2月17日(月)

晴れのち曇り
冴返る月は小さく天心に     正子
凍てもどり夜をもどれる通勤人  正子
夜はもう本だけ読みぬ余寒かな  正子

●暖かさも今日まで。午後曇って来て寒くなっている。ハート内科受診。診察の待ち時間、ニトリにも寄ったが『マルテの手記』を読んでいた。今日読んだところは、ママンがマルテに話した事。
「マルテ、わたしたちはみんなうかうか暮らしているのね。世間の人々は何やかに気をちらし、ただ仕事だけに忙しそうで、ふだんの生活などにはちっとも気を配っていないのです。だから、まるで流星か何かが飛んだほどにも、気をかけぬのに違いないわ。誰一人見ようともせぬのだわ。このごろは、誰も心に願いを持つなんてことはなくなっていましました。けれども、マルテ、おまえは心に願いを持つことを忘れてはいけませんよ。願いごとは、ぜひ持たなければなりません。それは、願いのかなうことはないかもわからないわ。けれども、本当の願いごとは、いつまでも、一生涯、持っていなければならぬものよ。かなえられるかどうかなぞ、忘れてしまうくらい、長く長く持っていなればならぬのですよ。」
ここはさりげないようだが、花冠の俳句では大事にしているところ。信之先生が「人間は理想がないと生きられない」と時に話していたが、それを思い出した。ママンの言うことは人間には「願いが一生必要だ」ということ。願いは理想と置き換えてもいい。

●句美子に「わたしの本どうなってるの?」と聞かれる。そうなのだ。やりかけて、進捗状況は芳しくない。『手袋の色』の子ども俳句の部分「貝がら」を英語俳句に直したものをイラスト付きで本にする計画。翻訳はできている。「まえがき」と「あとがき」もほぼできているので見直しは必要だが、あとイラストを20個ぐらい探し、本の表紙をどうするか、この重要なところが残って、なかなか進まない。特に表紙の紙が難問。半分あきらめかけているが、これは句美子が許すまい。

●元希が来るからと、子どもの本を本棚から選り出しておいた。そのなかのパフィンブックスの『The Children of Noisy Village』(やかまし村のこどもたち)を開いてみた。リンドグレーンの童話だが、無邪気な子供たちの冒険やいたずらや、それにかかわる大人たちの一話一話が温かくて、素敵で、面白く、大人でも引き込まれて読まされる。今夜は病院に行ったし、本を読むだけにして眠る。

2月16日(日)

晴れ
菜花茹で蕾の黄色ひとつある   正子
独り居の二月の夜のきらきらと  正子
二ン月の机上のものや作家めく  正子
●今日は、揚げ出し豆腐のあんかけと、鶏の唐揚げをリクエストされた。唐揚げの衣は、片栗粉と小麦粉を半々を篩ったのをまぶした。これは衣が軽くてからっとしておいしい。気分次第で、片栗粉にしたり、小麦粉にしたりしていたが、これからは、片栗粉と小麦粉半々にする。今日ラッキーなことに、スーパーで鶏肉が競合店に張り合って安くなっていたから、大助かり。それはそうなのだけれど、1パックに5つモモが入っていて、1.5キロぐらいある。使わない分は、ほどほどに切って冷凍した。

●ドイツ語のウムラウトをパソコンで打ち込もうとしたが、パソコンがDELLのせいか、うまくいかない。いつもは、üはueのようアルファベットにeを付けて打っていた。今日は平仮名の追加単語でウムラウトとエスチェットを登録した。 
●リルケの「AUF KLEINSEITE」(小さい地区で)をネット上にないか探していたら、インゼル書店がネット上に公開していた。これでキーボードで打ち込まなくてよくなったが、これをドイツ語で読んで一人で解釈しようとしている自分に、少々あきれた。大変なことを始めたと思った。信之先生が知ったら、止めとけばいいのに、馬鹿な奴だと思うだろう。たしかに信之先生が居たら、こんなことはしない。自由とはこういうことなのだ。単なる自己満足が凶とでるか吉とでるかだ。

2月15日(土)

晴れ
●長男と孫が進学先が決まったと挨拶にくる。誕生日もすぐなので、誕生日祝と入学祝を渡す。東急のFormaでシャープペンや財布など買ってあげようと言うと、いろいろ持っているからいいと。ペンケースは今持っているのを使うからこれもいいと言う。それで通学用にパスケースと紐を買ってあげた。

