晴れ、時々曇り
紫蘇の葉に影ちらちらと晩夏光 正子
夏負けにシナモントースト力とす 正子
トトロの黒猫ジジ
西日除け座らす「ジジ」のぬいぐるみ 正子
●日本詩歌文学館から、収書の手紙。今回求めに応じて初めて花冠No.371を送ったが、かなり徹底して詩歌に関する図書を集めている様子。今回、371号だけ送ったが、そのうち、揃えて送るつもりである。
●晃さんの俳壇の原稿が落着。郵便事情が変わって普通郵便が遅いから、締め切りに間に合うよう気を付けてくださいと念を押す。
●図書館から、『独り居の日記』(メイ・サートン著・武田尚子訳/みすず書房)と『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/小沢書店)を新しく借り、『ヘッセ 魂の手紙』『人は成熟するにつれて若くなる』を延長で再度借りた。
暑いと言いながらも、日差しが黄ばんで、晩夏の光である。口内炎も治ったようで、音楽を聞きながら本が読めるぞ、と嬉しくなっている。学生時代の試験が終わった後の開放感に似ている。図書館から帰って、4時ごろ晃さんの電話を受けて、その後、座布団2枚と枕とほっこりした布団を居間に持ってきて、寝そべり、音楽をかけてクーラーの中で、メイ・サートンを読み始めた。
眠ったのか覚めているのか、音楽だけが聞こえて「死んだばかり」の自分がいることに気づいた。体が浮くような感じで、誰かが背中を少し支えて柩に入れられた。音楽がずっと流れていて、死んだばかりだから、まだ生きているようなのだが、胸元に薄クリーム色のレースのようなものがほんの少し見える。波が体を連れて行くような音楽が気になり、パソコンの画面をみるとマーラーのシンフォニー第5番4楽章の字幕が見えた。ああそうかと思っていると、また何度も聞いた音楽が流れている。なんだろうかと、またパソコンの場面を見るとバッハの「羊はやすらかに草を食み」の字幕が見えた。死んだばかりで柩に入れられていたのは、現実すれすれの夢の世界。耳に音楽は、はっきりと流れていた。この現実が、これが夢のようだった。
晴れ、時々曇り
暑き日の終わり路地にカレーの香 正子
炎昼を歩くとき持つ氷水 正子
虫の声一つを聞けば哀しくも 正子
●8月月例ネット句会案内をする。
自由な投句箱、月例ネット句会のテンプレートを8月仕様に変更。
●晃さんの俳壇投稿の件で相談にのる。
●夕方団地内を氷水をもってウォーキング。口内炎ほぼ治る。
曇り、 夕方雷、雨
七百円の値の涼しくも胡蝶蘭 正子
雷鳴に窓全面の撃たれけり 正子
朝顔の青きしげりに花未だ 正子
●夕方、空を見ると、雲が広がって怪しい青みを帯びた灰色の嵐の前のような色。やがて、大きな雷。しばらくすると雨。ニュースによると板橋区や埼玉では大雨。
●モリスの旅日記は夏の読み物としてよかった。今読んでいる『ヘッセ 魂の手紙』はだんだん気分が重くなってくる。ヘッセに限ったことではないが、傷ついたことなど多くを思い出した。
晴れ、のち曇り
夏草をあおあお灯し庭園灯 正子
柔らかき草の底より虫の声 正子
桃食べて桃の一個の冷えを身に 正子
●今日は危険な暑さの予報。朝、駅前のポストまでが、暑すぎた。日傘をさしていても道路の照り返しがひどい。大変な暑さになると思っていたが、昼前ごろから曇ってきて、気温もが少し下がったのは幸い。夕方散歩にでることができた。氷水をもって団地を歩いていると、草の中に、虫がよく鳴いている。
●『ヘッセ 魂の手紙』(ヘルマン・ヘッセ著/ヘルマンヘッセ研究会編訳)を
80ページほど読む。青年期の内面の葛藤というものが一通りではないが、これは詩人という性質からくるものなのだろうと思った。「詩人」は「作家」と同じように職業と言ってしまうのも、違うような気がする。「詩人」ということについて、様々思わせてくれる手紙である。芸術や文学について、賛美歌と詩の芸術性、道徳の位置づけについて、中学生ごろからわかっており、早熟を思わせる。
●花冠名簿の整理。
●プリンを作る。基本のキのプリンを作った。めずらしく、ほぼ1ミリも違いなくできた感じ。
晴れ
朝顔をコップに挿せば水が澄み 正子
直木賞の本が派手なり夏休み 正子
