1月23日(火)

晴れ
●昨夜You tubeの東テレBizで講書始の儀を初めから終わりまで見た。最先端のことをご進講されるというので、今の最先端は何なんだろうと言う思いから。ひとり20分の講義は、白い冊子を開きながら教科書を読むように進められた。国語学の「役割語について」の講義と「刑事法」についての講義は興味を引かれた。
その「役割り語」なのだが、最近アラフォーと思える男性のメールに「送りますね。」と言いう風に語尾に「ね」がついているメールが一人からではなく、来る。上から下へ読んでいると、「ね」があるので、女性担当者からのメールかと思っていると、署名まできて、男性からのメールだったこともある。この「ね」はなに?メールも気さくさもあるが、ビズネスとしてはどうよ。高齢女性への優しさなのかと思えた。50代以上の男性なら、そして、20代の男性もこんな「ね」は多分使わないだろう。ちょっと面白く思った。
●ハート内科定期通院。検査のために朝食抜きで、正午をまわっていたが、診療所のあるアピタのビルの裏通りを鶴見川の方へ歩いた。太陽を見ながら南西へと歩くと、海がある方の空が明るい感じがする。海の光が空へ反射しているとしか思えない。裏の通りには、瀟洒なマンションが建っていて、アピタのビルは、パナソニックの工場跡だったと思い出す。ほどほど歩くと「新田堀」と書いたバス停がある。ここからバスで帰ることにした。この辺りは、日吉駅東口行のバスが走っていて帰りを心配することなく歩ける。例のたばこ屋前の停留所を少しゆくと鶴見川へ上がる階段が見えたが、今日は川へはいかなかった。

1月22日(月)

晴れ
枯原の枯れゆく色を見て駅へ  正子
洗われて濡れて光るは蕪の束  正子
わが家も冬の家なり誰も来ず  正子
●アマゾンが「あなたの閲覧履歴からおすすめの本」をメールで時々知らせてくる。今朝、開けてひっくり返るほど驚く。意中の人を当てて来た。人ではなく本なのだが、それほど驚いだ。その本は著者より送られて本棚にある。その本をここで明らかにするには、内心の事情をばらしてしまうようなもの。あな恐ろしや。アマゾンの集積知も半端でない。

1月21日(日)

雨、午後曇り
冬の夜ロールキャベツにトマト色  正子
寒水を流し続けてキャベツ剥ぐ   正子
●ロールキャベツを作る。キャベツが充実の育ちなのか、葉を剥ぐのに苦戦。はじめ水で剥がしていたが、手が凍りそう。あとは、40℃のお湯を流しながら?がした。王道のロールキャベツを目指したが、巻きが少し緩かった。ロールキャベツに合うご飯は、結局ピラフ。冷凍していたヤリイカのカレーピラフ。夕方句美子が来たので持たせる。
●仏壇にお参りしていた句美子が、「まだ、アルカイダが・・」と言うのが聞こえた。「?アルカイダ?テロ組織?」 実はお供えしているモロゾフの「アルカディア」のクッキーのことだった。話しはじめたころ、「たまご」を「たがも」と言い、「たまご」を「かまぼこ」と言うこともあった。この言語感覚は、誰かに似ている。音が分けられて、シャッフルされ、別の音のまとまりになって出てくる。

1月20日(土)大寒

曇り、小雨
●パソコンで作業していると、It’stime to say good by の曲が聞こえた。何気なく聞いていたが、歌声もないし、曲だけ。それがサッカーのカイザーと呼ばれたベッケンバウアーの追悼式の式典で流れていると分かったのは、大統領のスピーチが聞こえてから。ベッケンバウアーが亡くなったことを知らなかったが、1月7日78歳で亡くなったそうだ。彼は1945年ミュンヘンの近くで生まれている。この年に生まれたことには偶然ながら意味がありそう。大統領のスピーチの終わりにDanke für Beckenbauer , Danke für Allesが耳に残ったが、Danke für Allesは日本語にどう訳すのだろう。よく言われることみたいだけど。

1月19日(金)

