★はつらつとまたかがやかにヒアシンス 正子
葉も茎も上に向かって元気はつらつとし、また花がたくさん咲いていい香りを放ちかがやかしく見えます。冬に耐え春になって生命力を発揮するヒアシンスに、愛おしさを覚えました。 (藤田裕子)
○今日の俳句
にぎわいを芽木に残して目白飛ぶ/藤田裕子
目白の季語は、その繁殖期である夏とする歳時記、また秋とする歳時記がある。実際に人里でよく見られるようになるのは秋の終わりごろから。椿のころはよく庭に来る。芽木のころも丁度このころ。チリチリという小さな声ににぎわう芽木は、早春のあかるさに満ちている。(高橋正子)
○豆の花
★そら豆の花の黒き目数知れず/中村草田男
豌豆の花、そら豆の花、スイートピーなどが豆の花に入る。そら豆や豌豆の収穫は初夏となるが、それには春先花が咲かねばならない。草田男のそら豆の句は、まさにそのとおり。うす紫の縞模様の花の中心部が黒い。形が目と見える。散歩していると、そら豆のいくつもの目と合う。
支柱を組んだ豌豆には、白と赤い花が咲き、別の畝にはそら豆の花が咲く畑の光景はなじみのものだ。おびただしい白い花は胡蝶のように軽やかだ。この花は来るべき初夏のために花を咲かす。さや豌豆も実豌豆も初夏の一番いい季節に実を結ぶ。白い飯に緑の水玉が散らばる豆ごはん。翡翠のように豌豆を煮たもの。ちらしずしに混ぜ込んださやえんどうの緑。こういった食の楽しみを提供するべく咲く豆の花は見ても鑑賞できる花だ。
スイートピーは、朝顔の垣を利用して秋に垣の根もとに種を播くと、春には弦が絡まって数知れないのスイートピーの花が西窓を覆った。
★スイートピー眠くなるほど束にする/高橋正子
◇生活する花たち「梅①・梅②・蝋梅」(横浜日吉本町)

伊豆
★わさび田の田毎に春水こぼれ落つ 正子
水がきれいでなければ育たない、と知られるわさび。今、その段畑に流れる春水は、さぞまばゆいことでしょう。田の一枚ごとに、清澄な水が、満ちては「こぼれ落つ」。わさび田の生きている様が響きます。(川名ますみ)
○今日の俳句
梅ひとつ咲いて朝餉の一時間/川名ますみ
ゆっくりと進む朝餉の間、ほのかに香る一輪の梅の花。一輪の梅が咲いたよろこび、心が洗われる気持ち、それが意外にも大きい。(高橋正子)
○八朔
八朔は、晩柑類の代表といってもよかったが、最近は伊予柑におされてあまり人気はないようだ。食べた後、ほんの少し苦みが残るが、果汁が少なめで、果肉がしっかりして手を汚さず食べやすいのが取り柄。
子供のころ庭に一本八朔の木があって、ひと冬、家族、主には子供のおやつとして食べるだけ十分あった。驚くべくたくさんの実がついた。収穫した八朔は、りんご箱にもみ殻を入れたなかに保存し、蔵に入れられた。土蔵の冷暗所に保存されていたわけだ。もみ殻がつかないように、セーターの袖をたくし上げ箱に腕を入れて掴み出す。お菓子がほとんどない時代。(チョコレートは高校生になって友だちにもらって初めて食べたくらいです。)遊んでいる途中、喉がかわくと家に帰って八朔を持ち出し、友達と食べたりした。よその家には伊予柑に似た私たちが「だいだい」と呼んでいた果物があったので、友達が家から持ち出してきて食べた。これはどこの親たちにも内緒のことであったが。ところがある日、あれほど実を付けて元気だったのに、突然にこの八朔の木が枯れた。その一日で枯れたわけではないだろうが、「ある日突然に」という印象だった。根もとから掘り起こされて燃やされたが、家の没落がいよいよ目に見えて始まるかのようだった。八朔の味のように、いまだにかすかな苦さを覚える。
★八朔を蔵より出せば日が当たる/高橋正子
◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)
★賽銭を放りて拝む梅の寺 正子
