9月16日(月)敬老の日

暁に雨、のち曇り
黒葡萄洗えば白くひかる粒   正子
さらばえし朝顔一本抜き捨てる 正子

●敬老の日なのだが、病院が開いていて、朝8時半ごろ出かけ、循環器の検査いろいろ。薬を飲んでの上でのことだが、どこも悪くないそうだ。待ち時間に文庫本の『シッダールタ』を読んでいた。インドなのに無花果の木がでてきたけれど、あるのかなと思った。それで、ネットで調べると「インド菩提樹」がクワ科イチジク属とあった。インド菩提樹をイチジクの木と訳しているのかなと思った。普通のイチジクもインドで栽培されているとある。日本で菩提樹と言われるのは、西洋菩提樹でリンデンバウム。日本ではインド菩提樹は育たないらしい。

昨日は『デミアン』を読んだが、エヴァ夫人と言うのが気になる。母性的なものを表しているのだろう。『ファウスト』でも、女性的なものが問題となっている。このところ母性的なもの」について、あまり言われないのではと、ふと思った。「母性的なもの」は男性目線なのかもしれないが、かならずしもジェンダーの問題ではないような気がする。

ヨーロッパの小説など読むと、なぜと思うところに必ずユダヤ問題がある。よほど深く入り込んでいる。かの詩人もこの詩人も、何故自殺したのかと経歴など見ると、ユダヤ人なのだ。読んだあとにわからなさが残る。信之先生の本棚に「ユダヤ人」と帯に書かれている本が目に入った。ずっと前からあって、目には入っていたのだろうが、気に留めていなかった。取り出して中を見る。読んでみたいが、目がちらちらする。いままで読まないで来たことにここに来て、し訳ない気持ちがしたが、今やっと自分の時間ができたのだから、しょうがないよと言う気持ちもある。

9月15日(日)老人の日

晴れ
柿の葉の黒々として秋暑し 正子
新米の売られ始めの越前米 正子
●ディアマンクッキーを焼く。プレーンとアーモンド入りココア。夕方、友宏さんが来たので、食べてもらったら、美味しいというので安心。もらって帰ると言うので、少し残して渡す。新しいレンジのオーブンで焼くのはこれで三度目。真ん中が焼けすぎる癖があるので、途中でアルミホイルを掛けたり、工夫。今日が一番いい出来と言えそう。涼しくなったら、オーブンを買うことを考えよう。
●葡萄、ピオーネとニューべりーAを冷凍にする。氷菓の「アイスの実」のようになる。
●明日は敬老の日ながら、病院から定期診療の案内がメールで来る。この病院IT化に積極的と思う。

9月14日(土)

晴れ
この月の光をいますぐ贈りたい       正子
振り向けばコスモス畑月光に      正子
きらきらと名もなき蜻蛉吾に親し    正子

●今日から始まる里山ガーデンフェスタへひとりで行った。初日なのだ。里山花壇にバスで着いたのはちょうど12時。園内は確かに暑い。目の前に黄色をメインにした花壇が広がっている。遠目に映る黄色は黄花コスモスだろう。足元には真紅の鶏頭、ペンタスやネメシア、ジニア、秋らしくパンパスの類。ピンク、白、紅色のコスモスも球面を描く丘に戦いでいた。

暑いので丁寧に花を見る気にもならず、コスモスの花壇の奥がすぐに森に続いて風がすずしいので、桜の木陰を見つけて腰を下ろした。切り株型の椅子があるので腰かけ、バスに乗る前に駅前のベーカリーで買ったアンパン一個を、水筒の氷水と食べた。氷水は指先をちょっと洗うのにも便利がいい。