お赤飯を食べるかどうかわからないけど炊いたのだけれど、白いご飯が一番好きだという。一番好きなものは相変わらず鮨だと。お祝いのホールケーキを買おうと言うと、長男も孫も笑いながらいいと言う。(内心おばあさんはなんてことを言うと思っているのかも。)ケーキは好きでもなさそうだ。買って置いたチョコレートと鳩サブレを渡す。こちらは大丈夫とのこと。
●夜、リルケの「古い家で」から作っていた三句を手直しした。はがきにIm Alten Hause を書き、何度か声に出して文法に気を付けて読んだ。リルケの詩なのでなくてもいい言葉は実際ないのだが、私が俳句のために消すとすれば、の話なのだ。それで、なくてもいい言葉はどれか、なくてもわかる情景描写はどれか、など削れるものを削った場合を見据えて読んだ。今日のところ一応できたので、昨日の日記の書きかけ部分に貼り付けた。3連あるので、一連に一句作った。そして三句揃えた。揃えるにあたって、一つ仕掛けをした。これは特許ものかも知れないいいアイディアと思いつつ。今のところ秘密にしておく。

2月14日(金)

快晴
愛の日の街へと山を越えて来ぬ 正子
暖かし二月の空の青まさり  正子
●リルケの「古い家で」をまた読んだ。なぜなら、きのう「一物仕立て」と「取り合わせ」について長々と書いたことが、今日になってあまりにもつまらなくなったから。現俳句の問題点、つまり、今の俳句が面白くない理由がわかったから、いいようなもの。しかしわかったからと言って、全くつまらない。それよりも、ほどんどわからないドイツ語を辞書を引きながら読むほうがよほど創造性がある。
この「古い家で」からインスパイアされて秋に第2連から一句作ったが、それは序の段。第1連からは、秋のような印象を受けたが、第3連では、蒸し暑い、都会の喧騒が出て来るから、季節をいつに設定すればいいのだろう。俳句作りなので、季節が決まらないと落ち着かない。
第1連では、作者は古い家から円形に広がる全プラハを遮るものなく見ている。夕暮れが音もなく小さな足音を立て深く下りて来る。
In the old house, in front of me I see the whole of Prague in a wide circle: far below, the twilight hour passes by with a noiseless quiet step.
★黄昏はしのびて深く下り来たり 正子
第2連では、街はガラス越しのようにぼやけて見えて、巨人のヘルメットを冠ったような緑青のドームや尖塔のニコライ聖堂が高くくっきりと聳えている。
The city blurs like behind glass, only high, like a helmeted giant, the green spire dome of St. Nicholas rises clearly before me.
★聖堂の緑青聳ゆ街の滲みに 正子
第3連では、蒸し暑い街の喧噪の遠くに、すでにあちこちに灯が瞬き、古い家のなかで今>アーメン<と声が言う感じがした。
Already a light blinks here and there far away in the bustling city, I feel that in the old house now a voice speaks >Amen<.
★蒸し暑き灯ともしころの声に「アーメン」  正子
3連まで読むと、晩夏か初秋の印象だが、「蒸し暑い」「街騒」の印象からこの詩は晩夏としたい。あくまでもこの解釈は私の「創造的解釈」。
 リルケ作「古い家で」にインスパイアされて
黄昏はしのびて深く下り来たり      正子
聖堂の緑青聳ゆ街の滲みに       正子
蒸し暑き灯ともす刻の声に「アーメン」 正子
 
●日吉駅まで歩いて、街で用事。母の遺したコートを着て来たら、歩いたせいか、暑すぎて脱ぐことになった。東急の店に入って今日がバレンタインデーであることを知る。ベルギ―などのあたらしいチョコレートブランドが並んでいる。ケーキまでつやつやのコーティングを掛けたハート型。一口にハート型とっても表情はいろいろ。チョコレートは元希に買ってあるので今日は買わない。丸善で越前和紙の桜の花の便箋とフリージアをかいた和紙葉書を買った。

