★野に出でて日傘の内を風が吹き
影のない「野に出でて」日傘をかざします。夏野を吹く風は、むせかえるような青い匂い。けれど「日傘の内」では陽射しが遮られ、風もさわやかです。傘の下だからこそ知る、野原の静けさと涼しさ。野に在る女性の美しいシルエットが浮かびます。 (川名ますみ)
○今日の俳句
うす紅も編まれし母の夏帽子/川名ますみ
母にまだある若さと可愛さをほほえましく、ある意味母親的まなざしで思う娘である。明るいうす紅が涼しさを呼んでくれる。(高橋正子)
○稲の花咲く

[稲の花咲く/横浜市緑区北八朔町(2013年7月31日)]
★いくばくの人の油よ稲の花 一茶
★南無大師石手の寺よ稲の花 子規
★稲の花今出の海の光りけり 子規
★湯槽から四方を見るや稲の花 漱石
★雨に出しが行手の晴れて稲の花 碧梧桐
★軽き荷を酔うてかつぐや稲の花 虚子
★酒折の宮はかしこや稲の花 虚子
★八十路楽し稲の花ひろびろと見る/高橋信之
★稲の花見つつ電車の駅までを/高橋正子
★稲の花雲なく晴れし朝のこと/高橋正子
イネ(稲、稻、禾)は、イネ科 イネ属の植物である。稲禾(とうか)や禾稲(かとう)ともいう。 収穫物は米と呼ばれ、世界三大穀物の1つとなっている。本来は多年生植物であるが、食用作物化の過程で、一年生植物となったものがある。また、多年型でも2年目以降は収穫量が激減するので、年を越えての栽培は行わないのが普通である。よって栽培上は一年生植物として扱う。属名 Oryza は古代ギリシア語由来のラテン語で「米」または「イネ」の意。種小名 sativa は「栽培されている」といった意味。用水量が少ない土壌で栽培可能なイネを陸稲(りくとう、おかぼ)と呼ぶ。日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、海外において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化、信仰などと共に伝播したものと考えられている。稲を異常なまでに神聖視してきたという歴史的な自覚から、しばしば稲作の伝播経路に日本民族の出自が重ねられ、重要な関心事となってきた。一般に日本列島への伝播は、概ね3つの経路によると考えられている。南方の照葉樹林文化圏から黒潮にのってやってきた「海上の道」、朝鮮半島経由の道、長江流域から直接の道である。3つの経路はそれぞれ日本文化形成に重層的に寄与していると考えられている。現在日本で栽培されるイネは、ほぼ全てが温帯ジャポニカに属する品種であるが、過去には熱帯ジャポニカ(ジャバニカ)も伝播し栽培されていた形跡がある。
多くの節をもつ管状の稈を多数分岐させ、節ごとに1枚の細長い肉薄の葉をもつ。稈は、生殖成長期になると徒長して穂を1つつける。他殖性の風媒花であるが、栽培稲では98%程度が自家受粉する。開花時間は午前中から昼ごろまでの2-3時間と短い。花は、頴花(えいか)と呼ばれ、開花前後の外観は緑色をした籾(もみ)そのものである。籾の先端には、しなやかな芒(ぼう)が発達する。芒は元々は種子を拡散するための器官であるが、栽培上不要なため近代品種では退化している。農業上、種子として使われる籾は、生物学上の果実である玄米を穎(=籾殻:もみがら)が包んでいるもの。白米は、玄米から糠(ぬか)層、胚など取り除いた、胚乳の一部である。生態型によるジャポニカ種 (日本型、島嶼型)とインディカ種 (インド型、大陸型)という分類が広く知られている。
