12月26日(月)

★南天の実も水音もかがやかに  正子
今、どの道を行ってもたわわに実南天が輝いています。この頃の池や川の水は澄んで厳しい冷たさを想像致しますが、それを「水音もかがやかに」と詠まれたことで、南天の実の輝きが更に強調されると同時に愈々お正月が来るんだなと高揚感を覚えます。(佃 康水)

○万両
万両はヤブコウジ科の常緑小低木。林内に生育し、冬に熟す果実が美しいので栽培され、特に名前がめでたいので千両などとともに正月の縁起物とされる。東アジア~インドの温暖な場所に広く分布する。日本では、関東地方以西~四国・九州・沖縄に自生するほか、庭木などとしても植えられている。高さは1mほど。根元から新しい幹を出して株立ちとなる。葉は縁が波打ち互生する。果実は10月頃に赤く熟し、翌年2月頃まで枝に見られる。古典園芸植物のひとつで、江戸時代には多様な品種が栽培された。

横浜日吉本町に住んでいるが、百両を見かけたのは、ご近所では一軒だけで、万両は千両と並んで町内の庭先でよく見かける。数年前、町田市の里山に出かけたが、その山に自生の万両を見た。そして、東海道53次の戸塚を過ぎて、藤沢の遊行寺の近くの遊行坂の山にやはり、自生と思われる万両を見た。生家にもあったが、これを父は実のついた万年青とともに大事にしていた。あまり育たず、増えずの感じだったが、横浜では、いたるところで見かける。四国の砥部の家にも万両があったが、いつの間にか、塀沿いに万両が増えて育っていた。実がこぼれたのであろう。

○今日の俳句
初雪や下校の子等の髪光る/佃 康水
寒いながらも初雪に、はなやぎがある。下校の子どもたちの髪に初雪がちらちらと降りかかって、髪が光って見える。「髪光る」は、観察のよさ。

○クリスマスにiPad2を句美子からプレゼントされた。まずは、カテゴリーからブックを選んで「世界の美術100」をタッチすると、「キリスト教とは」と題して、絵があらわれて絵解きのようになってキリスト教の説明があった。色がきれいで、パステル調か。パソコンとは、少し違う感覚だ。

明け白む窓よ今日はクリスマス 正子

◇生活する花たち「椿・水仙・栴檀の実」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

12月25日(日)

★柚子の香に頬のほのかに温まる  正子
料理用に絞った柚子の香りから、作者は二,三日前の冬至湯の湯気と香りを想い出された、と解釈しました。温かいのびやかな情趣を感じる御句です。(河野啓一)

○今日の俳句
★ポインセチア赤し街にも我が家にも/河野啓一
ポインセチアは、クリスマスの花として街を飾り、家にも鉢植えなどで飾られて、楽しく明るい雰囲気を醸している。「街にも我が家にも」は、市民的で家庭的であるが、足りている世界。それが読み手に快く伝わる。

○千両
千両はセンリョウ科の常緑小低木。東アジア~インドに分布し、日本では南関東・東海地方~九州・沖縄までの比較的暖かい常緑樹林下に自生している。また冬に赤い果実をつけ美しいので栽培される。高さは50~100cm。葉は対生。花は黄緑色で7~8月頃に咲き、果実は10月頃から赤く熟し、翌年2月頃まで見られる。名前がめでたいので万両などとともに正月の縁起物とされる。

千両は生家にはなくて、砥部の家の玄関脇に赤と黄色を植えていた。植木屋さんの勧めで植えたと思う。万両は日当たりがいらないが、千両はいると聞いている。間違いかもしれない。正月花に赤い千両一枝切って入れたいと思うが、一枝切ると間が抜けたような姿になるので、正月花には花屋で買っていた。先日東海道53次の戸塚から藤沢まで歩いたときには、お寺などに千両をあきるほど見た。こちらのお寺は千両がお好きなようだ。

◇生活する花たち「木瓜・花八つ手・南天の実」(横浜日吉本町)

12月24日(土)

★山中に鵯鳴きわが身まっ二つ  正子
「まっ二つ」との言葉は鵯のあの鳴声ならではと感じます。甲高く決して聞き惚れるような声ではありませんが、何か魂をゆさぶるようなところがあります。 (多田有花)

○今日の俳句
猪狩を外れし犬と出会いけり/多田有花
猪狩をしてきた犬と山道で出会った。「外れし」が犬をうまく言いえている。猪を追い、山中を駆け回った犬と、今は静かに山を下る犬との対比が読み取れるのである。

○長男夫婦の元、奈津子が来る。葛飾区のNTT社宅に住んでいて、元は、コンピュータが専門職。句美子がブッシュド・ノエルを作ってくれる。句美子は、今田美奈子先生のお弟子の先生のお菓子教室に通っていて、教室で作ったお菓子を持って帰ってくれるが、味は洗練されているなあと、いつも感心する。

