★寒夕焼一日の色を鎮めきる 正子
少し高台からの眺めでしょうか。寒夕焼けが広がっていき、今日一日を締めくくる色合いとなってきて、暮れていったのでしょう。(祝恵子)
○今日の俳句
オーバーを脱ぎ捨て走る皆走る/祝恵子
原句は「オーバーは」の「は」は「を」とすべきところなので添削。下五の「皆走る」が効いた。これで、子どもたちが、元気いっぱいに群れて遊んでいる様子がわかる。河川敷などで見かける光景だろう。口語俳句のよい例。(高橋正子)
○20日は大寒ではあるが、近くの金蔵寺の梅が開いているか見に出かける。郵便局に用のある信之先生が先に出て、そのあと後れて金蔵寺へ向かう。金蔵寺には誰もいない。境内はよく日当たって、ことに水仙の花があちこちに咲いてすがすがしい。梅は小さな木に白梅と紅梅がよく咲いている。剪定されて、風情としては物足りない。いつのまにか、信之先生が現れる。私のあとを付いていたらしいが。境内を出て墓地の入り口の廃家に梅の大きな木があり、それを見にゆくが、蕾みは固い。
金蔵寺五句
白梅の花びらほどに身の軽し 正子
すっきりと根元より立ち水仙花 正子
蕾固き野梅これから咲くたのしみ 正子
水仙と梅のほかなき寺の庭 正子
寺の戸のぴしと閉められ水仙花 正子
○夜夜月を見ているが、氷る月とはよく言ったもので、氷のような光と色の月が大寒の20日は、満月となる。
月氷るヨーロッパもかくあるか 正子
月氷る森よりはるか上に出て 正子
氷る月見るわが貌の青からむ 正子
○松山の印刷所の花冠担当の浅井さんが、俳句を三句作ってメールで送ってくれる。正子の添削教室に書き込みコメントをする。浅井さんは、二十代。子どものときに俳句は作ったことがあるそうだ。松山では、夏休みの宿題などで俳句が課されるので、俳句を作ることに抵抗はないらしい。「子ども俳句」に長年関わっているが、もともと子どもはリズムのある言葉が好きであるから、子どものときに俳句を作らせておくことも「抵抗感」を少なくする上で役立っている。何でも、少し経験していることが、のちのちの攻めに効くようだ。
○21日に花冠3月号を校了。校正を早めに済ますことができたので、3月号が出来上がるのは、2月早々であろうか。毎月の編集作業が滞ることなく、予定通りに捗る。
○俳句雑誌「花冠」連載記事「俳句の風景」
http://kakan.info/km/genko/fukei.pdf
○俳句雑誌「花冠」3月号/電子書籍
http://kakan.info/km/k1103/
○俳句雑誌「花冠」3月号/ブログ版
http://blog.goo.ne.jp/kakan12/
○俳句雑誌「花冠」バックナンバー/電子書籍
http://kakan.info/km/ekakan.htm
★寒厨卵も餅も白ほのと 正子
○今日の俳句
枯野にもほのかに朱かきもののあり/小口泰與
枯野となっても、枯一色ではなく、薄にしろ、ほかの草にしろ、ほのかに朱をもっている。「もののあり」と、多くを述べないので、却って句に膨らみと深みがでている。(高橋正子)
★寒林を行けばしんしん胸が充つ 正子
広々とした冬の林を通られたのでしょう。身を切るような寒さの中にも落葉を踏み裸木を見上げて歩けば、来る春の様子も想像され自然の摂理にあたたかい気持ちになられたのだと思います。また厳しい寒さを歩かれ却って満ち足りた気持ちになられたとも想像します。(黒谷光子)
○今日の俳句
冬満月湖も山野も包み込み/黒谷光子