●花冠No.373号7月号の企画。原稿が増えて、目次を書ききれなくなったので、現在の半ページから1ページにする必要がありそうだ。目次があったところには、信之先生の俳句の鑑賞文を載せるようにしてはどうかと思いつく。No.372号を読むは初めての企画だが、みんなが活発に書いてくれたので、おもしろそうなので、これを載せようと思う。

2月13日(木)

晴れ、風強く台風なみ
はがき二通短く書きて春浅し      正子
でこぽんを剥けばわが身を香がつつみ  正子
樹の翳にくれない固く沈丁花      正子
●「火神」(No.82・令和6年秋冬号)を恵送いただく。主宰の永田満徳氏の中村青史賞、文學の森大賞の受賞のお祝いと、好きな句二句を書きお礼の葉書きを出した。
好きな句  大阿蘇の雲動かざる虚子忌かな  満徳
      時計屋の振り子のならぶ新樹かな 満徳

●同級生のMさんからの贈り物に昨夜お礼の電話したが、今日お礼の葉書きを出した。今度俳句を送ってくれるというので、楽しみにしていると書いた。

●「俳壇」1月号と3月号の俳壇時評を改めて読む。1月号は浅川芳直氏、3月号は鴇田智哉氏が担当。現俳壇の問題となっていることが浮き彫りにされているのではないか。俳句技法の一つ「取り合わせ」の技法を指導する場合の問題点。取り合わせの場合もだが、「切れ字」、「季語」、「不即不離」の扱いは高度な技術なのに、初心者にこの方法から始めることを推奨している問題点が、現俳壇の問題点と重なっている。
●1月号の担当は浅川芳直氏。「今、求められている俳句?」はどういうものかという話。

第七十回角川俳句賞になった若杉朋哉の「熊ン蜂」が二物衝撃の作品がほとんどなく、
選考委員の仁平勝氏の評が
「二物衝撃ばかりが流行する現俳壇で貴重な一物仕立ての一連が出て来た。・・・もちろん取り合わせと言う芸もありますけど、一物仕立てのほうが奥が深い。」
それに対し、
対馬が「・・こういう句が今求められている俳句なのでしょうか。」仁平 「はい。今求められているんです。

(「俳句」2024年11月号)」の会話が取り上げられている。現俳壇で「二物衝撃が流行している」については、二物衝撃の句が「俳句」(2024年11月号)ではプロの俳人にはみられなかったので、疑問であるとしている。仁平勝氏が、二物衝撃を流行と感じた理由は、ジャーナリスティックな俳句の見せ方によるものだと私は思うのだが。

また「現代俳句時評」(「俳句」2024年9月号)で板倉ケンタが、俳句四季新人賞の候補になった山口遼也の句に見られた「取り合わせ」で「有効」を取りに行くような俳句、指弾し、切れを伴う取り合わせを「キモい」と攻撃した、とされる。これは、普段総合俳誌を読んでいて私も感じているところだ。

非難されたのは、(1)切れた直後の名詞(季語)の提示、(2)俳句的な記号としての上五の「季語+や」だとしている。
(1)の例とし
悉く全集にあり衣被/田中裕明
(2)の例とし
夏服や海は楽譜のやうに荒れ/鈴木総史
をあげこの形の句は「多くの素人」が作るが、映像や流れが不自然だったり、「や」が切れを示すための単なる記号になっている。(季語への詠嘆がない)

この理由に拘わらずこの手の句が罷り通るのは、
「季語を置けばその季語が映像として存在しますよ」と言う俳壇の約束があるからに過ぎない。そうした約束に依存する作句をすべきではないといのが板倉の主張。私が総合俳誌を読みながら感じるのだが、こういう理由が俳句を痩せさせて、面白く失くしているのでは思う。

これは私も常日頃強く感じているところだ。二物衝撃がこのように使われてはと思うばかりだ。それに代わるものとして、大須賀乙字の「二句一章」論の見直しを言いたい、としている。これによると、一物仕立て、二物衝撃など大まかなレッテルを貼るより、乙字の分析のほうが言葉の働きを考えるうえで有用だと思うが、どんなものだろうか。と提案している。

