「詩返」という言葉 ―「西洋の詩と俳句のあわい」
髙橋正子
●リルケのフランス語の詩『果樹園 付ヴァレの四行詩』(片山敏彦訳・人文書院)の「ヴァレの四行詩」は、俳句を意識して作られたと言われている。四行を1連として、2連~3連で一つの詩になっている。そういうのが、36ある。『果樹園』の詩は「墨絵のような詩」と言われている。俳人である私が読んでみようとするのも自然なことだ。『果樹園』の訳詩は堀口大學訳もあるが、片山敏彦訳に魅かれたので、ネットで探し、古書で見つけた。早速注文すると3日で届いた。届いた本は、表紙の真ん中に「RMR」だけ書いてある。おそらくリルケのサインをどこからか、持ってきたのだろう。筆記体の真面目な字である。訳書は1957年の初版本なので、経年劣化はやむを得ず、数日読んでいるうちにページが一枚抜けた。もとに嵌めようとするが、もとにはもどらない。これ以上ページを落としたくないので、繰り返し読むために、別の紙に書き写すことにした。必要な時、必要な詩を2,3篇ずつ書き写している。さしあたっては、A5のブルーの横罫の便箋を縦書きに使って。書き写していると翻訳者になって一語一語言葉を生んでいる感覚になった。こうして書いたんだろうな、と訳者の机上が思い浮かんだ。
俳句を意識して作った詩「ヴァレの四行詩」は、ヴァレ地方の風景や、鐘の音や水の音、塔や山々を、ヴァレへの挨拶のように詠んでいる。日本の俳句も挨拶の要素をもっているが、四行詩を読んだときに、なんらか応えたくなった。そうして西洋の詩と日本の俳句との二つの間にあるものとして俳句ができた。季語があるものも、ないもののある。定型であるものもないものもある。だが、詩として俳句を詠んだことは間違いない。「リルケの詩にふれて、その俳句」と題して俳句雑誌「花冠」に一度載せたが、これは名前としては長すぎる。それを呼ぶ、適当な言葉がない。この俳句は、リルケの詩の解釈でも詩への共鳴を詠んだものではない。私はこれに「詩返」(しへん)という言葉を造った。「詩返」を定義づけるとすれば、次のようになる。
「詩返」とは、詩に触れた感興から生まれた俳句であり、単なる感想や 共鳴ではなく、詩との倫理的・詩的対話を志向する応答のかたちである。
●花冠7月号(No.373)号を送ったお礼の返事をいただいている。この号には、「髙橋正子の俳句日記」に、リルケの初期の詩からインスピレーションを得て俳句を作った経緯を記した箇所がある。ここについて「興味深い」と、京大名誉教授のN先生から返事をいただいた。N先生には信之先生の「水煙」時代からずっと「花冠」を送らせていただいている。この度も、お忙しいにもかかわらず、私が書いたものを、丁寧に読んでくださっての返事だった。
先生からの「印象的」「興味深い」という返信の言葉は、私への最大限の誉め言葉であり、励ましであると思っている。そして、私はこの言葉は何度か拝読している。「何度か」というが、花冠のそれぞれの号に対しての言葉なので、その指す内容は違っている。今回の7月号の返信にもこの言葉を拝読した。そして、この「興味深い」という言葉に、私はいつもにはない「意味」を感じた。先生の言葉は平明な中に含意の深さがあって、返信を読んだあと、読み落としているのではと、一度は仕舞った葉書きをまた取り出して読むこともある。
今回、私が返信に感じた「意味」は、すぐには思いつかなかった。「なんなんだろうなあ」と考えていた。そして思い浮かんだのだが、それは先生の意図ではなく、私だけの意味の取りようだが、私が名づけた「詩返」を詩論的に、詩人の倫理として、きちんとするのがいいのではという意味が浮かんだ。
しかし、「詩返」を、どんな形態で公表するかは難しい、詩に対しての俳句なので、「詩」を示さないことには、「俳句」の意味も「詩と俳句の関係」も半減する。「詩」や「詩の訳文」には著作権があって、引用の範囲と引用の箇所を決めるのがむずかしい。もとの詩を冒とくするものであってはならない。ここにつまずいて、「詩返」は一度はあきらめかけていた。先生の「興味深い」の言葉に、私自身の「意味」を見つけたので、思い直して、もう少し頑張ってみることにした。
(2025年8月25日)
晴れ
トラックの疾駆す青萱吹き上げて 正子
