9月24日(日)

★山萩を黄蝶をわが目に遊ばせる  正子
草冠に秋と書いて萩と読ませる。昔の人にとっては萩は秋を象徴する花だったのでしょうか。そんな萩も山萩となるとそんなに目立つ花ではなく地味な感じとなる。そこへ秋の黄色の蝶が飛来する。「わが目に遊ばせる」の主語は何かと考える。秋をつかさどる自然の神かと思って読みました。豊かな秋に対する喜びと自然に対する感謝とも読み取れる句である。(古田敬二)

○今日の俳句
 書道展
秋の字が黒々生まれる太い筆/古田敬二
墨痕の鮮やかさが一番引き立つのは季節でいえば、秋ではなかろうか。太筆で黒々と書かれた字が力を得ている。(高橋正子)

●自然教育園へ信之先生と出かける。10時から午後2時ごろまで。
釣り舟草、白桜蓼、露草、ナンバンギセル、かりがね草、しろやま菊、嫁菜が盛り、吾亦紅、長穂の白吾亦紅、のだけ、萩、彼岸花は終りかえ。さねかずらの花、早くも茶の花。
タクシーが初乗り410円だった。信号二つ分乗る。

吾亦紅茅野の色となりており      正子
しらやまぎく倒れかかりし風の色    正子
さねかずら花の芯なる紅の色      正子
秋草の野の一面の釣り舟草       正子
野の露に生きて露草青の青       正子

○杜鵑草(ほととぎす)

[杜鵑草/横浜日吉本町]           [ヤマホトトギス/東京白金台・国立自然教育園]

★杜鵑草暮れ母の忌の仏間暮る/林 翔
★時鳥草顔冷ゆるまで跼(セグク)みもし/岸田稚魚
★紫の斑の賑はしや杜鵑草/轡田 進
★杜鵑草壺中にくらき水湛う/養学登志子

「杜鵑」は鳥のほととぎす。「杜鵑草」と書けば、植物のほととぎすである。我が家の庭の下草に植えていた。なかなか丈夫で秋になると赤紫の班がある花をつける。暗いようでもあり、にぎやかなようでもある。玄関に花がない日には、この花を一茎摘んで籠に挿した。それだけで結構様になる。庭や近くの野辺の一輪の花が空間にうるおいを与えてくれた。杜鵑草もそんな花のひとつである。

★活けたれば花が飛びたる杜鵑草/高橋正子

 ホトトギス属(杜鵑草属、学名 Tricyrtis)は、ユリ科植物の属の多年生草本植物である。山野の林下や林縁、崖や傾斜地などの、日当たりの弱いところに自生する。葉は互生し、楕円形で長く、葉脈は縦方向で、表面には毛が生える。花期は初夏から秋にかけてで、雌雄同花で上向きに咲き、花弁が 6枚で直径数cm程度のもので 2?4日程度咲くことが多い。東アジア(日本、台湾、朝鮮半島)に分布し、19種が確認されている。そのうち日本では 13種(変種を除く)が確認されており、うち 10種は日本固有種である。 日本列島を中心に分布していることから、日本が原産であると推定されている。
 ホトトギス Tricyrtis hirta (Thunb.) Hook 代表種。草丈は 1m になり、花は葉腋に 1?3個ずつ付き、4日間咲く。花期は秋。関東・新潟県以西に分布する。 ヤマホトトギス Tricyrtis macropoda Miq. 関東以西の太平洋側および長野県に分布し、草丈は 1m ほどになる。花は 2日間で、茎の先に花序を伸ばし、晩夏に咲く。花びらの折れたところに斑紋が入らず、花びらが反り返るところで判別できる。

◇生活する花たち「露草・なんばんぎせる・玉珊瑚(たまさんご)」(東京白金台・自然教育園)

9月23日(土)

 四国88ヶ所45番札所 岩屋寺
★月明の寺に湯浴みの湯をたまわり  正子
岩屋寺は一遍上人も修行された寺だということで、私も何回か行ったことがあります。月明かりの中での湯浴みは、心身ともに疲れを癒してくれたことでしょう。(井上治代)

○今日の俳句
廃屋の増えゆく里や白木槿/井上治代
廃屋が増えていく村里と白槿の寂しさとがよく呼応しています。(高橋正子)

俳句界10月号に橋本直氏が「俳句における「解釈」と「構造」」という文を書いておられた。夕べ読んだ。
<社会の中の言語実践の仕組みを思うとき、俳句のとあるひとつの構造に入りきることで一種の商況的情操を帯びるほうがわかりやすくなるだおう。大西*の用語を借りれば、それが「道」ということかと思われる。>
*大西:大西克礼(1888-1959)(『東洋的芸術精神』などの著者)

横須賀市在住、愛媛県出身の伊藤  氏から句集『火の兄』が信之先生宛贈られた。

寺の西すぐに槿の花垣根  正子

○オクラ(秋葵)

[オクラの花と実/横浜日吉本町]      [黄蜀葵(トロロアオイ)/ネット(野平美紗子)より]

★口楽しオクラの種を噛むことも/中村文平
★薄刃もて刻むオクラの糸を引く/松下裕子
★陽を浴びるオクラの花を訪ひにけり/山元重男
★一晩の時間オクラのふとりかな/松田秀一
★黄蜀葵花雪崩れ咲き亡びし村/加藤楸邨
★市原野とろろあふひの花咲かす/加藤三七子
★空を謳歌するごと黄蜀葵/野平美紗子
★オクラの花と実と出会う小さな旅よ/高橋信之
★秋葵川は南へ流れ去る/高橋信之
★秋葵花は黄色を澄ましきる/高橋正子

