1月14日(土)

★雪晴れに鴨のまばらにそれぞれに  正子
雪がちらついたり止んだりの晴れ間、池の面には鴨たちが三々五々、思い思いに展開して夫々に晴れ間を愉しんでいる。そんな風情が目に浮かんできます。「まばらにそれぞれに」で一つのリズムを感じさせてくれます。 (河野啓一)

○今日の俳句
さわさわと光と影を水仙花/河野啓一
水仙に日の光りが当たると、花にも葉にも影ができる。日のあたるところはより輝いて、当たらないところは静かに深く影ができる。その光と影が「さわさわ」とした印象なのは、水仙の姿から受け取られるものであろう。(高橋正子)

○蕪 
★雪降らぬ伊予の大野や緋の蕪/高浜虚子

蕪は絵になる。大根もなるかもしれないが、蕪のほうが形と葉に面白みがある。信之先生が絵を描くときは、野菜は絵になったあと台所へ回される。小蕪は、寒い時期なら、まるごと煮て葛あんをかけるのが評判がいい。あとは、ポトフやみそ汁に入れたり、漬物や酢の物になっている。最近男の子は酢の物を嫌うので、蕪の酢の物はあまり作らなくなった。酢の物はサラダにとってかわられている。
大根と呼ばれながら、蕪としか思えないものもある。さくらんぼのような赤い二十日大根、千枚漬けの聖護院大根。私のイメージでは、この二つは蕪の仲間に入っている。聖護院大根は、子供のころ、冬の保存食として、京都の千枚漬けとは違っているが、薄く銀杏切りにして甕いっぱい酢漬けにされていた。今思えば、寒い季節のわりに酢が強すぎたという感じだが、この聖護院大根をかぶらを呼んでいた。
子供にとっては、蕪といえばロシアの民話の「大きなかぶ」の話だろう。佐藤忠良の挿絵の「大きなかぶ」の絵本を何度も子供に読まされた。

◇生活する花たち「蝋梅・侘助・ヒメムカシヨモギの絮」(横浜日吉本町)

1月13日(金)

 石鎚山
★雪嶺にこだま返すには遠き  正子

○今日の俳句
澄みていし枯野に響く貨車の音/迫田和代
枯れが進んでくると、枯れも澄んだ感じとなる。枯野を長い貨車がことことと走り抜けて行く音が、人間的な懐かしさをもって訴えている。

○葱
折鶴のごとくに葱の凍てたるよ/加倉井秋を
葱太る日が高々と駅裏に/高橋信之

広島の備後地方に育った私は、葱は子どものころ嫌いな野菜であった。父母の世代までは、葱というより根深と呼んでいたような記憶がある。根元に深く土を寄せていた。土から掘り上げて、枯れた葉や薄皮を剥くと、葱の匂いがぷんとして、手に泥がかたまったように黒くつく。一皮むけば、葉葱ながらまっ白い茎が現れた。すき焼きにもこの葉葱が使われる。みそ汁や、ただ葱を油揚げや豆腐と炊いたような惣菜にも。霜の朝、家の前の畑に行くと、加倉井秋をの句のように、葱の葉は、くの字に折れている。折鶴を連想させるのも無理もない。根の白い部分を食べるものを、「東京葱」と呼んでいたが、田舎では見たことはなかった。今は横浜に住んでいるので、もっぱらこの白い根を食べるものを使っている。葉葱の代表の九条葱も売られているが、これは、めったに買わない。小葱と呼ばれる薬味に入れる葱は冷蔵庫に切らすことはなく、この小葱は普段大活躍。厚焼き卵に入れるし、小葱の小口切りにしたものだけをいっぱい入れたみそ汁もたまに作る。これがまた美味なのだ。葱は、地方によってさまざまの品種があるようだ。焼き鳥の肉の間に挟んだ焼いた葱もおいしい。焼いたり、煮たり、刻んだままで、嫌いだった葱も好きとは言わないがよく食べている。
葱剥けばすぐ清冽な一本に  正子

◇生活する花たち「茶の花・侘助・ヒメムカシヨモギの絮」(横浜日吉本町)

1月12日(木)

★水仙を活けしところに香が動く  正子
水仙の魅力のひとつはあの高い香りです。水仙を活けられて飾られたお部屋なのか玄関なのか、そこに人が出入りして動くたびに水仙の香りも動く、繊細にとらえられた水仙の姿、水仙のある生活です。 (多田有花)