晴れ
 一月十四日
成人の日はあす祖母の葬は今日   正子
 祖母
サフラン摘み日向へ廻りまた摘めり 正子
サフランの蕊干す新聞紙が日焼け  正子
●愛媛新聞の文化部から電話。『合同句集 泉』を簡単だが、紙面に紹介するので、内容確認とのこと。No.369号の次の号が出ていないが、どうなのかの問い合わせも。合同句集を12月発行したため、そのためにひと月発行が遅れているというと、「出来たら送ってください。」と。新聞社が関心をもってくれているのは、ありがたい。
●今日の運気は暦では◎。実際はどうだったか。電話がよく来た。5人から。
●お昼に焼き芋を焼く。オーブンの温度は230℃。この温度にすれば、意外に早く焼けることを発見。前は220℃で焼いていた。これはまだか、まだかというほど時間がかかった。10℃の違いでここまで違うかと驚いた。なぜ220℃で焼いていたかと言えば、スーパーの焼芋屋さんの温度が220℃だったから。
●角川「俳句」1月号の「日常」と「俳句」のことについて自分の理解のために1月16日の日記に重点を書き出したが、実作者の私にはよくわからない。「けり」をつけるため、少し思うところを書く。
「旅」ついての捉え方。伝統的な日本の「旅」は、日常のなかにあり、日常は旅。旅を「非日常」と考えるのは現代の捉え方であるが、日常を詠む軽舟の俳句にも「日常に旅」がある、と言っているのではないか、と言う解釈がよぎる。軽舟氏の俳句を批判しているようだが、ひいき目に、少し強引に芭蕉へと位置付けているようにも感じられる。
実作者としてみれば、軽舟氏の俳句の作り方は、大方の俳人と変わりないと思う。ただ、その言語運用が特異。
渡り鳥近所の鳩は気負いなし 軽舟
「渡り鳥」に「鳩」を持ってくるのは意外性がある。それも「近所の」がつく。鳩の気負いなさ、自分の気負いなさを言うためであろう。これが、読み手の私には歯がゆい。これを日常性と言うのか。季語は「渡り鳥」でありながら、テーマは「(自分の)気負いなさ」が眼目となっているのではないか。
もう一点気になるが、「季語・渡り鳥」と「鳩(自分)」との交じり合う点はどこなのか。交じり合っていない?自然との融合性を感じない?季題趣味ではないからそうだ、と言う意味とは違うと思う。よくわからないが、堀切先生は軽舟氏の俳句「俳句の正道」の俳句作句方法だと言っておられる、と解釈した。
「旅」の思想については、よく考えないといけない。生きている時代背景、社会背景が全く違ってくれば、旅の意味も変わる。「旅の思想」は、今現在は個人によってかなり違いがあるのではないかという思いがする。「旅の思想」は、多様性の社会や、格差社会、そこの住む人の生き方とともに一言では語れない複雑さをもって来たと思う。「旅の思想」こそが俳人の考える命題とも思える。

1月18日(木)

晴れどきどき曇り
●予定を組むために、手元の神宮館版の令和6年、今年の暦を見る。めったに見ることのない、九星の易判断を見る。そのなかのこれも初めて気づいたその月の運のいい日、悪いを〇や◎、△、▲、×で示しているのを見る。今日は△。明日は◎。今日は気になる人、つまり、具合を悪くしているんではないかと気になった二人に電話。二人とも留守か、電話に出れないかの様子。
●今日の運勢は△、明日は◎。運勢に従えば、今日は嫌なことはしないで、あす運のいい日にやればよいと、一日を過ごす。落ち込む理由はないのに、落ち込み、気になることばかり増える。

1月17日(水)阪神淡路震災忌

晴れ
●昨日よりは寒さは薄らいだ。
●「意を決して」花冠2月号の編集に取り掛かる。
正月を迎えるために家を片付けたために、編集の資料など、どこかに紛れ込んでしまったものがあり、それを探す。一番大切な信之先生の写真を入れた缶の所在もわからなくなった。3日に誕生日を迎えて、急に「死」が明日か明後日かのもののように思われた。その思いが却って炬燵に入ったまま無為に過ごす時間を多くしている。編集が進まず。