「二句一章論」についてはここでは長くなるので述べない。
3月号の鴇田氏の「俳句を教える話」は、俳句を教えるときの話であるが、それはとりもなおさず、俳句を作るときの話でもある。俳句の作り方には大まかに二つ方法がある。ひとつは「一物仕立て(いちもつじたて/いちぶつじたて)」、もう一つは「二物衝撃(にぶつしょうげき)」(取り合わせ)」である。
「一物仕立て」には次の例句が挙げられる。
★白牡丹といふといへども紅ほのか /高濱虚子 
(はくぼたんというといえどもこうほのか/たかはま・きょし)
「白牡丹」の季語を中心に置いて、白牡丹の本質へせまるように詠まれている。松尾芭蕉の高弟である向井去来は「発句は、只金(こがね)を打ちのベたる様に作すべし」と言っている。(現在の俳句は発句が俳句となったものである)。本質へ迫るのであるから、一般的には奥深い内容を表現するのにはよい方法とされる。

「二物衝撃」の句としては次の例句が挙げられる。
★菊の香や奈良には古き 仏たち/松尾芭蕉
季語としての「菊の香」、季語以外のものとして「奈良には古き仏たち」 
「菊の香」と「奈良には古き仏たち」と違うものを持ってきているが、二つは感覚的に近寄りすぎず、離れすぎすのバランスをもった関係である。この違うものがイメージするものから、さらに新しい世界が広がる面白みがある。

鴇田氏は自分が最初教わったのが一物仕立ての俳句だったことにも由来するだろうとしながら、初めは一物仕立てで俳句を教える(作る)ことを薦める。なぜなら、二物衝撃で作る場合には起きる心配(危険性)があるからである。
 
その心配とは何か。現在小学5年生の教科書に載っている俳句の作り方は、二物衝撃(取り合わせ)であるという。(これはすべて検証したわけではない。)
「季語+それに関係のない十二音のフレーズ」で作る。これが最も先鋭的であるとする。これは実際テレビの講師が何の疑いもなく話しているのを耳にする。このおおもとは藤田湘子著『20週俳句入門』の一節であると推測されている。実際、私もこの『20週俳句入門』を熱心に読んだと思われる花冠会員の句に接することがあって、指導に困った。私も会員がどんな本からの影響を受けているか知る必要から、買って読んだ。すべてではないが、この教え方、作り方にはやはり心配がある。

「先に季語を選び、それに関係のない十二音の言葉を付ける」
「先に十二音の言葉を考え、それに季語を選んで付ける」と言う二方法の伝授がある。いかにも簡単に俳句が作れそうに見えるが、この教え方が初心者に機能するか、ということを鴇田氏は心配ている。私も同様である。

「関係のないフレーズ」というのが難しい。どのフレーズが良いのか、良くないのかわからない。二物衝撃の場合は、二物は付かず離れず(不即不離)でなければならない。不即不離のバランス感覚は全く個人にゆだねられていて、非常に高等なことなのだ。初心者は二つの物を持ってきてくっ付けるだろう。くっつけるのではない。もともと一つとして在る物を切るのだ。それが切れ字の働きだ。この働きが無視され、理解されずに、切れ字が切るのではなく、繋ぐもの、接着剤になっているのが多くのアマチュアの句に見られる。これをどうしてくれるのだろう。一番のジレンマはここにある。鴇田氏のジレンマの私と同じと思える。

ご挨拶/2月月例ネット句会を終えて

ご挨拶
2月月例ネット句会にご参加ありがとうございました。清記のところにも書きましたが、2月句会は花冠会員全員が参加されました。めったにないことですので、大変うれしく思いました。幸先いい感じがしています。入賞のみなさま、おめでとうございます。選と丁寧なコメントをありがとうございます。今回は、句会後にも多くの方がコメントのない句にコメントを付けてくださいました。大変ありがとうございます。お互いに切磋琢磨して、すこしでも、誰もが、自分に納得のいく俳句ができればいいと思います。

今年は立春を過ぎてから、雪や凍てつくような寒さがやってきました。その寒波も長い間居座っていますが、本当の春を待ちながら、健康に留意して過ごしたいものと思います。これで2月月例ネット句会を終わります。
髙橋正子
2025年2月13日