夕暮れて戻る晩夏のわが家路 正子
●月曜日。なにかと、「始めなければ」と思うが朝から眠い。今朝も昨日と同じ、小澤征爾指揮の「ザ・グレート」を聞いていたが、ついに眠りこむ。目が覚めると、口内炎の痛みがかなり良くなっている。やはり、休むに限るのだろう。
●7月19日から読み始めたモリスの『アイスランドへの旅』(A JOURNAL OF TRAVEL IN ICELAND 1871)を読み終わる。レイキャビックとオーロラしか知らなかったアイスランドだったが、野営と農家などに泊まりながら馬30頭を連れた男4人とガイド二人の、荒々しい自然の旅は、明治時代初めのこととは言え、半ば、共に行動している気持ちになった。特におもしろいのは、農家や牧師の家に泊まり、その家の銀のスプーンや主婦の編んだソックスを買ったり、牧師には古い写本をいらないかと勧められたりするところ。キャンプ地では千鳥や雷鳥を撃ち、鱒を釣り、それを食事に供することなど。今では経験できそうにない。
今はアイスランドでは、みんな英語を上手に話すようだが、モリスが旅した当時は、英語が通じなくて、それが、どこかこの旅日記を面白くしている。モリスはアイスランド語を勉強して旅立っているが、私もほんの少しアイスランド語を知るようになった。多くの人が知らない言語を知ったのも、小鳥の会話を小耳に挟んだ感じがする。
モリスはこの旅日記を表すために、一日の終わりにノートに克明に記録している。そして2年後の1873年、次のアイスランドへの旅に出る直前に清書をし終え、友人のバーン・ジョーンズ夫人へプレゼントされたとのことで、生前は出版されていない。
私はイギリスの旅日記、尾瀬の旅日記を水煙と花冠に掲載しているが、その二つは前半のみである。後半をまだ書いていない。ドイツの旅は時々思い出して書く程度で全くと言っていいほど書いていない。今思えば旅の一日の終わりに、きちんとノートにメモを残し、旅を終えて落ち着いて清書すべきだったと思う。
今ひとりの暮らしになって、自分に何が残されているかと言えば、すべてが何もなく、「書く」ことだけしか残っていないと思える。ガラスペンがインクを含んでいる間は書けると言う類のものにすぎないが。
曇り、ときどき晴れ
朝毎に花を落として日日草 正子
真っ白にペチュニア咲けり日の盛り 正子
実入りよき南瓜夕餉に炊き上がる 正子
●冷凍の鰻の蒲焼でうな重もどきを作る。副菜を何にしよう。胡瓜と章魚の酢のもの、卵焼き、筑前煮とか思いついて、ネットでも調べた。ネットの推奨副菜とほぼ一致。これほど合えば、鰻のおかずの定番と言えそう。
●夕方いつもより遅く句美子が来た。出かけていたらしく、銀座のお土産だと言って鞄につける皮で作った葡萄のアクセサリーをくれた。すぐリュックに付けて、これを付けて倒れていたら、お母さんとすぐわかる目印にするそうだ。
●口内炎はかなり直っているけれどまだ痛い。痛いと思いつつ無為無想で(といかないまでも)、シューベルトの「ザ・グレート」を小澤征爾で聞く(1996年サイトウ・キネンオーケストラ)。第1楽章と第2楽章の間は長いが、第1楽章が終わり、第2楽章を始める前に小澤征爾の表情に一瞬、ほっとしている様子が見えた。指揮者のこんな表情を見ることはほとんどない。
曇り、ときどき晴れるも夕方雨がぱらつく
南瓜一つ買えば帰りの荷となりぬ 正子
日日草水に散りては回りけり 正子
ざる蕎麦に茄子田楽と鮎熱し 正子
●パリ五輪のパレードがセーヌ川をいろんな船で航行する形で行われた。船上の選手たちがよく見えて、一つ一つの国がよくわかる。セーヌ川沿いでパフォーマンスが行われていたが、お国柄が現れていて、なるほどと思いつつも、見続ける忍耐強さはなく少しだけ見た。
●元が買ってくれた鳩居堂の「てふてふ」と「さくら」の線香は、煙が少ない。だから、使ってみろというので、名前が季節外れなのだけれど使ってみると、白檀に花の匂いをつけたような匂い。線香を焚いたのを忘れて、何かいい匂いがするとか思ったりした。暑くて花がもたないので、菊の花の茎を思い切り、短くして供えた。
