1月4日(水)

★餅を焼く火の色澄むを損なわず  正子
古来より日本の折々の行事、吉事、ことにお正月にはもっとも縁のある食物のお餅。その清らな餅を「火の色澄むを損なわず」、大切に焼かれる行為に、はれの餅への厳かな思いを感じ取れます。澄む火の色に、ふっくらと美しく焼き上がる餅も目に浮かびます。 (藤田洋子)

○今日の俳句
四日はや高々と干す濯ぎもの/藤田洋子
主婦の若々しい生活俳句。四日になると、正月にたまったものの洗濯に精を出し、日に風に高々と掲げて干す。若々しさと清潔感に好感がもてる。

○ツィター1月4日投句
★新春の山河見下ろし頂に/多田有花
山の頂から新春の山河を見下ろすと、普段とは違って、山河が晴れやかに思える。(高橋正子)
★冬晴れの空かがやかに生駒山/河野啓一
冬晴れの空は、珠のように青い。その空に生駒山が座っている。晴れやかな生駒山の山容である。(高橋正子)

○フェイスブック新年句会入賞発表
http://blog.goo.ne.jp/kakan106

▼ご挨拶
あけましておめでとうございます。
2012年、辰年がスタートいたしました。よいお年をお迎えのこ​とと思います。
フェイスブック新年句会はいかがでしたでしょうか。いろんな地方​で、いろんな形で新年を迎えられたご様子を句にしていただき、楽​しませていただきました。私は、除夜に近所の金蔵寺で家康父子の​寄進した鐘を撞きました。ご投句からいろんな除夜や新年を思い、​気持ちが改まりました。多くの皆さまから、選とコメントをいただ​きありがとうございました。句会の管理運営は信之先生にお願いし​ました。大変お世話になりました。これでフェイスブック新年句会​を終わります。今年も引き続きフェイスブック句会をよろしくお願​いいたします。    (主宰 高橋正子)

▼最優秀2句
★破魔矢の鈴鳴らして自転車帰りくる/祝 恵子
近くに初詣に出かけたのであろう。破魔矢を買って、鈴をちりちり鳴らし、楽しそうに帰ってくる。破魔矢の鈴の鳴る音に、正月を過ごす庶民の気持ちがよく出ている。(高橋正子)
★麦の芽に風青々とうねり過ぐ/小川和子
麦の作付面積も減ったこのごろ、麦の芽を見ることがうれしい。麦の芽を風がうねり過ぎると、青々とした麦の芽がいっそう鮮やかに目に入る。(高橋正子)

○こぶしの花芽
四国に住んでいたときは、こぶしを見るのは希だったから、横浜に住んであそこにも、ここにもあるこぶしの多さに驚いている。3月の半ばをすぎると白い花が風にほぐれ始めるのだが、その花となる花芽は、秋が終わるころから銀色になっている。正月の空には、もう咲くかという気配で輝いている。

◇生活する花たち「蝋梅・椿・こぶしの花芽」(横浜日吉本町)

1月3日(火)

今日は誕生日。去年イギリスに旅行し大英博物館にも行った。ここで迎えてくれたのは、美の女神アフロディーテであった。アフロディーテについてガイドの説明はなかったと思うが、もっとも心を惹かれたものの一つである。帰宅してから、「ベニスに死す」の映画の話がネット上で話題になっていた。ギリシャ彫刻のような完全な美少年で、バックに流れる曲は、マーラーの交響曲第5番である。ヴィスコンチン監督の傑作である。
昨日1月2日、近所の花を撮りに出かけたが、2時間ほど歩くなかでも写真に撮りたい花はほとんどない。ヒメムカシヨモギの枯草に白い絮が、晴れた日の強い風にかがやいていた。大変美しい。花よりも美しい。

そういうわけで、本を読んで教養を積む時間も持てそうもないから、今日からは、きれいなものを見たり、可能ならば、よい音楽を聞いたりして過ごすことにした。

誕生日正月三日の眉月に  正子
誕生日と言っても、正月三日なので、正月の用事に取り紛れて、特に感慨は湧かないが、私自身は、何かにつけて、月に恃む気持ちがあるので、美しい眉月にほっとして、今日は誕生日だと思ったのである。(自句自解)