稲の食用部分の主 成分であるでんぷんは、分子構造の違いからアミロースとアミロペクチンに別けられる。お米の食感は、両者の含有配分によって大きく異なる。すなわちアミロース含量が少ないお米は加熱時にやわらかくモチモチした食感になり、アミロース含量が多いとパサパサした食感になる。日本人の食文化では、低アミロースのお米を「美味しい」と感じる。この好みは、世界的には少数派となっている。通常の米は20%程度のアミロースを含んでいるが、遺伝的欠損によりアミロース含量が0%の品種もあり、これがモチ性品種で、モチ性品種が栽培されている地域は東南アジア山岳部の照葉樹林帯に限定されている。その特異性から、その地域を「モチ食文化圏」と呼称されることがある。日本列島自体が西半分を「モチ食文化圏」と同じ照葉樹林に覆われており、またハレの日にもち米を食べる習慣がある(オコワ、赤飯、お餅)ことから、日本文化のルーツの一つとして注目された。
◇生活する花たち「蓮の花・のうぜんかずら・ブラックベリー」(横浜市港北区箕輪町)

●小口泰與
赤城より矢庭にきたる夕立かな★★★
空蝉やはたとひざ打つ同窓会★★★
唐突に轟音生みしはたた神★★★
●小西 宏
老農の畑にトマトの群真っ赤★★★★
日焼けて深く刻まれた皺の農夫。それに真っ赤に熟れたトマト、トマト。この取り合わせが画になり、意味になっている。(高橋正子)
夏高くオオヤマトンボ巡航す★★★
病葉となりて桜の香の仄か★★★
●黒谷光子
木曽連山掲ぐ入道雲大き★★★★
青々と聳える木曽の山々。その山々が、また堂々と入道雲を掲げている。この連山にして、この入道雲。真夏の雄々しい姿がさわやかだ。(高橋正子)
山頂へ続く雪渓幾筋も★★★
立ち止まりまた立ち止まりお花畑★★★
●多田有花
山の水たっぷり汲んで墓洗う★★★★
墓地は山のふもとにある。冷たい山の水を汲んで、きれいさっぱりと墓を洗う。故人もさっぱりと涼しい思いになられたことであろう。(高橋正子)
暑き日につくつくぼうし鳴き初める★★★
朝の風窓より入りぬ秋近し★★★
●古田敬二
パナマ帽あれば炎暑へ出る勇気★★★
鍬の柄の真昼の極暑の熱のあり★★★
茄子を焼くちらりと母を思い出し★★★
●桑本栄太郎
夏草の午後ともなれば萎れけり★★★
枝先の微風逃さずさるすべり★★★
干上がりて小石の流れ旱川★★★
●高橋秀之
水平線から昇る夏の陽は眩し★★★★
夏は朝日にして、はや力強く眩しい。水平線から昇る朝日は、海を輝かせて特に眩しい。(高橋正子)
昇る日が夏の青海の揺れ照らす★★★
眼前にあるのは夏の空と海★★★
★夏蒲団糊の匂いて身に添えり 正子
大変暑くて汗をかき易い夏の衣料は、綿100%の糊がさらりと効いたものが良い。糊の匂いのする爽やかな夏の寝具は、如何にも心地よい眠りを約束してくれる。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
白粉の花の黄色や朝の辻/桑本栄太郎
白粉花は、夕方から咲く花であるが、朝まだ早いうちは咲きの残っている。朝の辻に黄色い白粉花を見つけた。赤や白い花ではなく、黄色なので、月の色の名残のようでもある。「朝の辻」が涼しい。(高橋正子)
○ささげの花

[ささげ花/横浜市緑区北八朔町]
★アフリカの太古の色やささげ咲く/照れまん
★紫にささげの花や土用東風/憧里夢
★高架駅下りればすぐに花ささげ/高橋正子
★大畑を区切って三筋の花ささげ/高橋正子