○水仙
町内のあちこちで水仙が咲き始めた。正月が近い。
水仙について脳裏にある光景がある。昭和30年代前後、家庭では、着物や布団などを洗って仕立て直していた。洗った布は、糊づけして皺を伸ばすために、板張りや針子張り(しんしばり)にしていた。木綿は小麦粉で作った糊を使うが、銘仙など絹ものは、水仙の糊を使っていた。水仙の葉を切ると、滴る水のような透明な液で良い香りがする。この液にひたして、針子張りにした布が、庭いっぱいにゆれていた。それもなぜか、水仙の花が咲いている時期に限られていたように思う。糊に使うだけの水仙が庭に咲いていたとも言えるが。冬ばれのうららかな日と共に思い出す。

◇生活する花たち「水仙」(横浜日吉本町)

12月23日(金)/天皇誕生日

 鎌倉・報国寺
★竹林の千幹二千幹が冬  正子
お寺の境内の竹林。一本、一本の竹のすっきりした姿と数多くの竹が戦ぐ様子がうかがえます。きっぱりとした冬らしい句だと思いました。(井上治代)

○今日の俳句
冬鵙に雲一片もなかりけり/井上治代
一片の雲もなく晴れ渡った空に、けたたましいはずの冬鵙の声が、のびやかに聞こえる。

○今日は、天皇誕生日の祝日なので、句美子はお休み。明日は、長男夫婦の元、奈津子が訪ねてくるので、句美子はブッシュド・ノエルを作ってくれる。今田美奈子先生のお弟子の先生のお菓子教室に通っている。そして作ったお菓子は持って帰ってくれるが、味は洗練されているなあと、いつも感心する。一番喜んでこのお菓子を食べるのは、お酒好きの信之先生である。

○侘助
侘助は原種ではない。ピタールツバキとツバキとの交雑によってウラクツバキが生まれ、そのウラクツバキの子や子孫としてワビスケが誕生したのであろう、といわれている。ウラクツバキやワビスケは、子房に毛があることが多い。

侘助は椿と違って、花が開ききらない咲き方をし、花も小さい。お茶花として人気が高いのは、花の姿に品格があるからであろうと思う。松山の郊外の砥部の家には、肥後、乙女などさまざまな種類の椿をたくさん植えていた。花が満開となるときは、地に積み重なるほど花が落ちた。初冬、庭に「初あらし」という白い椿が咲いた。そうして、すぐ横にある柊の銀色の花が高い香りを放つころになると、ぼつぼつと侘助が咲いた。わが家にあったのは、赤い侘助。備前焼に入れるとよく映る。「助」というのは、小僧っ子らしい。そういうほうから見ると、品格だけではなく、滑稽さも感じないでもない。侘助は、何年たっても大きくならなかった。わが家では、椿もあまり大きくならなかったが、唯一2メートルくらいのは、玄関の戸を開けると見える白い椿。この椿は葉が幾分よじれる癖があった。わが家の裏は遊歩道があって、フェンスの向こうは谷になって、谷底を砥部川が流れていた。その川崖の上のほうに藪椿がよく咲いたので、ちょうど手を伸ばせば花に届いたので、時どき、一枝折って籠に活けたりした。普段、侘助を椿と区別して眺めることはない。

◇生活する花たち「侘助①・侘助②・フランス柊」(横浜日吉本町)

12月22日(木)/冬至

★桜冬芽空にもっともたくましき  正子
12月になり桜の木に冬芽がみられるようになりました。その冬芽の先には空があり、寒さに負けないたくましさが自然が感じられます。(高橋秀之)

○今日の俳句
丸ごとの大根抱えてただいまと/高橋秀之
下五の「ただいまと」がこの句の命であって、作者の思いは、この言葉に尽きる。そう読み取れば、「丸ごとの大根抱えて」も、みずみずしく頼もしい。

○冬至
★広告塔かけのぼる冬至の夜空/川本臥風
冬至の夜空は、早く暮れてすでに真っ暗である。その夜空にネオンサインの広告塔がある。漸次点灯するネオンなので、光が夜空へかけのぼっているように見える。冬至という一年で最も昼間が短い特別な日の夜空であるので、漆黒の夜空に点る広告塔が生きもののようである。(高橋正子)