○今日の俳句①(フェイスブック新年句会より)
★破魔矢の鈴鳴らして自転車帰りくる/祝 恵子
近くに初詣に出かけたのであろう。破魔矢を買って、鈴をちりちり鳴らし、楽しそうに帰ってくる。破魔矢の鈴の鳴る音に、正月を過ごす庶民の気持ちがよく出ている。(高橋正子)

★麦の芽に風青々とうねり過ぐ/小川和子
麦の作付面積も減ったこのごろ、麦の芽を見ることがうれしい。麦の芽を風がうねり過ぎると、青々とした麦の芽がいっそう鮮やかに目に入る。(高橋正子)

○今日の俳句②(気がるに句会1月3日投句)
★初売りの声高らかに競い合う/高橋秀之
初売りは景気よくなくてはならない。初売りの声が勇み、競い合う新年もいいものだ。(高橋正子)
★初空や奈良のみやこの鴟尾のうえ/多田有花
奈良のみやこで迎える正月は、また格別な趣であろう。お寺の鴟尾がくっきりと初空に見え、確かに古き都の存在感をよく出している。(高橋正子)
★向き合えば吾に水仙のみずみずし/高橋信之
水仙の花を「古鏡」といった俳人もいたが、向き合うことができる花である。向かうと、以外にもみずみずしい花である。(高橋正子)

○蝋梅(ロウバイ)
蝋梅に光を返す由比ヶ浜/阿部ひろし
ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅、Chimonanthus praecox)は名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)などの栽培品種があるが、よく栽培されているのはソシンロウバイで花全体が黄色である。

◇生活する花たち「蝋梅・侘助・ヒメムカシヨモギの絮」(横浜日吉本町)

1月2日(月)



初詣は、信之先生と除夜の鐘を撞き終えて、金蔵寺のあとすぐに氏神の駒林神社に行った。夕方は、句美子と駒林神社に二度目の初詣に行った。このときは、古いお札を持って行き、お神酒をいただき、辰年の絵馬を買い、おみくじを句美子とひいた。かがり火が焚かれて、境内にも正月らしい落ち着きがあった。
絵馬の辰あきらかなれる緑いろ 正子


□駒林神社□

○今日の俳句(ツィター1月2日投句)
★初富士の雲をまとうて穏やかに/川名ますみ
富士山が見えるところに住む人にとって、富士山はどういう山であろうか。偉大な山でありながらも日々の生活に添うように姿に変化を見せる山である。初富士がまとう雲が目に見えるようである。(高橋正子)
★幼子の大地踏ん張り凧揚げる/小西 宏
2日は、横浜あたりは風が強かった。そんな日に凧を揚げる幼子は、大地を踏ん張って糸を引いていなければならない頼もしい男児である。(高橋正子)

○二日
★風につつまれ正月二日となるわが家/高橋信之
この句は松山市の郊外、砥部の家での句。この家は谷風がよく吹いた。元旦が過ぎ、正月二日となると、風が吹けば、家うちも静かさにしらじらとした感じになり、正月の緊張感と同時に手持無沙汰のような時間が過ぎた。(高橋正子)

★二日の子ら遊ばせ真っ平らな広場/ 〃
★どのビルも二日の夕日を真向かいに/ 〃

○凧
★凧揚がる次々引き手変わる子ら/祝恵子
一つの凧を揚げるのに、引き手が次々変わるのも面白い。よく揚がった凧に夢中な子どもの本気が見える。(高橋正子)

○正月
★正月の花となりたる松の勢い/高橋信之
正月の花として活けられた松には、常緑樹の勢いがある。活けられたその他の花を押して、勢いが新年の力強さとなっている。(高橋正子)

★正月の港が動きかもめの詩碑/高橋信之
昨年の5月に傘寿の祝いをしていただいたが、八十を過ぎての私の楽しみは、歩くことである。兎に角よく歩く。空の青、木々の緑を見ながら歩く。それらの風景が俳句となる。最近は、東海道五十三次の街道を歩く。この句は、四国から横浜の子ども達のところに移ってきたからの句で、横浜の港の句である。(高橋信之)

