1月25日(木)初天神

晴れ
大寒の明るき朝日仏間へと   正子
伊予柑の明るき一個供えけり  正子
太陽に眩んで寒禽見失う    正子
●大寒波の予報だったが、寒波が通り抜けたのか、9℃ぐらい。1月25日という日は、日本で最低気温を記録する日らしい。
●花冠の編集。合間に「俳句」1月号をめくる。「俳句の今とこれから」の四氏の新春座談会。内容について何か言うこともないが、思ったことがある。
座談会では、コロナで変わったのは「電子化」ということだと言っているが、一般社会や経済界に比べて電子化は20年遅いと思うが、これは本質的な問題ではない。
それより、多死社会問題。しっかりと鍛えられた俳人が多く亡くなってきている。そういうしっかりした俳人や俳句があってこその俳句だ。メディアが俳句をガチャガチャ触るせいもあってか、地道に俳句を作ることが、若い人にとって難しい時代になっているのは確か。
多死社会を迎えて、特に「何を引き継いでいるのか」が重要になって来るのではないかと思えた。俳句甲子園出身のメディアで知られる若い俳人の「結社は要らない、自分は現に育っている」と話すのを聞いた。結社の問題は別としても、「育っている」は疑問。私の俳句の師の川本臥風先生は、75、6歳のときに、雑談の折、何気なく「〇〇君、ようやく俳句がわかりましたよ。」と私の夫に言ったそうだ。俳句はそのようだと考えてよい。系譜から引き継いだもの。俳句の伝統と言われるもの。つまり、師から何を引き継いだか、それが今後問題になって来る気がする。

ご挨拶/1月月例ネット句会を終えて

1月月例ネット句会にご参加、ありがとうございました。入賞の皆様おめでとうございます。
うかうかしていている間、大寒も一週間が過ぎ、店頭には、節分の豆や鬼も面が売られはじめています。いまさらに月日の経つのは速いものと思います。1月月例句会のご挨拶も遅くなってしまいました。皆さんの俳句へのコメントやお礼も揃いましたので、1月月例ネット句会を終わりといたします。来月も月例句会をよろしく終え買いします。
髙橋正子
2024年1月24日

1月24日(水)

晴れのち曇り
菊花蕪芯に真っ赤な唐辛子 正子
大寒の寝床句帖に小さき燈 正子
●今日、大寒波の予報。昼前から急に冷え込む。信之先生の月命日。仏壇店から菊花蕪を供えてはとメールが来る。それもありで、作って供える。夕飯に頂いたが、すごくおいしい。寒中の野菜においしさ凝縮。

1月23日(火)

晴れ
●昨夜You tubeの東テレBizで講書始の儀を初めから終わりまで見た。最先端のことをご進講されるというので、今の最先端は何なんだろうと言う思いから。ひとり20分の講義は、白い冊子を開きながら教科書を読むように進められた。国語学の「役割語について」の講義と「刑事法」についての講義は興味を引かれた。
その「役割り語」なのだが、最近アラフォーと思える男性のメールに「送りますね。」と言いう風に語尾に「ね」がついているメールが一人からではなく、来る。上から下へ読んでいると、「ね」があるので、女性担当者からのメールかと思っていると、署名まできて、男性からのメールだったこともある。この「ね」はなに?メールも気さくさもあるが、ビズネスとしてはどうよ。高齢女性への優しさなのかと思えた。50代以上の男性なら、そして、20代の男性もこんな「ね」は多分使わないだろう。ちょっと面白く思った。
●ハート内科定期通院。検査のために朝食抜きで、正午をまわっていたが、診療所のあるアピタのビルの裏通りを鶴見川の方へ歩いた。太陽を見ながら南西へと歩くと、海がある方の空が明るい感じがする。海の光が空へ反射しているとしか思えない。裏の通りには、瀟洒なマンションが建っていて、アピタのビルは、パナソニックの工場跡だったと思い出す。ほどほど歩くと「新田堀」と書いたバス停がある。ここからバスで帰ることにした。この辺りは、日吉駅東口行のバスが走っていて帰りを心配することなく歩ける。例のたばこ屋前の停留所を少しゆくと鶴見川へ上がる階段が見えたが、今日は川へはいかなかった。

1月22日(月)

晴れ
枯原の枯れゆく色を見て駅へ  正子
洗われて濡れて光るは蕪の束  正子
わが家も冬の家なり誰も来ず  正子
●アマゾンが「あなたの閲覧履歴からおすすめの本」をメールで時々知らせてくる。今朝、開けてひっくり返るほど驚く。意中の人を当てて来た。人ではなく本なのだが、それほど驚いだ。その本は著者より送られて本棚にある。その本をここで明らかにするには、内心の事情をばらしてしまうようなもの。あな恐ろしや。アマゾンの集積知も半端でない。

1月21日(日)

雨、午後曇り
冬の夜ロールキャベツにトマト色  正子
寒水を流し続けてキャベツ剥ぐ   正子
●ロールキャベツを作る。キャベツが充実の育ちなのか、葉を剥ぐのに苦戦。はじめ水で剥がしていたが、手が凍りそう。あとは、40℃のお湯を流しながら?がした。王道のロールキャベツを目指したが、巻きが少し緩かった。ロールキャベツに合うご飯は、結局ピラフ。冷凍していたヤリイカのカレーピラフ。夕方句美子が来たので持たせる。
●仏壇にお参りしていた句美子が、「まだ、アルカイダが・・」と言うのが聞こえた。「?アルカイダ?テロ組織?」 実はお供えしているモロゾフの「アルカディア」のクッキーのことだった。話しはじめたころ、「たまご」を「たがも」と言い、「たまご」を「かまぼこ」と言うこともあった。この言語感覚は、誰かに似ている。音が分けられて、シャッフルされ、別の音のまとまりになって出てくる。