ささげは、小豆の大ぶりなもので、小豆より品位が低いものと子供時代は思っていた。小豆も結構よい値であるが、ささげのほうがもっと値が高い。上等な赤飯にはささげが使われている、と大人の私はこのようにささげを見ている。ささげの餡というのがあるかどうか知らないが、餡にもするようだ。畑の一画にそんなにたくさんではないが、ささげが植えられていた。さやが幾分長い。祖母がささげ、ささげとよく言っていた。秋になると鞘が熟れて、それを筵に広げ乾燥させ、木槌でたたいて豆を出した。
ササゲ(豇豆、大角豆、学名 Vigna unguiculata)はマメ科の一年草。つる性の種類とつるなしの種類とがある。アフリカ原産。主に旧世界の温暖な地方で栽培される。南米では繁栄と幸運を呼ぶ食物と考えられ、正月に食べる風習がある。樹木の形状は低木であり、直立ないし匍匐する。枝を張ったり、からみついたりと、成育の特性は多彩。語源は、莢が上を向いてつき物をささげる手つきに似ているからという説[1]、莢を牙に見立てて「細々牙」と言ったという説、豆の端が少々角張っていることからついたという説など諸説ある。藤色、紫、ピンクなど様々な色の花をつける。花の形は蝶形花である。穀物用種は、さやが10-30cmで固く、豆は1cm程度の腎臓形で、白・黒・赤褐色・紫色など様々な色の斑紋をもつ。白い豆には一部に色素が集中して黒い目のような姿になるため、ブラック・アイ・ピー(黒いあざのある目を持つ豆)と呼ばれる。つる性種は草丈が2mから4mになるのにたいし、つるなし種の草丈は30cmから40cm。ナガササゲと呼ばれる品種は100cmに達する。耐寒性は低いが、反面暑さには非常に強い。日本では、平安時代に「大角豆」として記録が残されている。江戸時代の『農業全書』には「豇豆」という名前で多くの品種や栽培法の記述がある。また、アズキは煮ると皮が破れやすい(腹が切れる=切腹に通じる)のに対し、ササゲは煮ても皮が破れないことから、江戸(東京)の武士の間では赤飯にアズキの代わりに使われるようになった。
◇生活する花たち「あさざ・露草・うばゆり」(東京白金台・自然教育園)

8月3日(土)
●迫田和代
音たててしばらく暴れる大夕立★★
しゃべろうか秋も近づく車椅子★★★
サングラス掛けて仰ぐや空の色★★★
●黒谷光子
滔々と揖斐川土手の緑濃き★★★
ケーブルの眼下は緑滴れる★★★
渓流の音聞こえ来る夏木立★★★
●小口泰與
木道の先のさきなる月見草★★★
昼顔や忘れられたる里の駅★★★
干草や朝の鴉の集会所★★★
●佃 康水
子ら弾みうどん手伸べるキャンプかな★★★★
「子ら弾み」がよい。うどん作りに挑戦するキャンプの子供たちがいきいきとして、涼しさも伝わってくる。(高橋正子)
うどん切る手つき危うしキャンプの子★★★
通り雨弾く鹿の子や胴震い★★★
●祝恵子
むらさきの薄さを見せて式部の花★★★★
新しき命を溜めて泳ぐメダカ★★★
手に抜きしばかりを下げて夏大根★★★
●桑本栄太郎
<夏の日の遠い想い出>
もぐり込む蚊帳のみどりに夜風かな★★★★
蚊帳は水色やうすみどりに染色されて、蚊帳の中は別世界の感じがする。ふわりとしたその蚊帳にもぐり込むと夜風が心地よく柔らかいのである。蚊帳を吊って寝た時代のこと。(高橋正子)
宿題の杜の木陰や夏休み★★★
堰き止める川の水浴び子等の夏★★★
8月2日(金)
●小口泰與
ただよいし梔子の香の朝かな★★★
湖へ日光黄管大うねり★★★
夕暮れの波打つ風の青田かな★★★
●桑本栄太郎
もの影の更に色濃く八月に★★★★
