NEW8月21日(木)

晴れ

●自由な投句箱のコメント欄に投稿できない方が3名いて、これががまだ解決していない。ウェブデザイナーの之宏さんにメールし、事情を知らる。IDを発行するなど対策はあるが、それでは済まない問題がある。5日ほど様子を見て最終的に判断すると、伝えた。高齢者だからという簡単な問題ではなく、個人のITリテラシーの問題と思える。常に自己更新をする必要がある。ひとごとではない。昔、パソコンは伝承だとということを聞いた。技術が上の人のするを見て、見様見真似で習うということ。これは今回私も実感している。

●きのう洋子さんに新しいブログのコメント欄の使い勝手について聞いた。話が対長くなって、おおいにハッパを掛けられた。俳句だけでなく、もっと好きに書けということのようだ。もう十分みんなの世話をしたので、自由にしていいと思うというのだ。なかなか優しいと言うか、厳しいというかよく見てくれている。「戦いすんで日が暮れて」ということもある。ふうんとため息がでる。

●リルケのことは、リルケがあまりに偉大すぎるので、ここで降りるかと思うこのごろだったが、そうはいかない感じだ。リルケの事を書いた私の文章は、言葉はむずかしくないけど、言っていることが難しい、だけど、書いて、と。今日は『ヴァレの四行事』から5から7までを書いた。書いているうちに俳句が浮かぶだろうと思ったが、イメージをつかむのがむずかしかった。ヴァレの四行詩は自然を詠んでいて、馴染みやすく、気軽に読んでいた。そう難しくはないだろうと思っていたが、なんといよいよ後期も後期のこの詩は「世界内部空間」の概念の上に書かれたとかいう長崎大学の濱崎一敏先生の論文が見つかったのだ。びびってしまった。頂いた美味しい梨でも食べて気持ちを持ち直すことにした。祥子さんもカードのお礼に入れた私の編んだ糸紐の栞を一つ一つよく見てくれているし。糸くずの小さいものだが、小さいものの方が慰めになる。

8月19日(火)

曇り

●ベートーヴン 6つのバガテル Op.126 ピアノをシュナーベル 1938年の録音で聞いた。ベートーベンのバガテルの演奏のなかではこの演奏が一番好きだ。大作を作曲した後の彼のこの小品は味わい深い。今読んでいるリルケの二大詩篇を成した後のフランス語の短い詩『果樹園』やそれについている「ヴァレの四行詩」などもバガテルのように思える。

■角川俳句年鑑25年版をめくりながら、「中道」が見えなくなっているのを感じた。26年版角川年鑑の「花冠」の原稿を書くにあたって、25年版年鑑を読みかえした。とりわけ「合評鼎談 総集編 今年の秀句を振り返る」(横澤放川、辻村麻乃、抜井諒一)を読んでいて、ある種の違和感が胸に残った。

現俳壇では、「中道派」と呼ばれる俳句の姿が、まるで霧の中に消えてしまったような印象がするのは確かである。議論の俎上に載せられていないのか、それともその存在自体が忘れられているのかと思ったりする。その微位置づけが、今回の年鑑では見えにくい。系統の継承と逸脱が見えない。それを書くことは、俳句史の深みでもあるはずだ。系統の継承と逸脱を議論に載せることは重要なのではないか。俳壇の主流は「ホトトギス系」「人間探求派」「前衛俳句」などが主に語られ、中道派は明確な枠組みとしては扱われにくい傾向がある。形式や技巧に傾く現俳壇の現状に中道派は意義をしめせるのではないか。中道派は完全に水脈が消えたわけではなく、沈潜と変容と取るべきで、抒情と精神性に現代の詩の倫理を加え再命名をしなければならない時が来ていると思える。

そしてもう一つ気づいたこと。愛媛大学の青木克人氏は、俳句界で活躍されている学者である。氏の論考は鋭く、現代俳句の動向を的確に捉えているが、長く見ていると、愛媛の俳句に関して、あえて避けているのではないかと思うことが少なくとも一つある。あるいは、先生の情報源にはその存在がまったく映っていないのかもしれない。

地元の句で、私には重要と思える部分が見えない(見ていない)ということは、俳句の「土地性」が失われることでもある。俳句は風土とともにある詩であり、見えないものを見ようとする姿勢こそが、批評の根幹ではないか。方法論の違いかもしれないが。ずっと不思議に思っている。

8月18日(月)

晴れたり曇ったり
●梨のお礼に何か差しあげたい。はがきに自分の俳句を書いて渡すのがいいかも知れないと思うが、どの俳句にするか、思いうかばない。合同句集『泉』と最近の花冠から探した。よくはないが次の2句にした。昼過ぎ投函。
御肩に秋灯落ちて伎芸天    正子
自転車を冬田に置きて誰もいず 正子

