11月9日(土)

晴れ
墓原歩くとつぐみ不意に発つ     正子
背を伸ばし鶫はひろき地を眺む    正子
冬竹林散歩の犬が中を行き      正子

●部屋にいると小寒い。やはり冬なのだと思うが、来週からは暖かい予報。朝鯛ヶ崎に散歩に行った。鶫を見に行ったが、気配はなく、公園の低木の茂みにアオジがいた。チリチリ鳴いている。目白もチリチリ鳴くので、確かめようと思うと、茂みに潜って二度とでてこなかった。アオジに間違いないと思う。そして、竹林を散歩している赤いチェックの服を着た犬を見た。飼い主はうす暗い竹林にまぎれて、いないように見えたが、リードが光って、その先にいた。竹林を散歩する犬もなかなか風流なと思いつつ見ていた。

●窓拭きを少し。きのうは電気毛布を敷いて寝た。寒さや暑さにやせ我慢しないことにした。いままで、この程度の寒さなら、信之先生はともかく、自分は暖房器具を使うことはなかった。この冬からは、自分に甘く、ときどき、褒美もあげて生活するのがいいと思い出した。

11月8日(金)

晴れたり、曇ったり
夕鵙は出でしばかりの月へ鳴く   正子
夕鵙は月へ帰るか鳴き止みぬ    正子
竹林の端の空暮れ鵙鳴けり     正子

●昨日、神宮館の暦を買ってきたので、今日は、テンプレートを使って来年のカレンダーを作った。二十四節季や俳句の行事、家の予定を前もって書き込めるなど、便利がよい。これに味をしめている。A4の大きさも大きすぎずよい。ひとり暮らしにはこれで足りる。

●墓地の管理事務所に来年の法事の予約を入れた。油断して忘れるところであった。お花は今年は洋花だったので、来年は和花にしてもらった。干菓子と果物も頼んだ。

●昨日が立冬だったので、朝冷える感じがする。昨日は丘を越え緑道を通り、日吉まで行ったので、一万歩を越えていた。

今朝は、小鳥のいるところを探して歩いたが、ひよどりぐらいしかいない。ところが、まさかのことに墓地の囲いになかに鶫がいた。鶫がいるとは思わないから、ただ歩いていたら、急に鶫が飛び立った。白と茶色のまだらが目に残る。ようやく渡ってきたところだろう。 

鯛ヶ崎公園の竹林の裾に、公園で見られる小鳥の看板がある。鶫とほおじろをまだ見ていなかった。見たいとは思っていたが、なかなか会えなかった。今日は偶然といえる。公園の上手の樹に巣箱がかかっている。多分、四十雀が入るのだろうとしばらく眺めていた。待っている間もなく、四十雀が飛んで来て巣箱の上に止った。中に入りかけて、入らない。この巣箱は、竹林の近くの樹に掛けていたのを、移動したのではないかと思えた。この森に巣箱がひとつだけ、とういのも面白い。小鳥を見るには、森に入って小鳥が来るのを待っていなければいけない。自分が森に溶け込んで、人の気配を失くしたときに小鳥がやってくることに気づいた。                                                                                                                                                                                                 

11月7日(木)立冬

快晴
スケボーの子らに月出で冬立ちぬ 正子
越えてゆく山路に残る虫の声 正子
立冬の花屋の隅に球根売り  正子
●今朝も未明に目が覚めたので、起きて「自由な投句箱」の秀句を決め、コメントをした。それからメールの点検をし、もう一度寝床に就いた。7時ごろ見たこともない夢で目が覚めた。どうやら文学賞の夢らしい。テーマが「谷崎潤一郎について」、賞金が32万円。それ以外は、締め切りも、どこが募集しているのかもわからない。赤丸が付いて賞金32万円とある。半端な賞金額にテーマがなんで「谷崎潤一郎」。夢とは言え、よくもこんなことを思いついたものだ。
●今日は立冬。東京は木枯らし1号が吹いたそうだ。木枯らしとはいえ、歩けば体が温まっているので、吹く風はここちよかった。
そろそろ来年の予定を組んでおかなくてはならなくなった。それで、今日日吉へ神宮館の暦を買いに行った。二丁目の丘の山路を通り、松の川緑道を歩いて行った。松の川緑道の丘に住宅地が開発されている。滲み出た水が緑道の小さい川に流れだして大丈夫かと思った。日吉病院の跡地というが、そんな病院があったかと思うくらいだ。どのあたりになるのか、丘を上ってみた。小学生が2,3人工事を見に来ていた。こんな小さい子どもも緑道が大丈夫か工事の成り行きを見に来たのだという。後で一人の親も来た。夏の暑い時は、緑道をあるかなかったので、すっかり様子が変わっていた。

