12月15日(土)

★落葉踏み階踏みてわが家の燈  正子
秋冬の日暮れが早く寒さもつのってくるころは、我が家の明かり、家路にほっとするものを覚えられることでしょう。落葉を踏み、ご自宅への階段を上って家に帰る、その心持が感じられます。 (多田有花)

○今日の俳句
石蕗の花はや日輪の傾きぬ/多田有花
句の姿が整っている。暮れ急ぐ日にしずかに灯る石蕗の黄色い花が印象に残る。(高橋正子)

○銀杏黄葉(いちょうもみじ)

[銀杏黄葉/横浜日吉本町]         [銀杏黄葉/東海道53次藤沢宿・遊行寺大銀杏]

★赤を掃き黄を掃き桜もみぢ掃く/後藤比奈夫
★黄葉は今年最後の祭りかな/kudou
★空青し銀杏黄葉を輝かす/高橋信之

 対象とする植物を全体として眺めたときに、その葉の色が大部分紅(黄)色系統の色に変わり、緑色系統の色がほとんど認められなくなった最初の日を、その植物の紅(黄)葉日とする。
 カエデの紅葉やイチョウの黄葉は、秋になって気温がある値を下回ると色づきはじめ、一定期間ののち全体が紅(黄)葉する。したがって、気温が高ければ色づきが遅れ、低ければ早くなる。
 イチョウは中国が原産地といわれる落葉高木で、社寺の境内や街路に多く植えられ、食用のぎんなんが実ることからもよく知られた植物である。雌雄異株で春に新葉が出るとともに、雄株は 2 cm 内外の房状の雄花を下垂してつけるが、雌株の花は目立たない。
 気象庁が観測・統計を開始した 1953 年以降の気温とイチョウ黄葉との関係を見る。50 年間に約 11 日イチョウの黄葉が遅くなったことを示した。なお、カエデの紅葉についても同様に50 年間に約 16 日遅くなっている。(国立天文台が編纂する「理科年表オフィシャルサイト」より)

○東海道五十三次を歩く(戸塚宿~藤沢宿)
 昨年の12月15日は、戸塚から藤沢宿まで約10キロほどの東海道を信之先生のお伴で歩いた。靴は、踵から着地できるよう設計されたウォーキングシューズ。この靴が頼りとなる。手袋と帽子、自分で編んだモヘアの小さいマフラー、いつものポーターの革リュックという出で立ち。朝8時過ぎに家を出て、グリーンライン・ブルーラインを乗り継いで、戸塚まで。結構乗っている時間がながいので、「東海道492キロ」という歩き方の本を読む。
 戸塚の駅に降り立って、吉田茂を怒らせた「開かずの踏切」を渡る。わかりにくいのだが、右手にいって、家康の側室のお万の方が建てた清源院長林寺へ。奥のほうに芭蕉の句碑があったので、写真にとる。万両は、人の背丈ほどありそうなのがある。黄色い千両と赤い千両も。水仙は、冠のようなところも白い水仙があった。純白の水仙である。
 観るほどのものはなく、15分ほどいて東海道となる道を行く。写真に収められる花があれば撮るつもりである。道端に、案内標識が出ていて、澤辺本陣跡とか、上方見附跡、お軽勘平の碑、松並木跡などがあった。
 藤沢宿に近づくと、遊行寺がある。遊行寺は通称で、清浄光寺(しょうじょうこうじ)といい、時宗総本山の寺院。境内には、樹齢660年、樹高31メートルの大銀杏があった。一遍上人の念仏する姿の像もある。
 遊行寺を過ぎて、藤沢宿の本陣跡あたりを見て、藤沢宿の町並みを見る。紙問屋らしい古い造りの家が残っていたり、老舗の豊島屋という「松露羊羹」で知られる店もある。お茶屋には、古い茶壷などもあった。昔ながらの商いの店がこじんまりと並んでいる通りである。
 この通りが藤沢本町通りで、その端にある小田急の藤沢本町近くの喫茶店で、遅い昼食をとり、きょうの東海道の歩き旅の終わりとした。(昨年の俳句日記より)

[戸塚]
 清源院長林寺
水仙のまだ咲かぬ花芭蕉句碑

[大坂・原宿]
冬晴れの長き坂なり上りけり
栴檀の実に藤沢の白き雲
徒歩旅にはやも椿の赤い花
富士山はあちらかここに枯すすき

[遊行寺]
遊行寺坂落葉たまるも切りもなし
遊行寺坂日に透けいたる冬黄葉

[藤沢宿]
 境川
本陣跡と札のみありて十二月
旧き家開かずの窓に冬日照り
山茶花の一樹咲き添う古き壁
ひとすじの門前町の十二月

●添削12月①●


[12月1日~8日]

