8月29日
石ころも露けきものの一つかな 高浜虚子(たかはま きょし)
早朝の静かさのなか、眼にするものにみな露が降りている。転がっている無生物の石ころさえも、露けきものとなっている。何一つのこることなく露けきものとなる澄明な朝がひんやりと伝わってくる。
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より
曇り
台風の遠きにありて萱靡く 正子
秋暑し雲に力のまだありぬ 正子
梨下げてまた新しき梨供う 正子
●クララ・ヴュルツのモーツアルトピアノソナタ全集を聞く。繊細で感情豊かな演奏。ずっと聞いていられる。「繊細で感情豊か」なことは詩人や演奏家には必須条件かも知れないし、また、詩人や演奏家では平凡なことかもしれないが、普通の者が聞くには、このことに尽きると思う。素晴らしい技巧とか深い音楽とか、素人にはそこまででなくてもいい。
●夕飯のお米をしっかり浸水させて電気釜で炊いたのだが、途中で蓋が開いたままになって、どんでもないご飯が出来た。出来たご飯にラップをかけてレンジで温めてみたが、煮えたのもあるが、煮えてない米粒があるようで食べるのを止めた。「パンがないならブリオッシュを」ではなく、現況の店頭から米が消えてるからではなく、家には米がありがながら「米がないならパンを」になった。今日は三食、パン食。
8月28日
ふるさとは山路がかりに秋の暮 臼田 亞浪(うすだ あろう)
亞浪もふるさとは、信州小諸である。山路がかる道を行けば、秋の暮がせまっている。そうでなくても早い秋の暮に山路がかりの秋の暮は早い。ふるさとの地を踏んだ懐かしさが、思いを深いものにしている。
『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット/2005年発行)より