①「俳句」・「氷室」・「山繭」・「澤」 各10月号より「夏隣」句評 


●「俳句」8月号 クローズアップ
 「夏隣」 髙橋正子
入らざりし点滴液捨つ夏隣
昼顔は真昼の花よ夫眠る
生ききって一遍ほどに夏痩せす
夏未明いのちを閉づる息ひとつ
眠るままこの世に五月の誕生日
ふさふさと芍薬ゆらぎ棺の上に
衣更えて夫かろやかに旅立てり

●「俳句」10月号合評鼎談より
①「俳句10月号」に連載の「合評鼎談」に「俳句8月号」の拙句「夏隣」の合評(鼎談)が掲載される。堀本裕樹、津高里永子、奥坂まやの三氏。七句のうち四句が話題に。鑑賞は、堀本氏と奥坂氏の二人。
以下に引用。

 髙橋正子(花冠)「夏隣」
堀本 同ページに掲載のエッセイや俳句を一読すると、最近旦那さまを亡くされたことが分かります。一句一句からそのお気持ちが伝わりました。
 生ききって一遍ほどに夏痩せす
 時宗の開祖であり、踊り念仏を広め遊行した宗教者の一遍上人。一遍は各地を回ったわけですが、旦那さまも<生ききって>、ご自分の命を最後まで全うされたと。<夏痩せす>がとても切ない。<一遍ほどに>の比喩が旦那さまの
生を愛情をもって称えています。

奥坂 命を燃焼され尽くして亡くなられた。それが<一遍ほどに>で伝わりました。<一遍ほどに>が<生ききっ>たことと<夏痩せす>の両方にかかってきます。

堀本 ふさふさと芍薬ゆらぎ棺の上に
 棺の上にはいろんな花を置くと思いますが、ふさふさと揺れるような<芍薬>が置かれた。芍薬の様子と棺の静けさが切々と伝わります。旦那さまは芍薬の花が好きだったのかもしれません。
 衣更えて夫かろやかに旅立てり
 悲しいけれど<かろやかに旅立てり>と詠まれた。髙橋さんの送り出す気持ちに救われます。俳句には亡き人の魂と同時に、送る人の気持ちを鎮魂する力があるのだなと、改めて思いました。

奥坂 夏未明命を閉づる息ひとつ
 「最後の息」というのはよく詠まれていますが、<命を閉づる>ものなのだと、これまで存分に生ききってこられたのだと分かります。亡くなったけれど、また新しい世界に開かれていく魂を感じます。

②「氷室10月号」(尾池和夫主宰・京都宇治市)の現代俳句鑑賞(211)に角川俳句8月号クローズアップに載った正子の句を余米重則氏が鑑賞してくださった。以下引用
<生ききって一遍ほどに夏痩せす     
            「俳句八月号」髙橋正子(花冠代表)
 「生ききって」という言葉はとても強く重い言葉である。天寿を全うしたということではなく、「生きるという強い意志」を最後まで貫かれた状態が強く伝わってくる。
 一遍上人の如く痩せられたということは、おそらく病気と闘いながらの最期であったのではなかろうか。介護の方のある種の満足感も伝わってくる。 (余米重則)

③「山繭10月号」(宮田正和主宰・三重・伊賀)を贈呈いただく。
現代俳句鑑賞
松村正之
 衣更えて夫かろやかに旅立てり  髙橋正子
  (俳句8月号「夏隣」より(花冠))
 作者のご夫君は四月に風邪を引かれ、五月半ば過ぎには亡くなられたという。「生ききって一遍ほどに夏痩せす」の句もあるが、その間作者は夫君を懸命に支え精一杯の看取りをされたのだろう。しかし、一か月余というのは余りにも短いではないか。作者は白装束に着替えて旅立たれた夫君の姿を「かろやかに」と表現することで、そのあっけなさに堪えておらるのだ。この句は究極の衣更えの句となって読む人の心に深く染みてくる。

④●「澤」(小澤實/東京)10月号を贈呈される。その「窓 総合誌俳句鑑賞」に「俳句8月号」に掲載の正子の「夏隣」からの一句が以下のとおり掲載される。

「俳句」八月号より  鑑賞者/今朝
生ききって一遍ほどに夏痩せす  髙橋正子
 クローズアップ作品七句「夏隣」より。「夫」の「旅立」ちを題材にした連作の中の一句。「生ききって」のストレートな打ち出しに心を打たれる。K音の重なりは枯れ木のように痩せ細った骨が触れ合う音、促音の「っ」は「いのちを閉づる」前の吐息のように感じられる。衰弱して急に体重の減った様を「夏痩せ」と見る心には、永遠の別れを覚悟する一方で、季節が巡ればまた元気になって再開できるという信念のような思いが潜んでいるのかもしれない。「捨ててこそ」を信念に全国を遊行した「一遍」上人、その痩躯と重ねあわせることで、清らかにして熱情にも満ちた人生や「夫」の人柄も見えてくる。俳人の透徹した眼差しが夏の光となり、瞼を閉じた深い眼窩に翳を落としている。


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