古くから梅の名所として親しまれているお寺なのでしょう。梅の花咲くあたたかさに、境内の澄んだ空気の中で賽銭の音が軽やかに響き、明るい春を告げてくれるようです。(藤田洋子)
○今日の俳句
街筋の昼月ほっと梅開く/藤田洋子
街筋の空を見上げれば、白く透明感のある昼の月が浮かんでいる。昼月を遠く梅が開いて、昼月と梅との美しい出会いがある。(高橋正子)
○伊予柑
伊予柑は、愛媛県の「宮内」というところに原木があるらしい。正月があけ、蜜柑に酸味が抜けてくるころいわゆる晩柑類が出始める。八朔や伊予柑などがそうであるが、以前はもっと遅く2月の半ばごろから3月にかけて出荷されていたように思うが、今ha
もっと早くなった。柑橘らしいよい香りと果汁がたっぷりある。果汁が多すぎて手を汚すこともしばしばだが、風邪気味のときなど風邪が抜けそうでうれしい。春一番が吹き、戸外はうすら肌寒いが空は明るい。以前は国立大の入試や、卒業式のあったころ。歓喜や落胆、別れ、また祝など悲喜こもごもの、ニュアンスのある季節。料峭の空気感と合わせて食べれば美味しさのニュアンスも増すというもの。
★風吹ける一日伊予柑香らせ食ぶ/高橋正子
◇生活する花たち「梅・三椏の花・菜の花」(伊豆修善寺2011)
★二月はや雛の鼓笛を持たさるる 正子
実にうまいと思います。技巧のすぐれた句は、余韻の無いさ末主義におちいりやすく、ただ興がっただけの、空疎な嫌味の句になりかねないものですが、この句は、そうならない前、ぎりぎりの句のように思えます。(川本臥風)
○第6回きがるに句会
昨日正午、第6回句会入賞発表を済ます。
◆ご挨拶◆
第6回きがるに句会にご参加いただき、ありがとうございます。入賞の皆さまおめでとうございます。特別招待選者の皆さまには、選とコメントをありがとうございました。インフルエンザが猛威をふるっていると今朝の新聞報道にありました。お気をつけください。梅が開くのを待っておりますが、まだちらほらですので、今年はよほど寒いのでしょう。これで、第6回きがるに句会を終わります。次回を楽しみに、ご健吟ください。(主宰/高橋正子)
◆最優秀/2句◆
★春植えの畝の支度や鍬光る/古田敬二
春に植えるものには、じゃがいもなどがあるが、その畝の支度に余念がない。振り上げる鍬も早春の光に光るという耕しの楽しさがある。(高橋正子)
★蝋梅の向こう甍とひかる海/小西 宏
蝋梅越しに、甍と光る海が見える景色。海辺の景色だが、甍があることによって句が絵画的になった。(高橋正子)
▼その他の入賞句:
http://blog.goo.ne.jp/kakan02c/
○いぬふぐり
★いぬふぐりここより野路の視野展け/稲畑汀子
★こんこんと日は恙なし犬ふぐり/森澄雄
野原や路傍などに多いきわめて小さな二年草。早春の陽光あふれる日には小さな花々が太陽に向かっていっせいに歓声をあげているように咲きにぎわう。しかし実際は真冬のうちから他の花に先駆けて少しは咲きだしている。その名は犬のふぐりに似ているところから来ている。「おおいぬのふぐり」。
★青空の青を返して犬ふぐり/渋谷洋介
犬ふぐりは、地に咲く星に例えられたり、その他、いろいろな表現で称えられてきた。この句のよさは、「青を返して」にある。青空の青を映し、その青をまた空へそっくり返す。この力が花の生命力、あるいは生命感というものであろう。(高橋正子)
★少女らの明るく飛んで犬ふぐり/高橋正子
★空のしずくこぼれてここに犬ふぐり/高橋正子
○今日の俳句
池をめぐる樹々それぞれの木の芽張る/矢野文彦
早春の池の水の色と芽木の枝の張りに早春の淡さ、また、緊張感や芽ぐむものの希望が感じられる。(高橋正子)
◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)
★さきがけて咲く菜の花が風のまま 正子
○今日の俳句
海苔掻や潮目沖へと流れおり/桑本栄太郎