★正月の子どもが五人じゃんけんぽん/高橋正子
長閑なお正月です。子供達の健やかさを思います。見ていたい景です。(祝恵子)

◇生活する花たち「白椿・水仙・エリカ」(横浜日吉本町)

1月1日(日)


賀正 2012年元旦

あけましておめでとうございます。本年も高橋正子の俳句日記をよろしくご愛読ください。

○今日の俳句①(ツィター1月1日投句)
★元旦や朝日棚田へ溢れおり/小口泰與
元旦のあふれる朝日をまず棚田に眺める。上州の棚田であろうか。すがすがしい元旦を詠んでいる。

○今日の俳句②(気がるに句会1月1日投句)
★富士山と冬夕焼の中に居る/川名ますみ
富士山はいつもしっかりと座っている。さびしさもあるけれど、あたたかさのある冬夕焼けに包まれて過ごすとき、大きく、偉大なものといる安心感がある。(高橋正子)
★元日の大空朝日で青々と/高橋秀之
元旦の空が大きく、まっさらな朝日で青い。「朝日で青々と」が秀之さんらしく、印象に残る空である。(高橋正子)

○去年今年
★去年今年貫く棒の如きもの/高濱虚子
「去年今年」の季語であまりにも有名になった句である。虚子は、客観写生を唱えたが、虚子自身は、大変主観の強い人間である。去年が今年となっていく時を「棒の如きもの」と主観の強さで把握した。太い棒のような時は、虚子の一貫した人間の太さや力とも言えよう。(高橋正子)

★去年今年鐘の余韻のなかにおり/高橋正子
除夜の鐘を日吉本町の古刹金蔵寺で撞きました。撞いた後時計を見たら11時59分でした。鐘の音は、予想以上によい音で、家康親子が寄進した鐘にやはり、さすがと思いました。金蔵寺では、職場の友人二人にあって、これも想定外でした。(高橋正子)

○元日
★せせらぎの砂に日差してお元日/高橋正子
浅瀬の水際に佇み、迎える新年。流れゆく水はもちろん、その岸の砂、一粒一粒に日が差していることに、慶びを感じます。見るもの全てがあらたまり、清らかに想われるお元日です。(川名ますみ)

○初詣
★子を抱いて石段高し初詣/星野立子
初詣に鎌倉八幡へでも出かけたのであろうか。子どもを抱いて上る石段が特に高いと感じられる。健やかに成長した子の重さゆえの「高し」であるだろう。晴れ着の子を抱く新春らしい光景である。(高橋正子)

○若水
★若水のくらきを汲んで手を清む/高橋正子
初詣は氏神様である駒林神社に行きましたが、神社の坂の下から、拝礼の列ができて、30分ほど並んでやっとお参りすることができました。参拝のあと、お神酒をいただき、お札を買って、おみくじを引きました。学生風の若い人たちが大勢いて、その人たちらしい話題が漏れ聞こえてきました。(高橋正子)

○年頭
★年頭躍筆墨条のみの白馬の図/中村草田男
正月の床を飾るに相応しく、健康で、力強い句である。俳句の短い詩形、それに白と黒の単純さを生かした。
俳句のよさである。(高橋信之)

○嘱目吟
◎高橋信之5句
元朝の零時吾も鎮守の杜に
思うことあり夜空の遠き去年今年
元日の白く大きな日が昇る
元日の日が昇る吾の真っ正面に
初晴にひとり喜びいる朝よ

◎高橋正子6句
一つ聞き二つ目聞きゆく除夜の鐘
石段に水打ってあり初詣
新年となりしや巫女の薄絹も
かがり火に開きて読める初みくじ
ともる灯にそれぞれ立ち読む初みくじ
水仙の向きを変えみて正月花

○駒林神社

狛犬は、飯嶋吉六の名品といわれている。石工飯嶋吉六については、下記のサイトが詳しい。
http://shuuun.mokusiroku.com/ship_history/tanbou-1.html
境内の石垣は、江戸城外濠に用いられていた石である。
http://soubouwalk.exblog.jp/3744150

◇生活する花たち「侘助・千両・南天」(横浜日吉本町)

12月31日(土)



