6月4日(日)

晴れ。
●きのう植えたベゴニアとペチュニアが元気でしっかり根付きそうだ。
●葬儀屋さんから仏壇と位牌のパンフレットをもらっているので、これで決めようとしたが、サイズが雲をつかむようでよくわからない。思い立って午後も3時近くなって「仏壇のはせがわ」に行った。日吉駅から徒歩8分ほど。お店の人に話をしていると、「よくご存じで」と言われた。お寺の隣で育ったので、知っているというのなら、知っているのだろうが。
樺の木の仏壇が気に入ったので、仏具や位牌などお任せでセットしてもらった。いい具合になったので、見積もりを出してもらった。すぐ買う気になったので、子供たちに見積書と仏壇セットの写真をメールで送っておいた。四九日までには位牌と真言宗なので大日如来様は揃えなくてはいけないとのこと。
●自由な投句箱の投句の★印と秀句を選んだ。5月25日~6月4日分まで。

6月3日(土)

晴れ
●夕方、丸善へ。癌の夫の最期を在宅で看取った看護師で、夫の死後出家して尼僧となった人の『死にゆく人に寄りそって』と言う本が目に入って立ち読み。それほど厚い本ではないので終わりまで読んだ。ちょっと真に迫った。
死にゆく人にはすることもなくなるので、ただ一緒にいることしかできないので、それが大事だと言う。たしかに。「眠るように死ぬ」「やすらかに死ぬ」と言うことが、死の際のきわに医学的(科学的)にあるのだろうかと思わざるを得ない。
●俳句日記を読んでくださっている圭泉さんからお悔やみの電話。圭泉さんはどうされているかしら、ご主人はまだお元気かしらと、ときどき気になっていた。ご夫婦でお元気でおられてよかった。
俳句日記をどなたが読んでくださっているかわからないのだけれど、なにかの折に読者を名乗ってくれて、それは有り難いことながら冷や汗もの。文学をするものの端くれなら、鴎外の言うように腸をえぐり出して書かねばならないのだろうが、そのあたりは、おっかなびっくりのおよびごしになっている。

6月2日(金)

●一昨日あたりから梅雨入りしたもよう。和歌山は豪雨らしい。台風2号が来ている。
●昨日葬儀のあと句美子と友宏さんが家に泊まってくれていたが、友宏さんは一足先に、句美子は、遅れて午後に雨が強い中を帰った。句美子が帰る時郵便受けを見ると原稿料を振り込んだという封筒が届いていた。開けてびっくり、今までで、最高の原稿料。
今、角川と俳句四季の2社からの原稿依頼を引き受けてしまって、それが6月16日と20日が締め切り。落ち着いて油断なく仕事をしなくてはいけない。
●一人になったので、ちょっと落ち着かなくて、仏壇に棺に入れたみんなの句を「正子かく」として供えた。
●死亡後の届出などの確認や香典や手紙の整理。夕方までかかる。
●夕方7時半ごろやっとネット短信No.391を発信し、信之先生の逝去と、6月月例ネット句会は、信之先生の追悼句会とすることを報せることができた。
引き続き、月例ネット句会、発行所、自由な投句箱、正子の俳句日記の手直しをする。WiFiの接続が悪くなっていたので、接続をやり直す。

6月1日(木)

曇り、ときどき晴れ
●横浜市長津田の、横浜市北部斎場で信之先生の葬儀を行った。
午前10時から。家族葬でするよう言い残していたので、子ども家族と私、みんなで6人で見送った。
遺影は、去年91歳の誕生日前の4月22日に写真館で立って撮った写真にした。立ったほうが姿勢がよくなるらしいので。葬儀屋さんは70代にしか見えないと言っていた。
棺の上には、白と薄紅の芍薬の花束を載せた。満開だったので、いい匂いがただよっていた。棺には、俳句手帳、うすい夏の歳時記、ボールペン、筆、短冊、色紙、CDROM『ひねもす俳句工房』『手袋の色』(句美子句集)、花冠1月号、正子の俳句葉書4枚、句美子さん、友宏さん、私の妹の光子さんの短冊、元家族の思いを書いた色紙を入れた。それにユーハイムのテーゲベック、飴玉、因島のはっさくゼリー、バッケンモーツアルトのからす麦クッキー。帽子、ハンカチ、タオル。これらを出かけるときいつも使っていたショルダーバグにいれた。それに住所と電話番号を書いた紙(いつも鞄にいれていた)とパス入れ。
短冊
ごちそうに桜の花びらふってくる 句美子
長旅を終えて新茶の香ばしく   友宏
薫風にいつかかわした君の声   光子
俳句はがき
更衣えていつもどおりに旅に出る 正子
 砥部川
子どもらと橋の上より螢見る   正子
 宮前川
水に触れ水に映りてとんぼ飛ぶ  正子
 砥部の家
萩刈られ土ひろびろと月光に   正子
●夕方6時に家族6人集まって下田鮨と私の手料理で夕食をした。みんな今日のお鮨は美味しいと言って満足だった。外食はいつも鮨だという元希は大人に鮪をもらって山葵ありながら食べていた。中トロ大好きとのこと。
●元希が学校で染めたという藍染の絞りのハンカチくらいの布をくれた。藍の粉を学校に持ってきてくれた人がいたので、輪ゴムでしばって、絞り染めにしたもの。うすい藍色なので、ドロンワークでハンカチに仕立てようと思う。