肝心の暦だが、一番薄いものを買った。何かするとき、大安とか、仏滅とか、一応知っておかないといけない。来年信之先生の三周忌があるが、お寺と墓地の管理事務所に恃むのを忘れることろだった。来年の五月なのだが、今から頼まないと希望の日日がとれないとか。去年は一周忌の法事を頼んだは10月だったのを思い出した。

11月6日(水)

曇り
鴨来たり少しの群れが少し泳ぎ 正子
鴨の群れ一羽離れて水があき  正子
夕方の子らがにぎやか紅葉散る 正子

●未明に目が覚めた。You Tube で「朝のクラッシック」を探すと、イタリアのレコード会社「ハリドン」見つかった。以前はハリドンをよく聞いていたが、すっかり離れていた。ハリドン・ミュージックはいいと思う。
●1月号の編集が思ったより捗ったので、鶴見川へ鴨を見に出かけた。3時過ぎていたが、真っすぐに鶴見川へ行って帰れば、暗くなる前に帰れる。歩くのにちょうどよい気温なので、疲れないで歩ける。

川の土手を上がると、静かな川面は秋色深く鴨の群れがいた。数えれば七羽。ときどき鳴き声が聞こえる。橋の下手にも鴨の群れが見えたので、そちらに行った。十四羽いる。黒っぽく見える。近くに来ないので、よく見えないが、同じ種類らしい。矢上川へも回ったが、こちらは一羽もいなかった。矢上川の方がみどりの水の色が深い。土手の径は草葦が目の高さほどに育っている。川の水がよく見えない。バスの通る一本橋の袂から綱島街道までまっすぐ歩き、そこで日吉駅までバスに乗った。川にもう少し鳥が来ないと面白くない。

●アメリカ大統領はトランプが勝利。女性大統領の誕生はアメリカでもなかなか難しいようだ。

11月5日(火)

晴れのち曇り
秋の灯を点し円環の観覧車   正子
乗り換えし電車の座席秋温し  正子
駅出口スタジアムへと秋澄みぬ 正子

●新横浜駅に行った。手元にEX予約というカードがある。何回か使ったが、旅行しなかったので、長く使っていない。ネットで調べるがやり直してくださいとのみ。これが使えるものかどうか。駅員に調べてもらうと、問題ないという。新幹線に乗るのさえ、知識を更新しなくてはいけなくなっている。

駅ビルに来たついでに、ビルを見物。三省堂が有隣堂になっている。高島屋はとっくに撤退して、喫茶店と弁当を売る店が圧倒的に多い。ロフトやユニクロやレストラン街を見て歩く。

ロフトを見ていて、来年の干支のガラスの蛇の置物を見つけた。裾に紅梅の絵付けがしてある。そこに金粉がいれてある。ガラスなら、蛇でも可愛らしさがある。

輸入物のクリスマスカードがあった。よさそうと思ったが、もう少し色々見て買うことにした。クリスマスカードを贈って、誰が一番喜ぶかというと、谷間にいる男性。忘られかけている人たち。遠い眼差しで、巷のクリスマスの賑わいを傍目にみている人たち。こういう人たちに、時期が合えば、句集のお礼などにクリスマスカードを贈る。花冠の1月号を送るときに挨拶に入れておく。そうすれば、目が覚めたように、喜びのまさかのお礼状が来る。贈らせていただけて、こちらも楽しんでいる。