●祥子さんがシーズンカードと俳句3句を送ってくれた。繊細なレザーカットのきれいなカードで5曲の屏風のようになっている。仏壇の上に飾った。俳句は次の句
落蝉を土に帰して夕暮るる 祥子
捨て扇糸の解れを留め結び 祥子
お団子は町の老舗に盆準備 祥子
夕方返事を出した。

●百日草がよく咲いたので、咲いているのを全部切って、葉を落とし花だけにして仏前に供えた。ジニアと違って、花の咲き方がいろいろある。色もいろいろ。今日はめずらしくオレンジが咲いた。

●侑真君はもうすぐハイハイしそうなのだ。おばあさんの家に来た時なにもなくてはいけないから、金魚を飼うか、カワイの卓上ピアノを買うか考えている。子供用の卓上ピアノがいいかも知れない。ぷーさんの編みぐるみの手芸セットが手芸店のホビーラで売られていた。5000円なのでがんばって編むか。悩ましい。

8月17日(日)

曇り、ときどき晴れ

●おとといのgoo blogの髙橋正子の俳句日記のアクセス数が、ユニーク訪問が1037、PVが約15900回。単純に考えれば、1037人が訪問したことになるのだろうが、いったいどんな人が訪問しているのだろう。知り合いだけではこの数に達しない。

●新ブログ「自由な投句箱」の初めての秀句発表。コメントにお礼も書き込まれ、順調なスタート。

「自由な投句箱」への投句、ひとりぐらいは投句ができないと言ってくるとは思っていた。やはり、そうだった。何度も投稿し、スパムとされていた。スパムを解除してようやく投稿可能になった。WPのブログに慣れていないので、原因をつきとめるのがすぐにはできないが、生成AIに質問して解決している。

●幸水の立派な梨が送られてきてびっくり。栃木にも梨の産地があるようだ。幸水は今が最盛期の最後。次は豊水になる。秋に梨を食べると春にアレルギーを起こしにくいという。薬膳的には、秋は白い色のものを食べるといいらしい。大根とか、梨とかがこれにあたる。

●信之先生が亡くなって、実生活というものから遠のいている。言葉と記憶のなかで生活している感覚だ。生活を詩として生きる、ということなのだろうが、こういう生き方は想像もしなかった。街中にいながら、誰にも合わない日、話さない日がかなりある。森の中とかわらないような。わずらわしたから解放されている。

8月16日(土)

曇り、ときどき晴れ
朝顔のみな背を向けてひらきけり  正子

朝顔の咲きみだるるや死に給う   正子

●今朝も朝顔を切って仏前に供えた。蔓が伸び放題だが、そのままにしているとどんどん咲いてくる。こうみると朝顔の季節は秋となっているのが頷ける。栄養が良ければ、土用の真っ盛りにも咲くかもしれないが、わが家では、今が盛りだ。夕方には送り火を焚かないといけないが、ベランダなので、送り火は焚かない。初盆の時は焚いたが危ない感じがしたので、止めている。誰もお参りには来なかったが、信之先生もゆっくり家でくつろいだことだろうから、よろしかろう。

●今日からWordPressのブログを使用開始。自由な投句箱を見たが、投句場所を間違えた人がいるものの、コメント欄へきちんと投句ができていて
安心した。使い方がわからないと尋ねてきた人はいない。

●新しいブログの様子を見ていないといけないので、今日は一日どこにも行かないでいた。Halidon Music のThe best of Beethoven を聞いた。Halidon で聞くのは選曲が私好みだから。ベートーベンに限らず、シューベルトも選曲が私にあっていた。

●花冠の「正子の俳句日記」や、「リルケの詩にふれて、その俳句」の創作過程が興味深いと丁寧な葉書きをいただいている。そのお礼の返事を書いた。「リルケの詩にふれて、その俳句」は、 冒険的な試みだけれど、面白いというか、作っていて楽しいので継続していく。現在は『果樹園』に付いている「ヴァレの四行詩」から俳句にしているので、その俳句を書いた。それを書くとはがきに書ききれないので封書にしたが、封書にするほどの内容ではない。どうしたものか。思いついて、この前古書で手に入れた『果樹園』は初版本で、装丁が好きなので、その写真を表紙、背表紙、見開きの3枚を撮った。そして本の感じがよく出るように編集した。二部印刷し、一部は手元に置いて飾った。とくに見開きのところが立体感があるように撮れたので、なんでうまく撮れたのだろうと、繰り返し見ている。

『マルテの手記』の第53フラグメントに組み紐の栞の話がある。これは似たものを、自分で編んで使っている。手遊みにたくさん編んでいるので、その数本を、マルテのその箇所のコピーに挟んで送った。うるさいと感じもするが、どうだろう。贈りものは、どう受け止められるか全くわからない。どんな小さいものでも贈るのは難しい。贈り物を受け取ったときの相手の気持ちは全く想像できない。

8月15日(金)

