■3月月例ネット句会入賞発表■
2024年3月11日
【金賞】
22.青麦の吹かれて日々に濃く太く/柳原美知子
野の青麦はさまざまな風に吹かれて生長する。芽生えたばかりは寒風に、寒が明け、料峭の風に、ときは暖かい風に、日々、色濃く、そして太く、しっかりと育っていく。
その生長を見るのは、楽しみである。そのままが詠まれた自然体がいい。(髙橋正子)
【銀賞/2句】
13.絹さやの緑が妻のばら寿司に/吉田 晃
ばら寿司に絹さやは、定番のようだが、わたしは、小学生のころの子どもの日のピクニックを思い出す。五月、絹さやと筍が採れる。婦人会の人たちが子供たちにばら寿司を作ってくれる。、それをもって岬の景色のいい山に登るのである。戦後余りたっていない日のことが忘れられない。奥様も生き生きとした緑の絹さやを散らしてばら寿司をつくってくれた。明るい季節の手料理に舌鼓を打たれたことだろう。(髙橋正子)
03.囀や拭き忘れたる窓ぼこり/弓削和人
俳句らしい着眼点の句で、技巧があるわけではないが、大変うまい。季節をぴったりと捉えていて、「窓ぼこり」のイメージゆるぎない。(髙橋正子)
【銅賞/3句】
04.一掬(いっきく)の水にも春の兆しあり/小口泰與
朝の洗面のときとか、あるいは、ほかに両手に掬って水をくむことがあった。水の温みぐあい、柔らかい水の光りなど、春の兆しが見られた。ささやかな春の兆しがうれしい時だ。(髙橋正子)
27.朝粥にあおき菜花の辛子和え/川名ますみ
朝粥のお菜にみどり鮮やか菜花の辛子和えがあった。さらりとした白い粥とあおい菜花、菜花の苦み、和えた辛子の辛味は大人の味である。それが、この句を一段と大人の句としている。(髙橋正子)
34.雛人形烏帽子に刀勇ましく/髙橋句美子
雛人形には、内裏雛、三人官女、五人囃子、若人の右大臣、老人の左大臣等がいる。酒を酌み、管弦を楽しむばかりではなく、右大臣、左大臣が烏帽子を冠り、背に槍を背負い、刀をさして、勇ましい。雛人形にもこんな一面があることを見つけ出した。月遅れの雛を飾り、装束をつけてもらったので、気づいたのであろう。(髙橋正子)
【髙橋正子特選/7句】
03.囀や拭き忘れたる窓ぼこり/弓削和人
囀りと窓ぼこりの取り合わせが良い。(廣田洋一)
小鳥の明るい囀に空を見上げると、窓にうっすら埃を見つけました。春埃ということばがある通り、雪や水が溶け、春は埃が立ちやすい季ですね。美しい気付きが相応しい言葉で詠まれた、好きな句です。 (川名ますみ)
04.一掬(いっきく)の水にも春の兆しあり/小口泰與
まだまだ寒い時期ではありますが、暖かく感じる日も少しずつ増えてきました。春の訪れを感じる素敵な一コマです。 (西村友宏)
15.日陰には日陰の白さ水仙花/吉田 晃
目立たない日陰に芳香を追うと、真っ白い水仙の花が凛と立っています。日陰であればこそまたその白さが際立ち美しいですね。 (柳原美知子)
22.青麦の吹かれて日々に濃く太く/柳原美知子
3月の今の時季は、春北風も吹き気温は一定ではなく、寒暖差も大きいですね?然し日差しは日毎に強くなり、木々の枝は芽吹き畑の作物も大きく生長します。青麦の生長にそのことが良く見え、暖かい春到来の喜びであります。 (桑本栄太郎)
29.雨上がり雫を添えて白き梅/西村友宏
雨上がりの雫が白梅を透かせ、日差しを透かせ、みずみずしく心洗われる情景を見せてくれます。 (柳原美知子)
13.絹さやの緑が妻のばら寿司に/吉田 晃
【髙橋句美子特選/7句】
20.春なかば枝先のみな光りおり/多田有花