八月になると草木の繁茂も終わりとなるが、まだまだ灼熱の太陽が照りつける。もの影がさらに色濃くなり、それが夏の終わりの寂しをさそいながら、時は八月になるのだ。(高橋正子)
起き出して窓を閉めいる夜涼かな★★★
雄叫びの一樹大樹や蝉しぐれ★★★
●多田有花
かしましき熊蝉の朝始まりぬ★★★
朝驟雨去れば再び蝉しぐれ★★★
胡麻ふって冷素麺をすすりこむ★★★
●小西 宏
船遠し夏の日沈む珊瑚礁★★★
夏蝶の重き身休む水溜り★★★
鬼百合の炎天に置く影の濃し★★★
★這いはじめし子に展げ敷く花茣蓙 正子
薄物のベビー服を着て活発に這いはじめた幼子の嬉しい姿。さらに遠くへとの思いを込めて敷き展げる、新しく涼しげな花茣蓙。夏の生命力とご両親の喜びとが、いっぱいに広がって聞こえてきます。 (小西 宏)
○今日の俳句
金蚊の仰向いて脚生きんとす/小西 宏
金蚊が何かにぶち当たってひっくり返った。起き上がろうとしてか、必死に脚を動かしている。作者はその様子を「生きんとす」と捉えた。金蚊の命を直視しているのがよい。(高橋正子)
○落花生の花

[落花生の花/横浜市緑区北八朔町]
★落花生の花咲き遥かなる空よ/高橋信之
★ピーナッツの花咲かせ空ひろびろと/高橋信之
★落花生の花はバス道をはずれ/高橋正子
生家の前はすぐ畑となって、胡麻を植えていたことを既に書いたが、その胡麻畑の隣に落花生を植え、同じ時期に花を咲かせていたので、夏休みの記憶に残っている。当時、生家では、南京豆といっていたが、南米原産で東アジアを経由して、江戸時代(1706)に日本に渡来したと言われている。落花生は、7・8月の早朝に黄色の花が咲いて、昼にはしぼんでしまう。数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで結実する。地中で実を作ることから落花生(ラッカセイ)の名前が付けられた。
ラッカセイ(落花生、学名:Arachis hypogaea)は、マメ科ラッカセイ属の一年草。別名はナンキンマメ(南京豆)、方言名は地豆(ぢまめ、ジーマーミ)、唐人豆(とうじんまめ)、異人豆(いじんまめ)など。中国語は花生。福建語・台湾語は土豆。英語名のピーナッツ、peanutは日本では食用とする種子を指す場合が多い。ground nutともいう。南米原産で東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたと言われている。日本では主に食用として栽培されている。草丈は25-50cm。夏に黄色の花を咲かせる。受粉後、数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで結実する。地中で実を作ることからラッカセイの名前が付けられた。ラッカセイの原産地が南アメリカ大陸であることは確実である。最も古い出土品は、紀元前850年ころのペルー、リマ近郊の遺跡から見つかっている。その後、メキシコには紀元前3世紀までに伝わっていた。南アメリカ以外の世界にラッカセイの栽培が広がったのは16世紀である。日本で最初に栽培されたのは神奈川県の大磯町である。西アフリカ-ブラジル間の奴隷貿易を維持するためにラッカセイが用いられ、そのまま西アフリカ、南アフリカに栽培地が広がっていく。ほぼ同時期にスペインへ伝わったラッカセイは南ヨーロッパ、北アフリカへと渡っていく。さらにインドネシア、フィリピンへの持ち込みもほぼ同時期である。現在の大栽培地インドへは19世紀と比較的導入が遅かった。日本には東アジア経由で1706年にラッカセイが伝来し、南京豆と呼ばれた。現在の栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された品種である。