○今日の俳句
髪洗う耳に木枯し届きけり/多田有花
髪を洗うときに耳の辺りが一番ひんやりするが、そこに木枯らしが吹く音が届いた。「耳に届く」は、リアル。季語は「木枯らし」。

○平成24年3月号投句

遊行寺坂
高橋正子

 戸塚
水仙の二三花朝日の清源院
徒歩旅にはやも椿の赤い花
冬がすみ富士のこちらの山いくつ
 藤沢
栴檀の実に藤沢の白き雲
遊行寺坂落葉たまるも切りもなし
きらきらと靴かがやせ冬の坂
 藤沢宿
山茶花の一樹咲き添う古き壁
 金蔵寺
除夜の鐘鳴りはじめなる一の音
 駒林神社
かがり火に開きて読める初みくじ
正月の山の落葉のかく深し

○すずしろ(大根)
★流れ行く大根の葉の早さかな/高浜虚子
虚子写生の代表な句で、昭和3年11月10日、九品仏吟行のときの作品。句の対象が「大根の葉」のみで、そこに焦点が絞られ、他が切り捨てられているので、作者の思いが何処にあるか、見極め難い。そこが評価の分かれるところであろうが、私は、この句をよしとした。俳句というものを教えてくれる佳句である。(高橋信之)

「すずしろ」は大根の昔の呼び名で、1月7日の七草粥では大根のことを今でも「すずしろ」という。

大根は日本でもっとも消費量の多い野菜と聞く。大根が昔ながらの食生活を牽引しているとも言えるのではなかろうか。日本の食卓から大根が消えるときがあろうか。

大根の食べ方もいろいろ。ごく最近では、朝食のポトフに蕪ではなく、大根を入れた。朝食用なので、野菜は小さめに切った。大根はいちょう切り。キャベツとともに、あっさりとして体が温まる。ポトフに大根を入れるのは、私のアイディアではなく、伊豆の今井浜のホテルに泊まったときに、地元野菜を使った料理がいろいろと出されたがそのうちのひとつ。
これもごく最近のぶり大根。おなじみの料理だが、大根は皮を剥かずに乱切り。ほんの少し甘味だが、大根くささ、苦味などがほとんどなく、しかも確かに大根の味がする。子どもから大人まで楽しめる味だと思う。料理家の土井善晴さんのレシピをネットからダウンロード。
それから、秋には、大根を千六本に切ったものに、ちりめんいりこをトッピングして昆布ポン酢で食べる。浅漬け大根も寒い朝にはさわやかでよい。信之先生は、千六本に切ったものを湯豆腐に入れるのが好きで、たまに、そういう食べ方もしている。

◇生活する花たち「蝋梅・椿・こぶしの花芽」(横浜日吉本町)

1月11日(水)

寒空の青に鳥らの飛ぶ自由  正子
太平洋岸の冬の空は、寒くても青く突き抜けていて気持ちのいいものです。雲もなく際限のない空を飛ぶ鳥の姿はことさらに「自由」という言葉を体現して見せてくれているようです。先生は「鳥ら」と詠まれていらっしゃいますから、共生の喜びも感じておられることを強く感じます。(小西 宏)

○今日の俳句
辛夷冬芽の散り輝ける空の晴/小西 宏  
「晴空」は、日本語として馴染まないので添削した。空が晴れれば、日が耀き、枝に散らばっている辛夷の冬芽の姿がよくわかる。「散り輝く」は辛夷の冬芽を詠んで的確。

○レモン
レモンの日本での栽培地は主に、蜜柑などの柑橘類の栽培地と同じである。耐寒性は一般的に-2~-4度とされる。潮風に強いため、海岸沿いでの栽培も可能となっている。香川県や広島県、愛媛県など瀬戸内地方が多い。1本で100個から150個ほどの果実が採れる。栽培される種類も比較的豊富だが、栽培本数が少ないため、日本国産のほとんどは地産地消されている。日本国産は日本国外産のようにポストハーベスト農薬の心配がなく、特に無農薬物は日本国外産に比べて2倍から4倍の高値で取引される。レモンは本来、気候や場所により短径が10cmを超える大きさに成長する大型の果実である。ただし、日本の場合、大半がレモンティーなど生食に用いられることもあり、ティーカップの大きさを超えるような大きさの果実は調整、選別されており、大型のレモンが流通することはあまりない。