遥かな樹々の枝先にも新芽が芽吹き、蕾もついて光に包まれ、野は明るさに満ち、春もなかばと実感されます。 (柳原美知子)
04.一掬(いっきく)の水にも春の兆しあり/小口泰與
09.磯菜摘むはるか彼方や隠岐の島/桑本栄太郎
10.白き富士くつきり浮かぶ春の海/廣田洋一
22.青麦の吹かれて日々に濃く太く/柳原美知子
23.春雪の山より鳩来湯けむりへ/柳原美知子
28.試験終え空の青さに白き梅/西村友宏
【入選/9句】
01.ものの芽のわれさきの芽と競いけり/弓削和人
芽吹きの雰囲気をみごとに描写されています。春が進むにつれて百万千万の芽が競って芽吹いています。生き物の生きる力の象徴という感じです。 (多田有花)
07.木々の枝のしずく歌いぬ春の雨/桑本栄太郎
今年の早春は雨が多かった印象です。それをしずくが歌う春ととらえられました。詩人らしい感性が光ります。 (多田有花)
<鳥取の田舎日本海の追憶>
09.磯菜摘むはるか彼方や隠岐の島/桑本栄太郎
日本海の荒波の磯に海苔掻きをしているのだろう。早春の冷たい飛沫を受けて、ひたすら作業をしている遥か沖に隠岐の島が霞んで見える。(吉田 晃)
11.着物着て大化けしたる卒業生/廣田洋一
私も先日卒業式に出席しました。女子は和服に袴の人が多く、髪型もきめてすぐには誰かわからないほどの人もいましたね。 (多田有花)
17. 手を延ばす今年も会えたつくつくし/祝 恵子
能登半島の大地震に始まった今年。なんとか無事に冬を越し、春を告げてくれるつくしに出会えた嬉しさが伝わってきます。(柳原美知子)
24.宝のごとひらくネーブル掛け袋/柳原美知子
袋掛けのままのネーブルが届いたのでしょうか。それを丁寧に開くと珠玉のネーブルが現れました。 (多田有花)
26.まなうらの色にかがやき春浅し//川名ますみ
まなうらに感じられる浅春の日差しのかがやき、五感で季節を感じられ、意表をつく表現に惹かれます。 (柳原美知子)
19.答辞読むときおり声を詰まらせて/多田有花
25.グーの手を突き出すかたち木瓜蕾/川名ますみ
■選者詠/髙橋正子
33.紅梅を翔つ鳥羽を透かせけり/髙橋正子
紅梅を翔つ鳥は仄かに香を引き、透く羽は薄い紅を引き青空の色へと広がっていくようです。美しい光景が目に浮かんできます。 (柳原美知子)
31.杉の香の芬々(ふんぷん)として春の森
32.春耕の畑の傾斜がくろぐろと
■選者詠/髙橋句美子
35.梅祭り琴の響きに梅が舞い
梅祭りに、琴の演奏がはじまるやいなや、いままで静かにしていた梅の花が軽やかに舞うように見えた。作者の心境が梅に映じているのだろう。(弓削和人)
36 枝垂梅水面に褪せた色映し
きれいな枝垂梅であったのに、盛りを過ぎた今は、寂しい色合いとなって水面に映っています。 (祝恵子)
34.雛人形烏帽子に刀勇ましく
互選高点句
●最高点句(5点/同点2句)
04.一掬(いっきく)の水にも春の兆しあり/小口泰與
22.青麦の吹かれて日々に濃く太く/柳原美知子
●次点句(4点/同点2句)
03.囀や拭き忘れたる窓ぼこり/弓削和人
27.朝粥にあおき菜花の辛子和え/川名ますみ
集計:髙橋正子
※コメントのない句にコメントをよろしくお願いします。思ったこと、感じたこと、ご自由にお書きください。
[お詫び]
入賞発表は、髙橋正子が土曜日にコロナに感染しましたので、遅れますが、本日中には発表の予定です。よろしくお願いします。
2024年3月11日
髙橋正子
[ お礼]
お見舞い、ありがとうございます。