千葉市の小仲台に住んだ詩人白鳥省吾が1958年、八街市内の豊かな落花生畑を見て、即興で詠んだ自筆の詩碑が千葉県立八街高校の校庭に建立されている。
落花生讃碑[千葉県立八街高校]
落花生賛
いつ知らず
葉は繁り
花咲きて
人知れず
土に稔りぬ
白鳥省吾
◇生活する花たち「月見草・大賀蓮・のうぜんかずら」(横浜・四季の森公園)

★撒き水の虹を生みつつ樫ぬらす 正子
暑かった夕方、撒き水をしていたら虹を生み出した喜び。周辺の樫にも水気があたり余計に涼しくなったようです。(祝恵子)
○今日の俳句
家裏に立てかけられてゴムプール/祝恵子
カラフルなゴムプールが、ひっそりとした家裏に立てかけられて、目に楽しく映る。家裏が涼しそうである。(高橋正子)
○紫式部の花

[ムラサキシキブ/横浜・四季の森公園] [コムラサキ/東京・新宿御苑園]
★慈雨来る紫式部の花にかな/山内八千代
★紫式部添木に添わぬ花あまた/神部 翠
★光悦垣色あはあはと花式部/高瀬亭子
★紫式部咳くやうに咲き初めし/河野絇子
★夢辿る紫式部の花の香に/石地まゆみ
★花式部見つけたり日の輝きに/高橋信之
紫式部の実は、熟れると美しい紫色となる。しだれるような枝に小さな紫色の実がつき、小鳥が好んで食べる。一度私も食べてみたが、棗に似た味がする。この美しい実がつく前には花が咲くのはとうぜんだが、6月、今ちょうどその紫式部の花が咲いている。実より少し淡い紫色である。その花の通りに実がつく。山野に自生したのを見るが、庭木に植えているものと見かけが多少ちがうように思う。私が見た限りでは、庭木に植えているもは、葉が黄緑がかっているが、自生種は葉が大ぶりで、緑色が濃い。花よりも実が美しい木の一つである。
★登り来てふと見し花は花式部/高橋正子
ムラサキシキブ(紫式部、Callicarpa japonica)はクマツヅラ科の落葉低木で、日本各地の林などに自生し、また果実が紫色で美しいので観賞用に栽培される。高さ3m程度に成長する。小枝はやや水平に伸び、葉を対生する。葉は長楕円形、鋭尖頭(先端が少し突き出すこと)、長さ6-13cm。細かい鋸歯がある。葉は黄緑で洋紙質、薄くて表面につやはない。初めは表側に細かい毛があることもある。花は淡紫色の小花が散房花序をつくり葉腋から対になって出て、6月頃咲く。秋に果実が熟すと紫色になる。果実は直径3mmで球形。栽培品種には白実のものもある。名前の由来は平安時代の女性作家「紫式部」だが、この植物にこの名が付けられたのはもともと「ムラサキシキミ」と呼ばれていたためと思われる。「シキミ」とは重る実=実がたくさんなるという意味。スウェーデンの植物学者のカール・ツンベルクが学名を命名した。北海道から九州、琉球列島まで広く見られ、国外では朝鮮半島と台湾に分布する。低山の森林にごく普通に見られ、特に崩壊地などにはよく育っている。ムラサキシキブ(コムラサキ、シロシキブ)の名所として、京都・嵯峨野の正覚寺が有名である。