★大年の山河も晴れを賜りし  正子
大年のこの日にあって、恵まれた晴天が、この上なく清々しく晴れやかに感じられます。明るく輝かしい自然の大らかさに、一年の末日の深い感慨とともに、来たる年への明るい希望もあふれます。(藤田洋子)

○今日の俳句
★年の瀬の遮断機上り街動く/藤田洋子
遮断機が上ると一斉に車が忙しく動き出す。年の瀬の街の風景をよい視点でとらえた。

○大晦日/大年、大つごもり、大三十日
★大年の日落ち流水尚見ゆる/中村草田男
終わりのない自然の営みを見た。自然の生命を読み取った。(高橋信之)

★ここでも子等笑う大晦日の湯舟/高橋信之
松山市内に住んでいたころ、まだ銭湯があちこちにあった時代の句。「ここでも」は、「銭湯でも」である。昼間元気に笑いころげて遊び、大晦日はなおさらのこと、子どもたちはお湯をかけあったり、顔を湯にくぐらせたり、屈託なく笑う。そういう明るいにぎやかさが楽しい。(高橋正子)

○樋口一葉作「大つごもり」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/388_15295.html
映画「にごりえ」は、樋口一葉の短編小説『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』を原作とするオムニバス映画で、キネマ旬報日本映画ベスト・ワン、毎日映画コンクール日本映画大賞、ブルーリボン賞作品賞などを受賞した。

○除夜/年の夜
★年の夜やめざめて仰ぐ星ひとつ/石田波郷
波郷は、子規と同じ病に臥し、その生涯を送った。その一生は、すぐれた句を残し、ただ俳句のために生まれ来たかのようであった。(高橋信之)

○金蔵寺/除夜の鐘
★除夜の鐘闇はむかしにかへりたる/五十嵐播水


梵鐘は、江戸幕府初代と二代将軍である徳川家康・秀忠父子により寄進されたものである。大晦日の夜、12時近くなると百八の鐘が鳴り響く。

詳細はここをクリックしてご覧ください。

◇生活する花たち「侘助・水仙・万両」(横浜日吉本町・金蔵寺)

12月30日(金)

★枯れ道の白くかがやく固さ踏む  正子
作者身辺のささやかな行為ではあるが、そこに日常生活の力強さがある。作者内面の強さを評価したい。(高橋信之)

○今日の俳句
大雪の朝の光と鳥の声と/矢野文彦
生き生きとして、かがやきのある句。目に大雪の朝のまぶしい光、耳に鳥のはずんだ声。こういった世界が目の前にあるよろこび。

○年逝く/年の瀬
ゆく年の硯を洗ふ厨(くりや)かな/三好達治
年賀状など書くのに使った硯であろうか。日常的にも筆がまだ使われていた時代である。私も、硯をどこで洗おうかと思うと、厨となるのだが、硯を洗ってさっぱりとして年をゆかし、新年を迎える。そういう心持が読み取れる。

年の瀬の遮断機上り街動く/藤田洋子
遮断機が上ると一斉に車が忙しく動き出す。年の瀬の街の風景をよい視点でとらえた。(高橋正子)

年逝かす蘭の華やぐ丈見上げ/高橋正子
一日一日と慌しくなる年の瀬ですが、花茎を高く上げて咲く見事な蘭の花々に、心和み明るくなります。その華やかな存在感に、過ぎ行く年の感慨と、来る年を迎える新たな喜びも感じられます。(藤田洋子)

○29日に、ブログを読んでくださる皆様へ、年末のご挨拶を済ませたので、正月が来るまでの30日、31日は、まるでこの世を辞して、千里を走る靴をはいて、あの世へいったような気持ちとなっている。また、正月には帰ってきますが、なかなか快適な年の瀬です。
昨日信之先生が、白万両、南天の実ばかりの小束、満開のヒアシンス、それに水仙、千両、ひめ南天の花束を買ってきて、狭い部屋を満たしている。シクラメンの鉢も取り込んで咲くのを待つばかりとなっている。

