■8月立秋ネット句会入賞発表■


■2015年8月立秋ネット句会■
■入賞発表/2015年8月8日
□入賞/12名21句

【金賞】
★吊忍風を招いて売られおり/祝恵子
「風を招いて」が吊忍の本質を言いあてて涼しそうだ。吊忍自体に風を招く性質があると思える。風に吹かれているのではなく、風を招いているのだ。(高橋正子)

【銀賞2句】
★朝の虹スマホに収め子は出勤/古田敬二
出勤のために玄関を出たとたん、朝の空にかかる虹を見た。きれいな虹を思わずスマホにとって、出勤となったのであるが、虹をポケットに入れている思いだ。一日いいことがありそうだ。(高橋正子)

★雅楽の音余韻の海や月涼し/佃 康水
雅楽の音の余韻が海に響き、空には月が涼しくかかり、雅やかな中にも、あわれが感じられる。栄華を誇った平家のことが今日にも及んで偲ばれる。(高橋正子)

【銅賞3句】
★塩飴を含み風立つ草田男忌/桑本栄太郎
8月5日は中村草田男の忌日。暦の上では立秋がまじかではありますがが、実際には連日の猛暑。その熱中症対策には塩飴を口に含むことも大切です。一方では涼やかな風が吹き始めている。まさに季節の移ろいの情景を上手に詠まれ勉強になりました。 (佃 康水)

★一輪の桔梗朝陽をほしいまま/井上治代
桔梗は、秋の七草のなかでも、残暑のきびしいころから花を開く。一輪の桔梗が咲き始め、朝陽をひとりじめして、それこそ朝陽をほしいままに咲いている。ほこらしくさえ思える。(高橋正子)

★花柘榴実となる空や原爆忌/小川和子
緑のなかに紅一点としてさく柘榴の花であるが、原爆忌の8月6日の空に目をやると、柘榴の赤い花が実とを結んでいる。原爆忌のころは、柘榴も小さい実を空に結ぶのだ。原爆と聞けば、われわれはきのこ雲を思い、空へ目をやる。(高橋正子)

【高橋信之特選/8句】
★夕焼に一朶の雲の欺かず/小口泰與
「欺かず」がいい。作者の言わんとするところで、「一朶の雲の夕焼」が読者の眼前にも鮮明に浮かぶ。(高橋信之)

★塩飴を含み風立つ草田男忌/桑本栄太郎
草田男を偲んで、「塩飴」がいい。「塩飴」は草田男の味がするというのだ。(高橋信之)

★朝の虹スマホに収め子は出勤/古田敬二
奇をてらった句でないが、ユニークな句だ。日常の生活を描いた秀句で、「出勤」で一句をおさめ成功した。(高橋信之)

★夏帽子脱ぎ黙祷の席に立つ/佃 康水
眼前の情況をそのまま写生して佳句となった。作者内面の良さがそのまま句となったのだ。原爆忌に相応しい、亡き人への追悼の句である。(高橋信之)

★花柘榴実となる空や原爆忌/小川和子、
「空」がこの句の眼目であり、そこに作者の思いがある。「原爆忌」といえば、多くの人は、空を仰ぐ。(高橋信之)

★吊忍風を招いて売られおり/祝恵子
★安静の日々の背を押す今朝の秋/高橋正子
★あきらかに天は青かり原爆忌/高橋正子

【高橋正子特選/8句】
★渓を歩く滴りの音ひんやりと/小川和子
町中を離れ、渓の中を歩くと空気もひんやりとしています。聞こえてくる滴りの音も心地よく、体中にしみわたるようです。(井上治代)

★稲の花水音のせてそよぎおり/柳原美知子
今年も小さい稲の花がたくさん咲き、秋の収穫が待たれます。「水音のせてそよぎおり」という表現が爽やかで、このような光景をみると、暑い夏もなんとかのりきれそうです。(井上治代)

★川縁の水引草に風立ちぬ/藤田洋子
川の縁に楚々と咲く水引草。目立たない花ですがどこか風情がありますね。「風立ちぬ」で止められたところにも心引かれる一句です。 (小川和子)

★陶器市神官の撒く水しぶき/祝恵子
神社の境内で開かれた陶器市。神官も少しでも涼しいように勢いよく水を撒く。ホースでまくのだろう。しぶきが飛ぶ。陶器と水のとりあわせに涼しさを感じる。(高橋正子)

