3月14日(月)

★流れ寄りまた離れゆき春の鴨   正子
鴨は渡り鳥で、春になると北方へ帰ってゆきますが、晩春になっても渡らずに残っている鴨を春の鴨、残る鴨といいます。小さくなった鴨の群れ、すーっと寄ってきてまたすーっと離れる。水面を滑るような鴨たちの動きを上手く詠まれたと思います。 (古田敬二)

○今日の俳句
芍薬の芽は紅(くれない)を今年また/古田敬二
芍薬は牡丹とちがって、土よりやわらかに紅の芽ば出る。「今年また」に、喜びが大きい。(高橋正子)

◇生活する花たち「馬酔木・玉かんざし・アリッサム」(横浜日吉本町)

3月13日(日)

★身を固く春雪吹くを帰り来る   正子

○今日の俳句
白色が全てを結び雛あられ/迫田和代
雛あられのいろんな色を白色のあられが結んで、やわらかく、かわいらしい纏まりとなっている。ユニークな視点。(高橋正子)

◇生活する花たち「菜の花」(伊豆南部河津町)

3月12日(土)

★どの家にも影あり残る春の雪   正子
春雪のあと、やわらかな春日の降り注ぐ明るい家々。家々の淡き影を置く雪には、少しも寒々しさはなく、温かな明るい季節を呼ぶ春の雪です。 (藤田洋子)

○今日の俳句①
三月の風に乾きしものたたむ/藤田洋子
春三月の風に心地よく乾いたものに清潔さと、「たたむ」という日本人の慎ましい行為がある。(高橋正子)

○今日の俳句②
 長男元結婚
風なくてふたりの婚は弥生かな  正子
御社へ坂をのぼるも春の婚
白砂に椿は一花さえ落ちず

○今日は、長男の結婚式。昨日の地震で句美子も大手町の銀行から今朝方5時前に動き出した私鉄を乗り継いで帰宅。元も内幸町の会社から三時間かけて歩いて葛飾区の社宅にたどり着いた。結婚式の前日の巨大地震。長男も信之先生も原発が爆発するのではと大変気にしている。
今日は晴天に恵まれ、結婚式は無事に終わった。

◇生活する花たち「三椏の花」(伊豆修善寺梅林)

3月11日(金)

★蕎麦に摺る山葵のみどり春浅し   正子
山葵は日本原産の植物で、学名も植物の学名はWasabia japonicaというそうです。蕎麦や寿司にはかかせない香辛料です。鮫の皮で摺り下ろす蕎麦屋もありました。摩り下ろした時の花をつく香もいいですが、その緑もいいものです。清流にしか育たない山葵。その色にまだ浅い春の清流を想像されたのでしょうか。(古田敬二)

○今日の俳句
耕しに土の中なる根のさみどり/古田敬二
「耕し」は、春の季語。春になると、種まきの準備など、田畑を耕す。耕していると、土の中に白い根ではなく、さみどりの根があることに驚く。土の中にもすでに春の息吹がある。(高橋正子)

◇生活する花たち「梅・寒ざくら・菜の花」(横浜日吉本町)

3月9日(水)

★三椏の花へ奥から水流る   正子
先日の伊豆修善寺の河津桜と梅林の素晴らしい紀行文と俳句も拝見致しました。小生は以前、京都銀閣寺から南禅寺に至る「哲学の道」の疎水で三椏の花を眺めました。三椏の花は何処でも水気の多いい場所に育つようですね!。黄色の三椏の花と清流の光景が春めいて思われ、素適な一句です。(桑本栄太郎)

○今日の俳句
まんさくの花は青空絡めけり/桑本栄太郎
まんさくの花は、古色めいた黄色の細い花びらが、からまったように咲く。青空に咲きだせば、青空を絡めて咲いているように見える。(高橋正子)