○千両
花束の中より散らばる実千両/平田弘

千両は生家にはなくて、砥部の家の玄関脇に赤と黄色を植えていた。植木屋さんの勧めで植えたと思う。万両は日当たりがいらないが、千両はいると聞いている。間違いかもしれない。正月花に赤い千両を一枝切って入れたいと思うが、一枝切ると間が抜けたような姿になるので、正月花には花屋で買っていた。先日東海道53次の戸塚から藤沢まで歩いたときには、お寺などに千両をあきるほど見た。こちらのお寺は千両がお好きなようだ。

◇生活する花たち「南天・ヒアシンス・白万両」(横浜日吉本町)

12月29日(木)

★オーバーの肩の落ちしが身に安し  正子
ゆったりとしたオーバーが暖かく身体を包んでくれます。寒い冬も心はほかほかしてきて安らぎます。(井上治代)

○今日の俳句
花束の中より散らばる実千両/平田弘
正月用の花束であろう。実千両も束のなかに。その花束より千両の実がこぼれて散った。その驚きと、その可憐な実の鮮やかさが印象的で、心が軽い。

○2011年回顧
▼高橋信之先生(花冠創刊者)喜寿お祝/5月28日
http://blog.goo.ne.jp/kakan115/
▼インターネット俳句センターアクセス百万回達成/8月24日
http://kakan.info/km/2011/11/10.doc
▼イギリス俳句の旅/9月19日~26日
http://kakan.info/01/c/eng2011/
▼花冠俳句フェスティバル2011in大阪/11月26日~27日
http://blog.goo.ne.jp/haiku_festival

○高橋正子の俳句日記をお読みいただき、ありがとうございます。このブログが連続ランク入りを果たすほど多くの皆さまお訪ねいただき、感謝しています。「生活する花たち」にも、「花に表情があって、きれいだ」とおほめいただきました。花の表情をとらえることが、花を撮るたのしみとなっています。来年もいろいろと歩いて花を見つけたいと思います。

今年は、花冠では、ツイッターとフェイスブック句会を開始し、5月には信之先生の傘寿のお祝いがあり、8月24日には、インターネット俳句センターアクセス百万回を達成した。

私的には、震災の翌日長男の結婚式があった。9月には句美子とイギリスへ出かけ、11月には琵琶湖、大阪へと出掛けた。12月には、東海道53次の戸塚藤沢間10キロを歩いた。ブログに載せる「生活する花たち」もカメラを新しくして、少し写すコツがわかってきた。クリスマスには、iPad2をプレゼントされたが、これが前進の一歩かもしれないと楽しみにしている。

皆さま、よいお年をお迎えください。

○百両
冬になると、赤い実をつけた植物が多くなる。庭にあるものでは、万両、千両、百両、十両、と揃って見られることもある。こういう我が家の庭(四国に住んでいたころのことだが)にこれらが全部そろっていた。十両はやぶこうじのことで、木の下の苔が生えているところに植えていた。もとは、山に出かけてとってきたものを植えたが、丈が低くて、地面に近くに実を付ける。普段着感覚の実物で冬の庭が楽しくなる。
横浜当たりの山には、万両がよく生えている。千両は山で見かけたことはない。百両もない。万両、千両、十両があれば、あとは、百両があればそろえたいという人情に駆られて、植木屋さんにもってきてもらった。

◇生活する花たち「百両・石蕗の花・白万両」(横浜日吉本町)

謹賀新年2012年元旦

俳誌花冠 高橋正子

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★初明りしたまいて慈母観音像/川本臥風
「初明り」という美しい言葉で新年の清らかさを教えてくれています。また「寒清し床に白磁の観世音」という句もあって臥風先生の心の向かう先が念仏の世界で、これは先生の身ほとりにある世界のことでした。(高橋正子)

★年頭躍筆墨条のみの白馬の図/中村草田男
正月の床を飾るに相応しく、健康で、力強い句である。俳句の短い詩形、それに白と黒の単純さを生かした。俳句のよさである。(高橋信之)

★せせらぎの砂に日差してお元日/高橋正子
浅瀬の水際に佇み、迎える新年。流れゆく水はもちろん、その岸の砂、一粒一粒に日が差していることに、慶びを感じます。見るもの全てがあらたまり、清らかに想われるお元日です。(川名ますみ)

12月28日(水)