★一輪の桔梗朝陽をほしいまま/井上治代
★吊忍風を招いて売られおり/祝恵子
★雅楽の音余韻の海や月涼し/佃 康水
★一日を解放されて素足の吾/高橋信之

【入選/6句】
★蟻の列行くに逡巡なかりけり/小口泰與
アリとキリギリスのイソップ物語りのように、蟻さんは働きものです。暑い日射しの中でも少しも躊躇う事無く、黙々と働き続けています。どの蟻さんもそれぞれ、一生けん命に歩き廻っている様子が良く描かれている。(桑本栄太郎)

★悪政へ怒りの立ち様雲の峰/古田敬二
今の安倍政権は戦争法案を通そうとしているが、入道雲もこのことを怒っているようだ。時事俳句ですが、我々俳人も政治に無関心ではいけない筈であるという示唆。(谷口博望)

★鳥声にさそわれ森の新涼に/河野啓一
明るい鳥声も嬉しく、森の木々、森の風のさやぎに、清々しく快い初秋の涼気を感じさせていただきました。 (藤田洋子)

★湯上りの涼を奏でる窓の風/河野啓一
猛暑の1日を無事終え、ゆったりと湯上がり後の窓辺の涼風にくつろぐ至福のひととき。何気ない生活の中に、充実感が感じられます。(柳原美知子)  

★鎮魂の七十年や夾竹桃/谷口博望
すっきりとした、鮮やかな詠みに強い印象を受けました。長崎の爆心地に夾竹桃が植えられていると聞いたことがあるように思います。引きかえて、力づくでいがみ合っている人間共の愚かさは何とかならないものでしょうか。 (河野啓一)
原爆により100年間は草木も生えないと言われた焦土にいち早く咲いた花が夾竹桃。復興への希望と光を与えてくれました。原爆犠牲者への慰霊の意もこめて昭和48年、広島市の花に選定されました。原爆投下70年を迎えた今年、作者の深い想いが感じられます。 (佃 康水)

★ぐっすりとよく寝た朝の蝉しぐれ/迫田和代
正に同感です。うるさい蝉しぐれも優しい目覚まし時計になりますね。 (河野啓一)
ぐっすりとよく寝た朝はさぞ心身共に爽やかなお目覚めだった事でしょう。夜明けと共に啼き始めた蝉もいのちの限りを懸命に鳴き競っています。作者も蝉も今のいのちを謳歌している様で気持ちの良い御句です。 (佃 康水)

■選者詠/高橋信之
★一日を解放されて素足の吾
夕方お仕事より帰宅、又は外出からの帰りでしょうか。自宅での素足、何とも言えない解放感が伝わってきます。 (祝恵子)

★朝食の葡萄のうまき大粒を
如何にもおいしそうな大粒の葡萄が目に浮かびます。さあ食べるぞ、と云う食欲が湧いてきます。 (河野啓一)

★朝食の葡萄に露がいきいきと
涼しい朝の朝食の葡萄に露がついている。しっかりとした露は、いきいきと光り、食欲をさそう。(高橋正子)

■選者詠/高橋正子
★今朝秋の洗面の水たまりゆく
何となく秋の気配の近付く立秋の朝、起きがけの洗顔の水がゆっくりと溜まって行く。何気ないことですが爽やかな秋の近いことを思わせる句だと思います。 (古田敬二)

★あきらかに天は青かり原爆忌
空は青かったです。でも、惨い戦争の色とは思いません。戦争の色はどす黒い赤のように思います。青い空に守られたのでしよう。好きな色ですから。 (迫田和代)
原爆投下の朝は良く晴れ渡っていました。以後、毎年かの日は晴れ、天が青いのが「広島の空」と言ってもいいかもしれません。〈昨年は珍しく雨が降りましたが〉
「あきらかに天は青かり」の措辞は原爆の痛ましい日の事を暗に語って居られる作者の気持ちが伝わって参ります。 (佃 康水)

★安静の日々の背を押す今朝の秋
予後を安静に過ごされていられる作者にとって立秋を迎え、「今朝の秋」をひとしお身にしみて受けとめたことでしょう。回復への希望がしみじみと伝わってくるようです。(小川和子)

■互選高点句
●最高点(6点)
★夏帽子脱ぎ黙祷の席に立つ/佃 康水

※集計は、互選句をすべて一点としています。選者特選句も加算されています。
(集計/藤田洋子)
※コメントのない句にコメントをお願いします。

8月8日(土)立秋

★おみなえし山の葛垂る庭先に  正子
共に万葉の昔から親しまれてきた2つの秋の七草を優美に詠い上げげられた御句かと思います。
山の葛垂る庭先」の措辞がこれらの植物の枕詞を兼ねた、生態描写のように感じられ、実に素晴らしいと思いました。(河野啓一)