2月12日(水) 望月

晴れたり、曇ったり
ひとり居の部屋の余寒の天井まで  正子
春こたつ雑誌数冊読みすごす    正子
●「俳壇」3月号が届く。今月は奇数月なので花冠の広告が載っている。
面白かった記事は以下の二つ。
①「俳壇時評」「俳句を教える話・AIの話」(鴇田智哉)は、よく言ってくれた。
藤田湘子著『20週俳句入門』の影響で、取り合わせの俳句が流行しているとし、これについて教えるときに困る事をあげている。「一物仕立て」と「二物衝撃」(取り合わせ)で鴇田氏は自分が俳句を習った経緯から一物仕立てから教えるという。どちらから教えるにしても、「取り合わせ」の俳句を教えるのは、大変難しい。それをいとも簡単に、簡便に教えているのが、最近の流行。

②特別寄稿「加須・岡安邸 虚子から岡安迷子への書を訪ねて」(藻井紫香/書道家/書友会)は虚子が岡安迷子に書いた屏風などの書があるという。その書についての書家による説明。
●洋子さんに電話。アンソロジーについて。最近の花冠の俳句について、私は「レベルが上がっているのではないかと思う」と言うと、洋子さんも「そう思う。正子先生が言うんだったら、間違いないと思う」と言う。
●きのう、発行所ブログに正子の「リルケと俳句と私」を読んだ感想の終わりに、川名ますみさんがメシアンの『七つの俳諧』という曲を紹介してくださった。今日、You Tube で探して聞いた。
①序、②奈良公園と石灯籠 ③山中湖-カデンツァ ④雅楽 ⑤宮島と海中の鳥居 ⑥軽井沢の鳥たち ⑦コーダ となっている。⑤の「宮島と海中の鳥居」が見つからなかったので聞いてはいない。

音楽に昏い私の個人的な感想にすぎないが、 いわゆる音楽としてではなく、ただ音として、自然の中の音として聴けば面白さがある。音色、リズム、曲の短さに俳句の精神を表したのだろうか。 武満徹に比べると、日本人の私には、音に澄んだ感じが、つまり静謐感があまりしなく、音が多すぎると思わないでもない。それがメシアンなのだろうが。

これも私個人の感想にすぎないが、リルケの3つのハイカイを思い出しても、俳句としても詩としてもいいとは思わない。墓碑銘となった三行詩を俳諧とする学者もいて、これは別格であるが。リルケが俳句の精神をくみ取ろうとして、俳諧を実際作ったことのほうに意義があると思える。その後、リルケが俳句をどのように消化して彼の詩に生かしているかの方が面白いのではと思う。

●中・高の同級生が、彼女が習っていた俳句教室の修了作品集『春一番』を送ってくれた。中学校の同窓会の写真のコピーや高校の90周年記念の校歌が印刷されたクリヤファイル、鞆の浦歴史民俗資料館、福山城博物館のパンフレット、それに因島のはっさくゼリーまで送ってくれた。高校の校歌は葛原しげる作詞、下総皖一作曲。私が懐かしがるだろうようなもの。
同級生T. Mさんの俳句
はつ夏やひめわたすげも風の旅
この胸に紫苑の束を抱きし日も
荒地にも冬たんぽぽのひかりあり
入門して一年の作品のようだ。夜電話。長電話になった。

2月11日(火)建国記念の日

晴れ
凍月を仰げば耳も頬も凍つ    正子
凍月に見られてポストまでの路  正子
難解を危惧しつつ書き冴返る   正子

●『海光』(林誠司著/俳句アトラス/2025年1月)より
好きな句15句
あをぞらへそりかへる風大雪渓
寝ころぶとわたしも平ら秋の空
しづけさにくづす正座や鹿威
観月のさらりと席を取られけり
いそがしきことのうれしき親燕
干鮭やはじめきらめく海の雪
講師として元気に御慶申しけり
浮き城とまがふ雪嶺花ミモザ
紅梅のうしろに並ぶ瓦かな
雨だれの音のはげしき夏炉かな
怒るごと竹の折れたり雪の奥
味噌の香や冬霧深き永平寺
まだ植ゑぬところ波湧く田植かな
韓船も和船も見えずかすみけり
以上の句をしたため、お礼状を出した。

●今日は暖かかったので、思い立って部屋の模様替えと、ほぼ大掃除。今夜は満月に見えたが、明日が満月。句集のお礼の手紙を書いたので夜遅かったが投函のために駅前のポストまで。月は高くあがっていて、仰ぐと凍てついた風が月から吹いてくる感じだった。コート無しで出たので急いで家に入った。