満月が湖を照らし、なおかつ山も野も照らすのをふところうちに入れて「包み込み」と詠んで、句が大きい。冬満月の煌々と照る光が美しい。(高橋正子)
★日は燦と冬芽の辛夷生かしめて 正子
麗かな冬の日、辛夷の芽が萌え出ているのを見つけました。燦々ときらめく冬陽が辛夷の冬芽に降りそそぎ、その萌え出づる力をより一層強くしているように見えました。(藤田裕子)
○今日の俳句
白菜のみどりを重ね強く巻く/藤田裕子
白菜の緑は淡い緑から、次第にいろを濃くしているが、幾層もの緑を重ねて、しっかりと玉を結ぶ清冽さがいい。(高橋正子)
★枝打ちの銀杏冬芽が地に弾み 正子
冬の枝打ちの銀杏の木にも冬芽があります。自然の生命力の強さを感じさせてくれます。 (高橋秀之)
○今日の俳句
冬草に海の青さが押し寄せる/高橋秀之
海の岸辺近くの冬草。日にかがやく海の青が強くて、冬草にまでその光が及んでいる景。テーマは「冬草」で、添削はテーマをはっきりとさせた。(高橋正子)
震災記念日
★心臓の芯を冷やして霙降る 正子
平成7年1月17日、未曾有の被害をもたらした阪神大震災。一読して、霙降る底知れぬ冷気に、身も心も包まれ、寒気まさに極まります。非情な震災へ込められた深い思いに、16年目の今、あらためて心動かされます。(藤田洋子)
○今日の俳句
一路澄み石鎚見ゆる寒の晴/藤田洋子
行く手の一路の道が澄んで、その先に雪を冠った石鎚山が見える。寒晴れがくれたすっきりと、晴れやかな景色。(高橋正子)
○慶応大学日吉キャンパスの吟行
昨日は、この冬一番の寒波。慶応大学日吉キャンパスの吟行に出かける。九時東横線日吉駅で待ち合わす。参加者は、風邪の流行もあって信之先生と私以外は、結局小西宏さんお一人となった。宏さんは、帽子を冠って、完全装備。今日の冷たさには、帽子が欲しかった。日吉キャンパスの銀杏並木の坂を登り、右手の競技場を上から眺める。小学生の低学年だろう、ラグビーボールのようなボールを持って、練習している。時々後ろ向きに走る練習をする。宏さんがアメリカンフットボールですよ、と教えてくれる。
幼らのフットボールに寒朝日 正子
競技場の空は澄み切った青空。遠く南に白い雲の塊。寒さが身に凍みる。坂を登り慶應高校の横を通って、まむし谷に下りる。秋に来たときは、木々が茂り、虫が鳴くだけの小暗い道だったが、すっかり落葉して、太陽がさんさんと降り注いでいる。下のテニスコートでは、女子テニスの部員たちがショートパンツで練習に余念が無い。「庭球部」の部室看板の字がよい感じである。そばに自動販売機があって、温かい缶コーヒーを手に入れ、なんとか暖をとる。あまりの寒さにマフラーを真知子巻きにしてしまった。さらに下って、保福禅寺に着く。禅寺というのは、裏庭が立派で、表庭はほとんど何も無い広場。散った山茶花の花びらが凍っている。お寺を出て、新幹線の高架をくぐり、矢上川に出る。
寒の日の当たる橋あり渡りたし 正子
矢上川の橋からは、鴨が泳ぐのが見える。
波立てば鴨の勇みて泳ぎけり 正子
凍みる日のみどりかがやく鴨の首 正子
水深のふかく澄みおり寒の川 正子
一羽だけ、黒と白の珍しい水鳥。餌を撒く人がいて、鳩、雀、鴉、それに川には鴨といった光景を見る。
寒雀ころころ皆影を持ち 正子
鵜も一羽だけ杭に止まっている。橋を渡りまた日吉側へ。真向かいに青銅の屋根が見える。熊野神社。そこへ参ることにしてのぼる。きれいな、こじんまりとした神社で、背に日吉の山を負い、南からの日差しを受けて暖かい。浅間神社もとなりにある。御手洗で手を清め、柄杓も清めて、お賽銭をあげ、狛犬の据え石の日向に座りようやく句を作る気になった。ここで先ほど見た景色を思い出しながら句を作る。ふと目を横に向けると、水仙。青空に鳥たち。冬菜の畑が目の下に。