 オクラの実は最近こそ食べるが、それまでは食べたことがない。軽く茹でて刻み、鰹節にだし醤油をかけて食べたり、天ぷらにする程度だ。ごく最近は、山芋とオクラの薄く切ったものを合わせて、だし醤油で味を付けて食べる。山芋もオクラも食べたい人向き。比較的評判はよい。さてオクラの花だが、綿の花に似ている。綿は小学生ごろまで我が家で栽培していた。夏休みに綿の実が弾ける。それを摘み集める。その後はどうなったがよく知らないが、綿の花と弾けた実の記憶はある。息子や娘たちに綿を育てて見せたことがあった。オクラの花よりも綿の花のほうが印象強く残っている。
「綿の花」で思い出したが、あの9.11の事件が起きる直前、「詩によるダイアローグ」という国連主導の仕事をしたとき、その仕事のあと、その時の仲間が、私のネット句集をアメリカで出してくれることになった。「綿の花」と題をつけてメールで送っていたが、その編集中に、9・11事件が起き、その話は立切れになった。アメリカがそれどころではなくなったのだろう。オクラや綿の花を見ると、全く関係ないような個人の私も、9.11事件の影響を思うのである。

 ★露消えしばかりの時間秋葵/高橋正子

 オクラ(秋葵、Okra、学名:Abelmoschus esculentus)は、アオイ科トロロアオイ属の植物、または食用とするその果実。和名をアメリカネリと言い、ほかに陸蓮根(おかれんこん)の異名もある。英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語 (Twi) のnkramaから。沖縄県や鹿児島県、伊豆諸島など、この野菜が全国的に普及する昭和50年代以前から食べられていた地域では「ネリ」という日本語で呼ばれていた。今日では当該地域以外では「オクラ」という英語名称以外では通じないことが多い。
 以前はフヨウ属(Hibiscus)に分類されていたが、現在ではトロロアオイ属に分類されている。短期間で50cm-2mほどに生長し、15-30cmの大きさの掌状の葉をつけ、黄色に中央が赤色のトロロアオイに非常に似た花をつける。開花は夜から早朝にかけてで、昼にはしぼんでしまう。開花後、長さ5-30cmの先の尖った形の五稜の果実をつけ、表面に短毛が生えており、熟すと木質化する。原産地はアフリカ北東部(エチオピアが有力)で、熱帯から温帯で栽培されている。エジプトでは、紀元前元年頃にはすでに栽培されていた。アメリカ州では、主に西アフリカから移住させられた奴隷によって栽培が始まり、現在でもアメリカ合衆国南部、西インド諸島、ブラジル北部など、アフリカ系住民の多い地域でよく栽培されている。日本に入って来たのは明治初期である。熱帯では多年草であるが、オクラは少しの霜で枯れてしまうほどに寒さに弱いために、日本では一年草となっている。
 オクラは、刻んだ時にぬめぬめした粘り気が出るが、この粘り気の正体は、ペクチン、アラピン、ガラクタンという食物繊維で、コレステロールを減らす効果をもっている。日本では、生あるいはさっと茹でて小口切りにし、醤油、鰹節、味噌などをつけて食べることが多い。他にも、煮物、天ぷら、炒めもの、酢のもの、和えもの、スープ、すりおろすことによってとろろの代用にするなどの利用法がある。加工食品として、ソースやケチャップの原材料としても用いられる。種子は煎じてコーヒーの代用品として飲まれた歴史がある。
 トロロアオイ(黄蜀葵、学名:Abelmoschu manihot )は、アオイ科トロロアオイ属の植物。オクラに似た花を咲かせることから花オクラとも呼ばれる。原産地は中国。この植物から採取される粘液はネリと呼ばれ、和紙作りのほか、蒲鉾や蕎麦のつなぎ、漢方薬の成形などに利用される。花の色は淡黄からやや白に近く、濃紫色の模様を花びらの中心につける。花は綿の花に似た形状をしており、花弁は5つで、朝に咲いて夕方にしぼみ、夜になると地面に落ちる。花びらは横の方向を向いて咲くため、側近盞花(そっきんさんか)とも呼ばれる。

◇生活する花たち「犬蓼・吾亦紅・チカラシバ」(横浜下田町・松の川緑道)

9月22日(金)

★パイプ椅子天の川へと向け置かれ  正子
夜も更け暮しの灯も落ちて来た頃、漆黒の夜空に輝く天の川をゆっくり眺めようと持ち運びし易いパイプ椅子を用意されたのでしょうか。澄み渡った今宵の空への期待と作者の心のゆとりまでも感じられる涼やかな御句です。(佃 康水)

○今日の俳句
ゆきあいの空へコスモス揺れどうし/佃 康水
「ゆきあいの空」がなんともよい。出会った空にコスモスゆれどうしている。そんな空に明るさと夢がある。(高橋正子)

○曼珠沙華

[曼珠沙華/東京白金台・国立自然教育園]  [曼珠沙華/横浜・四季の森公園]

★曼珠沙花あつけらかんと道の端 漱石
★木曾を出て伊吹日和や曼珠沙華 碧梧桐
★駆けり来し大烏蝶曼珠沙華 虚子
★彼岸花薙がば今もや胸すかむ 亞浪
★悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる 山頭火
★曼珠沙華無月の客に踏れけり 普羅
★崖なりに路まがるなり曼珠沙華 石鼎
★葬人の歯あらはに哭くや曼珠沙華 蛇笏
★曼珠沙華五六本大河曲りけり 喜舟
★投網首に掛けて人来る彼岸花 汀女
★曼珠沙華茎見えそろふ盛りかな 蛇笏
★曼珠沙華傾き合ひてうつろへり 泊雲
★むらがりていよいよ寂しひがんばな 草城
★考へても疲るるばかり曼珠沙華/星野立子
★曼珠沙華今朝咲きぬ今日何をせむ/林翔
★青空に声かけて咲く曼珠沙華/鷹羽狩行
★水に水ぶつかり勢ふ曼珠沙華/能村研三