コムラサキ(C. dichotoma)も、全体に小型だが果実の数が多くて美しいのでよく栽培される。別名コシキブ。ムラサキシキブとは別種であるが混同されやすく、コムラサキをムラサキシキブといって栽培していることが大半である。全体によく似ているが、コムラサキの方がこじんまりとしている。個々の特徴では、葉はコムラサキは葉の先端半分にだけ鋸歯があるが、ムラサキシキブは葉全体に鋸歯があることで区別できる。また、花序ではムラサキシキブのそれが腋生であるのに対して、コムラサキは腋上生で、葉の付け根から数mm離れた上につく。岩手県で絶滅、その他多数の都道府県でレッドリストの絶滅寸前・絶滅危惧種・危急種・準絶滅危惧の種に指定されている。
◇生活する花たち「蛍袋・時計草・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)

●小口泰與
滝しぶき浴びて茅の輪をくぐりけり★★★
夏越しの祓いにくぐる茅の輪。そこには滝しぶきがとどく。あおあおとした萱に滝しぶきが清冽。子どもも大人も一様に無事に夏が越せるだろう。(高橋正子)
妹もまねて脚立や袋掛★★★
上州の雷を凌ぎし小犬かな★★★
●祝恵子
夏休み学童鉢を持ち帰る★★★
夏芝の花の小道を杖二人★★★
ふうわりと白雲に浮き合歓の花★★★
●小西 宏
波に跳び潮被って貸ボート★★★
ゴーグルの跡だけ白い日焼けの子★★★
夏海の暮れて明るき珊瑚礁★★★
●桑本栄太郎
<朝の四条大橋~祇園界隈>
高瀬川木々の水面の影涼し★★★
朝涼の花見小路や通り雨★★★
川風の空の高みにさるすべり★★★
●下地鉄
残照にしずかに暮れる夏の海★★★
夕凪や蒼海い揺れる茜雲★★★
碧線の夏空斬って直線に★★★
7月31日(水)
●小口泰與
浅間嶺の西日呑み込む火口かな★★★
夕さりの瀞の坩堝へ投網打つ★★★
びしょぬれの子犬や夕立上がりたり★★★
●渋谷洋介
夾竹桃上り急行通過せり★★★★
じりじりと灼熱の陽が照りつける頃に咲く夾竹桃。その花を次々と人を乗せてきた上りの急行列車が通過する。ただそれだけのことなのに、その風景に、上り急行は復員列車かもしれないという思いが重なる。(高橋正子)
何時からか通らぬ路に栗の花★★★
葉隠れに彩を深むや青蜜柑★★★
●迫田和代
青田風色を伴いあちらから★★★
日傘閉じ川風そよぐ木陰へと★★★
向こうから架け橋のごと夏の虹★★★
●藤田裕子
朝蝉の四方つぎつぎ湧き出づる★★★
遠花火おそめの夕餉始まれり★★★
光りつつ天空ゆるがす遠花火 ★★★
●桑本栄太郎
緑蔭の樟の大樹や医大前★★★
追い越して青田突き抜け新幹線★★★
父も子も背中にリュックや夏休み★★★★
●小西 宏
守礼門ガシャガシャと蝉かがやかし★★★
洞窟の青にゆらめく熱帯魚★★★
夏海の果てに雲おき夕暮れる★★★★
7月30日(火)
●小口泰與
薄情な風の散らせる百日紅★★★
あけぼのの石から草へ糸とんぼ★★★
ひまわりや笠懸の的綾藺傘★★★
●桑本栄太郎
うすき黄のオクラの花の朝涼し★★★★
あじさいの蒼色残し朽ちにけり★★★
冷奴ブランドネームは”男まえ★★★
●佃 康水
開け放ち仏具磨けば蝉時雨★★★★
お盆の支度であろう。朝まだ涼しいうち、襖や戸も開け放ち、仏具を磨く。すると蝉時雨が押し寄せる。先祖のこと、敗戦にまつわる記憶など、さまざまな思いがよぎる。(高橋正子)
蹲踞へ置かれ涼やか瑠璃茉莉★★★
旧家解く匂い立ちたる炎暑かな★★★
●小西 宏
夕立の煙の重し竹林★★★
夕立に清らとなりぬ蝉の声★★★
木の下に夕立を聞くとき優し★★★
★冬瓜にさくっという音のみありぬ 正子