今日なぜ、アンパンかと言うと、おととい読んだ『近代日本文学のすすめ』(岩波文庫)に詩人の西脇順三郎の随筆だったかが載っていた。川崎市の影向寺(ようごうじ)の薬師如来の科学的調査に友人の美術家のお供で行った時の話である。影向寺は奈良時代からの古刹で、わが家のある日吉本町から信之先生と歩いて行ったことがあるが、いいお寺だ。信之先生と私が訪ねたときは、きれいに修理されたていたが、西脇たちが昭和十五年晩秋に訪ねたときには、ずいぶん傷んでいたようだ。美術家は薬師如来の寸法を測り、西脇は頭の渦巻きの数を数えたとのこと。調査が終わり二人は歩いて「日吉の先に出た。」と書いてある。私と信之先生が歩いた道だろう。その道を、ふたりで「あんぱんをかじりながら歩いた。」ともある。晩秋のお寺での調査と寒々とした田舎道を歩いて冷えたせいなのだろう、翌日二人とも熱を出したそうだ。薬師如来の調査をして熱が出るとは、というようなことだった。「かじりながら」が、晩秋の道を歩く小腹を空かせた男二人を立派に想像させるではないか。
 
話はそれたが、ここに出るあんぱんが,小腹がすいているときにとても美味しそうなのだ。吟行のおやつに迷うが、もう、アンパンにすることにした。あんぱんをちぎって食べていると、法師ゼミや飛蝗の鳴く声が聞こえる。この木陰から花壇が一望できる。花壇を見て回るのは帰る道々でいいと思い、持ってきた読みかけの『デミアン』を読むことにした。1時間半ほど読んで、大学生になったシンクレールが町で小柄な日本人と連れ立っているデミアンと再会する場面で、切りをつけた。目が疲れてそんなに長く読んでいれないのだ。近々眼科に行かなくてはならないだろう。

歩いているとフェスタのスタッフに会った。初めて見る珍しい植物の名前を聞くと、手にした花図鑑を開いて、「キャットウィスカー(ねこひげ」だと教えてくれた。白い猫のひげのようにピュンと突き出ている。これが花壇のアクセントになっている。花はいつ植えたのかと聞くと、農家に委託して育ててもらい、それを移植しているので、花壇で育ったのではないという。

一巡したので、彼岸花が咲いているかもしれないと、森を抜けて田んぼへ降りた。田んぼに出たところで、子供連れの家族が目高がいるいる、と覗いていた。今年は、ほてい葵が植えられて、うすむらさきの花を咲かせていた。春に来た時よく鳴いていたガビチョウは一声二声鳴くだけだった。それでも鳴いていたので、いるにはいるのだろう。彼岸花は咲いてもいないし、そこに根っこがあるような素振りもない。なにも植えていない田んぼを小さめな蜻蛉が飛んでいた。もともと羽が黄色がかっているのか、太陽のせいでそう見えるのかわからないが、そんな蜻蛉がいた。道沿いの木に葛の花が絡まって、青いどんぐりがかなり落ちている。つい踏んでいるのか、歩くとバリバリ音がする。きれいな緑色のを三個拾った。また、森の別の坂道を上り、入口広場に出たら、数分も待たないでシャトルバスが来た。シャトルバスは動物園まで木々のトンネルを抜けるが、サングラスをはずすと桂がうすく色づいていた。動物園前のバス停に着くとそこでも数分待っただけで中山駅行のバスが来た。今日は終始運がいい。帰宅は四時前。仏前に拾った団栗を供えた。

9月13日(金)

晴れのち曇り
秋暑し街に流れるアコーディオン 正子
極まりし暑さ頭上に女郎花    正子
独り居の自由に広し葡萄食ぶ   正子

●朝顔が一番たくさん咲いた。
●「俳壇10月号」俳壇ワイド作品集に吉田晃さんの「匂う夏」7句が掲載される。
●今日また図書館日からリルケとヘッセの文庫本4冊を借りて来た。目がくらみそうに暑いので、一日家で過ごす。今日は『マルテの手記』と『デミアン』を三分の一ぐらいずつ読む。

9月月例ネット句会/ご挨拶

ご挨拶
台風の過ぎたあとも厳しい残暑が続いています。9月月例ネット句会にご参加ありがとうございました。入賞の皆様おめでとうございます。
暑いといいながらも朝夕は過ごしやすくなっている感じです。ご投句から、稲が熟れ、酢橘が出回り、烏賊が干されたり、身近な生活が秋らしくなっていることに新鮮さを感じました。

また、選句とコメントをありがとうございます。お一人お一人のコメントから、私の気づかなかったことなどの指摘があったり、勉強になっています。今月は12名のご参加があり、たのしい句会になりました。これで9月月例ネット句会を終わります。来月の句会は10月13日(日)となります。楽しみにお待ちください。
2024年9月12日
髙橋正子

