9月1日(4名)
土橋みよ
蜂向かう小手毬の奥斑の巣★★★
舞うアゲハ幼虫蜂の餌となり★★★
とりどりのアゲハ舞う庭夢のあと★★★
廣田洋一
新しき友と出会いし秋の旅★★★
忌日近し欠けゆく月を仰ぎたり★★★★
秋うらら土産を配る旅の果て★★★
★印に関係なく、どの句もそれぞれに味わいがあります。(髙橋正子)
桑本栄太郎
鳴き声の虚ろとなりぬ秋の蝉★★★
ついと前ついとまえへと赤とんぼ★★★
新しき風に乗りたや九月来る★★★★
多田有花
八月の最後の花火打ちあがる★★★★
子の頃の西瓜は種の多かりし★★★
八月尽風入る部屋で昼寝する
「八月尽」は、俳句では使いません。気を付けないといけないのは、ただ漫然とどの月にでも「・・尽」を使わないということです。
古くから「三月尽」と「九月尽」は並べて使われてきましたが、これは春と秋には心に沁む景物が多く、それらを惜しむ気持ちの現れとされています。「弥生尽、四月尽」も春を惜しむ気持ちで使われます。
また「六月尽」は陽暦では梅雨の時期にあたり、黒南風と言われる湿気を含んだ風が吹き込み、日本列島の南から梅雨入りの知らせがしだいに届いてくる。一方、6月21日ごろには夏至を迎え、昼間が最も長くなる。こういう月の特徴から六月の終わる感慨をこめて「六月尽」といいます。
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正子先生
「八月尽風入る部屋で昼寝する」にご指導をいただきありがとうございます。
八月尽について、私が普段使っている「新日本大歳時記」(1999/講談社)には
八月尽が季語として載っております。
「八月尽の赤い夕日と白い月/中村草田男」が掲載されています。-
2025年9月2日 14:59
多田有花 への返信。
有花さん、八月尽について、ありがとうございました。有花さんが使っておられる「新日本歳時記」(1999/講談社)は私の手元にあります。いまそこを開けますと、今井杏太郎氏の解説で、「八月三十一日、すなわち八月の終わる日のこと。陰暦の「三月尽」や「九月尽」のような季節の移り変わりを惜しむ季感はないでれども、夏休みや避暑期の終わりころの気持ちをいう、新しい季語である。」となり、例句は、
八月の赤い夕日と白い月 中村草田男
クッキーのチッ素噛みあて葉月尽 鷹羽狩行
の二句が載っています。「八月尽」を使った例句のめずらしさは言えると思いますが、私の個人的な感想からは、畏れおおくも著名な方々の句ですが、決して否定するものではありませんが、採り上げた例句に若干の問題を感じます。
『第日本歳時記』(1999/講談社)は陰暦「水無月尽」に替えてその時期にあたる「七月尽」として使い季語としていますので、注意する必要があります。
近年、歳時記に新しい季語が加えられる傾向が強まり、詠み手の自由な発想が歓迎される風潮もありますが、それが『なんでもあり』の方向に流れてしまう危惧もあります。
新しい季語を使うときは、自由に使っていいのですが、一度立ち止まって、よく吟味することが必要です。有花さんの句が、そうした新しい季語の可能性を開く一歩になることを願っています。
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