●迫田和代
初雪や原爆ドームの空に舞う★★★★
初雪はどこに降っても感動のあるものだが、とりわけ原爆ドームの空に舞うときは、さまざまなことが脳裏に浮かぶ。焼けたドームに透ける空に詩情がある。(高橋正子)

楽しみね何時もの道に冬日射し★★★
来春の艶を残して桜散る★★
杵突きの音も懐かし年の暮れ★★★
道端に咲ける野菊をただそれだけを★★★
一本の続く雪道に赤い傘★★★

●小口泰與
あけぼのの雨を弾きし青木の実★★★★
青木の実はやや楕円形で、つやつやと真っ赤に熟れる。あけぼのの冷たい雨を弾けば、艶も赤さも増して一層輝く。(高橋正子)

夕映えをたまわる雪の浅間かな★★★
大根引く赤城の裾野吹きさらし★★★
背を押され枯葉と駆けし風下へ★★★
群雀群れて降りたる冬田かな★★★ 
寒菊の此処のみ日矢の射しにけり★★★

●佃 康水
焚火して段取り話す浜漁師★★★★ 
冬の漁師浜は、寒さこの上なく、流木などを集めて焚火をする。漁の段取りの話も焚火を囲めば、いろいろ出てくることだろう。(高橋正子)

伐採の竹林冬の日矢とどく★★★
落葉掻く庭へ零るる群れ雀★★★
万両や奥まる庭へ真っ赤かな★★★
陽を湛え紅さす梅の冬芽かな★★★ 
風尖る家路へマフラー深く巻く★★

★印は、高橋信之先生が付け、コメントは、高橋正子先生が付けます。

●添削10月●

■□添削10月
※★印は、高橋信之先生が付け、コメントは、高橋正子先生が付けました。

●藤田裕子
トンネルを抜けて眩しき稲穂田へ★★★★(正子添削)
「稲穂波」は使い古されて、言葉としてフレッシュさに欠けますので、添削しました。トンネルと稲穂田の明暗の切り替わりが鮮やかで、稲穂田の眩しさが強く目に焼きつきます。(高橋正子)

瀬戸の海釣り舟浮かべ秋の晴れ★★★
銀杏黄葉向こう駅舎の赤レンガ★★★

●藤田洋子
考古館
秋の日の勾玉一つ蒼く透く★★★★
勾玉は、単なる装飾ではなく魔よけなどの意味もあったようだ。秋の日なれば、蒼く透明に透く勾玉に弥生時代の人たちの魂が感じられるようだ。(高橋正子)

澄む秋の土師器一片籾のあと★★★★
組み上げし幟はためき秋祭り★★★★
御神灯戸毎に吊るし秋澄める★★★
新米の湯気を吹き上げ夕支度★★★
登り来て野萩の風のひとしきり★★★
一枝の萩に触れつつ丘登る★★★
青空の山道続き萩の花★★★
雲切れて見上げしところ月一つ★★★
一六夜ほのかに雲の奥を染め★★★
一六夜月の出を告げ夫帰る★★★
考古館
秋思ふと出土の甕に指を添え★★

●迫田和代
白菊や静かな日々をふり返る★★★★
白菊のたたずまいに、静かに過ごした日々が思い起こされる。清々しく、気高く香る日々のことを。高橋正子)

潮を見て向こうの島の冬仕度★★★★
刈り入れも終わりし稲田に道一つ★★★★
遠く来て白いりんどう目の前に★★★★
喘ぎつつ登る峠に野菊咲く★★★
さっと吹く風の冷たさ冬支度★★★
山水を含みてながむ薄紅葉★★★
窓の外朝日挿しこみ菊日和★★★
遠山の赤い輝き秋の暮★★★
瀬戸内に散ばる島々冬仕度★★★
国引きの大山全山紅葉かな★★★
冬咲きの苗を見ながらにっこりと★★
陽を浴びてフラフラフラと秋の蝶★★
花入れの野菊末枯れて次の花★★
秋冷の朝日眩しい細い腕★★

12月14日(金)

★大根の純白手中に面取りす  正子
寒くなって風呂吹き大根やおでんの季節がやってきました。真っ白な大根を手にとって角を削り、いわゆる面取りをしておられるところを詠まれた御句ですが、「純白手中に」の措辞が大変視覚的で臨場感感があり、湯気の立つ美味しい料理の出来栄えまでが読み手に伝わってくるようです。(河野啓一)