9月12日(木)

晴れ
庭先のその端っこに弁慶草     正子
石垣の上に花見え弁慶草      正子
家内の暗さに目が慣れマスカット  正子
 
●今朝も朝顔がたくさん咲いた。今日も日中は猛暑。

●午前、図書館へ本の返却に。延長1冊、新しく2冊借りた。夕方丸善で立ち読み。『近代日本文学のすすめ』(岩波文庫)をめくると、西脇順三郎が「影向寺(ようごうじ)」の事を書いた文章の紹介があった。影向寺へ信之先生と日吉本町の自宅から歩いて行ったことがあるが、この寺に西脇順三郎の詩碑があるというが、その時は気づかなかった。もう少し涼しくなったら出掛けよう。
センター南の駅前花壇は夏の疲れで元気がないが、ベンケイソウの花が目を引いた。地味な花だけに気にかかるのは、私の性分か。多肉植物のたくましさがあって、小さい粒のような花は色はピンクだが、かわいいとも思えない。昭和のなつかしさがあって気になるのだろうか。自分でもわからない。

9月11日(水)

晴れ
あかつきを朝顔青き花ひらく  正子
新甘藷湯気昇らせて蒸かしけり 正子

●明け方窓を開けで、目を疑った。きのうまでは朝顔が、一つか多くて三つ咲く程度だったのに、今朝は数え切れないほど青い朝顔が一斉に咲いた。西洋朝顔ではなく日本の朝顔な、なおさらのこと驚いた。
●沼隈の葡萄を妹が送ってくる。今では店頭では見られない昔からの葡萄ニューべりーAが入っていた。シャインマスカットやピオーネもおいしいが、葡萄らしいのはニューベリーA。ワインよりの味がする。仏前に供える。
Essay
(四)リルケと俳句について
●明日が図書館の本の返却日。読みかけの『リルケ』を開いた。俳諧がリルケに与えた影響についての文章で、ボードマースホーフについての述べたところに、愛媛大学の藤田正幸先生の名前があって、驚く。驚くこともないのだが、藤田先生は菖園が俳号でボードマースホーフの研究しておられたのを思い出した。引用されたことは、本人に知らされないので、思わぬところで引用されていることを知る。たぶん藤田先生も知らないだろう。信之先生の『比較俳句論序説』が『日本詩歌の伝統 七と五の詩学』(川村皓嗣著)に引用されているのを見つけたのは私なのだ。本人は知らないことが多い。

●愛媛新聞に掲載された今年の俳句甲子園の俳句を晃さんが送ってくれた。晃さんは青少年の俳句の将来を心配している。読ませてもらい、晃さんに電話をした。「何も言うことはありません。」と返事した。

9月10日(火)

晴れ
青もみじ御身は金に九品仏      正子
落栗のなかに青き栗の毬       正子
青いちょう伽藍に大樹の影を置く   正子
みどりなす伽藍につくつくつくつくし 正子
 自由が丘デパート
文鳥を売る店そこが涼しかり  正子

●昨日から、朝が来たら、出かけようと考えていた。9時過ぎの電車で九品仏の浄真寺へ行った。はじめ等々力渓谷へ行こうと考えていたが、倒木があって遊歩道が立ち入り禁止になっている情報があるので、あきらめた。

大岡山で大井町線に乗り換え、九品仏で降りた。九品仏の浄真寺へは、九品仏駅を出て左手へ線路を渡ると探すこともなく参道が見える。九品仏駅は本当に小さい駅で、電車が駅舎をこわさないようにゆっくり入線して来る感じだ。

浄真寺の参道は下枝を取り払った丈高い松の並木が続き、総門を入るとすぐ左手に閻魔堂がある。三途の川の橋を渡り焔魔堂に入り、賽銭を投げ入れ手を合わせたとたん、「人生はあせらず、辛抱強く・・ 」と言う閻魔大王の声。賽銭の額によって、閻魔大王の言葉が違うのか、と思ったり。