水仙に影と日とあり株立ちに 正子
寒空の青に鳥らの飛ぶ自由 正子
裸木に雲は水色日をふくみ 正子
ペンの影句帳の生まる日向ぼこ 正子
寒中の風にあそべる注連の藁 正子
見下ろせる冬菜畑の菜がそよぎ 正子
熊野神社をあとに、句会場のファミリーレストランのジョナサンへ。十二時少し前の到着。席を得て、七句出句。宏さんの司会で食事が来るのを待ちながら句会。信之先生の句評では、今日の句は、下五が強くなっているそうだ。たしかに、努力の甲斐あってか?下五が自分の思うところで、出来やすくなった。三時ごろ終了。日吉駅で解散。実に寒い一日であった。
吟行に凍てし身に湯のふかぶかと 正子
早稲田大学
★学生喫茶ジャズと会話と暖房と 正子
心地よく効いた暖房の喫茶店で流れ来るテンポ感のあるジャズと若人たちの会話。若さの特権、未来に対する大きな希望と展望を語っているのでしょう。前書がきで早稲田大学とありますが、かって作者自身が経験した若き日の風景に重ね合わせて詠まれたのではないでしょうか。(古田敬二)
○今日の俳句
寒禽の影滑る野に鍬を振る/古田敬二
野に懸命に鍬を振っていると、寒禽の影が滑っていった。土と我との対話があって、寒禽がそれに色を点じて景がたのしくなった。添削は、「冬禽」を「寒禽」として、鳥のイメージを際立たせ句に緊張感をもたせた。(高橋正子)
★わが母はわれに遠きや餅送り来 正子
お母様はもはや遠い人となられ、もう会う事も出来なくなってしまった。しかし、作者の心の中には今尚温かい優しいお母様は生き続けていらっしゃるのである。その懐かしい実家から此のたびお餅が届いた。送って下さったのは恐らく作者の実家を継いでいらっしゃるご家族からのものであろう。後を継がれたご家族の温かい気持と作者の感謝の気持も合わせ伝わる「家族」の心温まる御句です。(佃 康水)
○今日の俳句
牡蠣揚がる瀬戸の潮(うしお)を零しつつ/佃 康水
広島は牡蠣の産地として知られているが、牡蠣の水揚げを詠んだ句。潮を零しながら、しかも瀬戸の、と具体的な詠みに情景がくっきりと浮かび上がり、臨場感が出た。添削は、元の句の「季重なり」と「零しつ」の「つ」の使用間違いを直した。(高橋正子)
★水仙の香をすぎ山路急となり 正子
山裾の農家などで畑の片隅にによく水仙が植えられている。水仙の色や香を愛でながら山路にかかると水仙がなくなった辺りから上り坂が急になってくるという、誠に鄙びた田舎の情景がさらりと詠まれています。(河野啓一)
○今日の俳句
さわさわと光と影を水仙花/河野啓一
水仙に日の光りが当たると、花にも葉にも影ができる。日のあたるところはより輝いて、当たらないところは静かに深く影ができる。その光と影が「さわさわ」とした印象なのは、水仙の姿から受け取られるものであろう。(高橋正子)
★枯草を踏みおり人に離れおり 正子
集団でいた中から離れておられるのか、それとも最初からひとり出てこられたのか、いずれかはわかりませんが、人と離れて己の心と向き合っておられるように感じられます。枯草がすでに次の種を準備しているように、それは充実のひとときであるかもしれません。(多田有花)
○今日の俳句
髪洗う耳に木枯し届きけり/多田有花
髪を洗うときに耳の辺りが一番ひんやりするが、そこに木枯らしが吹く音が届いた。「耳に届く」は、リアル。季語は「木枯らし」。(高橋正子)