○今日の俳句
枯れ芙蓉枯れつくしたるを剪られけり/河野啓一‏
芙蓉の花が終わると、実が付く。その実がからからと枯れ、葉もほとんどが落ち、枯れ切ってしまうと、剪るにためらうことはない。さっぱりとした清潔感がある。(高橋正子)

○櫟黄葉(くぬぎもみじ)

[櫟黄葉/横浜・四季の森公園] 

★冬紅葉長門の国に船着きぬ 誓子
★冬紅葉美しといひ旅めきぬ 立子
★強飯の粘ることかな冬紅葉 波郷
★楢櫟つひに黄葉をいそぎそむ/竹下しづの
★墓四五基櫟黄葉の下にあり/穴井研石
★櫟黄葉舞いて虚空の広さかな 格山
★露天湯や椚黄葉を傘として 光晴
★風と舞い谷をくだるや冬黄葉 陽溜
★鈍色の空にきはだつ冬黄葉 一葉

 クヌギ(櫟)は、ブナ科コナラ属の落葉樹のひとつ。新緑・紅葉がきれい。クヌギの語源は国木(くにき)からという説がある[要出典]。古名はつるばみ。漢字では櫟、椚、橡などと表記する。学名はQuercus acutissima。樹高は15-20mになる。 樹皮は暗い灰褐色で厚いコルク状で縦に割れ目ができる。葉は互生、長楕円形で周囲には鋭い鋸歯がならぶ。葉は薄いが硬く、表面にはつやがある。落葉樹であり葉は秋に紅葉する。紅葉後に完全な枯葉になっても離層が形成されないため枝からなかなか落ちず、2月くらいまで枝についていることがある。花は雌雄別の風媒花で4-5月頃に咲く。雄花は黄色い10cmほどの房状に小さな花をつける。雌花は葉の付根に非常に小さい赤っぽい花をつける。雌花は受粉すると実を付け翌年の秋に成熟する。実は他のブナ科の樹木の実とともにドングリとよばれる。ドングリの中では直径が約2cmと大きく、ほぼ球形で、半分は椀型の殻斗につつまれている。殻斗のまわりにはたくさんの鱗片がつく。この鱗片が細く尖って反り返った棘状になっているのがこの種の特徴でもある。実は渋味が強いため、そのままでは食用にならない。
 クヌギは幹の一部から樹液がしみ出ていることがある。カブトムシやクワガタなどの甲虫類やチョウ、オオスズメバチなどの昆虫が樹液を求めて集まる。樹液は以前はシロスジカミキリが産卵のために傷つけたところから沁み出すことが多いとされ、現在もほとんどの一般向け書籍でそう書かれていることが多いが、近年の研究で主としてボクトウガの幼虫が材に穿孔した孔の出入り口周辺を常に加工し続けることで永続的に樹液を浸出させ、集まるアブやガの様な軟弱な昆虫、ダニなどを捕食していることが明らかになった。いずれにせよ、樹液に集まる昆虫が多い木として有名であり、またそれを狙って甲虫類を捕獲するために人為的に傷つけられることもある。ウラナミアカシジミという蝶の幼虫はクヌギの若葉を食べて成長する。またクヌギは、ヤママユガ、クスサン、オオミズアオのような、ヤママユガ科の幼虫の食樹のひとつである。そのため昆虫採集家はこの木を見ると立ち止まってうろうろする。
 クヌギは成長が早く植林から10年ほどで木材として利用できるようになる。伐採しても切り株から萌芽更新が発生し、再び数年後には樹勢を回復する。持続的な利用が可能な里山の樹木のひとつで、農村に住む人々に利用されてきた。里山は下草刈りや枝打ち、定期的な伐採など人の手が入ることによって維持されていたが、近代化とともに農業や生活様式が変化し放置されることも多くなった。(ブログ「菜花亭日乗」より)

◇生活する花たち「木瓜・いそぎく・千両」(横浜日吉本町)

12月13日(木)

★孟宗の冬竹林に日がまわり  正子
太く逞しい孟宗竹、冬なればこそ、より猛々しい竹林の景観です。日照時間の短い冬の日差しに刻々と変化する竹林のありさまが、「孟宗の冬」をことさら強く感じさせてくれます。(藤田洋子)

○今日の俳句
音立てて山の日差しの落葉踏む/藤田洋子
「山の日差しの落葉」がいい。山の落葉にあかるく日があたり、そこを歩くとほっこりとした落葉の音がする。(高橋正子)