境内にはたくさんの青紅葉が枝を広げ目に涼しそうに映る。境内は木陰が広がっているが、じんわりと暑い。樹齢300年の銀杏や樹齢800年の榧の木がある。栗の毬や松毬がたくさん落ちているところもあった。鷺草で有名な寺のようで、鷺草を鑑賞できるような池水もある。手水は鷺草をデザインしたもの、本堂の前には二羽の鷺が羽を広げた像がある。

本堂と向かい合って九体の阿弥陀如来が下品堂、上品堂、中品堂と呼ばれている三つのお堂に三体ずつ安置されている。ら髪は青く、御身は金色。。下品堂の一体は遷仏中で見れなかった。阿弥陀如来の手の形がそれぞれ違っている。それには呼び方がある。間違い探しのように違いを比べて見る。

お堂には賽銭箱にセットされて、おみくじがあったので、少しかき混ぜて引いた。開けると「末吉」。失せ物、近いところにあります。(それはそう、家の中で見えなくなったのだから)。学問、危うし全力を尽くせ(全然学問していないから)。恋愛、今はまだ駄目です(そうなのか)。病気、気を強くもてば安心(病は気からっていうもの)。

境内に丸木を半分にしたベンチが置かれていて、世田谷夫人たちが連れ立ってお参りにきている。私にも、挨拶してくれる。二度会えば二度、三度会えば三度挨拶をしてくれて、近所人と思われたかもしれない。

帰りは九品仏から自由が丘まで電車に乗り、東横線で帰った。久しぶりの自由が丘を見ようと街にでたが、さびれた感じで昔のようなお洒落な雰囲気はない。駅前は鹿島建設が再開発中。楽しい街のイメージは無くなっている。九品仏から自由が丘まで緑道があるのを見つけた。気候がよければ歩けそうだ。帰宅は11時半ごろで、思ったより近い。

■9月月例ネット句会/入賞発表■

■9月月例ネット句会/入賞発表■
2024年9月9日

【金賞】
17.とうふ真白すだちの青き香を絞る/川名ますみ
上五から下五まですっきりと詠みくだし、精神がまっすぐに通っているのがいい。すだちの「青き香」は香りでありながら、青色を視覚に訴える効果があって、句を印象づけている。気持ちのよい爽秋の句。(髙橋正子)

【銀賞/2句】
06.稲の香のあふるるばかり天は青/小口泰與
句会参加者の大勢の共感を得た句。日本人みんなの心に響く句と言えよう。稲のぬくみのある香りがあふれ、空は晴れて真っ青。私もこの光景を懐かしく思い出し、はれやかな思いになった。稲の稔る美しい日本の象徴的な光景だ。(髙橋正子)

30.露草の青透く風に裏戸あけ/柳原美知子
裏戸を開けると露草が咲き、すずしい風が吹いている。露草の青い色が透き通り、目が覚めるようだ。「裏戸」の陰りのある印象が句に深みをもたらしている。(髙橋正子)

【銅賞/3句】
08.寝ころびて見上げる空にいわし雲/友田 修
寝ころんで空を見上げる時間は、それが「しばしの時間」であっても貴重なのではないだろうか。見上げた空にいわし雲がひろがり、空はすっかり秋になっている。そんな思いがいい。(髙橋正子)

11.烏賊干せば烏賊の匂いの浜風に/吉田 晃
「烏賊干す」は浜上げされた烏賊を裁いて開き、するめいかにするために、風にあてて干すもので、この季節の風物詩でもある。烏賊を干せば、烏賊の生の匂いが浜風にのって届いてい来る。晴れた空に干されるたくさんの烏賊が浜の特別な風景になっている。(髙橋正子)

23.台風に泊まる事務所は煌々と/高橋秀之
台風が来るからと事務所に泊まり込みで警戒をしなくてはならない夜。港湾の事務所だろうが、事務所に灯る燈は煌々として、台風の接近に緊張感が高まっている。現場を詠んだ職場の俳句。(髙橋正子)

【髙橋正子特選/7句】
06.稲の香のあふるるばかり天は青/小口泰與
稲刈りが始まったのでしょうか。溢れるばかりのイネの香りが、晴れわたる青き空を広く感じさせてくれます。(高橋秀之)
9月に入り日毎に秋めいて来れば、天は青くなり、稲穂は黄金色に熟れて豊かな香りを漂わせて居ります。 豊穣の稔りの秋の景色が嬉しい。(桑本栄太郎)