今日11日、朝一番に、病院で検査してもらいましたら、コロナに感染していました。風邪やインフルエンザとお別れと言う時期になって、まさかのコロナ感染でした。薬をもらいましたので、しっかり治したいと思います。ご心配をおかけしています。
2024年3月11日夕刻
髙橋正子
晴れ
モーツアルト聞きっぱなして春の風邪 正子
一箱のティッシュ使うも春の風邪 正子
レタスの中なずなの花のよく育ち 正子
●3月月例ネット句会
12名参加
正子投句
杉の香の芬々として春の森
春耕の畑の傾斜がくろぐろと
紅梅を翔つとき鳥の羽透かし
●熱は夕方また高くなる。明日病院に行くことに。完全に風邪を引いている。コロナでないことを願うばかりだ。夕飯は葱だけの掛け蕎麦。府中の妹が最後の冬野菜だと言って送ってくれた葱が柔らかいので、美味。自分で焼いたパウンドケーキ、句美子に渡そうとしたのが、渡せないで、役立っている。2切れレンジで温めてミルクコーヒーと朝食に。仏壇からまた果物のお下がりをいただく。
晴れ
長堤を吹きて鳥浮く春の風 正子
ねむらない三月の夜は熱が出て 正子
仏前よりいただくひとつ晩生柑 正子
●『合同句集 泉』からの四季の俳句の選が届き始める。選を読むと、どの句も心温まるものだ。俳句は読まれて完結する、と言えるが、西洋でもロラン・バルトと言う人が、そういう意味のことを言っているのを、『近代美学入門』で知った。
●なんとなく、早く休もうと思って夕べは午後8時ごろ寝床に就いた。寝床に入ったまま、何も読みたくも、考えたくもなかったので、じっとしていて2時間が過ぎたころ、寒くなってきたので、電気毛布の温度を強くし、布団の上に毛布を掛けた。首まで埋めても寒い。体温計を取りに起きて測ると37.8度。多分、川風と、昨日の気温に冷えてしまい、風邪を引いたのではと思う。解熱剤のロキソニンを服用。朝を待つ。朝、ロキソニンが切れて、また熱が出ている。今日明日、様子を見て、月曜日に病院にいくことにした。
●これまでかなり歳月を過ごしてきた。乏しい経験ながら、ひとつ重要な経験をしていないことに気がづいた。葬儀のときの弔辞「やすらかにおねむりください。」というなかの「やすらか」ということ。「やすらかな時間」を過ごしたことがない。「やすらかな時間」は、死後に許されている時間なら話は別になるけれど。これに「・・に満ちた」をつけて、「・・に満ちた やすらかな時間」を今日から、残り少ないだろう人生の第一にすればいいのでは、と思った。
晴れのち曇り
●「花冠規約」を封筒から取り出そうとしたら、封筒に一緒に「明るい文学」(岸田國士著)のコピーが見つかった。「深くて明るい現代語による俳句」という信之先生の目指す俳句と関係するものと思われる。信之の俳句日記にそれをワードにして、掲載する。
●創刊40周年記念に、すでに合同句集『泉』は発行したが、花冠俳句叢書第32巻として花冠の『季寄せ』を作ることにした。表紙のデザイン、中の割付はざっとであるが、ほぼ決めた。印刷費の見積もりも自動計算でできた。はじめ、現在の花冠のメンバーだけの季寄せにしようと思ったが、「亞浪、臥風、信之、それにつづくもの」のテーマで編集する。一人の仕事になるが、夏の発行を目標に。
●モーツアルトのヴァイオリンソナタ第1番。ヴァイオリンもいいが、チェンバロがユニークで、たのしそうだった。
曇りのち晴れ、夜雨
川波の上を春行く新幹線 正子
残る鴨水潜りては浮かびけり 正子
川波のひたひたのぼる春の川 正子
草燃ゆる川土手水の見ゆるのみ 正子