1月16日(火)

晴れ
残りたるラム酒紅茶に凍つる夜    正子
コーヒー豆挽けば寒夜の椅子軋む   正子
闇の夜の空からこぼれ来る寒さ    正子
●さすが、寒中。正午近くなっても冷えこんでいる。
●「俳句」2月号の「俳句」と「日常」ーー小川軽舟の俳風の意義
堀切実(早稲田大名誉教授・国文学者1934年生まれ。)を読む。
堀切実先生は、生年から計算すれば、現在89歳でご健在な様子。小川軽舟氏は、加藤楸邨の弟子藤田湘子の跡を継ぐ「鷹」の主宰。
「俳句」と「日常」と言えば、小川軽舟の作品が思い浮かぶ、ことから論が始まる。軽舟の俳句は「日常性の美学に貫かれている」と堀切。「俳句はそのようにして忘れさっていく日常のなんでもない日の記憶を甦らせてくれるものである。」と規定する軽舟。以下は堀切の論。
 鶏頭や洗濯物の袖雫 軽舟
ここに軽舟俳句の神髄が示されている。その大半が自分の見た周辺を自分の心で素直に表したものであり、対象を客観的に詠じたものだけではない。作者という主体がつねに周辺の状況や景色を支配している。そして、この周辺を私が支配する世界は近代日本の伝統文学として「私小説」につながっている。けれどもそれは私小説の主流の「境涯」を述べたものではない。
もう一つ軽舟の自負する「日常」は、自宅の生活や職場での毎日だけでなく、「散歩」という日常が大きな地位を占めている。「日常」とこの「散歩」を自らの作句姿勢として合わせて認識し、そうした”日常性”に富んだ”風雅の世界”を、芭蕉の”風雅の世界”と対比して位置づけようしてもいるのである。
堀切は、軽舟のこうした俳句観を俳諧史研究者の立場で検証。以下の論点から始まる。
この「日常性」の獲得は、はやく蕉風の連句の世界から始まっていたのである。
 「蕉風連句の時空意識ーー俳諧における日常と非日常」(岩波現代文庫)
にその見解を示すとある。
 蕉風俳諧が究極的にめざしていた、いわゆる「かるみ」の風は、題材における日常性とそれに伴う表現における平明性ーーすわなち「俗談平話」を基調としたものであったといえる。それでは、ここにいう日常性とはなにか、あるいはそうした日常性への着目は蕉風連句にどのような言語空間をもたらすことになったのか、 ーーまず、この問題から筆を起こしたい。
堀切のこの問題意識から軽舟俳句の存在に気付いている。
蕉風の連句における芭蕉、その門下の連衆の手法はなによりも生きた人間を中心に据え、その意識と行為に鋭いまなざしを送りながら、他方ではまた日々の生活を営む人間の織りなす身辺の世界にも光を当ててゆく点に大きな特長がある。しかし、現代俳句でもこれと通じるような「日常生活」への深い観察を、自らの行動の中でなしとげている小川軽舟の存在があることに気づく。
蕉風俳諧が誕生する史的背景には”詩語”についての貞門・談林以来の日常語に近い「俳言」拡張の主張があったし、さらには当時の蕉風以外の元禄俳諧一般における題材そのものの著しい日常化現象があったことを忘れたはならない。そして、その日常的題材重視を強力に促進したのは、芭蕉の時代から急速に流行しはじめた「前句付」を中心とした「雑俳」と呼ばれる文芸の存在であった。
ここで堀切は、軽舟が芭蕉認識において、「夏草や兵どもが夢の跡」を引いて芭蕉は、「歴史と自然と人間を詠いあげる」俳人と理解しているが、「芭蕉の得意とした連句の世界に光を当てていないようにみえる。芭蕉が晩年にめざした、発句、連句を含めた「かるみ」の俳風を、もう少し吟味している必要があるのではないか。」と言っている。
次に堀切が軽舟の「旅」ついての芭蕉理解に疑問を呈している。
渡り鳥近所の鳩は気負いなし 軽舟
の句について、
芭蕉は奥の細道の冒頭で宣言するように、「日々旅にして旅を栖とす」る生涯の漂白者であり、自分は「近所の鳩」のように、近くを歩き回っているだけだと対比しているが、軽舟の「旅」の理解は、日本人の古くからの旅の系譜からみれば、違っているといっている。
つまり、一般には「日々旅にして旅を栖とす」とは、”永遠の旅人”ともいうべき」芭蕉独自の新しい漂泊観だと理解されているけれども、このような「旅は非日常」ではなく、「旅は日常なり」という世界観ーーすなわち”永遠の旅人”でありたいという芭蕉の願望は、日本人の古来からの旅の系譜の中で、いつの時代にも求められてきたものであり、決して芭蕉独自のものではなかったのである。
「日々旅にして旅を栖とす」という宣言は「旅」を「非日常」と認識する今日われわれの常識とは正反対に、その「非日常」であるはずの「旅」を毎日の日常生活にしてしまおうという、日本人の旅の系譜のなかではある意味で普遍的な真理を示す命題を、強く再確認しているにすぎないともみられるのである。
要するに「日常」と「旅」は、かならずしも全くべつなものではないということであり、軽舟の提言する「日常身辺」の俳句とは、芭蕉も通ってきた「俳句」の「正道」であることを確認したいのである。
以上はあらましであるが、読んで思うことは、私の「旅」の感覚と堀切先生のいう日本古来の旅の感覚がほとんど似ていたということ。方丈記とか、徒然草とか、風姿花伝とか、主に中世の思想が今俳壇をリードしている人たちにどのように引き継がれ、理解されているのか、疑問に思うところだ。軽舟氏は東大出のエリートであるし、教養もおありだ。本人の自覚として、旅を非日常としているが、日常は旅なのだと、あなたは、そうなのだと言っておられる。
私は軽舟作品は誰にでもは作れないし、いいと思う。もう少し世界が広ければ、ゾッコンになるだろう。