 曼珠沙華は、稲が熟れるころになると、突然に咲く。花が咲くころは、葉も茎もないから、ある日赤い蝋燭の炎のような蕾がついて、蕾があるな、と思うともう開くのである。稲田の縁や小川のほとりに数本のこともあれば、群れて咲くこともある。彼岸のころ咲くからだろう、学名がヒガンバナである。やっと気候がよくなって旅をすれば、車窓から真っ赤な曼珠沙華が稲田を彩って咲いているのをよく見かける。日本の秋には欠かせない花だ。曼珠沙華には毒があるから、さわったらよく手を洗うように言われた。摘んで帰っても、家に活けてはだめと言われた。
 毒があると知りながらも、こどもたちは曼珠沙華を折って、茎を2センチほど、茎の表皮を残してに繋がるように折り、首飾りを作った。つくったけれど、首にかけたことはない。野原の草で遊んだころだ。

★旅すれば棚田棚田の曼珠沙華/高橋正子
★曼珠沙華日暮れの空の青きまま/〃
★起きぬけの目にりんりんと曼珠沙華/〃

 日本には北海道から琉球列島まで見られるが、自生ではなく、中国から帰化したものと考えられる。人里に生育するもので、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。また、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、種子で増えることができない。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。学名のLycoris(リコリス)とはギリシャ神話の女神、海の精:ネレイドの一人、Lycoriasの名前からとられたもの。

◇生活する花たち「女郎花・葛の花・萩」(四季の森公園)

9月20日(水)

★吹き起こり風が熟田をさざめかす  正子
黄金色に熟れた稲穂がびっしり立ち並ぶ田圃です。
もう間もなく刈られる稲穂に時折秋風が吹き、稲の香りをふんぷんとまき散らしている。さわさわと稲穂がさざめき、豊穣の秋の光景が素敵です。(桑本栄太郎)

○今日の俳句
赤とんぼ見ていて闇の迫りけり/桑本栄太郎
夕方を飛び交う赤とんぼ。見ているうちにも宵闇がせまる。秋の日暮れはたちまちに夜を迎える。(高橋正子)

●「つがる」のりんごジュース。今年のジュースがスーパーに初入荷。
去年、一昨年と、このジュースを買って、お歳暮にもした。 ターシャ・チューダーが、庭の林檎をとって、古風なジュース絞り機でジュース絞り、絞りたてを飲んでいるところを映したテレビを見たことがある。りんごジュースのやわらかな薄いうすいグリーンが今も眼に残っている。還元ジュースでは得られない美味しさ。

晴るる空林檎ジュースを初絞り 正子
青蜜柑雲行く下に売られけり  正子

○郁子(むべ)の実

[郁子の実/東京白金台・国立自然教育園]

★郁子の実のまだ青けれど薄みどり/高橋正子

 ムベ(郁子、野木瓜、学名:Stauntonia hexaphylla)は、アケビ科ムベ属の常緑つる性木本植物。別名、トキワアケビ(常葉通草)。方言名はグベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)、イノチナガ、コッコなど。
 日本の本州関東以西、台湾、中国に生える。柄のある3~7枚の小葉からなる掌状複葉。小葉の葉身は厚い革質で、深緑で艶があり、裏側はやや色が薄い。裏面には、特徴的な網状の葉脈を見ることが出来る。
 花期は5月。花には雌雄があり、芳香を発し、花冠は薄い黄色で細長く、剥いたバナナの皮のようでアケビの花とは趣が異なる。
10月に5~7cmの果実が赤紫に熟す。この果実は同じ科のアケビに似ているが、果皮はアケビに比べると薄く柔らかく、心皮の縫合線に沿って裂けることはない。果皮の内側には、乳白色の非常に固い層がある。その内側に、胎座に由来する半透明の果肉をまとった小さな黒い種子が多数あり、その間には甘い果汁が満たされている。果肉も甘いが種にしっかり着いており、種子をより分けて食べるのは難しい。自然状態ではニホンザルが好んで食べ、種子散布に寄与しているようである。
 主に盆栽や日陰棚にしたてる。食用となる。日本では伝統的に果樹として重んじられ、宮中に献上する習慣もあった。 しかしアケビ等に比較して果実が小さく、果肉も甘いが食べにくいので、商業的価値はほとんどない。
 茎や根は野木瓜(やもっか)という生薬で利尿剤となる。

ムベ(郁子、野木瓜、学名:Stauntonia hexaphylla)は、アケビ科ムベ属の常緑つる性木本植物。別名、トキワアケビ(常葉通草)。方言名はグベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)、イノチナガ、コッコなど。
日本の本州関東以西、台湾、中国に生える。柄のある3~7枚の小葉からなる掌状複葉。小葉の葉身は厚い革質で、深緑で艶があり、裏側はやや色が薄い。裏面には、特徴的な網状の葉脈を見ることが出来る。
花期は5月。花には雌雄があり、芳香を発し、花冠は薄い黄色で細長く、剥いたバナナの皮のようでアケビの花とは趣が異なる。
10月に5~7cmの果実が赤紫に熟す。この果実は同じ科のアケビに似ているが、果皮はアケビに比べると薄く柔らかく、心皮の縫合線に沿って裂けることはない。果皮の内側には、乳白色の非常に固い層がある。その内側に、胎座に由来する半透明の果肉をまとった小さな黒い種子が多数あり、その間には甘い果汁が満たされている。果肉も甘いが種にしっかり着いており、種子をより分けて食べるのは難しい。自然状態ではニホンザルが好んで食べ、種子散布に寄与しているようである。
主に盆栽や日陰棚にしたてる。食用となる。日本では伝統的に果樹として重んじられ、宮中に献上する習慣もあった。 しかしアケビ等に比較して果実が小さく、果肉も甘いが食べにくいので、商業的価値はほとんどない。
茎や根は野木瓜(やもっか)という生薬で利尿剤となる。

◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)

9月19日(火)


★吹き起こり風が熟田をさざめかす  正子
吹き起こる風の大きさに、田一面に波立つ金色の稲穂が目に見えるようです。情景さながらの爽やかさは、まさに稔りの秋の喜びです。(藤田洋子)

○今日の俳句
秋涼し仏花の束を風に解き/藤田洋子
仏様に花を供えようと花束をほどくと涼しい風が吹く。花束にはリンドウなど秋の花もあってそれも嬉しい。「風に解き」で、いっそうさわやかな句となった。(高橋正子)

●今日も快晴。布団干し。床拭き。

◎2011年9月19日(月)
 イギリス旅行 高橋正子
 早朝、イギリス旅行へ、娘の句美子と横浜の自宅を発つ。娘に誘われての旅である。20年ほど前の家族4人でのドイツ旅行が思い出される。1990年に家族でドイツ旅行をした。二十一年の歳月が流れ、六歳の句美子は9月3日に二十八歳になった。信之先生は、留守番役。帰国は、9月26日の予定。
 午前11時30分成田空港発のヴァージン・アトランティック航空0901便でロンドンへ出国。宿泊は、ロンドンから北へ314km離れたチェスターのホテル。リヴァプールの近くです。(信之記)

○稲刈

[稲刈/横浜市緑区北八朔]          [稲干す/横浜市緑区北八朔]

★世の中は稲刈る頃か草の庵 芭蕉
★みるうちに畔道ふさぐ刈穂哉 杉風
★稲刈れば小草に秋の日のあたる 蕪村
★落日が一時赤し稲を刈る/青木月斗
★稲を刈る夜はしらたまの女体にて/平畑静塔
★月の水ごくごく飲んで稲を刈る/本宮哲郎

早苗取り、田植え、田草取り、稲刈り、脱穀、籾干しなど、一連の稲作の仕事は、小学生から中学生ぐらいまではすべて手伝って経験した。稲刈りは、今よりもっと遅く、日暮れが早かったと思う。子どもは、手が小さいので、刈り取る稲も少しずつしか刈り取れない。鎌で指を切ったこともあるが、それでも猫の手よりましだったのだろう。子供の主な仕事は、大人が束ねた稲を運んで稲架(はざ)架けることだった。稲を刈ったあとの田んぼは広くなり、虫も飛び出し、自由に遊べたので、稲刈りは結構面白かった。夏の田草取りは、手ではなく、小さい回転刃のある農具を稲株と稲株の間に入れてざぶざぶと押して田草の根を切るものだった。暑い盛りだったが、田んぼを吹く風が気持ちよかった。大人は苦労だったろうが、子供には、田草取り以外は楽しいものだった。親類が集まって、早苗を植える間隔を決めるコマのついた綱を張り田植えをした。稲は鎌で刈る。脱穀も足踏み式のものだったが、ごりんごりんと調子よく稲穂が藁から離れていった。籾干しは、筵に広げて干すが、籾干し用たの農具があった。グランドを均すような溝のある道具だ。庭に干すので、籾を干した傍で遊ぶのは厳禁。ボールが飛んで行ったときは、ひやひやして筵の端を踏んで取りにいった。小石が籾に入ったのでは大変だから。そのほかにも籾と玄米を風を起こして振り分ける大げさな農具もあった。50年ほども前のことで、今なら農具資料館などに展示されてあるようなものだ。