○夏椿(沙羅/しゃら)の冬芽

[夏椿の冬芽(2012年12月12日)/横浜日吉本町]_[夏椿の花(2011年6月20日)/横浜日吉本町]

★爪ほどの冬芽なれども天を指す/能村登四郎
★六百の冬芽に力漲りぬ/稲畑汀子
★雲移り桜の冬芽しかとあり/宮津昭彦
★大いなる冬芽何ぞやああ辛夷/林翔
★全山の冬芽のちから落暉前/能村研三

★沙羅の花捨身の落花惜しみなし/石田波郷
★夏椿葉かげ葉かげの白い花/高橋正子
★青天に冬芽の尖り痛きほど/高橋正子

冬芽(ふゆめ、とうが)は、晩夏から秋に形成され、休眠・越冬して、春に伸びて葉や花になる芽。寒さを防ぐため鱗片(りんぺん)でおおわれている。(デジタル大辞泉の解説)

すっかり葉を落とした冬の木々。あゝ、こんなに美しい枝ぶりだったのか…と改めて見つめてしまうことがあります。 ちょっと立ち止まって枝についている冬芽を見つけてみましょう。冬芽の形も木によって個性がありますね。更に葉痕が面白いのです。虫めがねでもないと肉眼ではなかなか分かりませんが、デジカメで撮影してパソコンに取り込んでみましょう。こんな所に妖精が住んでいたとは! 全く驚きです。花の少ない冬の時期、散策の楽しみが一つ増えました。(「鎌倉発“旬の花”」より)

これが夏椿だと最初に意識して見たのは、愛媛県の砥部動物園へ通じる道に植樹されたものであった。砥部動物園は初代園長の奇抜なアイデアが盛り込まれて、動物たちにも楽しむ我々にものびのびとした動物園であった。小高い山を切り開いて県立総合運動公園に隣接して造られているので、自然の地形や樹木が残されたところが多く、一日をゆっくり楽しめた。自宅からは15分ぐらい歩いての距離だったので、子どもたちも小さいときからよく連れて行った。その道すがら、汗ばんだ顔で見上げると、夏椿が咲いて、その出会いが大変嬉しかった。このとき、連れて行った句美子が「すいとうがおもいなあせをかいちゃった」というので、私の俳句ノートに書き留めた記憶がある。緑濃い葉に、白い小ぶりの花は、つつましく、奥深い花に思えた。
今住んでいる日吉本町では、姫しゃらや夏椿を庭に植えている家が多い。都会風な家にも緑の葉と小ぶりの白い花が良く似合っている。

◇生活する花たち「十両(やぶこうじ)・万両・白文字(しろもじ)」(東京白金台・国立自然教育園)

12月12日(水)

★木蓮の冬芽みどりにみな空へ  正子
木蓮の芽は春に向けて小さな鳥のくちばしのような青い芽をみな空へむけて育んでいますね。春が待ちどおしいです。。(小口泰與)

○今日の俳句
山風の陽を奪いけり冬の蝶/小口泰與
山から吹いて来る風は陽に輝いているのだが、その陽を奪って、何よりも輝いていきいきしているのは冬の蝶。蝶の翅の力強さがよい。(高橋正子)

○桜紅葉

[桜紅葉/横浜日吉本町] 

★濃紅葉に涙せきくる如何にせん/高浜虚子
★柿紅葉マリア燈籠苔寂びぬ/水原秋櫻子
★障子しめて四方の紅葉を感じをり/星野立子
★黄葉はげし乏しき銭を費ひをり/石田波郷
★芸亭の桜紅葉のはじまりぬ/岩淵喜代子
★桜紅葉これが最後のパスポート/山口紹子
★水飲めば桜紅葉の母国あり/久保田慶子
★ことごとく桜紅葉の散りぬれど/桐一葉
★よい物の果てもさくらの紅葉かな/塵 生

 紅葉というと、イロハモミジが人気を集めていて、紅葉で有名な観光地の多くはこの樹種の紅葉だ。これはこれで見事な紅葉で、そのすばらしさを賞賛するのに全く異存はない。しかし、桜の紅葉も、もう少し話題になっても良いように思う。桜の紅葉には、話題になるだけの美しさがあると思っている。ただし、この話はソメイヨシノのことだ。