1月15日(月)

晴れのち曇り
●1月月例句会入賞発表。正午過ぎ。
発表が済むまでは気が重かったが、終われって、気分がすっきりした。午後は銀行や郵便局の用事で日吉商店街まで電車。花屋で仏壇の花を買う。金盞花が入っていていかにも仏花らしいが、丁寧に「お仏花」と名札がつけられていた。
●ついでに丸善に寄る。俳壇2月号に花冠の西村友宏さんの句が掲載。俳壇は購読していて、おととい届いたのに、気づかなかった。丸善で「角川俳句」1月号を買う。俳句の「日常性」の特集があるため。今年は角川の広告は年鑑だけにしているので、雑誌は送られてこない。必要なときに買う。
●ネット短信No.408の原稿書き。
①1月月例ネット句会入賞発表の知らせ。
?西村友宏さんの俳壇2月号掲載句の紹介と、コメント、感想の依頼。
昨年10月号は祝恵子さん、12月号は川名ますみさん、今年2月号が西村友宏さんと続いた。

■1月月例ネット句会入賞発表■(2024年)

■1月月例ネット句会入賞発表■
2024年1月14日
【金賞】
34.冬銀河ピアノの音色の軽くなる/髙橋句美子
冬銀河の冴えた小さな光と、ピアノの軽やかな音色が通いあい、宇宙的な想いにさせられる。(髙橋正子)
【銀賞/2句】
04.ともがらと火の粉を払うとんどかな/弓削和人
伝統行事である「とんど」が、いまも生き生きと伝えられているのは、嬉しいことだ。「ともがらと火の粉を払う」の実景がそれをよく物語っている。(髙橋正子)
14.一望す阿蘇の山々冬の空/高橋秀之
雄大な阿蘇山の山々とその上に広がる冬の空を、一望して、それを句に収める作者の大らかな把握が快い。(髙橋正子)

