の七夕の星空であり、空を見あげる作者の心でもありましょう。七夕の物語に思いをはせるとともに、天体のありのままを映す心の涼しさを感じます。(池田加代子)
○今日の俳句
風の音をさせつつ運ぶ七夕竹/池田加代子
七夕竹を運ぶと、笹の音がさらさらと鳴るが、それを「笹 の音」としないで、「風の音」と捉えたところが、七夕竹 らしく、空や風への思いが膨らむ。(高橋正子)
◇生活する花たち「えのころ草」(横浜日吉本町)

★胸うちに今日の夏野を棲まわせる 正子
その日の雄大な夏野の景色を心の中に包み込み、時々はまた、取りだしては景色を思い出されることでしょう。(祝恵子)
○今日の俳句
児は透けし袋に水着持ち帰る/祝恵子
泳いだあとの幼い子どもが、透き通った袋に水着を入れて持って帰ったというのであるが、なにもが愛らしい。濡れたままの幼子の髪、かわいい絵柄の透き通った袋、それを持って歩く様子など。(高橋正子)
○原爆忌ネット句会
http://blog.goo.ne.jp/kakan15/
投句
★ひろしまのとある岬の原爆忌/正子
平和公園では、大々的に式典がおこなわれている。しかし「とある岬」でも、今もって忌まわしい思い出を、胸に秘めている人がいるであろう。それぞれの原爆忌が、きっと日本のいたるところにある。そんなことを、ふと気付かされた。 (山中啓輔)
★遍路路は稲の花咲く道ならむ/正子
「遍路路」の多くは、四国の田園地帯で、「稲の花咲く」風景と、鈴を鳴らし、遍路杖を持つ遍路姿が似合う。四国88か所のお遍路は、春に多いので、「遍路」は、春の季語となっているが、夏の季節、秋の季節にも四国路に見る。愛媛の大洲に住んでいた頃は、お遍路が万歳、獅子舞の門付のように、鈴を鳴らし、経を唱えてくれた。玄関先に出て、首につるした頭陀袋(ずだぶくろ)にお米を入れてあげたのも、懐かしく思い出す。(高橋信之)
★つっと来て赤とんぼうの去らずいし/正子
◇生活する花たち「日日草とマリーゴールド」(横浜日吉本町)