●今日の今日まで、パフィンはペンギンの子どもをそう呼ぶのだと思っていた。子どもペンギンを見れば、雛の時は別にして、親と同じ姿と認識できるのに、なんでそんなことに。有名なペンギンブックスがあるが、これは大人シリーズで、子どもシリーズはパフィンブックスという。そして、マークがそれぞれモノクロのペンギンとパフィン。パフィンブックスのパフィンは子供用に子どもペンギンを可愛くデザインしたものだと何十年も思いこんでいた。
ネットでアイスランドの事を調べていたら、黒と白の体に嘴と脚のオレンジが目立ち、目の周りがデザインされたようにかわいい鳥が出て来た。これがパフィン。グリーンランドとか、パフィン島とか、アイスランドとかに棲息している。日本語では二シツノメドリというが、初めて聞いためずらしい名前。
曇り、ときどき晴れ
●「みんなの選ぶ花冠秀句」の評判がよいので、抜き刷りをして、欲しい方に渡そうと思いついた。もう少し、整理した形がいいかもしれない。句美子の句の英訳本を出した後のことにする。
●モリスの『アイスランドへの旅』は、地名がたくさん出て来るが、これらが読みにくい。アイスランド語のアルファベットだけでも知っておこうとネットで調べた。北欧系の言語、北ゲルマン系。R,S,Yはそのままドイツ語と同じ発音。谷のことは「ダールル」だが、これはドイツ語の「Tar」と関係ありそうだし、オアシスを表す地名「ブルンナル」はドイツ語の「泉」の「Brunnen」と関係ありそうに思える。英語のe,d,t,は語尾の音が「ェア」になっていることに気づく。
もちろんauðvitaðは英語のof course に似ている。
こんにちはgóðan dagはドイツ語のGuten Tagに通うところがある。
アルファベットの簡単な知識と、わずかな単語を知ってから、また、本を開いて読み始めた。俄然、読みやすくなった。われながら驚いている。
晴れ、のち曇り、夕方雨
夕焼けの窓を連ねて東横線 正子
夕焼けを運ぶ電車を見送りぬ 正子
夏野の花暮らしの花として活ける 正子
●疲れか、ビタミン不足か、ここ二日、口内炎。やっぱり、休んだ方がいいのだろう。毎年一番暑いこの時期に、水をたくさん使うカーテンやラグの洗濯をする。ところが、今年はラグは洗ったが、疲れてしまっている。多分、花冠の編集は、とにかく、やり切らなければの思いが強かったこともある。
●花冠371号のみんなの感想。みなさん、苦労をねぎらってくれた。特に、晃さんは、「相当な時間と労力が伺え、びっくりすると同時にたいへん有難く思います。 」、ますみさんは「特に『みんなの選ぶ秀句』が楽しみです。花冠歳時記ですね。おかげ様で誇らしい気持ちです。 」と言ってくれたし、美知子さんは、「特にみんなの選ぶ花冠秀句424句には感動しています。四季を通じて、何度もこの冊子を取り出し、読み返すような今後の花冠の指針となるような気がします。 」とも言ってくれた。企画した者として手応えを感じ、そう思ってくださることをありがたく思う。
●花冠371号は印刷製本代と、パソコン1台、印刷機1台と私の労力とアイディアだけできている。つまり、大げさに言えば、資本主義、分業主義とは関係ないのだ。人間の力だけでやっている。これは、貧乏人でも一人でもアイディアと労力を使えば何かしら成し得ることを示している。今日のYou Tube「一月万冊」で聞く話によると、資本主義も分業主義も終わっていて、これからは、人間の時代が来るのだということだ。社会はすこしずつ良い方に行っているらしい。お金がなくてもいいということだと、私は判断している。
曇り、ときどき晴れ
月見草摘まれ萎れる花の白 正子
露草の青を供えて月命日 正子
摘みて来し夏野の花を水に浸け 正子
●おととい洗って、きれいに乾いたラグの上で快適に過ごす。宅急便や郵便物、生協の配達など、たびたび玄関のドアを開けた。
●今日は信之先生の月命日。朝ウォーキングに出た時、月見草と露草を摘んできた。月見草は、歩いているうちに萎れて帰って水に放っても、もとにもどらなかった。白さが儚い。露草は氷水をたっぷり入れて仏前に供えた。仏壇の涼しそうなこと。そして、命日香の朝顔を焚いた。露草は昼までは咲いてくれる。その後は苞のなかに消える。