2月10日(月)

晴れ
春立つも星の冷たさ目を射しぬ  正子
夫のセーター袖を一折りして被り 正子
ひとり居に朝空春の色であり   正子

●2月月例ネット句会入賞発表
発表は正午の予定が13時になった。2月句会は近年になく、全員参加となった。個人的な印象に過ぎないが、最近、みんなの句がレベルアップしている気がする。

●俳句アトラス代表で俳人の林誠司から句集『海光』(2025年1月15日発行/俳句アトラス)を贈呈いただいた。前頂いたのは、第二句集『退屈王』だったので、第三句集。

●足利銘菓の最中と煎餅をいただく。足利学校にゆかりのあるお菓子。関東のお菓子はほとんど食べたことがない。何があるのかも知らない。

●もしかしたら、明日あたり元希が来るかもしれないので、猫のカリーヌのチョコレートと鳩サブレを買ってきた。

■2月月例ネット句会入賞発表■

■2月月例ネット句会入賞発表■
2025年2月10日
【金賞】
47.蜜柑摘み汽笛近づく海を背に/吉田 晃
蜜柑は瀬戸内式気候に恵まれた地域に多く栽培されるが、その蜜柑を摘むときの明るい風景が力強く詠まれている。海岸に沿って電車が汽笛を鳴らし近づいて来るのが、いっそう懐かしさを誘っている。(髙橋正子)

【銀賞/2句】
24.驚きの余寒や鉄の十字架に/多田有花
余寒というのは、もうこれからは暖かくなると思っているところに、不意にやってくる。そのときわれわれは、その突然さに驚かされるのである。鉄の十字架にまで余寒が至り、この世界は心底冷えているのだ。(髙橋正子)

29.降りながら土に光りて春の雪/藤田洋子
やわらかく、しずかな春の雪が、降りつつ解けてゆく儚さが、凝視の眼で詠まれている。しずかな調べに奥深さが読み取れる。(髙橋正子)

【銅賞/3句】
11.揚がりたる凧糸を子に渡しけり/廣田洋一
凧上げをする親子の光景であろう。凧はあがるまでが子供には難しい。揚がってから糸をわたされた子の喜びようが目に見える。親子の情愛が温かく詠まれている。(髙橋正子)

13.待春や子犬の駆けるちから増す/弓削和人
春が近づくと、子犬も元気になる。ころころと駆ける四肢に力が増している。「待春」の気持ちがそっくり表されて、楽しくなる句。(髙橋正子)

36.落葉轢く音を体に車椅子/川名ますみ
車椅子に轢かれる落葉の音は、すぐさま車椅子に乗っているものの体に響いてくる。一つ一つ違う落葉の砕ける音、自然の音。自然とのちょっと楽しい一体感。(髙橋正子)

【髙橋正子特選/7句】
24.驚きの余寒や鉄の十字架に/多田有花
このところの厳しい余寒には本当に驚かされます。南国では余り経験しない立春後の寒さです。頑丈な鉄の十字架さえも神様さえも想定外では。「鉄の十字架に」が効いていると思います。 (柳原美知子)

25.寒の水峡の社を鳴らしおり/柳原美知子
谷あいにある小さなお社でしょうか。豊かな水がそこに流れ込みいつもその音が社を包んでいます。社は神を祀っており、水は神自身の姿でもあります。(多田有花)

29.降りながら土に光りて春の雪/藤田洋子
春の雪は積もることなく、地面に触れた瞬間に解けて水となり、太陽の光を反射して光っている、そのような風情のある穏やかな情景が想像されました。 (土橋みよ)

36.落葉轢く音を体に車椅子/川名ますみ
車椅子に乗ることで、いっけん不自由な身に落葉一枚一枚を轢くたびに心身に自然の営みを敏感に感じ取っている景を表している。森羅万象が落葉に凝縮されて自然と一体となることを想像させられた句。車椅子の身だからこそ、健常者では味わえない瞬間だったかもしれない。(弓削和人)

43.大切に小さく咲いて節分草/髙橋句美子
春を告げてくれる節分草の白い可憐な花が咲いているのを見つけられた嬉しさ。余寒の中のその小さな希少な花のけなげさを愛しんでおられる優しさが伝わってきます。 (柳原美知子)