【銅賞/3句】
27.蝋梅の活けられ花屋の大き甕/吉田 晃
正月前後から咲き始める?梅は、香りが高く、枝ぶりも自由である。?梅の枝は大きな甕に活けられるのがふさわしい。花屋の?梅も大きな甕に入れられ、売られている。(髙橋正子)

29.屠蘇器しまう丁寧に包み込み/祝 恵子
屠蘇器はその家に何年にもわたって使われてきたもの。その出し入れはたいてい主婦に任される。和紙や絹布に丁寧に包んでしまう。
「包み込み」と、さらに念がいれられてしまわれる。(髙橋正子)

33.四分の三世紀生き寒の入り/柳原美知子
四分の三世紀とは、七十五年。寒の入りを機にさらに寒さは厳しくなる。四分の三世紀生きた身をもって、それに突入する。そこに揺るがぬ固きものが感じられる。(髙橋正子)

【髙橋正子特選/7句】
04.ともがらと火の粉を払うとんどかな/弓削和人
とんど焼きと云えば、家にある松飾りや注連縄をみな持ち寄り、焚き上げを行う行事である。先ずその場に行けば、暗い夜空に火の粉が高く上がり、大きな焚火が想われるのです。一緒に行った友人と火の粉を払います。(桑本栄太郎)
お正月に行われる火祭りの行事。松飾や注連縄などを燃やす行事を友達たちと盛んに燃やし、1年を無病息災を祈る。また,書初めなどを燃やすことを古書揚といい、燃えながら高く舞い上がると、書道の手が上がるという俗信がある。(小口泰與)

27.蝋梅の活けられ花屋の大き甕/吉田 晃
1月になれば蝋梅が咲き始めます。それをさっそく大きな甕に活けて店先に飾っておられるのでしょう。近寄ると蝋梅の馥郁とした香りに包まれます。(多田有花)
冬空に枝を伸ばし甘やかな香を放つ蝋梅、それが花屋に活けられるとなれば、やはり大きな甕が合うでしょう。おおらかに冬の花を挿す、趣味の良いお店に、心惹かれます。(川名ますみ)

34.冬銀河ピアノの音色の軽くなる/髙橋句美子
満天に広がる冬銀河がピアノの音色も軽く響くような大きな世界を作っていると感じます。(高橋秀之)
澄み切った冬銀河へと立ち昇っていくピアノの音色の美しさが想われます。やがて大空と溶け合い、眠れるものたちへの鎮魂の歌を奏でるようです。(柳原美知子)

14.一望す阿蘇の山々冬の空/高橋秀之
29.屠蘇器しまう丁寧に包み込み/祝 恵子
33.四分の三世紀生く寒の入り/柳原美知子
35.七草の緑鮮やか巡る日々/髙橋句美子

【髙橋句美子特選/7句】
01.初霜や子犬のふっと居なくなる/小口泰與
 子犬も寒い朝が初めてなのか、元気な様子が想像出来ます。(髙橋句美子)
 子犬が初霜の頃合いに、戯れ遊びはねているうちに居なくなる。親犬のもとに帰る情景がほほえましい。(弓削和人)

06.日の暮れしまぎわに農婦夕焚火/弓削和人
羽後国と以前句にされていたので、秋田県にお住まいでしょうか?今頃は田畑にも雪が降り積もっていることでしょう。
雪がやみ夕闇が迫るなか田畑で焚火をされているのですね。(多田有花)

37.真新しきマフラー巻いて参拝す/西村友宏
初詣なのでしょう。新年が明けて真新しいマフラーをおろして気持ちを新たに参拝する気持ちよさがあります。(高橋秀之)

14.一望す阿蘇の山々冬の空
24.オオバンの群れて黒々冬萌に
26.七種の粥のほのかなうす緑
27.蝋梅の活けられ花屋の大き甕

【入選/13句】
03.霜防ぐ藁ぎょうさんや幼稚園/小口泰與
幼稚園の庭にある植木などに藁囲いがしてある。それもぎょうさんの藁で。先生や父兄が囲ったものでしょうか。温かい気持になります。(祝恵子)