私の世代では、レモンと言えば、梶井基次郎の「檸檬」を思い出す人が多いかもしれない。「檸檬」という字が書けるとか、トパーズ色の香気を漂わせて、レモンをかじるとか。レモンが特別だった青春時代。
今、国産レモンは、もっぱら瀬戸内産のものを使っているが、レモンの皮が厚い。レモンティーに入れたり、その皮をすりおろして、マドレーヌやウィークエンドケーキに入れたりする。やはり、香りがいい。国産レモンでなければ、果汁を絞ってレモネードにしたりする。マリネにも使う。鮎などの塩焼きや牡蠣フライにもかけたり、結構活躍している。
レモンは非常に酸っぱいと思っていたが、それが、とても甘いと感じたときがあった。富士山登山で、最高に疲れたときにレモンの分厚い輪切りを一枚もらった。かじると、酸っぱくなくて甘い。目の前で一個のレモンをナイフで切ってくれたのだが、レモンを甘いと感じたのは、後にも先にも、このとき一度だけ。

レモンの香飛べば灯きらめける  正子

◇生活する花たち「侘助・蝋梅・レモン」(横浜日吉本町)

1月10日(火)


○第1回きがるに句会入賞発表
(1月1日~7日投句/投句者13名)
新年の企画として、「きがるに句会」を立ち上げ、その第1回入賞発表をアップ。投句者13名は、予想以上の参加者であった。句会のメンバーは、10名から15名までが理想であろう。

○ご挨拶
第1回きがるに句会に予想以上に大勢の方にご参加いただき、ありがとうございました。選者は私、高橋正子が努めますが、藤田洋子さん、多田有花さん、高橋秀之さんを特別選者としてご招待いたしました。3人のかた、選とコメントをありがとうございました。
きがるに句会の名前のとおり、きがるに句会をたのしんでいただくために、企画しました。きがるは、肩の力を抜いてといういみでもありますし、あまり、重厚にならずにということでもあります。ネット句会をきがるにお楽しみください。今後とも、よろしくお願いします。(主宰 高橋正子)

▼最優秀
★北目指す列車八両雪の原/黒谷光子
雪の原を、さらに寒い北を目指す八両の列車。さほど長くない列車は人を運んで、北国のどこまで行くのであろう。静かで温かい詩情がある。(高橋正子)

【特選】
★海蒼く潮風に咲く冬椿/小川和子
海の蒼さに、はっとするほど鮮明な美しさの冬椿です。潮風を受けてけなげに咲く冬椿が、逞しく清々しいかぎりです。 (藤田洋子)

★藻塩振り甘さとろけて七日粥/佃 康水
「甘さとろけて」が湯気のたつ美味しい七草粥を連想させてくれます。食べたらあたたまって元気がでてきそうです。(多田有花)

★富士山と冬夕焼の中に居る/川名ますみ
富士山はいつもしっかりと座っている。さびしさもあるけれど、あたたかさのある冬夕焼けに包まれて過ごすとき、大きく、偉大なものといる安心感がある。(高橋正子)

▼その他の入賞作品:
http://blog.goo.ne.jp/kakan02c/


★枯草を踏みおり人に離れおり  正子
枯草の道に入り、枯草を踏む。気づけば傍に人は居らず、一人で冬の草地と向き合っている。枯草の色と匂いと音に包まれ、さらに土の中にある春を想う時、心も「人と離れ」た境地となるのでしょう。(川名ますみ)

○今日の俳句
富士山と冬夕焼の中に居る/川名ますみ
富士山はいつもしっかりと座っている。さびしさもあるけれど、あたたかさのある冬夕焼けに包まれて過ごすとき、大きく、偉大なものといる安心感がある。

○帰り花
帰り花三年教へし書にはさむ/中村草田男

りんごの花(帰り花)

小春日の暖かい日に時ならぬ花を咲かせる。これを帰り花という。人の忘れたころに咲くので「忘れ花」といい、「狂い咲」ともいわれる。
十月も終わりごろだったと思うが、横浜四季の森公園近くの民家に林檎の帰り花を見た。赤い林檎の実が一つと、花が数花枝にあった。林檎の帰り花を見たのは、はじめてのこと。桜と紛れてしまうような林檎の花も小春日和の空に咲いているのを見ると、皐月などと違って、なにがしかの風情がある。