●1月号に載せる「リルケと俳句と私」は、第一部「リルケと私」だけを載せる決心がついた。手を入れて思い残しがないように書き直す。第二部の「リルケと俳句」は、次号の七月号に載せることにした。何かに間に合わせようとして、急ぐ癖がある。そういう考えは止めなければいけない。

11月4日(月)

晴れ
秋朝日洗車の水をかがやかす     正子
柿の実の粉吹くほどに空晴るる    正子
テーブルの林檎黄みどりよく匂う   正子

●朝起きたのは6時すぎ、晴れて気持ち良かった。5丁目の丘に小鳥が来ているだろうと、散歩に出かけた。かりんの実が鈴なりに生っている家がある。富有柿がよく熟れている家もある。一番楽な路を上ることにして、鯛ヶ崎公園のところから上った。鵯がよく鳴いていた。丘の小学校の近くに来ると、グランドのネットに鳥の群れがいる。椋鳥が二十羽ほどと、インコが十羽ほど。椋鳥もインコもすぐ近くの森とネットを行き来している。インコは大きくて、朝日に黄緑色の羽をきらめかせている。四十雀の地鳴きの声が聞こえるので、樹の中をのぞくと姿が見えた。

坂の途中で洗車している人に会ったが、ほかには、誰にも合わなかった。わが家の前を散歩する人が急に通らなくなって、信之先生とあの人どうしたんだろう、という話をすることがあった。信之先生だって、気が付けば、見かけないということになっていたに違いない。老人は、ほんとうに明日はどうなるかわからないところを生きている。

●編集は予定分は進んだが、もしかして、編集が難しいのではと思い始めた。自分の原稿を1月号に入れるかどうか。三週間ほど前、武満徹と小澤征爾の音楽の対談を読んでいたとき、それはそれで面白く、貴重な内容だったが、リルケが読み進めなくなった。それで途中でやめた。そのとき、高階秀爾の近代西洋絵画の話も読んでいたが、リルケが読めないということはなかった。それは、画や音楽と文学との関係性という単純なものではないと思うが、何でこうなるのだろうか、と。

11月2日(土)


●一日雨。ニュースによると、松山は危ないくらいの大雨だったらしい。今朝は、寒くなっていく季節のなか、いつも高めの血圧が100を切っている。どうりで、気分がよくない。一日中こうだった。

●ますみさんと有花さんの散文原稿をAIも使って編集。

●HAIKU SPOTLIGHT(No,1(1968年)~No.70(1970)に投句した外国人を数えたら、57人になった。50人と思ったがそれ以上だった。主にはUSAだが、UKやドイツ、イスラエルからも投句があった。

11月3日(日)文化の日

晴れ
どんぐりをひとつ拾えばポケットに  正子
山坂に鳩が木の実の何か食ぶ     正子
無患子も椋の実も落つ坂ひそか    正子

●今日は文化の日。文化の日はいつも晴れる。きのうの雨も今朝はあがった。夕べは雨で冷えていたので、布団の上に毛布を重ねた。お陰で朝までホカホカで眠れたが、目が覚めたときは、ピカピカの空だった。テレビでは大学駅伝が始まっいて、青学が先頭を走っていた。つぎに見たとき、国学院が青学を抜いていた。見ていてもわかる。国学院は、脚が軽快で、ストライドが大きくて、素人目にも優勝しそう。結果出雲につづいて2冠。

●ますみさんが言っていたルプーの演奏を聞いた。ルプーとウィーンフィルのK488だった。K488は、ピアノコンチェルト23番。弱音で弾くモーツアルトの魅力。永遠の眠りにふさわしい。いつかは、眠りから覚める日もあるだろうことを予感させる。リルケの墓碑に刻まれた詩が似合いそう。
 薔薇よ、おお純粋な矛盾、
 誰の眠りでもない眠りを あまたの瞼の陰にやどす
 歓び。                     (リルケ作・星野慎一訳)

11月1日(金)

晴れのち曇り

家が建つ花野をとなりに光らせて  正子
風吹けば花野かがやく野となりぬ  正子
秋薔薇のくずれず咲けり公園墓地  正子
●句美子から角川俳句のゲラが転送されてきたので、念のため校正する。エッセイの内容と俳句があっていたので、合格。訂正はなかったので、すぐ返信。

