2月24日(火)

晴れ
春浅き風に花芽の枝ゆらぐ   正子
遠き梅光ばかりを受けている  正子
白梅の散りつつちりちり鳥の声 正子

●今日は郵便がふたつ届く。小峰書店の女性編集者の方からのはがき、Amazonに注文したリルケの『ヴァレの四行詩』のフランス語ドイツ語の二言語の本。小峰書店の女性編集者は、手紙をくださったのでお礼の手紙を出したのだが、それに対してまた返事をくださった。特に返事の必要のない手紙なのに、私が忘れたころに手紙が届いた。リルケの本は、1月30日に注文したので、3週間以上かかった。オランダから発送されている。でも無事に届いてほっとした。
ars vevendi  というバイエルンの出版社で、きれいな本で知られているらしい。落ち着いた、内省的な、綺麗な装丁。カバーを捲ると黄檗に近い色の布張り。ドイツらしい。値段は94ページで5000円を超えた。
これを一生ものと言うのだろう。

なぜこの本が必要かと言えば、リルケの「ヴァレの四行詩」をリルケは何語で書いたかを確かめるため。ネット上では、『果樹園』はフランス語だが、『ヴァレの四行詩』はドイツ語で書かれていると言う情報。そして錯綜した情報の念入りなところは、日本で『果樹園』と『ヴァレの四行詩』を一冊の本として出す時、本当はドイツ語で書かれたのに、まとめて一冊となったので、原詩はドイツ語なのに、フランス語が原詩と間違えて言われるようになった、と言った情報だ。これは完全に間違っている。

リルケはフランス語でこの詩を書いていることがはっきりした。イヴォンヌ・ゲーツフリートがドイツ語に訳している。ネット上で情報が錯綜していたため、フランスかドイツの出版社から出ているもので確かめたかった。これで安心して翻訳に取り掛かれる。仮に、翻訳がいくらよくても、原詩が何語かわからないと、翻訳は、足元から崩れることになる。

少し前に『ヴァレの四行詩』の一つをフランス語から日本語に訳した。このフランスの詩はリルケの原詩であることが、確認できた。思ったより翻訳が上手くいったと思っている。この文なら、全訳できそうだ。

私の文学

©髙橋信之

私の文学                                    高橋 信之

水煙を創刊したのは、私の文学の師である川本臥風先生のお勧めによるもので、信之文学を育てなさい、ということであった。その深くを理解することもなく、水煙創刊に踏み切ったのだが、通巻三百号を発行するこの頃になって、ようやく理解出来るようになり、そして、自分の文学の輪郭がはっきりとしたものとなった。

私の俳句には、五七五の定型とは違った、いわゆる破調といった句がある。

まっすぐひび割れし円柱へ秋風

第一句集「水煙」に収録されている句で、この句の四五五四のリズムを京都大学の飛鷹節先生(リルケ研究)に指摘していただいた。

秋雲つぎつぎ寺の庇より離れ

足摺岬の金剛福寺を詠んだ句で、第二句集「硝子体」に収録しているが、角川書店の「名句鑑賞辞典」に採り上げられ、俳人協会理事長の宮津昭彦氏にその破調を認めていただいた。

山門の前には太平洋がひらける。寺の庇を離れた白い雲は太 平洋へ出て行くのであろう。視覚がのびのび働いている句で 、八・八・三の破調も作者の感興をいきいきと伝えている。

宮津昭彦氏の指摘するように、私の句が「のびのび」と、そして「いきいき」しているならば、そのことは、その破調と無縁ではない。

 メーデーや家の柱の垂直に

この句は、破調ではなく、定型を守っているが、私らしい句である。現実容認の心境句である。家の柱が垂直なのは、当たり前だが、鴨居は水平、柱は垂直、ということで、「当たり前」のことへの驚き、その大切さへの思いが句となった。「メーデー」には、政治的な思いはなく、社会的な「季感」がある。

私の句は、破調の「足摺岬」の句にしろ、現実容認の「メーデー」の句にしろ、作者自身の心の在りどころが問題で、句の技巧的なところは、作者の考えにはない。

芽吹く樹へつぎつぎ心遊ばせる

 秋天をひとつ誰もが頭上にもてり

 永き日のここはどこかと振り返る

子規の言葉に「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると造化の秘密が段々分って来るやうな気がする。(病淋六尺)」がある。芭蕉に「松の事は松に習ヘ、竹の事は竹に習ヘ(三冊子)」がある。また、時宗の祖として知られている捨聖一遍上人には、「華の事は華にとヘ、紫雲の事は紫雲にとヘ、一遍はしらず(一遍上人語録)」がある。いずれも本質的には、同じであり、それは、結局日本人の古くからある思惟方法と、全く同じものであると気づく。つまり、『比較思想論』というユニークで綿密な業績をなしとげだ中村元氏が言っている「与えられた現実の容認」ということなのである。ただ、何を、「与えられた現実」と認識するか、、によって、大きな差異が生じる。

日本人の「与えられた現実の容認」は、誤解を招いてはならない。自在の境地、「無法の本法」といった「自在」の境地につながるものなのである。

富田溪仙は、「仙厓の芸術」について次のように記している。「仙厓和尚は型の反対に自在がある。森羅万象が日々に新に又日に新に生れ出て来る。ここが和尚の道力である。厓画である。書である。詩である。歌である。俳句である。活 発に地に躍動してゐる。従って、これと云う塊が無いから、自も他もない。」また、自らの芸術観について、「美術家は単なる技巧家であってはならない。深い深い宇宙観とか世界観とかができてこそ芸術観となる。」といっている。仙厓とか、溪仙とかの芸術は、その宗教的経験から出て来た宇宙観や世界観を離れては、存在し得ないのであろう。「無法の本法」といった「自在」の境地でもある。こういった境地の作家から生まれた俳句が生き生きとして新鮮なのである。私の文学は、こういった心境を理想としている。
©2008, 2025 髙橋信之

二〇〇八年水煙九月号(三百号)より

※この二〇〇八年九月号(三百号)は「水煙」終刊号となり、翌二〇〇九年一月号が「花冠」創刊号(通巻三百一号)となった。