○今日の俳句
黒光りして児の掌にかぶと虫/河野啓一
子ども、特に男の子は、虫の中ではかぶと虫がとりわけ好きだ。黒光りする胴体、たくましい角、決して敏速には動かない堂々とした様子。そのかぶと虫を掌に乗せて、王者の気分だ。(高橋正子)

○尾花(おばな・すすき)

[薄(すすき)/横浜日吉本町]

★何ごともまねき果たるすすき哉 芭蕉
★おもしろさ急には見えぬ薄かな 鬼貫
★山は暮れて野は黄昏の薄かな 蕪村
★夕闇を静まりかへるすゝき哉 暁台
★猪追ふや芒を走る夜の声 一茶
★古郷や近よる人を切る芒 一茶
★箱根山薄八里と申さばや/正岡子規
★一株の芒動くや鉢の中/夏目漱石
★金芒ひとかたまり銀芒ひとかたまり/高浜虚子
★穂芒のほぐれ初めの艶なりし/能村登四郎
★穂を上げし芒に風の触れはじむ/稲畑汀子
★薄野を来て一山の夕日浴ぶ/小澤克己
★今日を尋めゆく落日の川すすき/千代田葛彦

 薄について書こうと思えばありすぎる。いたるところにあるけれど、夏の青い薄が風になびくのもよい。城ケ島に4年ぐらい前だったか行ったときに、はるか大島の影が見える崖に青薄が靡いていた。月があがればどんなに素敵だろうかと思った。その青薄も真夏の暑さに鍛えられ、青々とした色が幾分か抜けると紅むらさきのつややかな穂が出る。出始めの穂の色、はらりとほどける穂の具合は、初秋の風情としては一品。秋も深くなると穂が白くほおけて、銀色金色に輝く。小諸の花冠フェスに出かけた折、追分のあたりから景色はぐっと高原らしくなるが、薄は金色だった。それから、鎌倉の二階堂の虚子記念館を訪ねたときに、薄原があった。虚子がこの薄原を詠んだのではないかと思わせる雰囲気があった。
薄について風情の良さばかりを言ってはおれないのだ。薄は、別な呼称で萱なのだ。生家には家の前に広い畑がある。両親がいたころは、いろんな農作物がよく育っていた。父が亡くなり40年がたち、母がこの5月に亡くなったが、畑の隅に徐々に萱が生え始めた。畑の手入れが行き届かない。おそらくこの萱が広がって、何年か経つうちに荒れた野に戻るだろうと、寂寥とした思いにもなる。

★追分の芒はみんな金色に/高橋正子

 ススキ(芒、薄)とは、イネ科ススキ属の植物。萱(かや)、尾花ともいう。野原に生息し、ごく普通に見られる多年生草本である。高さは1から2m。地下には短いがしっかりした地下茎がある。そこから多数の花茎を立てる。葉は細長く、根出葉と稈からの葉が多数つく。また、堅く、縁は鋭い鉤状になっているため、皮膚が傷つくことがある。夏から秋にかけて茎の先端に長さ20から30cm程度の十数本に分かれた花穂をつける。花穂は赤っぽい色をしているが、種子(正しくは穎果・えいか)には白い毛が生えて、穂全体が白っぽくなる。種子は風によって飛ぶことができる。日本には全国に分布し、日当たりの良い山野に生息している。夏緑性で、地上部は冬には枯れるのが普通であるが、沖縄などでは常緑になり、高さは5mに達する。その形ゆえに、たまにサトウキビと勘違いする観光客がいる。国外では朝鮮半島・中国・台湾に分布するほか、北米では侵略的外来種として猛威をふるっている(日本にセイタカアワダチソウが侵入したのと逆の経路で伝播)。植物遷移の上から見れば、ススキ草原は草原としてはほぼ最後の段階に当たる。ススキは株が大きくなるには時間がかかるので、初期の草原では姿が見られないが、次第に背が高くなり、全体を覆うようになる。ススキ草原を放置すれば、アカマツなどの先駆者(パイオニア)的な樹木が侵入して、次第に森林へと変化していく。後述の茅場の場合、草刈りや火入れを定期的に行うことで、ススキ草原の状態を維持していたものである。

◇生活する花たち「山萩・鬼灯・蓮の花托」(横浜・四季の森公園)