1月20日(土)大寒

曇り、小雨
●パソコンで作業していると、It’stime to say good by の曲が聞こえた。何気なく聞いていたが、歌声もないし、曲だけ。それがサッカーのカイザーと呼ばれたベッケンバウアーの追悼式の式典で流れていると分かったのは、大統領のスピーチが聞こえてから。ベッケンバウアーが亡くなったことを知らなかったが、1月7日78歳で亡くなったそうだ。彼は1945年ミュンヘンの近くで生まれている。この年に生まれたことには偶然ながら意味がありそう。大統領のスピーチの終わりにDanke für Beckenbauer , Danke für Allesが耳に残ったが、Danke für Allesは日本語にどう訳すのだろう。よく言われることみたいだけど。

1月19日(金)

晴れ
 一月十四日
成人の日はあす祖母の葬は今日   正子
 祖母
サフラン摘み日向へ廻りまた摘めり 正子
サフランの蕊干す新聞紙が日焼け  正子
●愛媛新聞の文化部から電話。『合同句集 泉』を簡単だが、紙面に紹介するので、内容確認とのこと。No.369号の次の号が出ていないが、どうなのかの問い合わせも。合同句集を12月発行したため、そのためにひと月発行が遅れているというと、「出来たら送ってください。」と。新聞社が関心をもってくれているのは、ありがたい。
●今日の運気は暦では◎。実際はどうだったか。電話がよく来た。5人から。
●お昼に焼き芋を焼く。オーブンの温度は230℃。この温度にすれば、意外に早く焼けることを発見。前は220℃で焼いていた。これはまだか、まだかというほど時間がかかった。10℃の違いでここまで違うかと驚いた。なぜ220℃で焼いていたかと言えば、スーパーの焼芋屋さんの温度が220℃だったから。
●角川「俳句」1月号の「日常」と「俳句」のことについて自分の理解のために1月16日の日記に重点を書き出したが、実作者の私にはよくわからない。「けり」をつけるため、少し思うところを書く。
「旅」ついての捉え方。伝統的な日本の「旅」は、日常のなかにあり、日常は旅。旅を「非日常」と考えるのは現代の捉え方であるが、日常を詠む軽舟の俳句にも「日常に旅」がある、と言っているのではないか、と言う解釈がよぎる。軽舟氏の俳句を批判しているようだが、ひいき目に、少し強引に芭蕉へと位置付けているようにも感じられる。
実作者としてみれば、軽舟氏の俳句の作り方は、大方の俳人と変わりないと思う。ただ、その言語運用が特異。
渡り鳥近所の鳩は気負いなし 軽舟
「渡り鳥」に「鳩」を持ってくるのは意外性がある。それも「近所の」がつく。鳩の気負いなさ、自分の気負いなさを言うためであろう。これが、読み手の私には歯がゆい。これを日常性と言うのか。季語は「渡り鳥」でありながら、テーマは「(自分の)気負いなさ」が眼目となっているのではないか。
もう一点気になるが、「季語・渡り鳥」と「鳩(自分)」との交じり合う点はどこなのか。交じり合っていない?自然との融合性を感じない?季題趣味ではないからそうだ、と言う意味とは違うと思う。よくわからないが、堀切先生は軽舟氏の俳句「俳句の正道」の俳句作句方法だと言っておられる、と解釈した。
「旅」の思想については、よく考えないといけない。生きている時代背景、社会背景が全く違ってくれば、旅の意味も変わる。「旅の思想」は、今現在は個人によってかなり違いがあるのではないかという思いがする。「旅の思想」は、多様性の社会や、格差社会、そこの住む人の生き方とともに一言では語れない複雑さをもって来たと思う。「旅の思想」こそが俳人の考える命題とも思える。

1月18日(木)

晴れどきどき曇り
●予定を組むために、手元の神宮館版の令和6年、今年の暦を見る。めったに見ることのない、九星の易判断を見る。そのなかのこれも初めて気づいたその月の運のいい日、悪いを〇や◎、△、▲、×で示しているのを見る。今日は△。明日は◎。今日は気になる人、つまり、具合を悪くしているんではないかと気になった二人に電話。二人とも留守か、電話に出れないかの様子。
●今日の運勢は△、明日は◎。運勢に従えば、今日は嫌なことはしないで、あす運のいい日にやればよいと、一日を過ごす。落ち込む理由はないのに、落ち込み、気になることばかり増える。

1月17日(水)阪神淡路震災忌

晴れ
●昨日よりは寒さは薄らいだ。
●「意を決して」花冠2月号の編集に取り掛かる。
正月を迎えるために家を片付けたために、編集の資料など、どこかに紛れ込んでしまったものがあり、それを探す。一番大切な信之先生の写真を入れた缶の所在もわからなくなった。3日に誕生日を迎えて、急に「死」が明日か明後日かのもののように思われた。その思いが却って炬燵に入ったまま無為に過ごす時間を多くしている。編集が進まず。