沖へと流れる潮目を見ながらの海苔掻きに、春の磯の伸びやかな風景が見えて、素晴らしい。(高橋正子)
○満作
★まんさくに水激しくて村しづか/飯田龍太
★空澄みてまんさく咲くや雪の上/相馬遷子
まんさく(満作、万作、金縷梅)は、マンサク科マンサク属の落葉小高木。本州の太平洋側から九州に分布し、日本各地の山林に多く自生するほか、花木として栽培もされる。3月ごろ葉に先駆けて花が咲く。花にはがく、花弁と雄蕊および仮雄蕊が4個ずつあり、雌蕊は2本の花柱を持つ。がくは赤褐色または緑色で円い。花弁は黄色で長さ1.5cmほどの細長いひも状になる。葉は互生し、楕円形で波状の鋸歯がある。果実はさく果で、2個の大きい種子を含む。
まんさくは、豊年万作の「まんさく」で、縁起のよい名前だが、早春の花展でよく見た。よい花を活けようとすると、やはり木ものがいるのであるが、庭や山にあるものは、花が咲くときに枯葉がところどころに付いている。さんしゅゆは葉を落としてしまい、純粋に花だけであるのに、まんさくにこげ茶色の枯葉がしがみついてはなれないのも面白い風情だ。日吉本町の5丁目の丘の住宅に一本万作がある。この家の木はどれも窓とよく似合ってしゃれていると通りすがりにいつも思う。万作もその一つ。
★まんさくの咲いて遠きが思わるる/高橋正子
◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)
横浜港
★港湾の動きに満ちて春浅し 正子
♪春は名のみの風の寒さや♪の季節です。ときには雪の交じる季節ですが確実に春は近付いてきています。港では船の動き、岸壁では人が忙しげに動いています。海のきらめきにも春を感じ、春への期待に胸膨らむ作者です。(古田敬二)
○今日の俳句
耕しに土の中なる根のさみどり/古田敬二
「耕し」は、春の季語。春になると、種まきの準備など、田畑を耕す。耕していると、土の中に白い根ではなく、さみどりの根があることに驚く。土の中にもすでに春の息吹がある。(高橋正子)
○黄水仙
★突風や算を乱して黄水仙/中村汀女
★横濱の方にある日や黄水仙/三橋敏雄
★石崖に黄水仙咲く午後も通る/加倉井秋を
南ヨーロッパ原産の多年草で、江戸末期に渡来した。観賞用として庭園等に植えられる。葉は剣状。春、濃黄色の花を横向きに開く。白い花の水仙は、冬の花であるが、黄水仙は春の花である。小学生のころは、この黄水仙が咲くのをいつも待っていた。白い水仙のあと、いぬふぐりの咲き始め、それから黄水仙となる。らっぱ水仙とも呼んでいたが、黄水仙が咲くと春が来て、遊ぶ時も、上着を脱いで遊べるようになった。そのころは農家では、ジャガイモを植えつける。食べ物では、あおやぎや蛸の「ぬた和え」が美味しい。桜が咲く前である。イギリスの湖水地方の詩人ワーズワースの「ダッファディル」としても知られる花で、春が来れば湖水地方一面に咲く。「ブルーベル」とともにイギリスの春の花である。下記の句は、キーツとワーズワースの詩を少し意識している、というか、二人の詩が浮かんで作ったもの。
黄水仙北北西の風に揺れ/高橋正子
◇生活する花たち「梅①・梅②・蝋梅」(横浜日吉本町)

★青空の果てしなきこと二月なる 正子
○今日の俳句
水音して箕面連山春浅し/河野啓一
「水音して・・春浅し」の感覚がいい。箕面連山を行くと、ころころと水音が絶えずしている。自然に身を入れると、確かに春が来ている。(高橋正子)
○山茱萸(さんしゅゆ)
山茱萸の黄や町古く人親し/大野林火
山ぐみとは違う。中国原産の薬用植物だが、最近は観賞用に植えられる。早春黄色の小繖状花を開く。和名を春黄金花(はるこがねばな)という。秋の赤熟した果実が珊瑚ににているので、秋珊瑚ともいう。以上は角川歳時記の説明。