 どうも桜の紅葉は、今ひとつ人気がない。それは、あまりきれいな紅葉ではないと思われているからだろう。イロハモミジの紅葉と比べると、地味な感じがすると思われているようだ。ただ、そのような評価の原因の一つは、桜の紅葉を見る時に、太陽の光を透かして見ることが多いからではないだろうか。桜の紅葉は、逆光で見ると色が褪せて、地味に見える。イロハモミジなどは、逆光だとこの世のものとは思えないような赤い輝きを見せることがある。ところが、桜だと薄い、褪せた褐色に見えて、どうにも冴えない。桜の葉は、やや厚手の葉だ。だから表と裏では紅葉の色が違う。表は鮮やかな赤や黄に紅葉していても、裏はどの葉も皆薄い地味な黄色をしている。そのため、陽光に透かすと、表と裏の色が混じって、色が冴えなくなる。この辺りに、人気のない原因があるような気がする。

 これは、桜の紅葉の鑑賞の仕方が間違っているのだ。桜の場合は散って地面に散り敷いている葉を見るのがよい。それも散ったばかりの、せいぜいが一日ぐらいの、まだ水分が残っていてしんなりしているものがよい。少し乾くとすぐに地味な褐色に変色してしまうからだ。苔の上など暗い地面の上だと、表と裏の色が混じることなく、表の鮮やかな赤や黄色がはっきり見える。条件が整った場所に落ちている桜の紅葉を見ると、木についている時に比べて、比較にならないほど赤みや黄みが増して、実にしっとり美しく見える。桜は、散ってから一段と紅葉が進むかと思うぐらいに鮮やかだ。拾って手に触れるとひんやり感じて心地よい。

 もう一つ、イロハモミジの紅葉は、集団の葉の見事さを愛でるわけだが、桜は違う。桜は、紅葉の時期になると、葉がぽつぽつと紅葉して、紅葉が極まったものからはらはらと落葉していく。一斉に紅葉するわけではない。なので、何となく1本の木の色がそろわない。また、全体の印象がすけすけした感じになる。この点も、桜の紅葉が人気がない理由の一つだろう。桜の葉の紅葉は、一枚が大きいために、一枚だけでも迫力があり、味わいがある。赤やら褐色やら黄色やら、さざまざまな色の葉がある。同じ一枚の葉の中に、それらの色が塗り分けられているものも少なくない。ただ、木の枝についている時は、葉がまばらなために集団としての美しさは感じられない。その代わり、一枚の葉の紅葉に存在感がある。つまり、桜の葉の紅葉は、一つ一つの葉の紅葉を楽しむものであり、集団としてのまとまりを楽しむものではない。一つ一つの葉を手にとって、その鮮やかさ、しっとりとした美しさ、そして個々の美しさの違いを楽しむものだ。時には、虫食いの跡までもが、造形のポイントとして楽しめる。つまるところ、地面に落ちている鮮やかに紅葉した葉を拾って、手にとって虫食いの穴までも鑑賞するのが、桜の紅葉を愛でる作法だろう。

 一度桜の紅葉を手に取って見てもらいたい。桜の木の根本に、散ったばかりの桜の葉が散り敷いていたら、眺めて欲しい。できれば小春日和の正午がよい。きっとその美しさに驚くだろう。イロハモミジの紅葉とは違った、上品でしっとりした美しさが味わえるはずだ。結局、桜は、花も紅葉も第一級の樹木なのだ。(ウェブ「自然のフォトエッセイ」より)

◇生活する花たち「柊・茶の花・錦木紅葉」(横浜日吉本町)

12月11日(火)

★散ればすぐ桜冬芽の鋭がりたり  正子
桜の葉が紅葉しやがて散ってゆきます。よく見ると来年開くための芽が少し出てきています。自然の摂理のすばらしさに感動します。また、この句により作者の観察眼に敬服しました。(井上治代)

○今日の俳句
冬鵙に雲一片もなかりけり/井上治代
一片の雲もなく晴れ渡った空に、けたたましいはずの冬鵙の声が、のびやかに聞こえる。(高橋正子)

○錦木の実

[錦木の実/横浜・四季の森公園]         [錦木の紅葉/横浜日吉本町]

★啄木鳥の来て錦木を倒しけり/正岡子規
★錦木や鳥語いよいよ滑らかに/福永耕二
★袖ふれて錦木紅葉こぼれけり/富安風生
★錦木のほむら磐梯虹消ゆる/角川源義
★われ稀に来て錦木を立去らず/後藤夜半
★錦木の実も葉も赤くなりにけり/芝滋