09.柔らいだ暑さに少しさびしさも/友田 修
猛暑続きだった夏の名残りはまだあるものの、朝夕は虫の音も聞こえ、秋風が吹き、秋本番もすぐそこです。秋が来れば一気に季節が進み、今年もすぐに暮れていきそうな寂しさも感じられます。 (柳原美知子)

17.とうふ真白すだちの青き香を絞る/川名ますみ
夏の名残の暑さの中に少し秋の風情が漂う昨今。豆腐に酢橘を絞りかけると、見た目にも香りにも爽やかさが感じられ、体の芯に溜まっていた疲れが消えてゆく。読み手にも爽やかさを分けていただいた。(吉田 晃)

30.露草の青透く風に裏戸あけ/柳原美知子
まだ気温は高いものの、空気が澄み、小さな草花がきれいに映える季節となりました。露草の青色はひときわ明るく、風に透けるほど。裏戸をあけてその風を入れるとき、秋の清々しさを全身に感じます。(川名ますみ)

11.烏賊干せば烏賊の匂いの浜風に/吉田 晃
23.台風に泊まる事務所は煌々と/高橋秀之
29.登校の帽子の列が稔り田を/柳原美知子

【髙橋句美子特選/7句】
06.稲の香のあふるるばかり天は青/小口泰與
稲刈りが始まったのでしょうか。溢れるばかりのイネの香りが、晴れわたる青き空を広く感じさせてくれます。(高橋秀之)
9月に入り日毎に秋めいて来れば、天は青くなり、稲穂は黄金色に熟れて豊かな香りを漂わせて居ります。 豊穣の稔りの秋の景色が嬉しい。(桑本栄太郎)

08.寝ころびて見上げる空にいわし雲/友田 修
空の広さを感じてゆったりとした気持ちになりました。 (髙橋句美子)

21.秋天に草刈る音の響きおり/多田有花
秋の空に向かって、草を刈る音が高らかに響いていきます。残暑が厳しい日が続きますが、季節は確実に進んでいる一コマです。(高橋秀之)

26.つゆ草の露のとうめ玻璃よりも/髙橋正子
露を帯びて咲くツユクサの清楚なたたずまい。身近な野の花なのに高貴な雰囲気を感じます。(多田有花)

30.露草の青透く風に裏戸あけ/柳原美知子
まだ気温は高いものの、空気が澄み、小さな草花がきれいに映える季節となりました。露草の青色はひときわ明るく、風に透けるほど。裏戸をあけてその風を入れるとき、秋の清々しさを全身に感じます。(川名ますみ)

10.秋茄子の紐に結わえて支えられ/吉田 晃
17.とうふ真白すだちの青き香を絞る/川名ますみ

【入選/8句】
02.嵐去り又も日差しの残暑かな/桑本栄太郎
先日の台風10号は見たこともないような進路をとったうえに嵐が去れば涼しくなるかと思いきや厳しい残暑を残していきました。うんざりされているさまが浮かびます。(多田有花)

07.夕立の切れ目に聞こゆ虫の声/友田 修
夕立があがると同時に聞こえ出す虫の声。そして、また雨が降り出すと静かになります。夕立の切れ目の自然の動きをつかみ取りました。(高橋秀之)

12.店先のすすきへ風の来る花屋/吉田 晃
通りかかった花屋の店先にそよぐすすき。町中にも爽やかな秋の訪れを感じるうれしいひとときです。 (柳原美知子)

14.鶏頭のふさふさ伸びて子規忌来る/廣田洋一
鶏頭と子規忌の素敵な取り合わせですね。(小口泰與)

19.刃を受けて西瓜ぱっくりと割れぬ/多田有花
大きな西瓜をまっぷたつに切るのはなかなか難しいですが、良く熟れていたのでしょう。さくっと刃がが入りきれいに二つに割れました。「ぱっくりと」
にうれしい気持ちが表れています。みずみずしくおいしそうな西瓜が目に浮かびます。 (柳原美知子)