★年逝かす蘭の華やぐ丈見上げ  正子
一日一日と慌しくなる年の瀬ですが、花茎を高く上げて咲く見事な蘭の花々に、心和み明るくなります。その華やかな存在感に、過ぎ行く年の感慨と、来る年を迎える新たな喜びも感じられます。(藤田洋子)

○今日の俳句
一しきり霰の音を硝子戸に/藤田洋子
急な冷え込みに、霰が一しきり降り、硝子戸を叩く。家居の静かさを驚かす天気の荒れに、冬の緊張がある。「一しきり」が詩情を生んだ。

○花冠ネット句会の15年(1997年~2011年)
俳句雑誌「花冠」の前身である「水煙」がホームページを立ち上げたのは、平成8年(1996年)11月27日で、花冠ブログ句会の前身の俳句掲示板を開設したのは、その1年後の平成9年(1997年)11月7日である。花冠ブログ句会は、前身の俳句掲示板開設以来、足掛け15年、満14年を超える歳月の殆ど毎日を俳句勉強の場とし、日々の精進を重ねてきた。これらの業績は、俳誌「花冠」の仲間が誇りとするところである。花冠の歴史は、ネット時代の15年とそれ以前の歳月を加えると30年近くのなる。花冠創刊以来の発行所の仕事、花冠の編集、会計などを一貫して引き受けてきたが、花冠が今あることを私の誇りに思っている。
http://suien.ne.jp/0003/dk/

俳句がNHKをはじめ、マスコミに大いに取り扱われている現状で、よくもここまで来れた、そして、おそらく、まだ続けていけるだろうと思って今年の年の瀬を迎えている。

○はなかんざし
先日友人に花冠をあげたら、お返しに「はなかんざし」の鉢植えをくれた。「これ何の花かわかる?」というので、「はなかんざしでしょ。」というと、「よく知ってるね。」と驚かれた。もらったときは、蕾だったが、ようやく開き始めた。寒いせいか、なかなか開かない。手でさわっておどろいたのだが、花びらは、麦わら草のようにカラカラなのだ。見ているかぎり柔らそうな花びらなのに。プラスティックの鉢をアルミホイルでくるみ、さらに包装紙でくるんでリボン結んで、テーブルに置いている。

花鉢を抱えて出れば冬の星 正子

◇生活する花たち「野菊・落椿・栴檀の実」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

12月27日(火)

★水仙の香を吸いながら活けており  正子
水仙はややうつむき加減の清楚なたたずまいとともに、あの香りが素晴らしいですね。それをいっぱいに浴びながら活けておられる、水仙のような心持を思います。(多田有花)

○今日の俳句
雲がゆく冬田に大き影落とし/多田有花
秋に刈り取られた田は、ひつじなどもすっかり枯れて、寒風が吹き過ぎる冬田となった。大きな雲が影を落として行くこともある。冬田に見た大きな雲の影が心象ふかく刻まれる。

○数え日 
数へ日の白雲とゐて山仕事/友岡子郷

俳句の季語に「数え日」がある。冬の季語で、年の暮れに残る日数が少なくなることをいう。年末のあわただしさがあるが、一年を振り返って、人それぞれの感慨を抱く。

いよいよ年末となった。昨日は、田作りを作り、黒豆を煮はじめた。田作りは、醤油、砂糖、清酒のこれだけで味を付ける。みりんも水あめも入れない。黒豆は、砂糖、醤油、重層で煮る。醤油を少々入れることで、ほかの料理から甘さが浮き離れない。塩かずのこの塩抜きは、明日の予定。今年は長男夫婦もトルコに旅行して来ないので、この三肴と、なにか好きなもので済ませる。こういう正月は、はじめてである。

友岡子郷の句にある数え日の山仕事で、思い出すことがある。年末になると、正月に使う裏白を山へ採りに行く。松と梅の枝を切ってくる。神仏に立てる榊を切ってくる。これらは父が主にしていた。付いていくこともあったが、どっさりと切って来られたこれらを見て、正月が来るんだと子ども心にも思った。年末の山は、特別の大風が吹かない限り暖かいのだ。木に風が遮られて、松葉や落葉があって、寒いことは寒いがほっこりとしている。年末のこういう山が好きであった。

◇生活する花たち「椿・水仙・野ぶどう」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)