●ゆうちょ銀行から登録内容確認と言う書類が届く。発行所名義の預金口座の確認。書類は夜書くことにして、綱島街道を歩いた。乗ろうとしたバスがどれもこれも抜いていくので、歩くことにした。綱島街道はトラックが多い。高層の新綱島ビルが建ったので、それを目安に歩く。
歩きはじめの街道沿いのマンションの景観は芸術的と言えるようなもの。ガラスと赤と正方形の印象。このマンションのデザインを見ると、日本のビルに多い瀟洒な印象は古い感じになっている。松下電器の跡地にアップルのゆるやかに波打つガラスの外壁の大きなビルがある。全面のガラスに、木のブラインドが下ろされ、中は見えない。4階建てのようだ。この辺りに慶大の国際学生寮がある。新しい建築を見ながら歩き、途中、小ざっぱりした坂道に沿うように、竹やぶが続いているので上ってみたら、諏訪神社の境内となっていた。上がった道は裏参道のようだ。反対側に鳥居と石段があり、椿がよく咲いていた。境内を出てまた街道を歩く。新綱島ビルが目の前に近づくと、昔のままの綱島の街になる。飲み屋や銀行、薬局、診療所などが雑多に入り混じった街。新綱島ビルにリンツのカフェがオープンするらしく、仕上げを急いでいた。新綱島ビルを過ぎ、百メートルぐらい街道を進むと鶴見川に行き着く。鉄橋とトラス構造の橋がある。橋を渡れば、横浜の方へ行く。橋を渡らないで、左に折れ、鶴見川の土手を歩く。風の冷たさと、川下から風が吹き波が上流へ流れているだけだ。何もなのがいい。電車が橋を渡る音が川に響く。下流の方に新幹線の橋梁がある。新横浜まで5キロを走る新幹線はスピードを落とすこともない。電車と新幹線が、川に大きく音を響かせて走るのは興趣。
川土手を下流へ歩くと、オオバン、ヒドリガモ、キンクロハジロがいる。キンクロハジロは最近加わったようだ。アオサギが一羽、優美な飛翔を二度。椋鳥、雀に似ているが鳴き声が違う、河原の野茨に止まる鳥の群。柳の枝の高いところに一羽の黒い眼光鋭い大型の鳥。スマホに撮る。帰ってネットで調べたが不明。今日は1万歩を越えた。帰りはいつものところからバスに乗って帰宅。
●モーツアルトの交響曲、今日の41番で1番から41番まで、番号のついている交響曲を聞き終わる。37番はハイドンの曲を編曲したのでそれをのぞいて35番から41番までを六大交響曲というとのこと。35番のハフナーがいいと思う。
曇り、ときどき晴れ
港霞み白い風車に安全灯 正子
船乗り場春の運河にすぐ接す 正子
●3時過ぎ、行くのを迷ったが、横浜そごうへ。鳩居堂と紀伊国屋書店で小用事。陶器と漆器、茶道具売り場、額縁売り場、菓子売り場を見る。今日から外出の時、眼鏡をかけることにした。眼鏡のせいで、少し鑑定眼がありそうに見えたのか、そんな接遇だった。
眼鏡は2焦点レンズなので、急には焦点が合わなくて、見るところによって、足元を踏み違えそうになる。慣れれば大丈夫か、用心すれば大丈夫か、というところ。
初めて気づいたが、紀伊国屋書店の児童図書の書棚が低くて、すぐにガラス窓。そこからベイ・クオーターと運河が見える。ベイ・クオーターは船乗り場で運河に向けて扉が開いている。次はここから船に乗ろうと思いつく。水煙大会のとき、ここから船で山下桟橋まで行った記憶が蘇る。
●昨日は小雨の中を5丁目の丘へ。崖っぷちの公園に着くと四十雀が欅の枝で地声で鳴いて、丈の低いヒアシンスが咲きかけていた。小さい子どもの家に男子中学生が二人、話もしないで、真剣な顔でいる。勉強してるのか、ボードのようなものが見える。何してるんだろう。帰るとき横を通ったら、寄せ書きを書いているようだった。卒業記念の寄せ書きアルバムに貼る言葉を考えていた様子。昔は色紙に寄せ書きを書いたが、今はきれいな表紙のついたアルバム風の台紙に5,6センチサイズのシールにメッセージを書いて貼るようになっている。これをおととい初めて本屋で見たばかりだった。