★田の土の匂いが強し稲を刈る/高橋正子
★稲を刈りバッタ飛びたる弧が澄みぬ/〃

 稲刈り(いねかり)とは、熟したイネを収穫するために切り取る農作業で、普通は根元からその穂ごと切り取る。古代には穂のみを切り取ったと考えられるが、現在では株の基部で切り取るのが普通である。刈り取った稲は、普通はその基部で縛って束ね、ぶら下げて乾燥させる。実際の米の収穫はこれ以降の脱穀の過程で行われる。人力のみで行われていたころは、大きな人数を要し、集中して行う必要のある作業であった。稲刈りは古来より、日本の農村部における秋の代表的な風物でもある。秋祭りは、その年のイネが無事に収穫されたことを祝い、来年も豊作であることを祈願する祭りである。日本では第二次世界大戦後も久しく、鎌を用いて手作業で稲刈りが行われた。稲刈りに使用する鎌は、刃先が鋸になった特殊なもので、イネの茎の切断が容易に出来るよう工夫されている。稲刈りの実際の作業は、近年のコンバインの登場によって大きく様変りした。
 コンバインは1940年代に初めて登場し、徐々に普及した。稲刈りから脱穀までの作業を一貫して行えるのがコンバインの特徴である。稲刈りから脱穀をまとめて行うが、その間籾の乾燥工程がないので、脱穀された籾は直ちに専用の穀物乾燥機にかけられる。現在でも、山間地や棚田など大型の農業機械の導入が困難な田んぼ(圃場整備が行われていない千枚田など)では、バインダーで刈り取り、稲架にかけて乾燥、ハーベスターで脱穀するという組み合わせで収穫するか、もしくは鎌を用いた従来通りの作業方法が採られている。
 コンバインの普及により作業時間は大幅に短縮されたが、車両後方に排出される藁のくずが皮膚に付着すると、比較的大きな痒みや(人によっては)肌荒れが起きる為、コンバイン搭乗者以外の作業従事者は作業時の風向きに十分注意する必要がある。稲刈りを行っている農家が顔を覆うようにタオルや手ぬぐいを着用しているのは、その痒みを事前に防ぐ為である事が多い。近年は高価ではあるがキャビン(操縦席が密閉されているもの)付きの車両も登場しており、エアコンが搭載されている事も含め、搭乗者の負担は大幅に減少しているようだ。
 刈り取られた稲は水分が多いので、稲架にかけて天日干しされ、十分乾燥した頃に脱穀を行う。人力のみに頼ったころは、多人数が必要であったから、当然のように子供も動員された。そのため農村域では学校でも休暇を設定しているのが普通であった。農繁休暇と呼ばれたが、一般には稲刈り休みと呼んでいた。
 神社で神に捧げる少量の稲を神職や氏子などの手により作られている場合もあり、この場合、稲刈りはだいたい手作業で行われる。皇居でも生物学御研究所脇に御田があり、毎年9月下旬頃に天皇が自ら手作業で稲刈りをする。この行事は昭和天皇が始めたもので今上天皇にも引き継がれている。収穫した稲は伊勢の神宮に納めたり、皇居内の神事に使うほか、天皇一家の食事にも使用されている。

◇生活する花たち「犬蓼・吾亦紅・チカラシバ」(横浜下田町・松の川緑道)

9月18日(月)

★虫籠に風入らせて子ら駈ける  正子
心地よい秋風が吹く野原で、虫取りに夢中なっている子供たちの生き生きした声と虫籠を通り抜ける風の音や虫の音が聞こえてきそうです。(柳原美知子)

○今日の俳句
稲の香の風に放たれ刈られゆく/柳原美知子
熟れ稲の香が田に満ちて、刈るたびにその香が風に放たれてゆく。一株一株鎌で刈り取られているのだろう。爽やかな風の吹く晴れた日の稲刈りが想像できる。(高橋正子)

●今日は敬老の日。法律が改正されて、敬老の日が9月15日でなくなった。Moving Castle ならぬMoving Day で記憶がさらにあいまいになる。ありがたみも少ない。
台風18号が横浜はぱらぱら雨が降っただけで去り、今朝は抜けるような青空。気温が33度にあがるらしい。
句美子が夕べ来たとき、電波時計を敬老の日のお祝いに注文してくれた。それが、今朝、もう届いて、所定位置に納まっている。温度、湿度はよくあるが、熱中症、食中毒、インフルエンザ、カビ・ダニの危険時期を知らせてくれる。今日は、これらの危険範囲ではない。

青蜜柑里芋雨の中に買い 正子
里芋の皮むけやすく雨の夕 正子

過去(2015)
○きのう朝起きたチリ沖地震(M8.3)で、日本の太平洋沿岸にも津波が来ると、今朝1時ごろからラジオでひっきりなしにニュースが流れる。20センチから1メートルの津波。岩手の久慈港が80センチで最大。ニュースを聞いて眠れぬままに朝起きると風邪気味。
信之先生の消化器のCT検査に付き添い、10時過ぎ聖マリアンナ医科大学東横病院へ。CT検査は15分ぐらいで終わる。(2015)

○稲穂

[稲穂/横浜市緑区北八朔]

★旅人の藪にはさみし稲穂哉 一茶
★草花と握り添へたる稲穂かな 一茶
★稲の穂の伏し重なりし夕日哉 子規
★稲の穂に湯の町低し二百軒 子規
★稲熟し人癒えて去るや温泉の村 漱石
★稲の穂の向き合ひ垂るる小畦かな 風生
★握り見て心に応ふ稲穂かな 虚子
★子を抱いて乳飲まし来る稲の道 虚子
★我が思ふ如く人行く稲田かな 汀女
★稲孕みつつあり夜間飛行の灯 三鬼
★中学生朝の眼鏡の稲に澄み 草田男
★稲負ふや左右にはしる山の翼 楸邨
★ゆふぐれの溝をつたへり稲の香は 静塔
★熟れ稲の香のそこはかと霧は濃き 亞浪
★小作争議にかかはりもなく稲となる しづの女
★わがこころ稲の穂波にただよへり 青邨
★稲の香におぼれてバスのかしぎ来る 秋櫻子

稲は、その伝播の経路や、日本文化の形成過程に寄与した点など、ほかの農作物とは比べ物にならないほど、重要な作物となっている。春の苗代作りから秋の収穫まで、天候を睨み、水を測り、労力と忍耐を惜しまず、手塩にかけて育てるのが稲だ。その稲が稔りのときを迎えると、何にも増して、喜びがわく。一年の食生活の基本が保障される。稲穂に実が入り熟れてくると、次第に垂れさがる。稔った穂が風にさらさら鳴る音は、心地よい。そうすると、日に暖められた稲穂が、ほんのりといい香を放つ。稲が熟れるころは、葉も透き通るように黄緑いろから黄色になってくる。神聖なまでの色合いだ。子供のころは、「稔るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」と、謙虚が大事いう意味でよく言われた。今はこんなことを言う時勢ではないようだ。日本も随分アメリカナイズされたと思う。