★錦木の葉と実の少し違う赤/高橋正子

 小鳥に食べられることなく、もうしなびかかった赤い実が、有るなとは思ったが余り気にとめることも無かった。ところが夕日の光が差し込むと、しなびた実が一転光り輝きだした。あわててシャッターを切ったがみるみる陽は落ちて後にはまたしなびた実が残った。光の魔術というものを改めて実感した。
 今年は妙に小鳥たちの姿を見かけないと、鳥好きのある方がブログに書いてみえたが、せっかく実を付けた草木たちも、種の運び屋がいなくては困るだろうね。(小鳥の姿が少ないというのもちょっと気がかりな話だ)
 ニシキギの枝に付いた「翼」はいったい何のためなのか?見た目カミソリのようで(そういえば子どもの頃これをカミソリの木と呼んでいた)、小鳥たちがとまるのを拒んでいるような?実を食べられたくないのか、食べて欲しいのか、いったいどっちなんだろう?(ブログ「野の四季」より)

 ニシキギ(錦木、学名:Euonymus alatus)とはニシキギ科ニシキギ属の落葉低木。庭木や生垣、盆栽にされることが多い。日本、中国に自生する。紅葉が見事で、モミジ・スズランノキと共に世界三大紅葉樹に数えられる。若い枝では表皮を突き破ってコルク質の2~4枚の翼(ヨク)が伸長するので識別しやすい。なお、翼が出ないもの品種もあり、コマユミ(E. alatus f. ciliatodentatus、シノニムE. alatus f. striatus他)と呼ばれる。葉は対生で細かい鋸歯があり、マユミやツリバナよりも小さい。枝葉は密に茂る。 初夏に、緑色で小さな四弁の花が多数つく。あまり目立たない。 果実は楕円形で、熟すと果皮が割れて、中から赤い仮種皮に覆われた小さい種子が露出する。これを果実食の鳥が摂食し、仮種皮を消化吸収したあと、種子を糞として排泄し、種子散布が行われる。

◇生活する花たち「山茶花・柊・桜黄葉」(横浜日吉本町)

12月10日(月)

★山茶花の高垣なればよく匂う  正子
住宅街でしょうか、あるいは里の道でしょうか。道路より少し高くなった庭に山茶花の垣が作られ、ちょうど通行人の目の高さに花が咲き香りが届いてきます。高さを歌われていることで、花の姿、香りが更にきらびやかに見えてきます。(小西 宏)

○今日の俳句
機首上げてプロペラ高し冬木立//小西 宏
句意がはっきりして、軽快な句。機首を上げているプロペラ機に対して、冬木立と空が明るい。

○蔦紅葉(つたもみじ)

[蔦紅葉/横浜日吉本町]           [夏の蔦/ネットより]

★蔦の葉はむかしめきたる紅葉かな/松尾芭蕉
★岩山や空に這ひつく蔦紅葉/正岡子規
★白滝や黒き岩間の蔦紅葉/夏目漱石
★蔦紅葉高樋あふれて雨の如/瀧春一
★直立ちの木を飾りけり蔦紅葉/阿部ひろし
★真つ先に朝日捉へし蔦紅葉/木暮陶句郎
★白壁の余白残して蔦紅葉/加藤一雄

 路地裏のフェンスや壁に絡みつく色鮮やかな蔦(ツタ)に、ハッとした経験はありませんか。思わぬ場所で出合う紅葉は感動もひとしおで、木々の紅葉とはひと味違う美しさがあります。ツタという名は、「伝う」からきています。 でも、多くの蔦は緑色のまま。同じ蔦なのに、どうして紅葉するものとしないものがあるのでしょう?実は、種類が違うのです。蔦におおわれた家も素敵。冬でも葉が落ちず緑色なのがウコギ科の「キヅタ」で、「冬蔦」とも呼ばれています。基本的には常緑で落葉しません。育つ環境によっては赤みを帯びてくることもありますが、モミジのような鮮やかさではなく、なんとなく色づく程度で、夏になれば色が戻ります。ヨーロッパでは、常緑の冬蔦を家の壁にはわせると雷や魔よけになると言われていました。また、冬蔦は裕福な家の象徴で、これが急に枯れ落ちたりすると災難が起こるという迷信もあります。そのため、ヨーロッパには大きな石造りに蔦をはわせた家が多いのです。
 秋になると美しく紅葉し、冬には葉が落ちてしまうのはブドウ科の「ツタ」で、「夏蔦」とも呼ばれています。都会で見つけた“まっかな秋”。よく見ると、ブドウに似た実がついています。この夏蔦をよく見てみると、ブドウ科だけあってブドウのような実をつけています。また、落葉時には葉を支えている柄(え)の部分を残して先に葉の部分だけが落ち、そのあと残った柄が落ちるのも特徴です。夏蔦は、その艶やかな紅葉ぶりが好まれて歌に詠まれることも多く、「紅葉蔦(もみじづた)」「蔦紅葉 (つたもみじ)」「錦蔦(にしきづた)」などの別名があります。童謡『まっかな秋』の「まっかだな まっかだな つたの葉っぱがまっかだな♪」 というフレーズも、夏蔦のことをさしています。(『まっかな秋』 作詞:薩摩忠/作曲:小林秀雄)常緑のほうが冬蔦で、紅葉する「紅葉蔦」は夏蔦……少々ややこしいネーミングですが、覚えておくと秋の楽しみが増えそうです。(ブログ「暮らしの歳時記」より)