冬瓜は形も大きくグロテスクで、切るときに身体を乗せて切りますが「さくっという音のみありぬ」に冬瓜の本質そのままを詠まれて居り、納得!と思わず笑ってしまいました。しかし、事と次第によっては重宝で、保存方法も工夫して我が家では夏から冬にかけて何度か食卓に上る美味しい食材です。リアルで面白く台所に立つ主婦として共感の一句です。(佃 康水)
○今日の俳句
噴水のしぶきや児らを走らせる/佃 康水
噴水のしぶきを避けながらも、喜々として水に濡れたり、水から逃げたりする幼い子たちの無邪気な姿がよく詠めている。(高橋正子)
○風船葛

[風船葛/横浜日吉本町]
★あそび仲間ふやし風船葛かな/宮津昭彦
★風船葛色づき風のなき日かな/宮津昭彦
★風船葛花の微細の夜に溶けず/宮津昭彦
★風筋の風船葛狂ふがごと/松崎鉄之介
★フランスヘ行かう風船かづらの唄/豊田都峰
★風が来て風船かづら少し浮く/島谷征良
★風吹けば吹かれ風船葛かな/大橋敦子
★離れ住む吾子や風船蔓揺れ/伊藤とら
★風船葛逝きしばかりの人の垣/二瓶洋子
★孫去りて風船かずら揺れやまず/長瀬節子
★風船かづら風知るほどに育ちけり/水谷芳子
★生家跡垣に風船かづら揺れ/早水秀久
★風船葛われ青空を一人じめ/竹内悦子
★透明の朝風に揺れ風船かづら/岸本林立
★帰りにも触るる風船葛かな/森清堯
★吹かるるは風船かずらと子の髪と/高橋正子
★風船かずら割れて飛び出すみどりの空気/〃
★風船かずら夜空の星をきらめかす/〃
フウセンカズラ(風船葛、学名:Cardiospermum halicacabum)とはムクロジ科の植物の一種。花を観賞するためよりむしろ、風船状の果実を観て楽しむために栽培される。北米原産。つる性の植物で一年草。葉は三出複葉、小葉は草質で柔らかく、あらい鋸歯がある。7月~9月頃に白い5mmくらいの花を咲かせる。花は葉腋からでる長い柄の先に数個付き、巻きヒゲを共につける。果実は風船状に大きく膨らみ、緑色。後に茶色く枯れる。種子は球形で大粒、なめらかな黒でハート形の白い部分がある。ちょうど栃の実を小さくした姿に見える。よく茂ったときは非常に涼しげで、家庭の壁面緑化にも使われる。種子は、白っぽいハート形の部分をサルの顔に見立てて遊ぶこともある。属名は「ハートの種」の意。
◇生活する花たち「蓮の花」(横浜市港北区箕輪町・大聖院)

★月見草の大きな花にさよならを 正子
黄色の花弁を開く大輪の月見草。その際立つ明るさに佇み、身に添うような親しさを覚え「さよならを」告げ立ち去られたのでしょう。凛と野に立ち健気に開く月見草の大きな存在感が感じられます。(藤田洋子)
○今日の俳句
山の雨上り茅の輪の列に入る/藤田洋子
山の雨が、一句の雰囲気を作り出し、夏越し祭の茅の輪の緑が生き生きしている。茅の輪をくぐる順番の列に入って、無事に夏を越せることを祈る。(高橋正子)
○秋葵(オクラ)の花

[秋葵(オクラ)の花/横浜市緑区北八朔町]_[トロロアオイ(黄蜀葵)/ネットより]
★秋葵川は南へ流れ去る/高橋信之
★秋葵花は黄色を澄ましきる/高橋正子
オクラ(秋葵、Okra、学名:Abelmoschus esculentus)は、アオイ科トロロアオイ属の植物、または食用とするその果実。和名をアメリカネリと言い、ほかに陸蓮根(おかれんこん)の異名もある。英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語 (Twi) のnkramaから。沖縄県や鹿児島県、伊豆諸島など、この野菜が全国的に普及する昭和50年代以前から食べられていた地域では「ネリ」という語で呼ばれていた。