◇生活する花たち「冬桜・水仙・万両」(横浜日吉本町)


1月9日(月)

★寒林を行けばしんしん胸が充つ  正子
しんと静まる寒林を行くほどに、枯れ尽くす木々の清々しさ、澄んだ大気に、快く充たされる心。「しんしん」と胸に響く言葉に、豊かな詩情を感じずにいられません。(藤田洋子)

○今日の俳句
水仙の一輪机上を整えり/藤田洋子
机上に水仙の一輪をさすと、机上がすっきりと整った感じとなる。水仙の清潔で、凛とした姿がそうさせる。「整えり」は、技巧に走らずにうまい。

○寒
寒浄し床に白磁の観世音/川本臥風
寒禽の啼きいて晴れの空を飛ぶ/高橋信之

寒の入りから寒の明けの前日までの小寒と大寒とを合わせ、およそ三十日間が寒である。今年の寒の入りは、1月6日に、寒の明けの立春は、2月4日となった。寒という特別に寒く冷たい期間を人々は大いに利用しているように思う。正月のお餅が無くなったころ、「寒餅」と称して普段食べる餅を搗いていた。寒中なので、黴が生えにくこともあったろうが、なにか、引き締まったような餅の味がした。お酒なども寒造りといって、水がより清浄となるせいか、よい酒ができる。寒中は澄み切って晴れる日も多く、気持ちのよい寒さと向き合うことになる。鳥たちもひろびろと自由に空を飛んで、うらやましいほどだ。厳寒の地に住んでいないので、こういうことがいえるのだろうが。

寒空の青に鳥らの飛ぶ自由 正子

◇生活する花たち「冬薔薇・冬桜・南天」(横浜日吉本町)

1月8日(日)

★初旅にみずほの山の青を飛び  正子
青々とした山々を見下ろして初旅の気分をを満喫されたことでしょう。かつて米国テキサス上空を飛べども飛べども点在する森しかなかったことを思い出しました。 (矢野文彦)

○今日の俳句
出会いたる冬三日月の大きさよ/矢野文彦
思いがけずも冬三日月に出会う。冬の寒さに磨かれ、澄んで、ましてや大きな三日月であることの驚き。

○冬桜
冬桜は、元日桜、寒緋桜などの別名がある。桜にはめずらしく緋色をしているが、一般には、冬にさく桜を冬桜と呼んでいる。
冬桜として印象が深いのが、鎌倉報国寺にあるもので、緋色ではなく、桜色をしたもの。外国人が、枝にほちほちと咲いた小さな桜をいとおしそうに、目を近づけて見ていた。そのあと、私も近づいて眺めたが、消え入りそうに、でも確かに咲いている。あまり多く花をつけないのが見どころであろう。背景に青い空があると、いかにも、儚く美しい。

冬桜風受けやすき丘に咲く 信之

◇生活する花たち「椿・蝋梅・ひいらぎ南天」(横浜日吉本町)

1月7日(土)/七草

★七草の書架のガラスの透きとおり  正子
正月七日、ようやく日常に戻る七草のころ、きれいに磨かれた書架のガラスに、整然と並ぶ書物が見えるようです。年の始めの清々しさとともに、清潔感漂うお暮らしもうかがえます。(藤田洋子)

○今日の俳句
刻ゆるやかに七草粥の煮ゆるなり/藤田洋子
主婦にとって、正月はなにかと落ち着かなく過ぎるが、七草のころになると一段落する。ふつふつと煮える七草粥に、「刻ゆるやかに」の感が強まる。

○七草/七種(ななくさ)
カナリヤはずむ七草粥を食い居れば/川本臥風
七草籠売れ了りたる土間濡るる/宮津昭彦
正月七日に七種類の若菜を食べると万病を除くと考えられ平安時代の初めごろはじまったものらしい。七種の菜は、せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろである。

七草のなかでも「はこべら」は、子どもにとって身近であった。庭や畑の隅などいたるところにみずみずしく生えていて、鶏やうさぎの餌にしていた。ままごとの菜にもなった。丈は高くなくやわらかに生い茂る。戦時中はお浸しにもなったと聞く。花言葉は「追想」。そう言われれば、なにか思い出をまとったような菜である。よく見れば、白い花も可憐である。