○きのうの日経夕刊。携帯電話による入試問題の投稿が騒ぎとなったが、「同志社大は被害届を出さず」とあった。「容疑者が未成年であり、大学としての被害も軽微。複数関与の組織的な犯罪の可能性もうかがえない。教育機関として更生に期待したい。」という見解からだ。もっとも妥当な見解と思う。建学の精神が今も引き継がれているということであろう。教育における「被害」とはなんであろうか。余計な労力を使わされたのでということであろうか。同志社は掲示板に投稿された英作文1問の答案4957人を照会した結果、50人に類似答案があったという。いちいち照会した労力と誠意がすごい。そして、それを被害は軽微とした。警察に被害届を出したほかの3大学はそれをしたのであろうか。私の経験からも、英作文、英訳の答案では、類似答案は、大いにありうることであった。

生活する花たち「河津桜」(伊豆南部河津町)

▼河津桜:
http://www.kawazu-onsen.com/hana/hana.htm

3月8日(火)

★春の雪解けし水田に水光る   正子
田を覆っていた雪も解けて現れた水田が陽の光に煌めいています。これから迎える春本番に向けて準備をしているようです。(黒谷光子)

○今日の俳句
残雪の田にさわさわと水通る/黒谷光子
残雪の下では、雪解けがはじまっている。雪解水が「流れる」ではなく、「通る」であるので、雪解水のさわさわした感じが心地よく伝わる。(高橋正子)

◇生活する花たち「まんさく・クリスマスローズ・ローズマリー」(横浜日吉本町)

3月7日(月)

★芽柳のるると色燃ゆ向こう岸   正子
「るる」の、何とも軽やかな新鮮な言葉の響きに、さみどりに芽吹く柳の柔らかさ、みずみずしさをことさら強く感じます。そういえば、まるで「る」の字を繋げたような柳の芽です。細く絶えず続くさまの意を含む「縷々」と重ねて、向こう岸に、心地よい風に吹かれて、細やかに揺れる芽柳が一際明るく見えてきます。(藤田洋子)

○今日の俳句
鴎群れて時に声張る春の瀬戸/藤田洋子
おだやかな瀬戸の春ではあるが、鴎の群が時に声を張り上げ緊張を破る。海の風に冷たさの残るころの鴎の姿、瀬戸の風景ががよく詠まれている。添削は場所をはっきりさせるため。(高橋正子)

○6日、日曜日一時より暖かくなったので花の写真を撮りに信之先生と鯛ヶ崎公園へ。本町駅裏の藪椿からとり始めるが、遠すぎてズームでもよく撮れない。お屋敷のところまで来ると馬酔木の花。坂道を上るとクリスマスローズが住宅の玄関脇に咲いている。公園の中には、白梅、紅梅が満開を過ぎている。桜が咲き始めていた。ふと足元を見ると、散ったばかりの梅の花が一輪土に落ちている。まだみずみずしいので、それを撮る。公園の階段を上ってしまうと農家の畑があり、菜の花が咲いている。民家の庭に寒桜が満開。ソケイも。5丁目の住宅地の花を見ながら歩く。今日撮る花はもうないだろうと思いながら帰ると、満作がある。ローズマリーが垂れ下がっている。駅上のいきいき会館によって、屋上の植物を見せてもらうと、今日は暇なのか、受付嬢がずっと付いて来てくれた。アリッサムがかわいいので撮り、自宅へ戻る。

○6日夕方、日吉東急にある美容室に髪をカットに行く。日曜日とはいえ、32人、1時間半待ち。その時間、天一書房による。目立つところに「超訳 ニーチェの言葉」という黒い表紙の本があり手にする。流し読みする。「木のことは木に習え」とうのがあった。「木のように忍耐強くあれ」という意味の解釈がある。芭蕉にも「松のことは松に習え」がある。一遍にも「紫雲のことは紫雲に聞け、一遍は知らず」というのがあるが、意味はかなり違うだろうと思いつつ、本を置く。料理雑誌や手芸の本を見るが眠気が襲う。美容室の椅子に戻って休むが、まだ順番がこない。それでベスト電器へ行く。見本のiPadが空いていたので触ってみる。本棚を見る。羅生門、三国志、論語、くまのぷーさん、アンデルセン童話などたくさんあるが、英語が多いのはやむを得ない。紙の本より、字がはっきりと読める。老人には目が疲れなくてよいかもしれない。ゲームも触る。算数ゲーム、はめえなどは、園児や低学年むき。次に3Dテレビをめがねで見る。サーカスをやっていたが、人物は立体的なものの、床は立体感がない。次に大画面の液晶テレビのNHK大河ドラマを覗く。美しい衣装の女優さんがずらり。画面に奥行きがない。やはり、我が家にテレビは要らない。つぎにソニーの電子ブックリーダーやシャープのガラパゴスなどを見る。スマートフォンを見る。結構遊んだのである。