○柚子風呂
冬至には、かぼちゃを食べて柚子風呂に入る、とういうのが決まった冬至の過ごし方だが、子どものころは、かぼちゃは夏に収穫したものを冬至用にとっておいたのを煮て食べさせられたので、おいしいはずもなかった。柚子風呂は、子どものころの記憶にないが、冬のあいだは、食べた蜜柑の皮を布の袋に入れてお湯に浮かしていた。これでもよい香りがしていた。結婚してからは、柚子を買ってきて柚子風呂をたてている。子どもたちはぷかぷか浮く柚子をボールのようにして面白がったが、私も浮いている柚子をあっちへやったり、こっちへ寄せたりして楽しんでいる。そうすれば、一句浮かぶか、という算段でもある。

○フェイスブック句会
第7回フェイスブック日曜句会を12月11日に開催。最優秀は、

★山茶花や軒端の薪の真新し/古田敬二
山茶花が咲き、軒端には真新しい薪が積み重ねられて、本格的な冬を迎える準備が整った。「薪の真新し」がさっぱりとしている。(高橋正子)

に決定した。次回のフェイスブック句会は、正月3日のフェイスブック新年句会。
http://blog.goo.ne.jp/kakan106

◇生活する花たち「木瓜・ローズマリー・イソギク」(横浜日吉本町)

12月21日(水)

★柚子の香に頬のほのかに温まる  正子
お風呂でぽかぽかと、身の回りに柚子を浮かしては手に取り、香りを楽しんでおられます。(祝恵子)

○今日の俳句
わさわさと大きな蕪の一輪車/祝恵子
一輪車をはみ出して「わさわさと」運ばれる蕪の葉がまことに生き生きしている。

○百両
冬になると、赤い実をつけた植物が多くなる。庭にあるものでは、万両、千両、百両、十両、と揃って見られることもある。こういう我が家の庭(四国に住んでいたころのことだが)にこれらが全部そろっていた。十両はやぶこうじのことで、木の下の苔が生えているところに植えていた。もとは、山に出かけてとってきたものを植えたが、丈が低くて、地面に近くに実を付ける。普段着感覚の実物で冬の庭が楽しくなる。
横浜当たりの山には、万両がよく生えている。千両は山で見かけたことはない。百両もない。万両、千両、十両があれば、あとは、百両があればそろえたいという人情に駆られて、植木屋さんにもってきてもらった。

◇生活する花たち「百両・千両・万両」(横浜日吉本町)

12月20日(火)

★木賊生う地より突き立つ濃き緑  正子
貝原益軒は「草の色みどりにして、目をよろこばしめ、観賞すべし」と言ってますが、緑の茎は80センチぐらいになり、枝分かれせず真っ直ぐに伸びていますね。力強い素敵な句ですね。(小口泰與)

○今日の俳句
朝日浴びわが影冬田越えゆけり/小口泰與
写生句で、特に人を驚かすような句ではないが、作者の素直な感動があって、作者の姿がありありと見えてくる。冬朝日差し来る田園地帯のひろびろとした中で、「わが影」は印象的であり、作者の主体性が強く出た。俳句は、独創性といったことよりも「私」の主体性が重要だ。

○東海道五十三次(日本橋~大磯宿)を歩く/高橋信之

 日本橋
春浅き日本橋を渡りけり
 品川宿
春旅の気ままさに煎餅を買う
 川崎宿
川向うは宿場よ春の雲浮かせ
 神奈川宿
銀杏芽木欅芽木立ち吾もここに
 保土ヶ谷宿
さわやかに案内され厠を借りる
 戸塚宿
歩けば歩けば秋青あおとして高し
 藤沢宿
黄葉散る坂下り行けば宿場なる
 平塚宿
宿場本陣銀杏黄葉の振りしきる
 大磯宿
海が近くにあるらし寒き空を立て

◇生活する花たち「石蕗の花・オウバイモドキ・山茶花」(東海道53次/平塚宿~大磯宿)

12月19日(月)

  藤沢宿
★山茶花の一樹咲き添う古き壁  正子
次第に寒くなる初冬にあって、山茶花には心安らぐ温かみを感じます。「古き壁」にはさまざまな情景を思うことをお許しいただけると思いますが、私は歴史あるお寺の塀を思い浮かべました。白壁を背に一樹いっぱいの紅と緑を思います。(小西 宏)

○今日の俳句
機首上げてプロペラ高し冬木立//小西 宏
句意がはっきりして、軽快な句。機首を上げているプロペラ機に対して、冬木立と空が明るい。

○栴檀の実
松山から横浜に引っ越してきて、ひとつの心配があった。松山でいつも見ているような植物があるだろうか、ということ。栴檀もそのひとつ。古い名前は「樗(おうち)」。薄暑のころ、薄紫の花をつける。松山の石手川添いにあったし、住いの近くの総合公園の山にもあった。道後にも大きな木があるし、松山の城山にもある。黄色くもみじした葉が散ると、金色の実が青空に散らばったようにくっきりと見える。栴檀の実はいつも空にある。

