■ご挨拶/第21回(立春)フェイスブック句会■

●高橋正子(花冠主宰)
3日の節分、4日の立春と日が過ぎ、暦の上では春となりました。今年は、急に大雪となったり、また急に春のような陽気になったり、変化の多い天候が続きました。落ち着かない天気の中で、春の声を聞くと嬉しいもので、寒さで固くなった心身がほぐれるような気持ちになります。立春句会には、はやも春らしい句が出そろいました。誰もが、春を心待ちにしておられることがよくわかります。早いところでは、梅が咲き始めているようです。春の小さな兆しを見つけて喜べるのも、俳句を作っているお陰と思います。今回は、花冠同人ほとんど全員といっていい26名の方が参加されました。大変うれしいことです。投句、選とコメントをいただき、ありがとうございます。入賞の皆さま、おめでとうございます。立春句会の管理運営は信之先生、集計は洋子さん、スタッフの皆さまにはコメントを書いていただきました。大変お世話になり、ありがとうございました。これでフェイスブック立春句会を終わります。次回は、3月3日の雛祭句会です。楽しみにお待ちください。

●藤田裕子(当番スタッフ)
信之先生、正子先生、第21回(立春)フェイスブック句会を開催していただきまして有難うございます。洋子様、いつも集計のお世話いただき有難うございます。ご参加くださいました皆様、お世話になりました。身にしむ寒さも、ようやく和らぎ、春の兆しがうれしい時季になってまいりました。各地の皆様の心温まる俳句を読ませていただきまして、とても幸せな春の訪れを感じさせていただきました。花々や鳥たち、光りや雨など、確実に春が近づいております。耐えていた冬から徐々に解放され、自由な楽しい明るい世界が広がってゆくようです。句会のコメントなどお世話いただきましたスタッフの皆様、有難うございました。まだまだ寒さの残るこの頃、どうぞ皆様、お体お大切になさってください。楽しい句会を、皆様有難うございました。

●多田有花(当番スタッフ)
信之先生、正子先生、第21回(立春)フェイスブック句会を開催頂きありがとうございました。洋子さまには毎回集計を担当頂き、ありがとうございます。フェイスブック句会では、いつも全国各地のそれぞれの季節の表情とそれを迎えられた同人のみなさまの暮らしぶりを垣間見ることができ、楽しみです。今年の立春は雨のところが多かったようですね。今日から春と思えば雨も明るく感じられます。まんさく、紅梅、白梅、デージー、蕗の薹といった早春の花や植物を詠まれた句の数々に、待ち焦がれた春を迎えられた喜びを感じました。節分の前の週末は春半ばといってもおかしくないような陽気になりました。立春を迎え、今度は寒の戻りがありそうな気配です。春は寒暖の差が大きい季節です。ご自愛ください。次回、3月3日の雛祭句会を楽しみにしております。

●井上治代(当番スタッフ)
信之先生、正子先生、第21回(立春)フェイスブック句会を開催して頂きましてありがとうございます。洋子様にはいつも集計のお世話をして頂きましてありがとうございます。フェイスブック句会ご参加の皆様、お世話になりありがとうございます。立春の日は雨が降りましたが暖かい一日になりました。この雨も大地を潤し、多くの生命を育んでくれることでしょう。皆様の俳句から、待ち望んでいた春の到来に喜びいっぱいの顔が浮かんできました。また、花の句、鳥の句、行事の句など様々な句があり、一句、一句から明るい色彩が豊かに広がり、鳥の声が聴こえ、優しい風の匂いを感じることができました。そして、このような俳句の仲間がいることに元気づけられました。季節の変わり目です。皆様、お身体ご自愛ください。

2月9日(土)

★春浅し立ちたる草の鳴りづめに   正子
未だ冬の気配の残る春の初め、風のやや冷たさにも、「鳴りづめ」の草の音を通して誘われる快さがあります。風に鳴る草々の有りように、浅春の季節感が感じ取れます。(藤田洋子)

○今日の俳句
街筋の昼月ほっと梅開く/藤田洋子
街筋の空を見上げれば、白く透明感のある昼の月が浮かんでいる。昼月を遠く梅が開いて、昼月と梅との美しい出会いがある。(高橋正子)

○八朔
八朔は、晩柑類の代表といってもよかったが、最近は伊予柑におされてあまり人気はないようだ。食べた後、ほんの少し苦みが残るが、果汁が少なめで、果肉がしっかりして手を汚さず食べやすいのが取り柄。
子供のころ庭に一本八朔の木があって、ひと冬、家族、主には子供のおやつとして食べるだけ十分あった。驚くべくたくさんの実がついた。収穫した八朔は、りんご箱にもみ殻を入れたなかに保存し、蔵に入れられた。土蔵の冷暗所に保存されていたわけだ。もみ殻がつかないように、セーターの袖をたくし上げ箱に腕を入れて掴み出す。お菓子がほとんどない時代。(チョコレートは高校生になって友だちにもらって初めて食べたくらいです。)遊んでいる途中、喉がかわくと家に帰って八朔を持ち出し、友達と食べたりした。よその家には伊予柑に似た私たちが「だいだい」と呼んでいた果物があったので、友達が家から持ち出してきて食べた。これはどこの親たちにも内緒のことであったが。ところがある日、あれほど実を付けて元気だったのに、突然にこの八朔の木が枯れた。その一日で枯れたわけではないだろうが、「ある日突然に」という印象だった。根もとから掘り起こされて燃やされたが、家の没落がいよいよ目に見えて始まるかのようだった。八朔の味のように、いまだにかすかな苦さを覚える。

★八朔を蔵より出せば日が当たる/高橋正子

○黄水仙

[黄水仙/横浜日吉本町]           [ラッパ水仙/横浜日吉本町]

★突風や算を乱して黄水仙/中村汀女
★横濱の方にある日や黄水仙/三橋敏雄

黄水仙(きずいせん、学名:Narcissus jonquilla L.)は、ユリ科 スイセン属で新エングラー体系ではヒガンバナ科の多年草。南ヨーロッパ原産。石灰岩地の丘陵や草地などに生え、高さは10~30センチになる。葉は深緑色で細い。春に花茎を立てて、香りのよい黄色の花を横向きにつける。江戸時代に渡来して観賞植物として栽培される。学名からジョンキル水仙とよぶ場合もある。

白い水仙は冬の季語、黄水仙は春の季語。おなじ水仙と呼ばれても咲く季節が違う。有名なワーズワースの詩の「ラッファディル」は、ラッパ水仙。春が来ると一面に群れ咲くラッパズイセンを子どものころは、異国への憧れとしてよく想像したものだ。父が若かったころ、私たが子どもであったころ、庭にラッパ水仙が咲いた。戦後のことであるが、このラッパ水仙が咲くのが非常に嬉しかった。今になって思えば、父は花が好きであったようだ。ペチュニアを「つくばね朝顔」と言っていたころ、ほどんど誰もそれを植えていないころペチュニアが咲いていた。糸水仙というのもあった。青葡萄の棚もあったし、種なし葡萄のデラウエアも門先のポールに昇らせていた。そういう思い出と共に蘇る生家のラッパ水仙である。

★父は若しラッパ水仙咲かせいて/高橋正子

◇生活する花たち「福寿草・菜の花・紅梅」(横浜日吉本町)