◇生活する花たち「梅」(横浜日吉本町金蔵寺)

▼地下鉄日吉本町駅案内
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%90%89%E6%9C%AC%E7%94%BA%E9%A7%85
▼鯛ヶ崎公園案内写真
http://takatan.mods.jp/hiyoshi/No2.htm
▼金蔵寺案内
http://soubouwalk.exblog.jp/841165/

3月6日(日)


★花菜の束一つが開き売られたり   正子

○今日の俳句
利根川に道真っすぐや蓬摘む/小口泰與
利根川は関東平野を延々と流れる大河であるのは言うまでもないが、利根川に沿う道がまっすぐであること、それほどの川であることに意外性がある。真っ直ぐな土手道に蓬を摘む楽しさは、どんなであろうか。(高橋正子)

◇生活する花たち「パンジー・雪割草・ノースポールデージー」(横浜日吉本町)

▼自宅から西へ100メートル足らずのところに地下鉄日吉本町駅がある:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%90%89%E6%9C%AC%E7%94%BA%E9%A7%85

3月5日(土)

★枯れしもの沈め春水透き通る   正子
冬の間に沈んだ落葉や枯れ枝も今ではすっかり朽ち果て、水の底に落ち着いています。濁りのない透き通った水に春のきらめきを感じます。(小西 宏)

○今日の俳句
青き残雪マトリョーシカの露天市/小西 宏
マトリョーシカは、ロシアの入れ子人形。「青き残雪」は、露天市の残雪の色でもあろうが、同時にロシア女性の瞳や湖を思い起こさせてくれる。毛皮にくるまってマトリョーシカの露天市を見て歩くのが、ロシアらしい。(高橋正子)

○ベランダの花たち
去年買った雪割草が先日の陽気で花を咲かせた。雲間草も買って、大いに楽しんだが、茂りすぎた雲間草は、夏の暑さのせいか枯れてしまった。雪割草は、葉っぱ3枚を残して、買って来たままのビニールの鉢で夏を過ごし、秋になり、冬になり、春を迎えた。葉は、傷んでいるのか紅葉しているのか、よくわからないがそれでも水やりは欠かさないでいた。先日2月23日修善寺河津旅行から帰って、よい陽気になって、2,3、日後だったろうか水やりにベランダに出て驚いた。雪割草の花が3輪咲いて、蕾もまだある。写真をと、思っているが、鉢があまりにみすぼらしい。似合う鉢が買えないで、1年過ぎているのだ。そして先日花屋で見つけて似合いそうな鉢を買ってきたが、小さすぎた。そして写真はいまだに。

 雪割草のひらく時きて日があふる 正子

○新聞を読む
 3月4日の日経の「社説」、それとコラム「春秋」は、携帯電話を使った大学入試のカンニングを取り上げ、教育を論じている。3月4日の日経の「社説」では、 

 国の力とは何か。優れた製品を生み出す産業。心の豊かさをもたらす文化。社会を率いる政治――。すべての根幹にあるのは一人ひとりの人間の能力である。本人と社会のため、その可能性を広げるのが教育だ。

と教育論を展開する。
 カンニングは、中国の非常に難関の科挙の試験に端を発っしているようであるが、試験というものがあれば、試験をパスするために、不正な手段がとられる。今回は、入試問題を試験中にネットの掲示板に投稿したということを第三者が見つけてカンニングが発覚した。表にでなければ、何事もなかったで終わる。カンニングに成功した人がこの世の中に何人かはいるであろう。見つけて不合格にするしかないが、それが難しいということだ。なぜ、これほどに騒ぐのか。受験生にとっては精神を集中したいときに、迷惑な話であろう。カンニングした生徒を許すわけではないが、騒いでいるのはむしろ体制側という印象である。そして、「世界で競える個性豊かな「人」づくりを 」を社説は掲げる。3月4日の日経「社説」での、更なる教育論は、