07.倒壊の家屋あまたや寒の雨/桑本栄太郎
元日早々の能登半島の大地震。被災地に降る寒の雨に二次被害が心配されます。一日も早くライフラインが復旧し、被災された方々が日常を取り戻せるよう心より願っています。(柳原美知子)

12.定刻に集える笑顔初句会/廣田洋一
「あけましてめでとうございます」からはじまったであろう初句会。今年もまたおなじみのメンバーがそろって初句会を迎えられました。お互いの息災を喜びつつ、華やかな気持ちで句会が始まりました。 (多田有花)

13.初乗車若葉マークの子の運転/高橋秀之
息子さんが運転免許を取得されたのですね。そして新しく車も購入された。その車にご夫婦そろって乗り込まれたのでしょう。お正月がさらに華やぐ瞬間です。 (多田有花)

16.背を起こし睫毛に眩し初日影/川名ますみ
長く病床にあられる詠者です。それでも元日は背をのばして座り初日を拝まれました。気概を感じます。(多田有花)

17.初笑い静かな男のヘルパーと/川名ますみ
ふだん物静かな男性のヘルパーさんがきてくれ、思いがけず面白いことを言って初笑いをさせてくれたうれしさ。温かい気持ちが伝わってきます。(柳原美知子)

19.霜溶けてゆく陽の当たるところより/多田有花
朝日が差し、日陰の霜を残して溶けてゆく。当然と言えば当然であるが、自然の働きを見逃さず、誰もが見逃してしまうところを平易な言葉て詠んだことに心動かされた。 (吉田 晃)

21.中天に三日月浮かべ寒茜/多田有花
寒々とした寒の夕方の景色が良く見える。三日月が効いている。(廣田洋一)
三日月の鋭さと鮮やかな夕焼けがマッチした綺麗な光景が目に浮かびます。(西村友宏)

26.七種の粥のほのかなうす緑/吉田晃
新暦の1月7日は冬の真っ只中ゆえ七種は買い求めるしかありません。でも、それで作られた七種粥のうす緑からは春遠からじの気持ちを感じられますね。 (多田有花)

02.期し方を思い起こせし雪眼鏡/小口泰與
06.日の暮れしまぎわに農婦夕焚火/弓削和人
13.初乗車若葉マークの子の運転/高橋秀之
18.豚汁のレシピ書き足し初雪に/川名ますみ
31.解体さる鮪取り合う尾の部分/柳原美知子
37.真新しきマフラー巻いて参拝す/西村友宏

■選者詠/髙橋正子
23.水鳥の流れその影流れける/髙橋正子
流れに乗って気持ちよさそうに泳ぐ水鳥にそそぐ冬の光と影、流れる水の透明感が感じられ、印象派の絵を見るようで心惹かれます。(柳原美知子)

22.鴨の声水にひびきてほのかなり
23.水鳥の流れその影流れける
24.オオバンの群れて黒々冬萌に

■選者詠/髙橋句美子
35.七草の緑鮮やか巡る日々
子供の頃から親しまれていた七草と七草粥、お父様を亡くされて目にする七草の緑の鮮やかさに、来し方の感慨を覚えられたことでしょう。巡る日々に実感がこもっています。(柳原美知子)
36.マフラーを幾度も試す誕生日
誕生日のプレゼントはマフラー。それ巻いて初詣に行かれた。「真新しきマフラー巻いて参拝」されたのは久美子さまですね。
初詣がよりほほえましいものになります。(多田有花)
34.冬銀河ピアノの音色の軽くなる
互選高点句
●最高点句(7点)
27.蝋梅の活けられ花屋の大き甕/吉田 晃
次点句(同点3句/5点)
04.ともがらと火の粉を払うとんどかな/弓削和人
21.中天に三日月浮かべ寒茜/多田有花
34.冬銀河ピアノの音色の軽くなる/髙橋句美子
集計:髙橋正子
※1月16日の集計により、最高点句が変わりました。
※コメントのない句にコメントをよろしくお願いします。思ったこと、感じたこと、ご自由にお書きください。