曇り

●裏千家の千玄室さんが102歳で亡くなられた。今朝は玄室さんを悼むかのようにしばらく咲かなかった朝顔がたくさん咲いた。青ばかりなのに少しずつ色がちがっている。一番きれいな色のを切り取って、仏前に挿した。思いついてもう一輪切り、千玄室さんを偲んだ。なぜそうするかというと、私が20代のころ習っていたお茶の先生が、戦時中兵役で松山にきた千玄室さんをお世話されたと言う話を、ときどき話してくれていたので、親しみを感じていた。家元のお世話をしたり、県知事さんにお茶をたてたりする方は、よほど裏千家でも地位の高い方だったのだろうが、髪型も身なりは地味だった。凛とされていたが、派手さはまったくなかった。これが茶人というものかと印象に残っている。

●今日は2,3日そのままにしていた手紙の返事を書かねばならなかった。「リルケの詩にふれて、その俳句」に興味を示していただいたので、
少し、資料をそろえて手紙にいれた。今日投函すると、来週の火曜日以降に届くという。急ぎはしないが、以前に比べると遅すぎないか。以前は中二日おいて届いていたところが6日かかる。

8月14日(木)

曇り

●ネット短信No.441を出し、花冠の新しいサイトを案内する。

●侑真君の世話に午後出かける。ちらし寿司を夕飯に持って行った。侑真君は予防注射を打って、部屋に入ったときはよく寝ていた。1か月会っていないうちにずいぶん大きくなって4か月半というのに9キロ近くなっている。くるくる寝返りをするようになっている。仕草も声も興味あることも男の子らしいもの。荒っぽく体をゆらすとケラケラ笑う。おみこしワッショイが一番好きらしいが、重くてとても上がらないと親が嘆いている

●7時前に帰って、花冠のブログの様子を見る。WordPress の使い方、少しずつ分かりかけている。何度もやっていれば、わかるだろう。

8月13日(水)

曇り
露草を摘んで仏花に混ぜて挿す   正子
露草の泉の流れる水に置き     正子
手にとりしはがきにオクラの花切手 正子

●墓参。朝は早く目が覚めた。途中倒れたりしないように、ゆっくり仕度をして、7時半に家を出た。持って行くのはお花と線香とお水を入れる湯飲み。蝋燭は防災のために灯さない。真光寺公園でバスを降りるとがび鳥がよく鳴いている。がび鳥が増えている感じがする。中国からの鳥だが、いい声とも思えない。墓地についたのは9時すぎ。バスの連絡がよくないので、時間がかかってしまう。途中、露草が咲いていたので摘んできた。芝生の落葉を拾ってきれいにした。芝が伸びているがもう少し青々とした方がいい。お墓から帰ったのは11時半。普段は出かけるのに電車の時間を気にすることはないが、鶴川は違った時間。

 

8月12日(火)

曇りときどき晴れ
●13日に非公開だったhttps://suien.ne.jp/を公開することになった。明日14日のネット短信で、会員に連絡するため、原稿を書いた。
会員以外の花冠の贈呈者には、葉書きで案内を出すつもり。急がないでいいでろう。

●明日墓参のため、きょうお花を買った。明日お墓へ持って行くよう伝えたら、ナイロン袋に水を入れてくれて、立てた状態ですずしいところに置く様に言われた。クーラーの聴いている部屋に吊るしておいた。明日はなるべく早くでかける。

●きょうは、体調が悪いのではと少し気になっていた方から、葉書きが届いて、安心した。この暑さでは、高齢者は何が起こっても不思議ではない。それでも涼しい風がかんじられるようになった。

8月11日(月)

雨、時々曇り

秋初め古書を外れし一ページ  正子                                  秋初め雨ここちよき降りように 正子

●『果樹園』はやはり古書。めくっていたら、一枚ページが外れた。表紙も紙なので傷みそう。出版されて67年経っている。「ヴァレの四行詩」を便箋に4篇書き写す。3篇は空の詩。1篇は路の詩。リルケにとって、アルプスの山々は「高貴な山々」と表現されている。書き写す理由は特にないが、手すさびのペン習字の練習とでもしておく。手芸とか裁縫とかは好きなのだが、眼の負担が大きいし、裁縫は布を断つ時に体力がいるし、億劫になっている。

●雨が降って涼しくなったので、日吉まで出かける。丸善に寄り、『風姿花伝新訳』(観世清和著/PHP/2013年刊)。これは本屋に在庫がないので出版社に聞いてみるということだが、おそらく、出版社にもないだろう。岩波の『風姿花伝』を薦められたが、こちらは持っている。最近おもうのだが、本屋の接客がどの店よりも一番接客がいい。客である私との相性がいいと言う理由かもしれないが、かゆいところに手が届く親切さ。これは何の変化か。

●ベートーベンのバガテルを初めて聞く。「エリーゼノために」のようなピアノ小品がバガテル。さしずめリルケの「ヴァレの四行詩」の感じがする。