◇生活する花たち「柊・茶の花・錦木紅葉」(横浜日吉本町)

12月9日(日)

★跳躍の真紅の花のシクラメン  正子
シクラメンの蕾の時はややうつむき加減ですが、花が咲けば茎がぐんと伸び、緑の葉を下に置いて将に跳躍をしたかの様な花上がりを見せて、力強さを感じさせます。真紅のシクラメンが色彩的にも活き活きと咲いています。 (佃 康水)

○今日の俳句
満潮へ鴨の二陣の広く浮く/佃 康水
満ちて来る潮に向かって、二陣の鴨の群れが広がり浮かんでいる。豊かな潮と浮き広がる鴨の群れが色彩的にもよい風景である。(高橋正子)

○第19回(忘年)フェイスブック句会入賞発表
【金賞】
★背丈ほどの鍬振り上げて冬耕す/井上治代
鍬を使うは、大変な力仕事である。自分の背丈と同じほどの鍬を振上げ、よろめかぬように、力一杯振り下ろす。冬耕の土に向けた力が快い。(高橋正子)
▼その他の入賞作品:
http://blog.goo.ne.jp/kakan02d

▼ご挨拶/高橋正子(主宰)
今年もはや12月、今回は忘年句会でした。オフ句会なら、お酒やお料理を楽しみながらの句会となるところですが、そちらは、皆様それぞれにお楽しみいただくことにいたします。年の終わりを締めくくるにふさわしい句をお寄せいただき、ありがとうございました。今回は21名の方が参加されました。入賞の皆様おめでとうございます。ご投句、選句、コメントをいつものように、ありがとうございました。毎年同じように12月を迎えているわけですが、俳句が同じということは、少しもありません。月日が尽きることなくあるように、俳句も尽きることなくあるような気がしています。今回は、特にそんなことを強く感じました。句会の管理運営は信之先生に、互選の集計は洋子さんにお願いしました。いつもありがとうございます。天気予報では、来週から天気は荒れ模様で、積雪もありそうです。皆様、風邪をひかれませんよう、気を付けてよい年末をお過ごしください。次回は、第20回新年句会となります。

○さんしゅゆの実

[さんしゅゆの実(12月6日)/横浜・四季の森公園]_[さんしゅゆの花(3月22日)/横浜・四季の森公園]

★山茱萸にけぶるや雨も黄となんぬ/水原秋桜子
★山茱萸の黄や街古く人親し/大野林火
★さんしゅゆの花のこまかさ相ふれず/長谷川素逝
★赤といふ禁断の色山茱萸の実/桐一葉
★枝揺らし山茱萸の実の手から手に/芝滋

★山茱萸の小さき実数多青空へ/高橋信之

サンシュユ(山茱萸)は、朝鮮半島原産の小高木で、日本には江戸時代中期に薬用植物として渡来しました。早春に新葉に先立ち樹木一面に鮮かで黄色い小花を咲かせる姿も美しいですが、晩秋に鮮かに紅色に熟する実もまた愛らしくて美しいものです。楕円形をしたサクランボウのような感じがします。実は甘くておいしそうに見えますが、実は渋くて生食には向かないそうです。残念。サンシュユの果実は、滋養・強壮、止血、解熱作用の薬効があるといわれ漢方薬にもなっているそうですよ。サンシュユの春の情景を「春黄金花(ハルコガネバナ)」と呼び、秋の情景を「秋珊瑚(アキサンゴ)」と呼びますが、その別名がよく似合います。心も身体も癒してくれる、私たちにとって大事な植物なんですね。感謝(大阪市立長居植物園ブログより)

◇生活する花たち「茶の花・柊・満天星紅葉」(横浜日吉本町)

12月8日(土)

 琵琶湖
★栴檀の実の散らばりに湖晴るる  正子
栴檀の実も散らばる冬も本番を迎えたころになれば、空気も澄んで晴れた日の湖もきれいなことでしょう。(高橋秀之)