●夕方6時過ぎ、URの中を散歩した。暑すぎて2か月半ぐらい散歩に出ていなかったが、陽が落ちてから風が吹いているようなので出かけた。歩くと涼しい風が吹いている。今日の気温はかなり高かったが、夕方の風のすずしさには救われる。1キロほど歩いた。
●リルケのフランス語の詩『果樹園 付ヴァレの四行詩』(片山敏彦訳・人文書院)の「ヴァレの四行詩」は、俳句を意識して作られたと言われている。四行を1連として、2連~3連で一つの詩になっている。そういうのが、36ある。『果樹園』の詩は「墨絵のような詩」と言われている。俳人である私が読んでみようとするのも自然なことだ。『果樹園』の訳詩は堀口大學訳もあるが、片山敏彦訳に魅かれたので、ネットで探し、古書で見つけた。早速注文すると3日で届いた。届いた本は、表紙の真ん中に「RMR」だけ書いてある。おそらくリルケのサインをどこからか、持ってきたのだろう。筆記体の真面目な字である。訳書は1957年の初版本なので、経年劣化はやむを得ず、数日読んでいるうちにページが一枚抜けた。もとに嵌めようとするが、もとにはもどらない。これ以上ページを落としたくないので、繰り返し読むために、別の紙に書き写すことにした。必要な時、必要な詩を2,3篇ずつ書き写している。さしあたっては、A5のブルーの横罫の便箋を縦書きに使って。書き写していると翻訳者になって一語一語言葉を生んでいる感覚になった。こうして書いたんだろうな、と訳者の机上が思い浮かんだ。
俳句を意識して作った詩「ヴァレの四行詩」は、ヴァレ地方の風景や、鐘の音や水の音、塔や山々を、ヴァレへの挨拶のように詠んでいる。日本の俳句も挨拶の要素をもっているが、四行詩を読んだときに、なんらか応えたくなった。そうして西洋の詩と日本の俳句との二つの間にあるものとして俳句ができた。季語があるものも、ないもののある。定型であるものもないものもある。だが、詩として俳句を詠んだことは間違いない。「リルケの詩にふれて、その俳句」と題して俳句雑誌「花冠」に一度載せたが、これは名前としては長すぎる。それを呼ぶ、適当な言葉がない。この俳句は、リルケの詩の解釈でも詩への共鳴を詠んだものではない。私はこれに「詩返」(しへん)という言葉を造った。「詩返」を定義づけるとすれば、次のようになる。
「詩返」とは、詩に触れた感興から生まれた俳句であり、単なる感想や 共鳴ではなく、詩との倫理的・詩的対話を志向する応答のかたちである。
●花冠7月号(No.373)号を送ったお礼の返事をいただいている。この号には、「髙橋正子の俳句日記」に、リルケの初期の詩からインスピレーションを得て俳句を作った経緯を記した箇所がある。ここについて「興味深い」と、京大名誉教授のN先生から返事をいただいた。N先生には信之先生の「水煙」時代からずっと「花冠」を送らせていただいている。この度も、お忙しいにもかかわらず、私が書いたものを、丁寧に読んでくださっての返事だった。
先生からの「印象的」「興味深い」という返信の言葉は、私への最大限の誉め言葉であり、励ましであると思っている。そして、私はこの言葉は何度か拝読している。「何度か」というが、花冠のそれぞれの号に対しての言葉なので、その指す内容は違っている。今回の7月号の返信にもこの言葉を拝読した。そして、この「興味深い」という言葉に、私はいつもにはない「意味」を感じた。先生の言葉は平明な中に含意の深さがあって、返信を読んだあと、読み落としているのではと、一度は仕舞った葉書きをまた取り出して読むこともある。
今回、私が返信に感じた「意味」は、すぐには思いつかなかった。「なんなんだろうなあ」と考えていた。そして思い浮かんだのだが、それは先生の意図ではなく、私だけの意味の取りようだが、私が名づけた「詩返」を詩論的に、詩人の倫理として、きちんとするのがいいのではという意味が浮かんだ。
しかし、「詩返」を、どんな形態で公表するかは難しい、詩に対しての俳句なので、「詩」を示さないことには、「俳句」の意味も「詩と俳句の関係」も半減する。「詩」や「詩の訳文」には著作権があって、引用の範囲と引用の箇所を決めるのがむずかしい。もとの詩を冒とくするものであってはならない。ここにつまずいて、「詩返」は一度はあきらめかけていた。先生の「興味深い」の言葉に、私自身の「意味」を見つけたので、思い直して、もう少し頑張ってみることにした。