★通勤の道の左右に稲穂垂れ/高橋正子
★稲の穂に朝露白く置いてあり/〃

 イネ(稲、稻、禾)は、イネ科 イネ属の植物である。稲禾(とうか)や禾稲(かとう)ともいう。 収穫物は米と呼ばれ、世界三大穀物の1つとなっている。本来は多年生植物であるが、食用作物化の過程で、一年生植物となったものがある。また、多年型でも2年目以降は収穫量が激減するので、年を越えての栽培は行わないのが普通である。よって栽培上は一年生植物として扱う。属名 Oryza は古代ギリシア語由来のラテン語で「米」または「イネ」の意。種小名 sativa は「栽培されている」といった意味。用水量が少ない土壌で栽培可能なイネを陸稲(りくとう、おかぼ)と呼ぶ。日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、海外において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化、信仰などと共に伝播したものと考えられている。稲を異常なまでに神聖視してきたという歴史的な自覚から、しばしば稲作の伝播経路に日本民族の出自が重ねられ、重要な関心事となってきた。一般に日本列島への伝播は、概ね3つの経路によると考えられている。南方の照葉樹林文化圏から黒潮にのってやってきた「海上の道」、朝鮮半島経由の道、長江流域から直接の道である。3つの経路はそれぞれ日本文化形成に重層的に寄与していると考えられている。現在日本で栽培されるイネは、ほぼ全てが温帯ジャポニカに属する品種であるが、過去には熱帯ジャポニカ(ジャバニカ)も伝播し栽培されていた形跡がある。
 稲の食用部分の主 成分であるでんぷんは、分子構造の違いからアミロースとアミロペクチンに別けられる。お米の食感は、両者の含有配分によって大きく異なる。すなわちアミロース含量が少ないお米は加熱時にやわらかくモチモチした食感になり、アミロース含量が多いとパサパサした食感になる。日本人の食文化では、低アミロースのお米を「美味しい」と感じる。この好みは、世界的には少数派となっている。通常の米は20%程度のアミロースを含んでいるが、遺伝的欠損によりアミロース含量が0%の品種もあり、これがモチ性品種で、モチ性品種が栽培されている地域は東南アジア山岳部の照葉樹林帯に限定されている。その特異性から、その地域を「モチ食文化圏」と呼称されることがある。日本列島自体が西半分を「モチ食文化圏」と同じ照葉樹林に覆われており、またハレの日にもち米を食べる習慣がある(オコワ、赤飯、お餅)ことから、日本文化のルーツの一つとして注目された。

◇生活する花たち「女郎花・葛の花・萩」(四季の森公園)

ご挨拶/9月月例ネット句会


ご挨拶
9月月例ネット句会にご参加いただき、ありがとうございました。16日に頂いたコメントの貼り付けを終わりました。ご確認ください。また、選句とコメントをありがとうございました。今回は「水」の句をご投句いただき、ご協力ありがとうございました。『毎日俳句αあるふぁ』(増刊号2018年2月発売予定)には、
9月月例句会からは
「供花挿して秋の山水溢らしむ/藤田洋子」
過去月例句会から
「七月や水の匂いに沿い歩く/多田有花」
「水揚げてリハビリ室の花菜の黄/柳原美知子」
「早起きの朝の洗濯初夏たのし/高橋句美子」を信之先生と検討して選びました。

来月の月例ネット句会は、10月8日(日)です。さわやかな良い季節、楽しみご健吟ください。(主宰/高橋正子)

9月17日(日)

★たっぷりと雲湧く台風過ぎしより  正子
台風が過ぎれば空気が入れ替わり、空は青く澄んで、晴れ渡ります。一方、台風がもたらした風雨により、大量の雨水が山野も覆って、やがて雲となり、空へと還ってゆきます。雲湧く様や、風の流れも感じられて、爽やかな心地をいただきました。(津本けい)

○今日の俳句
草に落つ青どんぐりの音軽き/津本けい 
風で落ちる青どんぐりであろうか。落ちるときに、草に軽く音を立てる。「軽い音」がよい。秋が深まれば「コツッという確かな音に変わる。(高橋正子)

●夕方句美子がカシスのケーキをケーキ教室で作ったからと、持参。飾りのホワイトチョコと食べると酸っぱさが緩和。
新里芋と青蜜柑を今年はじめて買う。里芋は千葉産で、ねっとり気味。だし汁多め里芋煮にしたがそれはそれで美味しい。青蜜柑は今台風が通過中の宮崎産。酸っぱさが足りないが美味しい方。

野の花は野に咲け松虫草の丈 正子
花びらが欠けて松虫草は野に 正子
夕顔を植え忘れし夏思いおり 正子

○生活する花たち/高橋正子

 ①唐糸草

 唐糸草確かに秋が来ておりぬ  正子

 向島百花園を訪ねたのは九月八日。晴れであった。百花はあるけれど、どれもたくさん咲いているわけではない。桔梗は花が一つ残り、なでしこは2,3本あったのが、すっかり枯れていた。偶然にも。れんげしょうまが一本、唐糸草がもう終わりかけて、やっとその色と形が残る程度のが二つあった。唐糸草は初めて見たが、山野草の部類に入る。えのころ草の穂よりも少し大きいが、紅色の雄しべが日に透けると大変美しいということである。ちょっと粋な長い紅色の雄しべは雨に濡れると、猫が雨に濡れたようになるそうだ。撮ってきた写真を見ながら「唐糸」はいかにも江戸好みらしいと思う。終わりかけの花のみすぼらしさの中にも、きれいな紅色が想像できるから不思議だ。大いにその名前「唐糸」のお蔭であろう。園内にいる間は、なんと花に勢いのないこと、と思っていたが、写真を見ると、一つの情緒がある。文人好みの庭に造られたせいでもあろう。虫の声を聞く会、月見の会も催されるようだから、暮らしの中の花として、少しを植えて楽しむのもささやかながら、都会人のよい楽しみであろう。