●今日から11月。2丁目の丘へ上った。普通部のテニスコートに出て、いつもと反対に尾根の道を歩いた。それほど歩かないうちに、金髪を人形のようにカットした女性が階段を上がってきた。階段は急で、はるか下まで続いていた。家の近くへ出そうなので、そこを降りた。この階段を上がるとなれば、息が切れるだろう。階段の途中に休めるようにベンチが置いてある。階段が続くかぎり降りると、駒林小学校の近くに降りた。家まで近い。面白い路を見つけた。

●ますみさんから『音楽のしっぽ』の原稿が届く。素晴らしくいいので、編集次第で読みやすくなるはず。きのうは有花さんが「仲秋の藤ノ木公園を歩く」を送ってくれた。すっきりした文章。お陰で、「花冠」1月号はいいものになりそう。

自分の「リルケと俳句と私」が、なかなか進まない。辻褄があわなくて、進まないのだ。おそらく、記憶が飛んでいるのだ。それで、思い出すために、信之著の『比較俳句論序説』(昭和55)を読み返した。その中の信之先生と1968年から2年間出した「HAIKU SPOTLIGHT」に掲載した人の名前をリストアップした。すっかり名前を忘れていたが、リストアップするうちに思い出した。

10月31日(木)

晴れ
リルケの詩からのインスピレーションによる二句
  「古い家で」から
緑青のドームわが眼に霧のなか  正子
  「小さい地区」から
切妻の屋根の切り取る秋深空   正子

●今日は、昨日作った餡を食べようとして、どら焼きを作った。皮の焦げ具合からいうと虎焼きといっていい。すぐ冷めるので、冷めたどら焼きをレンジで温めると餡がもっと美味しくなった。

きのうも今日も、コーヒーではなくお茶を飲んでいる。元希に買ったオランダ船とオランダ人の絵付けの湯呑を初めて使ってみた。小ぶりで、手によくなじんで、飲むとすっとお茶が喉に落ちる。この具合がいい。なかなかいい。それでお茶を何杯も飲んでいる。ちょっと値が張っていたかもしれないと、買ったときのことを思い出した。

●9月7日から10月19日まで考えてきた、リルケと俳句のことを整理し、まとめた。「リルケと俳句と私」と題をつけた。第一部「リルケと私」とし、この部分は清書できた。読みやすようにサブタイトルをつけた。自分の文章にサブタイトルをつけたのは初めてである。納得いくものになった。
第二部へ移るのには思考転換のエネルギーがいる。第二部は「リルケと俳句」。これが本題だが、1月号には第1部だけ載せようかとも考えている。ここでひと頑張りして完成させるか。延ばすと来年7月の半年先だ。

●「いずれにしても時代は乏しいーリルケの「神」」(田中謙司著/明治大学大学院紀要第24集1987)、「発見と探究の間でーリルケの講演『現代抒情詩』について」(田中謙司著/明治大学大学院紀要第25集1988)の二つをネットで見付けて、印刷し、読んだ。

二つの論文を読んで、私が知りたいのは、リルケの世界観とか、人間観とかではないのだろうと思った。それは私の関心ではない。リルケの感性、視点、見方、表現のあり方、あるいはどこまで内面を掘り下げられたか、に関心があるのだろう。自分でもよくわからないが。リルケが「格となる言葉だけで作った詩」と言っていることにも注目している。

●ヨーロッパでは『なんのための詩人か』という問いがよく問われる。これはヘルダーリンの詩句を引用してハイディガーが言及していることで、詩人の存在意義についての深い問いかけである。ヨーロッパでは、伝統的に、詩人には神と人間との仲介者としての役割がある。だから、詩人の悶絶するような苦悩の話をよく耳にする。そして、詩人の社会的な認知が高いも確かだ。日本で本当の意味で、詩人の社会的認知が高まればいいと思っている。社会的認知を、社会的人気と混同している日本の現状は憂慮される。ヨーロッパでは、文学や芸術に対して目が非常に厳しい。ローザンヌのバレエコンペティションでは一見モダンな振り付けに対して、「バーの踊り子のような真似をさせてはいけません」と手厳しかった。