山茱萸(さんしゅゆ)の花は、早春の花展には必ずといっていいほど用いられていた。四国砥部の我が家の庭にも鑑賞用に植えていた。黄色い小繖状花は色が澄んでいて、日ごと明るくなっていく庭の象徴的な花だった。秋にはクコによく似た赤い実が熟れた。クコの実をご存じないかたは、グミの小さい実と思っていただいてもよい。薬用にされるだけあって、いかにもそのような実だ。横浜では、四季の森公園に山茱萸が十本近くあるが、1月に訪れたときは、一見、山茱萸とは見えないほど赤い実が鈴なりに生っていた。料峭の空気感を象徴するような花である。
◇生活する花たち「クリスマスローズ・椿・へくそかずら」(横浜日吉本町)

慶大日吉キャンパス
★煙る銀杏芽吹く気配を一心に 正子
葉を落とし休眠していたような銀杏の、寒い季節より巡ってくる健気な芽吹きの気配を感じ取られています。(祝恵子)
○今日の俳句
もてなさる一つに椀のあさり汁/祝恵子
もてなしの料理が並ぶなかの一つの椀があさり汁である。春らしい一椀に、ほっと気持ちが解きほぐされ、主客ともに春を
いただく気持ちが湧く。
○臼田亜浪ー俳句の「まこと」を求めてー
臼田亜浪は、私の俳句の師である川本臥風先生の先生である。臼田亜浪は、俳句では中間派と呼ばれている。「まこと」を求められたので、臥風先生からも「まこと」を求める精神を教わった。「まこと」を求める精神は、句作をはじめてから47年ほどになるが、ある意味「まこと」を求めて「自由」であることを許された気がする。亜浪先生も臥風先生も句風は清新であると思う。
小諸を訪ねて、亜浪先生の書をはじめ、羽織や火鉢など遺品を見たが、俳句から受けた印象と違うところがほとんどなかった。小諸の地形と浅間山が目に残っている。
★郭公や何処までゆかば人に逢はむ/臼田亜浪
この句を口ずさむと、漂白の日々を送る旅人の心がひしひしと胸に迫ってくる。おそらく 山道をひとり歩いていたのであろう。郭公が 背に鋭く鳴き続ける。その声は、切れ目があって、はかない一瞬を強く印象付ける。瞬間 の印象が強ければ強いほど、旅人の長い道は 、さらに長く果てしないものに思えてくる。この句はまた、「真」を求めた亜浪の人生の 旅を思い起こし、深い感動を与える。大正十三年、亜浪四十五歳のときの句だが、大正三年夏の体験が十年後の大正十三年に句となった。句集「亜浪句鈔」に収録。(高橋信之)
★鵯のそれきり鳴かず雪の暮/臼田亜浪
神奈川県中津での嘱目吟で、句の成ったその場にはかなりの句作者がいたというが、この句の鑑賞には、亜浪ひとりきりとしたい。鵯(ひよどり)の鳴く雪の景と真っ直ぐに向き合うのは、亜浪ひとりで、作者自身の内面に向けられた思いが深く、静かだ。それきり鳴かず」と言わしめた「雪の暮」は、しんとしての静かである。単なる写生でない本質を詠んだ。前書「中津行き」とある大正九年の作。亜浪四十歳のときで、その年、大須賀乙字が「石楠」を去った。(高橋信之)
亜浪先生逝去
★この冬空の下のどこにも先生亡し/川本臥風
亜浪の没年は、昭和二十六年である。
★雲雀落つ谷底の草平らかな/臼田亜浪
空の高みで鳴いていた雲雀は、急に鳴き止んで畑などに降りる、降りるというより、落ちる感じだ。この句では、谷底の平らな草の上に落ちたという。谷底のそれでも平らな草地は、雲雀が降りるのに相応しく明るく萌えている。山国の雲雀の雲雀らしさが詠まれた句。(高橋正子)
★ふるさとは山路がかりに秋の暮/臼田亜浪
亜浪のふるさとは、信州小諸である。山路がかる道を行けば、秋の暮れが迫っている。そうでなくても早い秋の日暮れに、山路がかりの道の秋の暮は早い。ふるさとの地を踏んだ懐かしさが、思いを深いものにしている。(高橋正子)
◇生活する花たち「黄水仙・梅・枝垂れ梅の花芽」(横浜日吉本町・金蔵寺)

★梅の香を息に吸い込みあるきけり 正子