今日では当該地域以外では「オクラ」という英語名称以外では通じないことが多い。以前はフヨウ属(Hibiscus)に分類されていたが、現在ではトロロアオイ属に分類されている。短期間で50cm-2mほどに生長し、15-30cmの大きさの掌状の葉をつけ、黄色に中央が赤色のトロロアオイに非常に似た花をつける。開花は夜から早朝にかけてで、昼にはしぼんでしまう。開花後、長さ5-30cmの先の尖った形の五稜の果実をつけ、表面に短毛が生えており、熟すと木質化する。原産地はアフリカ北東部(エチオピアが有力)で、熱帯から温帯で栽培されている。エジプトでは、紀元前元年頃にはすでに栽培されていた。アメリカ州では、主に西アフリカから移住させられた奴隷によって栽培が始まり、現在でもアメリカ合衆国南部、西インド諸島、ブラジル北部など、アフリカ系住民の多い地域でよく栽培されている。熱帯では多年草であるが、オクラは少しの霜で枯れてしまうほどに寒さに弱いために、日本では一年草となっている。日本に入って来たのは明治初期である。従来「ネリ」と呼んでいたトロロアオイの近縁種であるため、アメリカネリと名付けられた。現在の日本で主流を占めるのは、稜がはっきりしていて断面は丸みを帯びた星型になる品種だが、沖縄や八丈島などでは大型で稜がほとんどなく、断面の丸いものが栽培されている。他にも莢が暗紅色になるもの(赤オクラ)など亜種は多い。大きくなりすぎると繊維が発達して食感が悪くなるので、角オクラは10cm、丸オクラは15-20cmくらいに成長した段階で収穫される。
トロロアオイ(黄蜀葵、学名:Abelmoschus manihot )は、アオイ科トロロアオイ属の植物。オクラに似た花を咲かせることから花オクラとも呼ばれる。原産地は中国。この植物から採取される粘液はネリと呼ばれ、和紙作りのほか、蒲鉾や蕎麦のつなぎ、漢方薬の成形などに利用される。高さは1.5メートル以上に達し、葉は掌状に五から九裂する。茎には細くて堅い棘がある。8月から9月に開花する。花の色は淡黄からやや白に近く、濃紫色の模様を花びらの中心につける。花は綿の花に似た形状をしており、花弁は5つ。花の大きさは10から20センチで、オクラの倍近い。朝に咲いて夕方にしぼみ、夜になると地面に落ちる。花びらは横の方向を向いて咲くため、側近盞花(そっきんさんか)とも呼ばれる。果実はオクラに似ているが太くて短く、剛毛が多いうえ固いため食用にはならない。熟すると褐変して割れ、種子を散らす。根は太くて長く、温暖地では多年草となる。
主に根部から抽出される粘液を「ネリ(糊)」と呼び、紙漉きの際にコウゾ、ミツマタなどの植物の繊維を均一に分散させるための添加剤として利用される。日本ではガンピ(雁皮)という植物を和紙の材料として煮溶かすと粘性が出て、均質ないい紙
現在、機械抄き和紙はもちろん、手すき和紙の中でも古来の方法でネリを使用しているところは少なく、ポリアクリルアミドなどの化学薬品を合成ネリとして使用しているところが増えている。
同属植物であるオクラと異なり、実は不味で食用に適さないが、紙漉きのためにトロロアオイを栽培する地域では、ネリには不要な花を食用に供することもある。花野菜(エディブル・フラワー)として家庭菜園などで栽培されることもあり、花弁を生のままサラダにしたり、天婦羅、湯がいて三杯酢などで酢の物として食される。特有のぬめりがあり美味であるが、一日花であるため市場にはほとんど流通しない。
◇生活する花たち「蓮の花・のうぜんかずら・ブラックベリー」(横浜市港北区箕輪町)