●モーツアルトの交響曲29番をコンセルトヘボウ室内楽団のライブコンサートで聞いた。厚みがあるけど重すぎない響きがいいと思った。
曇り、午後小雨
辛夷まだ白き蕾をかかぐのみ 正子
鵯の羽音こもりぬ花のなか 正子
雨ふりて雛に仏に灯をともす 正子
●今年10月の鳥取でのねんりんピックの俳句募集要項が届く。鳥取出身の栄太郎さんに先行して一枚郵送。
●きのうは夕方、丸善へ。夕方の本屋を選んでよく行く。通勤の人たちが帰宅を急ぐころ、本屋に立ち寄る人もいるが、その数は少ない。隣で立ち読みしていた人がいつの間にかいなくなる。店の照明の照度が少し落ちてくる感じがする。実際は昼間と変わっていないだろうが、立ち読みで開いているページが眩しくない。
新書を10ページぐらいずつ、めぼしい本を読む。『親密な手紙』(大江健三郎)の冒頭は、松山の文芸仲間の噂で聞いた話。やっぱり本当だったんだと分かる。
『近代美学入門』(井奥陽子著/ちくま新書)を買う。最近やさしい語り口の本にしばしば会うが、この本もやさしい語り口。そもそも美学は「観念」の話。新しく知ることが多い。
ヨーロッパでは、「伝統的に視覚と聴覚が高級で、それ以外は低級」と捉えられていたこと。感覚にたいする上等下等の区別は日本とヨーロッパ文化の違いをとらえるとき、かなり大切と思える。俳句で重要としてきたのは五感ということで、ものの認識において根本的に違っているのではと思う。
「芸術」という言葉は古くからあったが、「美術」と言う言葉は、1873年のウィーン万博の時から使われるようになったということ。このウィーン万博のあった1873年は、最近読む本に何度も出て来る重要年になっている。いやでも覚えてしまった。
●グルダのモーツアルトのソナタK545を聞いた。聞き飽きたようなK545の自由な弾き方に、3回も繰り返して聞いた。
晴れ
雛飾るたのしきものの雛道具 正子
香焚きて仏間の雛の衣匂う 正子
カーテンに春日が映す軒の影 正子
●先日買った『西洋美術史』(新星出版社)をひととおり読み了る。人間、目から入る情報がかなり多いらしから、手っ取り早く時代の様子が分かる気がする。学校で習ったのは、後期印象派・新印象派まで。それは50年ほど前のことになるが、その後は、なんとなく美術を見て来た。ガウディまでの世紀末美術、現代美術のいろいろは、自分で勝手に見ていた。現代美術は多様化と言われている。私の素人目には、細分化が進んでいるようで、何がどうなっているのかよくわからない。
IT社会と言われているが、世の中の行われていることが、毛細血管に入り込むように、小さい裂け目から、深部へと入り込んで、外からは何が何だかわからない。勉強不足のひとことで済ませていいのかとも思う。俳句も筋のある方が次々亡くなり、何が何だかよくわからない。「多様化」ではなく、「細分化」と言えるかもしれない。「多様化」はひとつひとつに肉付けがされている気がする。細分化は個人が、あるいは一部が先鋭化していると言えるのではと思ったりする。
世の中は、形而下から形而上へと変わっているのかもしれない。そこで、私は、「ヒューマニズム」ということが、最近気になっている。「ヒューマニズム」は、「人文主義」というような思想ではなく地下水のように流れて、あくまでも、弱く、みじめであるらしく、人間の心がまえ、心根ということらしい、と『ヒューマニズム考』(渡辺一夫著)から教わった。