咲き始めた梅はかすかな香りを放ちます。ちょうど背の高さにある香りの膜の中を歩く。肺の中に梅の香りが満たされるようである。ゆっくりと香りを楽しみながら歩く作者の姿が浮かびます。(古田敬二)
○今日の俳句
クロッカス陽の一色を受けており/古田敬二
早春の地面近くに花開くクロッカスは、春をさきがけた明るさがある。「陽の一色を受けており」に、太陽のぬくもりと光りを受けたクロッカスの愛らしさがよく表現されている。(高橋正子)
○ネットテレビ
昨日午後、月刊俳句界を出版する株式会社文學の森の<ネットテレビ事業部>から電話があった。インタビュー等の撮影申し入れである。「俳句界ニュース」企画書もファクスで送られてきた。放送日時は、4月上旬放送開始(インターネットでの公開)予定とあった。仮タイトルに<俳句におけるインターネット活用術>とあった。
http://haikukai.tv/
花冠発行所がテレビに紹介されるのは、久しぶりのことだが、新聞雑誌では、以下のように花冠のネット句会が紹介されている。
①「俳句四季」2006年3月号(東京四季出版)に高橋信之「現代俳句への提言/ブログ句会について」が掲載、
②「俳句四季」2006年4月号(東京四季出版)に高橋信之「現代俳句への提言/俳句のIT革命について」が掲載。
③朝日新聞(2006.4.23日曜版be)水煙のブログ句会が紹介されました。その他では、ライブドアとKDDIの俳句のブログが紹介されています。
<ぶらりネット>
「手軽なブログで五・七・五革命」
前文略
俳句雑誌「水煙」を発行する高橋信之さん、正子さん夫妻は、96年に俳句のウェブサイトを開設。昨年秋からはブログ句会(blog.goo.ne.jp/npo_suien102/)も始めた。約30人の会員が毎日、自分のブログを使って投句し、高橋夫妻が定期的に入賞句を選んで発表する。「ネットで俳句をするなら、操作も手軽なブログをお薦めします」と信之さん。「IT化が進む社会で、俳句はどのように新しい創造ができるのか。これは俳句のIT革命なんですよ」(冨岡史穂)
④毎日新聞の「俳句α」に私達のブログが紹介されました。10・11月号(2006年10月1日発行)の119ページです。その中に、高橋信之、高橋正子、竹内よよぎ、臼井虹玉、碇英一、黒谷光子、祝恵子諸氏の俳句が掲載されています。
⑤朝日新聞(2007年1月4日愛媛版)
「子規山脈・・IT化」という見出しで、高橋真紀子記者の取材。
⑥日本経済新聞夕刊(2007年7月6日)
などである。
2005年1月15日には、「MELLOW/シニア情報生活アドバイザーマガジン」第6号に「インターネット俳句の活動」について、下記のように書きました。
四国松山に事務所を置くNPO法人水煙ネットは、シニア情報生活アドバイザー養成講座実施団体としての活動をしており、「俳句のNPO」をキャッチフレーズに、インターネット上の様々な俳句の活動を行っております。年末年始は、カウントダウン句会(チャット句会)、正月7日(オフ句会)には、横浜三渓園で、首都圏在住の十三名の仲間と松山からは私が参加し、初句会を開きました。(十五日には、月刊俳句雑誌「水煙」二月号・通巻二五七号も発行されます。)
私たちのネット句会の中心の活動は、月例のオンライン句会です。今月は、九日(日)にオンライン正月句会をいたしました。六十名が集まってのネット上の月例句会は、他に例がないと思います。金賞は、「水満たし七種の色浮かしおり 祝恵子」でしたが、この句の作者は、お孫さんもおられる六十代の主婦です。私たちNPOのインターネット上での活動の特徴は、伝統的な俳句という文化を、現代的なITの力によって、新しく生きいきとしたものにすることにあります。特に、高齢者、主婦、障害者等の活発な活動が目立ちます。毎日の投句箱もあり、「よい生活からよい俳句が生まれる」「細く長く」をモットーに、俳句が日々の生きがいにもなっています。