東京で栴檀を見たのは、初夏のころ、世田谷線の太子堂の駅の近く。世田谷線には、駒場の教養部に通う姪が世田谷の松原に住んでいたので様子を見に二、三度乗ったが、栴檀はたしかに太子堂の駅の近くにある。12月15日、東海道53次の戸塚宿から藤沢宿へ徒歩で向かう坂道で、民家の庭先に栴檀の実を見た。坂の上からは、藤沢の宿の空が見渡せる。栴檀の実が空に浮かぶ白い雲の上にあって、徒歩旅がにわかにのどかなものになった。ひっきりなしに走る車は視野の外において、昔の道中を想像しながらのどかさを味わった。

◇生活する花たち「野菊・落椿・栴檀の実」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

12月18日(日)

  藤沢
★栴檀の実に藤沢の白き雲  正子
「金色の実が青空に散らばったようにくっきりと見える。栴檀の実は何時も空にある。」との先生のお言葉は大いに納得致します。御句から栴檀の実が白い雲の上に有ると云う大きな木と雄大な景色に心が開けます。(佃康水)

○今日の俳句
出漁や妻に焚き火の温み置き/佃 康水
出漁まで夫婦で焚火をして体を温めていたのだが、体も温もって、妻を残して船音もかるく漁に出て行った。漁師夫婦の情愛が焚火をとおして温かく詠まれている。

○俳句(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

戸塚
清源院長林寺
水仙のまだ咲かぬ花芭蕉句碑
水仙の二三花朝日の清源院
 神社
狛犬の阿吽愉快や散銀杏

大坂・原宿
ブラマンジェ食べてここより冬の坂
大坂の坂の上りを冬日浴ぶ
冬の日に芒立てるはよかりけり
冬晴れの長き坂なり上りけり
切り通しの崖下冷える背が冷える
栴檀の実に藤沢の白き雲
徒歩旅にはやも椿の赤い花
富士山はあちらかここに枯すすき
冬がすみ富士のこちらの山いくつ

遊行寺坂落葉たまるも切りもなし
遊行寺坂日に透けいたる冬黄葉
きらきらと靴かがやせ冬の坂

藤沢宿
 境川
冬川の来る水来る水ささら波
遊行寺橋を架けて冬川流れたり
本陣跡と札のみありて十二月
旧き家開かずの窓に冬日照り
山茶花の一樹咲き添う古き壁
ひとすじの門前町の十二月
アイリッシュコーヒー泡から飲んで温かし

◇生活する花たち「椿・水仙・野ぶどう」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

12月17日(土)

 石鎚山
★雪嶺の座りし空のまだ余る  正子
四国の屋根、山岳信仰の山として知られる霊峰石鎚山。雪に覆われ、より美しく崇高な姿となる山容に、畏敬の念を抱きます。その雪嶺の上、冴えわたる冬空の視野の広やかさに、心も澄みわたります。(藤田洋子)

○今日の俳句
音立てて山の日差しの落葉踏む/藤田洋子
「山の日差しの落葉」がいい。山の落葉にあかるく日があたり、そこを歩くとほっこりとした落葉の音がする。

○東海道五十三次を歩く(平塚宿~大磯宿)
16日の午後を信之先生が一人旅に出かけ、宿場の写真をいただく。

  平塚宿
 宿場本陣銀杏黄葉の振りしきる   信之
  大磯宿
 海が近くにあるらし冬の空立てて  信之

▼平塚宿京方見附之跡

 旅人の宿泊の少なかった平塚では、日暮れにはまだ間があって通り過ぎようとするのを、「大磯へは、あの高麗山を越えなければ行けません。これから越えるのは大変です。」と言葉巧みに無理やり宿泊させたという話が残っています。平塚の名は、「吾妻鏡」に「範隆寺平塚」「黒部宮平塚」とあるのを初見とし、宿の形成は鎌倉期にさかのぼる。

▼大磯宿南組問屋場跡

 大磯宿は、神奈川・保土ケ谷・藤沢・平塚・小田原などと並んで最初に設置された宿場の一つで、江戸から八番目の宿場、日本橋からの距離は65・8㎞でした。
 南側の海と北側の山に挟まれた細長い町並みで、宿場としてはどちらかといえば、寂れた宿場の一つであったようです。その主な理由は、江戸からの旅人は翌日の箱根越えに備え小田原にまで足を伸ばしてしまい、又、箱根を下ってきた人は、酒匂川の渡しを前に、その疲れを休めるために小田原に宿泊してしまうことが多かったからだと言われています。

▼大磯海岸の入り日

大磯ビーチは、日本での海水浴場発祥の地として知られている。