■故髙橋信之先生追悼句会のご案内

お知らせ
去る5月24日、花冠名誉主宰である髙橋信之先生が91歳で逝去されました。葬儀は家族葬で6月1日に執り行いました。生前の皆様の交誼に感謝し、ここに謹んで逝去をお知らせいたします。
2023年6月2日
花冠主宰 髙橋正子
■故髙橋信之先生追悼句会のご案内
①投句:信之先生への追悼句1句、当季雑詠(春の句・夏の句)3句 計4句
②投句期間:2023年6月5日(月)午前6時~2023年6月11日(日)午後5時
③投句は、下の<コメント欄>にお書き込みください。

▼互選・入賞・伝言
①互選期間:6月11日(日)午後6時~午後10時
②入賞発表:6月12日(月)正午
③伝言・お礼等の投稿は、6月12日(月)正午~6月15日(木)午後6時
○句会主宰:高橋正子
○句会管理:髙橋句美子・西村友宏
※6月月例ネット句会は、信之先生の追悼句会とします。
主宰 髙橋正子
2023年6月2日

5月29日(月)

●句美子はきのう午後から自宅へ帰ったが、熱を出す。頑張りすぎたようだ。葬式までには治ってもらいたい。
●美知子さん、洋子さん、晃さんへ電話。
●元が元希を連れて来る。元希はいつもは元気に「こんにちは」というのに、なんにもしゃべらない。塾があるので、線香をあげて帰った。元が誕生日カードのメッセージを熱心に読んでいた。
●エアベッド、点滴台、吸入器、車椅子を業者に返却。借りたものはすべて返却した。
●介護認定の通知書が届く。+

5月28日(日)

曇り
●信之先生の誕生日。句美子が誕生日カードを買って来た。「誕生日おめでとう。正子 句美子」とだけ。鳩居堂の俳句手帳とボールペン、スモークブルーの汗拭きようハンドタオル(グッドデザインだった。)をプレゼント。これらを供えた。
●数十年ぶりに喪服を買う。第一着目を試着してすぐ買った。鏡を見て「ああ、いい老人になったなあ。」の印象。コロナ前から3年以上横浜に行っていなかったが、日曜の混雑するなかを、横浜そごうへでかけた。ぶらりと店に入った格好にみえたのだろう。店員さんから「ふらりと店に入られてよかったですね。」の言葉。ふらり、じゃない。6月1日に必要だから。カットも予定していたが、疲れすぎたのでそのうち。
●美知子さんから、自家菜園の野菜や今治のお菓子と信之先生へ誕生日カードが送られてくる。お菓子と誕生日カードを供えた。カードの画は児島虎之助。私にはルソーの柔和な絵葉書。倉敷の美術館に行かれたとのこと。

5月25日(木)

晴れ
●すみれを抜く。
●元が来て大学の教科書を整理する。捨ててよいと言われていたのを捨てるがしのびなく段ボール箱に入れて残しておいた。外に置いていたので、ゴキブリが出入りしていようで、すべて捨てることになった。大方はコンピューターの本。

5月24日(水)

●一日が長い。23日から徹夜。
今朝2時30分、信之先生亡くなる。3時30分に医者が来て死亡診断。やまと診療所髙橋医師。誤嚥性肺炎で死亡。
●追記(7月19日):5月24日を信之先生の忌日を「芍薬忌」として、句会を開こうと思う。
●生協の配達。博多のぶらぶら饅頭とどこかの葛饅頭が届く。