この活動は、自分の俳句を楽しむだけではなく、小中学校の授業にも参加して、学校教育のお役にも立っています。授業中にインターネット上の掲示板に書き込まれた生徒の俳句にコメントや添削をして、生徒の学習指導のお役に立っています。私たちのNPO法人の会員は、南は沖縄から北は北海道の網走まで、全国に散らばっていますので、様々な地域の風物を知ることができます。教科書の上だけではなく、生きた学習ができるというわけで、生徒たちにとっては、いい勉強になります。
私たちのシニア情報生活アドバイザー(えひめ地域ITリーダー)活動の最大の特徴は、経歴や職業、環境や年齢も様々である多様な人たちが集まって、多様な活動をしているということにあります。これらの活動が、日本の将来を明るいものとしてくれのではないかと思います。俳句をITによって活性化することは、時代の要請でもあり、「明るくて深いもの」という日本独自の文化が育っていくことを確信して、日々休むことのない活動を続けています。私たちのホームページを是非、一度お訪ねください。
(メルマガ「MELLOW」は、財団法人ニューメディア開発協会シニア情報生活アドバイザー事務局が発行しています。)
日本経済新聞夕刊(2007年7月6日)では、<ブログで投句 新時代の座>のタイトルで、<インターネットと俳句の相性のよさということで、高齢者や身体障害者もいる。また、多忙な人の貴重な研鑚の場になっている。>など、と紹介されました。
◇生活する花たち「梅・菜の花・河津桜」(伊豆2011)

東海道53次川崎宿
★下萌えの六郷川の水青し 正子
嘗て江戸時代、多摩川の「六郷の渡し」として栄えた所であり、大変重要な場所であった。その六郷川に下萌えの草がみどりを為し、水はあくまで青いと言う・・。浅春の情景が見事に詠われ、素敵な一句である。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
★自転車の籠に紅梅つぼみもち/桑本栄太郎
停めてある自転車の籠につぼみをもっている紅梅を見た。どこかでもらった紅梅か、ここにもつぼみがついた花がある驚きと喜びがあって、句が生きいきしている。(高橋正子)
○新聞を読む
日経朝刊(2月14日付け)の1月19日に開催された<新春日経マネジメントフォーラム>特集を読む。その<クロージング講演>は、早稲田大学大学院教授の小尾敏夫氏の「情報化社会と超高齢化社会が融合 CIOの責任はより広範囲に」であった。その中に「無資源国家日本が誇れるのは人財と教育である。特に日本の人財活用には、力を活かしきれていない女性、外国人、高齢者の能力を最大限に活用するのが急務。」それには、CIO(最高情報責任者)のリーダーシップの発揮が重要である、としている。このCIOの人材に欠けているか、活かしきれていないという日本社会の構造が問題ではないかと思う。「情報化社会と超高齢化社会が融合」は、花冠が早くから取り組んできた課題で、それなりの成果を上げたと自負している。
ITの活用で(インターネット俳句センターを中心とした活動)、花冠(水煙)はユニスコの詩の部門に日本でまず初めてサイトを設けて紹介してもらった。多言語による活動に注目れてきた。今、現実的には、高齢者である信之先生の活躍と、女性である私の活動は、(ちょっと笑ってしまうのだが)日経フォーラムの講演の内容を実践しているように思える。高齢者も女性も、いろんな意味でがんばっているし、力をもっているが、ただ、若いだの、高齢者だの、女性だの、といってもひとくくりにはできない、完全な個人差があることは間違いない。個人の総合能力格差を平等を持ち出して均してしまう変な日本の民主主義にも困る。
◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)