6月30日(月)

★蛍ぶくろ霧濃きときは詩を生むや  正子
白や紫色した蛍袋が下向きに咲き、中はがらんどう。蛍袋の咲く梅雨の頃には霧の発生も良く見られ、濃い霧にぼやけて見える花は一際風情を感じます。また、この花筒の中にほたるを入れて遊んだという説にはますますメルヘンの世界に誘われると共にこの様なところから詩が生まれて来そうな予感が致します。御句こそが美しい一行詩です。(佃 康水)

○今日の俳句
清らかや飛騨路に出合う朴の花/佃 康水
朴の花は、大ぶりな白い花でよい香りがする。山深い飛騨路に出合えば、「清らかさ」が印象的。(高橋正子)

○コムラサキの花

[コムラサキの花/横浜日吉本町]

★慈雨来る紫式部の花にかな/山内八千代
★紫式部添木に添わぬ花あまた/神部 翠
★光悦垣色あはあはと花式部/高瀬亭子
★紫式部咳くやうに咲き初めし/河野絇子
★夢辿る紫式部の花の香に/石地まゆみ
★花式部見つけたり日の輝きに/高橋信之

 紫式部の実は、熟れると美しい紫色となる。しだれるような枝に小さな紫色の実がつき、小鳥が好んで食べる。一度私も食べてみたが、棗に似た味がする。この美しい実がつく前には花が咲くのはとうぜんだが、6月、今ちょうどその紫式部の花が咲いている。実より少し淡い紫色である。その花の通りに実がつく。山野に自生したのを見るが、庭木に植えているものと見かけが多少ちがうように思う。私が見た限りでは、庭木に植えているもは、葉が黄緑がかっているが、自生種は葉が大ぶりで、緑色が濃い。花よりも実が美しい木の一つである。

★登り来てふと見し花は花式部/高橋正子

ムラサキシキブ(紫式部、Callicarpa japonica)はクマツヅラ科の落葉低木で、日本各地の林などに自生し、また果実が紫色で美しいので観賞用に栽培される。高さ3m程度に成長する。小枝はやや水平に伸び、葉を対生する。葉は長楕円形、鋭尖頭(先端が少し突き出すこと)、長さ6-13cm。細かい鋸歯がある。葉は黄緑で洋紙質、薄くて表面につやはない。初めは表側に細かい毛があることもある。花は淡紫色の小花が散房花序をつくり葉腋から対になって出て、6月頃咲く。秋に果実が熟すと紫色になる。果実は直径3mmで球形。栽培品種には白実のものもある。名前の由来は平安時代の女性作家「紫式部」だが、この植物にこの名が付けられたのはもともと「ムラサキシキミ」と呼ばれていたためと思われる。「シキミ」とは重る実=実がたくさんなるという意味。スウェーデンの植物学者のカール・ツンベルクが学名を命名した。北海道から九州、琉球列島まで広く見られ、国外では朝鮮半島と台湾に分布する。低山の森林にごく普通に見られ、特に崩壊地などにはよく育っている。ムラサキシキブ(コムラサキ、シロシキブ)の名所として、京都・嵯峨野の正覚寺が有名である。
コムラサキ(C. dichotoma)も、全体に小型だが果実の数が多くて美しいのでよく栽培される。別名コシキブ。ムラサキシキブとは別種であるが混同されやすく、コムラサキをムラサキシキブといって栽培していることが大半である。全体によく似ているが、コムラサキの方がこじんまりとしている。個々の特徴では、葉はコムラサキは葉の先端半分にだけ鋸歯があるが、ムラサキシキブは葉全体に鋸歯があることで区別できる。また、花序ではムラサキシキブのそれが腋生であるのに対して、コムラサキは腋上生で、葉の付け根から数mm離れた上につく。岩手県で絶滅、その他多数の都道府県でレッドリストの絶滅寸前・絶滅危惧種・危急種・準絶滅危惧の種に指定されている。

◇生活する花たち「蛍袋・時計草・紫陽花」(横浜日吉本町)

今日の秀句/6月21日-30日

[6月30日]
★射干の朱を緑陰に散りばめて/河野啓一
射干(ひおうぎ)の花は古典的で気品のある、オレンジ色のかわいい花である。それが緑陰のくらがりに柔らかな朱色で、ぽつぽつ咲いているのは、夏らしい心和む光景だ。(高橋正子)

[6月29日]
★青時雨みるみる濡れる石畳/小川和子
青時雨の潔さ、さっぱりとした感じがよく出ている。言葉の色彩も青時雨の青と、石畳の石の色が、涼しそうだ。(高橋正子)

[6月28日]
★新緑の木陰の中で口笛が/迫田和代
新緑の木陰でだれかが口笛を吹いている。新緑の木陰の心地よさが楽しくて口笛を吹いたのだろう。身も心も軽い季節。(高橋正子)

[6月27日/2句]
★花槐咲きしばかりの碧き白/川名ますみ
槐はマメ科の落葉高木なので、花も豆の花のような蝶形花を円錐花序につける。その花は白いが、作者は咲いたばかりの花に「碧き白」を鋭敏にも感じ取った。(高橋正子)

★行き交える電車の過ぎて蔦の青/小西 宏
電車が行き交っている間は、向こうにあるものに目が届かないが、過ぎた向こうには蔦が青々と茂っているのが目に鮮やかに飛びこむ。行き交う電車にこの蔦は煽られ揺れていたであろうが。(高橋正子)

[6月26日]
★糸蜻蛉水の光りへ紛れけり/佃 康水
糸蜻蛉の体の細さは、注意していなければ、すぐ見失う。ましてや水の光りが輝く中では、蜻蛉か、光か、と見まがうようにも。「水の光り」が涼やかだ。(高橋正子)

[6月25日]
★尾根に出れば風の親しき夏至の山/多田有花
尾根に出れば、それまでの登山道とは違って汗の身に心地よい風が吹く、夏至となれば、完全に夏山の風。身になじんだ親しい風。(高橋正子)

[6月24日]
★風の来て植田に夕焼け広がれり/古田敬二
植田は田の面に水が見え、夕焼けが一面に広がる。それも風が来て広げた夕焼けだ。風が生きている。(高橋正子)

[6月23日]
★梅雨晴れや奔り追い抜く新幹線/桑本栄太郎
重い梅雨の雨も晴れあがり、青空の下を疾駆する新幹線の姿は、すっきりとして格好がよい。(高橋正子)

[6月22日]
★ばらを得て土器は生気を得たりけり/小口泰與
土器は、広義には陶磁器をさすこともあるようだが、この句のイメージからは、粘土を乾燥させて焼いたものと考えられる。縄文、弥生の時代を思わせる土器も、ばらを活けられ、ばらの色に生気をもらって、互いに引き立つようになった。(高橋正子)

[6月21日]
★のうぜんの花に夕日と夕風と/桑本栄太郎
夕日の染めるのうぜんの花は、夕日の色と相和して輝かしく咲いている。そこに夕風が吹き花をそよがせ、しずかにも華やぎのある夕方の景色となっている。「夕日」「夕風」と、「夕」を繰り返したのも、無駄ではない。(高橋正子)