○今日の俳句
冬紅葉向こうに大きな空がある/高橋秀之
冬紅葉の向こうに見えるものが「大きな空」である。「大きな」がこの句の内容の良さで、読み手にもその空を実感させてくれる。(高橋正子)

○冬紅葉

[楓紅葉/横浜・四季の森公園]       [いろは紅葉/横浜・四季の森公園] 

★冬もみぢ端山の草木禽啼かず 蛇笏
★沈む日を子に拝むませぬ冬紅葉 かな女
★冬紅葉濃しや峡田の行きどまり 秋櫻子
★一すじの道冬紅葉濃かりけり 貞
★冬紅葉堂塔谷に沈み居り 茅舎
★冬紅葉長門の国に船着きぬ 誓子
★冬紅葉美しといひ旅めきぬ 立子

★冬紅葉くれない空へ清潔に/高橋信之
★森静かに冬の紅葉を散らしている/高橋信之
★雨あとのいろはもみじの谷深し/高橋正子

十二月六日、横浜市緑区にある四季の森公園に出かけた。四季の森公園には紅葉谷と呼ばれるところがある。紅葉が素晴らしく美しいのは、秋ではなく、実際は、夜と昼の寒暖の差が激しくなる冬。この日は、雨の後の久しぶりの快晴のよい天気になった。立冬からちょうど一か月になる。紅葉谷へは、中山駅から横浜動物園行きのバスに乗り、長坂というバス停で降り、十分ほど歩いて着く公園の南口から入るコースをとった。いつもは北口から入るのだが、南口からのコースは、紅葉谷を上から下へと下る。北口からなら、下から上へ辿るコースとなる。南口に着くと、楓や欅の紅葉を風がぱらぱらと降らせている。正面の噴水は、水を霧のように丸く吹上げている。

南口から辿り始めるとすぐに、イロハモミジの紅葉に出会う。どれも大木で、上から覆いかぶさるように枝を広げている。枝の下に入りると、空が透けている辺りが最も美しい。黒い枝も捨てがたい。暗い部分も、明るい部分も、紅葉の葉がはっきりとその形に見える。イロハモミジは葉の切れが七で、「いろはにほへと」と数えられるから付いた名という。「いろはにほへと」ならば、次に「ちりぬるを」がくるが、散った紅葉を踏みながら、なるほどと「いろはの歌」を思った。イロハモミジの葉が散らばり、また重なる姿を見ると子どものころから親しんだ、千代紙とか風呂敷の柄がすぐに思い浮かんだ。ひと固まりの紅葉の林を過ぎると、白樫などの多い林となる。林は少し急な下りになり、どこから飛んできたのか朴の大きな落葉がところどころに散らばっている。どこかにあるらしいが、木は見当たらない。椿が固まってあるが日当たりがなく蕾はついていない。その谷を下ってゆくと明るい紅葉の重なりが見えるが、ここが紅葉谷と呼ばれるところ。イロハモミジの紅葉に続き、オオモミジの紅葉が混じってくる。終わり近くにコウチワカエデがある。もう、一週間も立つとこの紅葉は散りつくしてしまうのではと思われた。風がしきりに紅葉を誘って、流れるように紅葉が散っている。路は夜の雨のあととあって、踏めば落葉から水がにじむ。紅葉の木は十メートルを超えているのもある。見上げてばかり写真を撮るので、首が痛くなる。私はカメラが本職ではないのだが、俳句の写真をと思うと、これという写真を撮りたい。数多くと思うが、何事も、集中力と体力の問題と思えて、最後には写真を撮るのがいやになったくらいだ。

下に目をやる。いろんな紅葉が散り重なっている。一つ一つ紅葉を見るが、完璧に美しい葉はない。どこか痛んだりしている。しかし、重なれば、美しいの。雨水の溜まった大きな葉がつくばいのようになって、紅葉を載せている。木橋に一列に紅葉が載っている。こんどは、私の肩辺りを見ると、くぬぎの黄葉がいい色になっている。葉の形も黄いろから茶色を持つ葉の色は森の色。紅葉谷と言えども、ほかの木の黄葉混じるのがいい。谷紅葉は、夜はしんと独りになるのだろう。思えば、少し怖いが、朝が来ればまた、その色を取り戻すだろう。紅葉谷の終わりは、天狗の団扇に似た、コウチワカエデ。黄みどりがかったこの楽しい形を最後に、今日の紅葉狩りを終わりとした。

◇生活する花たち「柊・茶の花・錦木紅葉」(横浜日吉本町)