◇生活する花たち「百両・千両・万両」(横浜日吉本町)

1月6日(金)/寒の入り・小寒

★正月の山の落葉のかく深し  正子
実感です。暖かいところでは十二月半ばになってもまだ木の葉を落としきっていない木がいくつも見られます。それが、年を越すとすべて落葉を終えており、その落ち葉が山の道にたまって「かく深し」の情景になります。 (多田有花)

○今日の俳句
よく晴れて風の激しき寒の入り/多田有花
いい嘱目吟である。今年の寒の入りは、よく晴れて風が激しく吹いた、ということだが、自然は、刻々、折々に、さまざまの変化を見せてくれる。それに触れての嘱目は、自然への素直な観照として尊ぶべき。

○寒の入り
今日は寒の入り。寒の入りは例年1月5日か6日にあたるが、今年は、今日6日が寒の入り。小寒となる。この日から節分(立春の前日)まで、小寒、大寒をあわせた、およそ30日間を寒の内といい、寒さもますます本格的となる。寒に入って四日目を寒四郎九日目を寒九といい、水なども清浄感じがする。寒行や寒参りなど行事もいろいろある。

個人的に言えば、私はこの寒の季節から二月が終わるまでぐらいが、もっとも好きな季節である。そう思い出したのは、たぶん高校生ぐらいのときからであろう。もっとも静謐な季節である。

 焚火して林しづかに寒の入/水原秋桜子

○冬の苺

冬苺というのがあるが、これは冬に出回っている苺とは違うようだ。今我が家には、ベランダに蛇苺ほどの苺が生っている。白い花も咲いている。この苺は四季生り苺で初夏にはそれでも普通の苺の大きさの実をつける。この寒中に健気にも花をつけ、実を結ぶ苺には愛着が湧く。昨日日吉東急前の花屋で信之先生が求めてきた苺は、とちおとめで、きれいな実が七個ついてすでに赤く熟れたもの、まだ青いものがあって鑑賞用。雪の中へ苺を探しに行く話が西洋の童話にあったと思うが、日本では苺にまつわる物語は聞いたことがない。寒いときに春へのあこがれの気持ちが童話を生んだのかと思う。

◇生活する花たち「茶の花・侘助・ヒメムカシヨモギの絮」(横浜日吉本町)

1月5日(木)

★独楽の渦記憶の底を回りたる  正子
独楽が回りますと、描かれた螺旋が回転し、やがて目は追いつかなくなります。独楽を見て、ふと懐かしいなと辿った記憶も、同様かもしれません。記憶の渦を廻る内、いつしか覚えのない「底」に至っている。毎年の遊びの場ながら、自己の深くへ入る契機となる、一瞬でもあるのでしょう。 (川名ますみ)

★富士山と冬夕焼の中に居る/川名ますみ
富士山はいつもしっかりと座っている。さびしさもあるけれど、あたたかさのある冬夕焼けに包まれて過ごすとき、大きく、偉大なものといる安心感がある。(高橋正子)

○作品
二日の鐘晴れたる空へ撞かれけり
正月の山より白き雲行かす
二日の空銀芽吹き出す大樹あり
枯草の真白き絮の愛しけれ
空の青ジャノメエリカはうす紫
正月の山の落葉のかく深し
夕鐘の三日の山へ響きたり
水仙の茎切りもどし籠に挿す

○エリカ

エリカは、南アフリカ原産と、ヨーロッパ原産がある。針葉樹のような葉に筒型やベル型の小さな花がつき上品な印象の花である。「嵐が丘」の館の周囲にエリカがあるが、英語ではヒースと呼ばれている。
私が初めてエリカを見たのは、花粉の袋が黒いジャモメエリカ。四国松山には椿神社があって、1月の終わりか2月のはじめごろに椿祭りがある。椿さんというのだが、今年は1月29日からのようだ。もう暖かくなるかと思うと、一等級の寒さがぶり返す。椿祭りが済むまでは、暖かくならないというのが松山地方の通説。この祭りでは植木市が立つのも有名。そこでジャノメエリカを一鉢買った。四十年以上前のことだが、当時はエリカは珍しかったように思う。最近は、ヨーロッパにあるような棒状の枝につくエリカをたくさん目にするようになった。洋風の庭にはよく似合うだろうと思う。

◇生活する花たち「水仙」(横浜日吉本町)