 ②韮の花

 いつ見ても韮の花に蝶せせり  正子

 九月一日、二百十日を狙って台風十二号が横浜にも接近しつつある。東からの湿った風で、昨日から非常に蒸し暑い。雨が降る前にと思って、十時すぎカメラをもって5丁目あたりの花を探しに出かけた。昨日、ある家によく咲いていた酔芙蓉も今日は、ちっとも咲いていない。かわりに隣の家の酔芙蓉が咲いていた。花は全く一期一会。歩いていると、なんらかの花に偶然に出会う。一日が言えないし、一時間が言えない。台風の接近を知らせる雲が空を覆って、歩くと暑い。今日は、韮の花がちょうど盛り。韮の花には小さな蝶がいつもせせり寄って蜜を吸っている。
 生家の庭先の畑の端に石組みに沿って一列に韮が植えてあった。韮は冬から春がおいしかった。味噌汁に入れるのに、「ちょっと、韮を刈ってきて。」と言われることもあった。春を過ぎると葉が硬くなる。韮の花は、二学期がはじまるころに咲く。韮の花と言えば、「二学期が始まる暑さ」と、体に染みている。二学期が始まると、運動会の練習が始まる。日暮れがだんだん淋しくなり、昼間は汗をかいた簡単服(簡単なワンピース)では涼しすぎるようになる。韮の花が咲くと、九月特有の暑さを思い出す。

 ③芙蓉

 雲が来て風のそよげる花芙蓉 正子

 秋めいてきた。きのう、色づき始めたむらさきしきぶの向こうにピンクの芙蓉が咲いているのは知っていた。今朝、それを写しにゆくと、頭をタオルで包んだ男の人がカメラを覗いている。その傍に草取りをしている女の人がいて、「おはようございます。花を撮らせてください。」と頼んで芙蓉を撮らせてもらった。
ご夫婦で趣味が写真のようだ。朝八時過ぎでまだ陰っているので、芙蓉を撮るとフラッシュが焚かれた。奥さんが、「今フラッシュが焚かれましたよ。」という。そのあと、ご指南があった。花を撮るときは、フラッシュは焚かないほうがいい。近くで撮りすぎるとピンぼけになる。オートをはずしなさい。カメラを覗いているご主人は、ちょっとカメラを見せてごらん、と。しかし、カメラもいろいろでよくわからんなあ、と。この芙蓉の花がいいですよと、奥さんが指す。言われるとおりにその花を撮って家で落ち着いて見てみると、はっきりとして、幾分情緒に欠けているように思うが、写真家好みになっている。家の錆びたトタンの壁までくっきりと写っている。芙蓉はそんなところにも似合う。
 松山の郊外に一時住んでいたときは、玄関に芙蓉があり、花に隠れて水道があった。そこでは、盥で洗濯をしたが、花の傍で水をいっぱい使って洗濯をすると、気分もさわやかだった。

◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)

9月16日(土)

★青林檎ときに稲妻差しきたる  正子
酸味の残る青林檎の味、香り、ときおり遠くに細く走る稲光。まだ本当の稔りの秋にはなりきらない不安定な季節の、しかし瑞々しい情感に満ちた心象風景を思います。(小西 宏)

○今日の俳句
とんぼうの列なして行く空かろし/小西 宏
とんぼうが列を作って飛んでゆく楽しい空となった。すいすいと飛んでゆくとんぼうに空まで軽くなった感じだ。(高橋正子)

●大型台風18号が近づく。北九州から西日本をなぎ倒して北上か。昼頃から深夜の今も雨がぽつぽつ。

アメリカン・レジストリーから人名事典に載せる用意があるので、返事をするよう信之先生にメールがあった。

9月月例ネット句会のコメント貼り付けがやっと終了。これで入賞発表が完成。

元希が幼稚園から敬老の日の手紙をくれた。友達5人とVサインをしている写真とおじいちゃん、おばあちゃん、自分と3人並んでいる絵。私にはいつも水玉の洋服を着せてくれる。自分とおじいちゃんはボーダー柄のシャツ。してあげたいことは、お料理の盛り付けを手伝ってくれることだそうだ。そういえば、家族で来たときは、料理を運んでくれたり、ピザのトッピングを手伝ってくれる。それに身長を測ってあげると大喜びする。

ぱらぱらと降る雨音や紅芙蓉  正子
女郎花吾亦紅竜胆一束に    正子    
日日草散りし種より芽生え咲く 正子
垂れこれし雲に朝顔花青く   正子

○毬栗(いがぐり)

[毬栗/横浜市緑区北八朔町]

★落栗やなにかと言へばすぐ谺/芝不器男
栗の木があるところは、山静かな里。落ちた栗も拾われずに転がっている。ちょっとした言葉も響いて谺となる。自分の発した声の谺は、もっとも自分の心がよく受け止めているのではないか。(高橋正子)

★毬栗に袋かぶせてありにけり/高橋将夫
★毬栗や身籠りし山羊つながるる/大串章
★毬栗や祖母に優しく叱られし/大串章
★毬栗を蹴つて日暮れの村となる/小澤克己
★毬栗の落ちてすとんと暗くなる/杉浦典子
★毬栗のやや枯れてゐる掌/田畑幸子
★毬栗を剥くに大事や鎌と足/田中英子