46.しんしんと雪降る闇を白くして/吉田 晃
先日からの寒波は南国の鹿児島や愛媛にも雪を降らせました。その降る雪を室内から眺めておられる情景でしょう。雪に光が当たり闇が白く輝くように見えます。(多田有花)

13.待春や子犬の駆けるちから増す/弓削和人

【髙橋句美子特選/7句】
04.凍雲の晴れて山の端白きかな/桑本栄太郎
雪の後の空模様なのでしょうか。山の端白きに遠目から見る冬の山の様子がうかがえました。 (高橋秀之)

11.揚がりたる凧糸を子に渡しけり/廣田洋一
春先は風も良く吹き、凧揚げには良いものですね?ところが意外に難しく、風に乗るまでがひと苦労です。お孫さんでしょうか?子供さんでしょうか?凧を持って駆け、揚った所で凧糸を子に渡します。(桑本栄太郎)

21.春立ちて青天に白き月浮く/友田 修
立春となり、分厚い雲に覆われていた空も透きとおった青さに明けてゆき、淡く白い月を浮かべている。新たな季節を美しく捉えられ、実感された喜びが伝わってきます。 (柳原美知子)

28.春の雪窓に見つめて形見分け/藤田洋子
春になったのに思い出したように降る雪、形見分けの席に故人の気持ちが舞い戻ってきたように感じます。窓から見える雪景色は白く美しく、懐かしい故人の面影が浮かんでは消えているのではないでしょうか。(友田修)

39.睡蓮を沈めて青き冬の水/髙橋正子
水中に睡蓮を沈め、際立つ冬水の青さ。冬の水の澄んだ透明感、冷たくも凛とした季節感を静かに伝えてくれます。(藤田洋子)
寒さが増すにつれ、磨かれるように青を深める冬の水。その水の底には、睡蓮鉢があります。翌夏に花を咲かせるでしょう、睡蓮の株を静かに沈めて、尚「青き水」です。(川名ますみ)

47.蜜柑摘み汽笛近づく海を背に/吉田 晃
海に面した日当たりの良いみかん畑が懐かしい風景です。(髙橋句美子)

13.待春や子犬の駆けるちから増す/弓削和人

【入選/20句】
02.木を叩く小啄木鳥の嘴や春の杜 (コゲラ)/小口泰與
杜に聞くコゲラのドラミング。木を叩く嘴のせわしない動き、心地よい音の響きに、明るい春の訪れを感じます。(藤田洋子)

03.上州は山風豊か冴え返る/小口泰與
上州はかかあ天下と空っ風、という言葉を耳にしたことがあります。風の国上州の山から吹く風は身を切るような冷たさでしょう。それを「山風豊か」と表現されたのに詩心を感じます。(多田有花)

05.白きものほつほつ頬に春浅し/桑本栄太郎
春になりもう雪はないと思っていたのに、寒の戻りか雪が舞っている。外に出て見上げると頬に優しくあたる雪はやはり春の雪。氷のように固い雪の粒ではなく、「ほつほつ」と頬を撫でる。季節の変わり目の、季節の移ろいの「逡巡」を感じます。(友田修)

06.補助輪のこきこき行くよ春立ちぬ/桑本栄太郎
幼い子が小さな自転車に乗る練習をしている情景です。喜んで懸命にペダルを漕ぎます。まだ自立して走れませんがそれを支える補助輪の音が可愛らしいです。(多田有花)

07.文字を打つ指が悴む朝の駅/高橋秀之
寒中の早朝の冷え込みが想像される駅のベンチ。まだ人気もない時間帯でしょうか。ご自身の息遣いがかんじられるようです。体調にはお気を付け下さい。 (柳原美知子)

10.春暁や星のまたたき強くなり/廣田洋一
春とはいえまだ冷たい薄明かりの夜明け前、ことさら強い星の瞬きに、冬から春への季節感をあきらかに感じさせてくれます。(藤田洋子)

15.冬銀河鳰の湖へと流れけり/弓削和人
 冬は大気が澄み、凍空の星の光が鋭い。その輝く星が琵琶湖へと輝き流れ流れていく素敵な景ですね。(小口泰與)