22.蟋蟀の声はどこから列車待つ/高橋秀之
夜になると虫の声がさかんに聞こえる季節になりました。ひとり列車を待っておられたらどこからかコオロギの声。秋の深まりを感じるひとときですね。(多田有花)

28.野分過ぎ闇の深さに星光る/柳原美知子
深夜、台風の眼の下に入ったときに見た星空の美しかったことを思い出します。本当に嵐とは対照的な静けさです。(友田修)
嵐が過ぎ去った後は、空気も澄んで星空観察には良いタイミングですね。夜中にひときわ輝く星空が浮かびます。 (西村友宏)

32.台風のあと食堂をひとり占め/西村友宏
関東地方は台風から離れていたにもかかわらずあちこちで豪雨災害が。出勤してくる人が少なく、食堂ではひとりきり。それを「ひとり占め」と詠まれ、子どものような爽快さがあります。(多田有花)

■選者詠/髙橋正子  
26.つゆ草の露のとうめ玻璃よりも
露を帯びて咲くツユクサの清楚なたたずまい。身近な野の花なのに高貴な雰囲気を感じます。(多田有花)

27 秋澄んで山々近く寄り来る
秋の空は澄んでいて色もくっきり見えるので、山も近く見えるのを、近く寄り来るとしたのが上手い。 (廣田洋一)

25.朝顔の青の二輪を仏前に 

■選者詠/髙橋句美子
34.萩の花の揺れて祝う誕生日/髙橋句美子
信之先生が「女児誕生白萩の白咲ける日に」と詠まれているように、句美子様の誕生の日に咲いた白い萩の花。今年もまた誕生日には萩の花が咲いていて
風に揺れ、誕生日を祝ってくれているかのようです。爽やかにお誕生日を迎えられ、お喜び申しあげます。 (柳原美知子)

35.百日紅満開青い空の下
花が相対的に少なくなる夏に、百日紅はその薄紅色の花を長く楽しめます。そしてその花の上にはいつも青い空があります。 (友田修)

36.清々しゼリーに浮かぶ葡萄の実

●互選最高点句(10点)
06.稲の香のあふるるばかり天は青/小口泰與
集計:髙橋正子


※コメントのない句にコメントをよろしくお願いします。思ったこと、感じたこと、ご自由にお書きください。

9月9日(月)

晴れ、のち曇り
朝顔の葉の上黒き雲が満ち    正子
ベランダの狭き空にも秋の雲   正子
日日草如雨露の水に散りやすく  正子
●9月月例ネット句会入賞発表
https:/blog.goo.ne.jp/kakan02d
●自由な投句箱に『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著)から、その日の俳句を一句ずつ貼り付けている。平成17年8月28日発行なので西暦では2005年。この日から19年経って、取り上げた俳句の古さを毎日感じながら貼り付けている。選んだときは十分新鮮だったのに、なぜかと思っている。
「インターネット俳句センター」を開設したのが1996年なので、この時はすでにインターネットを使いはじめて丸9年経っているから、「ネット社会」という社会への変化でもないだろう。詠む対象に変化があるのかもしれない。人間の心のありようの変化かも知れない。
Essay
(三)リルケと俳句について
信之先生が遺しているリルケの作品集を開いて、はじめの2篇の小さい詩を読むことができた。一日一篇を読んだのだ。1885年、リルケが20歳の時の作品の最初の2篇「古い家で」と「小さい地区」と言う題名の詩で、リルケが生まれた街プラハを詠んでいる。プラハはどんな街なのだろう、ニコライ堂の緑青色の塔はどんな様子なんだろうとか、小さな街の切妻屋根の間から見える小さい空はどんなに可愛くてきれいなんだろうとか、想像するのが楽しくなる。古都の風景かもしれないが、この詩が古いと言う印象はない。(このころのプラハをこの詩に詠んだが、後年様変わりしたプラハを好きではなかったようだ。)
芭蕉の俳句はリルケよりもっと古いが、古いには古いが、古くて萎んできた印象はない。なにがそうさせているのか、知りたいもの。よく「人間の普遍的なテーマ」を取り扱っているので古びないと言うことが言われる。これが当たっているようで実はよくわからない。