栗の季節になった。栗の季節は意外と早い。まだ残暑が残る中、店頭に栗が現れる。農村や山村では、家に栗の木をもっている家も多い。栗には虫がつきやすいので、昨年まで豊作で栗を送ってきてくれていたのに、今年は突然虫にやられて栗の木が枯れたと報告を受けることもある。送ってきた栗は毬が外してあるのだが、数個は毬栗のまま入っている。それをしばらく飾って楽しんだりするが、毬栗も生き物、次第に色艶が失われてくる。そうなると飾りとしてはおしまい。毬を外して食べることになる。毬栗のまだ青いのが、可愛い。まだ暑い中なのに、毬栗が青々と育っているのを見ると、もうすぐ涼しくなる、もうすぐ栗が食べれるとうれしくなる。愛媛の山村の内子町は蝋の生産で財をなした町で、いまでも古い町並みが残っている。ここは、栗の産地。栗の季節、車を運転してこの辺りを通ると、道にあふれるほど収穫した栗が山積みされている。いったいどの位の栗が収穫されているのか。我が家ではよく栗の渋皮煮を作った。好評であったが、これは土井勝著の「今日の料理」の教えの通りに作っていた。土井勝先生の料理の本にはに随分恩恵を受け、感謝もしている。

★毬栗の青々としてまん丸し/高橋正子

 クリ(日本栗・学名Castanea crenata)とはブナ科クリ属の木の一種。日本と朝鮮半島南部原産。中華人民共和国東部と台湾でも栽培されている。クリのうち、各栽培品種の原種で山野に自生するものは、シバグリ(柴栗)またはヤマグリ(山栗)と呼ばれる、栽培品種はシバグリに比べて果実が大粒である。また、シバグリもごく一部では栽培される。落葉性高木で、高さ17m、幹の直径は80cm、あるいはそれ以上になる。樹皮は灰色で厚く、縦に深い裂け目を生じる。葉は長楕円形か長楕円状披針形、やや薄くてぱりぱりしている。表はつやがあり、裏はやや色が薄い。周囲には鋭く突き出した小さな鋸歯が並ぶ。雌雄異花で、いずれも5月から6月に開花する。雄花は穂状で斜めに立ち上がり、全体にクリーム色を帯びた白で、個々の花は小さいものの目を引く。一般に雌花は3個の子房を含み、受精した子房のみが肥大して果実となり、不受精のものはしいなとなる。9月から10月頃に実が成熟すると自然にいがのある殻斗が裂開して中から堅い果実(堅果であり種子ではない)が1 – 3個ずつ現れる。
 果実は単にクリ(栗)、またはクリノミ(栗の実)と呼ばれ、普通は他のブナ科植物の果実であるドングリとは区別される(但し、ブナ科植物の果実の総称はドングリであり、広義にはドングリに含まれるとも言える)。また、毬状の殻斗に包まれていることからこの状態が毬果と呼ばれることもあるが、中にあるクリノミ自体が種子ではなく果実であるため誤りである。毬果とは、松かさのようなマツ綱植物の果実を指す。
 日本のクリは縄文時代人の主食であり、青森県の三内丸山遺跡から出土したクリから、縄文時代にはすでに本種が栽培されていたことがわかっている。年間平均気温10 – 14℃、最低気温氷点下20℃をくだらない地方であれば、どこでも栽培が可能で、国内においてはほぼ全都道府県でみられ、生産量は、茨城、熊本、愛媛、岐阜、埼玉の順に多い。

◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)

9月15日(金)

★萩のトンネル真上ぱらぱら空があり  正子

東京・向島百花園

○今日の俳句
薄の穂切りて野の風持ち帰る/黒谷光子
風に吹かれている野の薄の穂を切って持ち帰ると、さながら、野の風を持ち帰るようだ、という。穂芒の姿に野の風が見える。(高橋正子)

●「俳壇」から、原稿依頼が来た。諾の返事を出す。10月12日締め切り。写真添付とある。
俳句界から結社広告の期限が切れるので、広告料の払い込み案内が来る。10月10日までに払い込まねば。

○紅萩と白萩
去年写真に撮った紅萩を見に行こうという。この萩は、五丁目の住宅の萩で花色がはっきりしないのが残念だが、そういう萩も萩なので写真に収めていた。なにしろテーマは「生活する花」だから。今年はどうだろうか。数日前に五丁目に白萩が少しばかり植えている家を見つけたので、その写真を撮ってから紅萩を見に行くことにした。朝の八時過ぎなのに、坂道を上ると暑い。残暑が厳しい。日陰になっている白萩は冴えない。見上げて青空を入れて写す。その白萩を撮ってからが長い。途中で信之先生は、シャツを一枚脱ぐ。咲いている花は、これと言ってない。ただ暑いだけを歩く。去年撮った紅萩の家がどこであったか、確かではないが、とにかく西へ向かって歩く。今日は三十二度まで上がる予報。保育園の下の欅が茂っている公園で休憩。持って来た冷たい紅茶で休むが、私だけが蚊に刺される。長くは居れないので目当ての萩の家へ歩く。ほどなく萩の家が見つかった。塀から枝垂れてよく咲いている。花の色は、はっきりしないけれど、枝が風に吹き流されて見事だ。朝日があたって、ちらちらと明暗ができているが、花の色がはっきりしないので、撮るのが難しい。気がつかないでいたら、すぐ前の家に白萩が茂みのなかに咲いている。こんなところに白萩が。白萩は、紅萩にくらべ花が大きいので、白がふっくらと見える。紅萩と白萩とが道を挟んで咲いている。住宅地を散歩していると、ご近所の「花競べ」と思えることによく出会う。

◇生活する花たち「萩」(横浜日吉本町)