 変革を阻む惰性にこそ問題の本質がある。横並び人材の大量生産を脱し、「個の力」をうまく引き出す方向に路線を変えなければならない。
 育むべき「個の力」を、3つ挙げたい。まず、情報を集めて問題の所在を見つける発見力である。知識をたんに詰め込むだけでなく、素早く正しい情報を抽出する技術の習得が重要になっている。
 発見した問題を独創的に解決し、新しい価値をつくり出す創造力も大切だ。自分の頭で考え、独自の提案を生む能力が問われる。
 さらに、自分の意思を他者に伝えるコミュニケーション能力が要る。発見や提案は、共有することで初めて社会的な価値となる。そのための道具として、IT(情報技術)の技能や使える英語力も必須だ。

と続ける。
 一人の人間が携帯で大学入試の試験中に密室である試験会場から公開の場であるネットの掲示板に投稿した。その投稿を掲示板で読んだ一人の個人が、大学に通報してカンニングが発覚した。一人が行った不正を、一人の個人が発見して一大事となった。一人の個人が不正を防いだのである。「ヤフーの知恵袋」は、だれでも見ることができる。大学教授も、高校教師も、マスコミも、警察も、政治家も、家庭の主婦も、老人も、高校生も、だれでも。これを、社会の不正を暴くことを自負するマスコミも、試験を行う当の大学も、人に教えてもらって気付いた。そして大騒ぎだ。このギャップはなにであるか。エジプトのデモの参加者もネット投稿から始まり、集って、政府を転覆した。リビアも大変な事態である。先日の尖閣諸島の漁船と海上自衛隊の船の衝突の映像流出もネット投稿である。郵便不正の事件も検事のフロッピーディスクの改ざんで人を罪に陥れようとした。しばらく前の、ライブドアの事件、村上ファンドの事件。最近の事件はネットやITに関するものがほとんどである。ネットは、その原理からは、個人の発信しかありえない。その個人の力の、良きにしろ、悪しきにしろ、いかに大きいことか。これを見逃しているのが体制ということであろう。

 今回の携帯電話を使った大学入試のカンニングでは、一人の個人が法を犯し、一人の個人がその犯罪行為を見つけ、何事もない結果、不正行為を行った受験生は入学出来ない、ということとなった。社会体制の力の無さを見せつけた。政治、経済、マスコミ等を含め、それらのリーダーに力がない。
 2001年のユネスコ総会では、「文化の多様性」を尊重する宣言が採択され、この「多様性」こそが人類の共有財産であることがうたわれたが、この「多様性」は、独創的な人間の存在があってこそであり、そこをカーライルは、「世界の富とは、世界の持つ独創的な人間を指しているのであって、その存在、活動によって初めて世界は世界であり混沌でなくなって来る。」という。
 俳句雑誌花冠の主宰をし、俳句のサイトを運営しているが、俳句というものが伝統文化であって、そして伝統や文化は、個人の力によるところが大きい。

◇生活する花たち「梅・雪割草・蕗のとう」(横浜日吉本町)

▼娘が自宅から自転車通学した「慶応大学矢上キャンパス」から「弥生~奈良時代に建てられた竪穴住居跡60軒」が見つかる:
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103040001/

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3月4日(金)

★手渡されながら花桃散りいたり   正子
満開の桃の花を受けとられたのでしょうか。濃いピンクの花がふっくらと咲きみちて、手に受けとるそのそばから散るほどに愛らしい、桃の花が思われます。お雛まつりに相応しい桃の花です。 (小川和子)

○今日の俳句
水音を近く三椏芽は銀に/小川和子
原句は「水音を近くに」であったが、中七の八音を七音に整え、切れを入れた。それにより、作者の立場と情景がはっきりする。水音が近く聞こえ、三椏の芽が銀色に輝きながら、早春に咲くのを待っている。(高橋正子)

◇生活する花たち「三椏の花」(伊豆修善寺梅林)