19.朝日受け今は明るき枯野かな/友田 修
朝日を浴びて輝く枯野、荒涼と広がる野の侘しさにも、やがて迎える芽吹きの季節の明るさを感じ取れます。(藤田洋子)

23.少年ら余寒のなかを駆けゆけり/多田有花
この時期、体育の授業であったり、部活の基礎練習であったりで駆けている様子をよく見かけます。それは、私たちのころも同じでした。元気な子供たちを見ているとこちらまで昔を思い出して元気をもらえそうです。 (高橋秀之)

26.節分や猫驚かす鬼の面/柳原美知子
節分の鬼。最近はかわいい鬼も多いですが、本来は猫も驚くぐらいの鬼こそが「鬼は外」の節分の鬼なのです。 (高橋秀之)

31.寒風や散髪帰りの耳を打つ/西村友宏
散髪でさっぱりした耳に寒風が当たるとより一層の寒さを感じる。冬の日にあるあるの光景ですが、その気持ちがすごく共感です。(高橋秀之)

34.梅のどの蕾も珠となりし朝/川名ますみ
梅の蕾のふくらみを日々楽しまれ、いよいよ蕾が全て色と光を帯び、珠のようにふくらんだ朝の喜び。待春の思いが梅の蕾に美しく表されています。 (柳原美知子)

35.梅咲いて紅色すこし薄らぎぬ /川名ますみ
ぎゅっと堅かった紅梅のつぼみ。その濃い紅色は、花開くにつれて周囲を明るくし、やがて景色に溶け込んでいく。梅の紅も次第に薄らいでいくようだ。ひかりが一枚一枚の花びらを透かしているのだろうか。ぎゅっとした凝縮から明るい広がりを感じます。(友田修)

42.春浅し卒寿の母の祝膳/上島祥子
平均年齢が81才を越えているとは言え、やはり卒寿はお目出度い。祝膳が効いている。 (廣田洋一)

09.打ち寄せる白波高き冬の海/高橋秀之
14.寒椿落ちゆくならば淡海/弓削和人
17.春待ちて慣れしクラ手にK.545を/土橋みよ
19.朝日受け今は明るき枯野かな/友田 修
27.春雪解け真夜の星座のありありと/柳原美知子
33.きらきらと輪切り蜜柑の映える朝/西村友宏
41.河風やマラソンランナー城下駆け/上島祥子

■選者詠/髙橋正子
37.万作やまだこれからの蕾なり
春とは名ばかりで木々の蕾はまだ硬く寂しい風情が伺えますが、それでも蕾が大きくなっていくのを楽しみに待っている心境が早春をよく表していると思いました。(上島祥子)
  
38.かもめ飛ぶ寒き翳りを羽裏に 
荒海の冷たさを表現するのは難しいと思われるが、「寒き翳り」と表現されており、そして「羽裏」とすることで、荒海を飛ぶかもめの姿がはっきり見えてきた。荒れ狂う風に羽裏を見せてバランスを取りながら体制を立て直し浮かんでいる姿である。(吉田晃)
  
39.睡蓮を沈めて青き冬の水   
水中に睡蓮を沈め、際立つ冬水の青さ。冬の水の澄んだ透明感、冷たくも凛とした季節感を静かに伝えてくれます。(藤田洋子)
寒さが増すにつれ、磨かれるように青を深める冬の水。その水の底には、睡蓮鉢があります。翌夏に花を咲かせるでしょう、睡蓮の株を静かに沈めて、尚「青き水」です。(川名ますみ)

■選者詠/髙橋句美子
44.藪椿郵便受けに落ちる赤
あざやかな花弁の藪椿が郵便受けにぽとりと一つ落ちている。厳しく寒い毎日に暖かさを感じる素敵な光景と思いました。(西村友宏)

45.晴れた日にメジロを探して空仰ぐ
晴天の空を眺めるのが私は好きです。雲一つない空でも、淡い雲があっても。透き通る空に引き込まれます。梅の木にやって来たメジロでしょうか?見つけたと思ったらぱっと飛び立ってしまった。急いでその先を目で追うとそこには広い晴天が広がっています。(友田修)

43.大切に小さく咲いて節分草

互選高点句
●最高点句(6点)
39.睡蓮を沈めて青き冬の水/髙橋正子  
集計:髙橋正子
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