NEW2月20日(金)

曇ったり、晴れたり

●『詩を読む人のために』(三好達治)は、いつ、何のために買ったのか覚えがないが、名著ということだ。続けて繰り返し読んでいるが、口語自由詩を採り上げるとき、民衆詩と左翼思想の詩というのを、日本の詩の歴史のなかで取り上げていない。意識的にはずしている。ここが大変共鳴するところだ。詩のレベル、詩の基準があきらかにある。詩の基準を見せてくれたことで、私の詩に対する考えが間違っていなかったと思った。
私の俳句の流れは、俳句は芭蕉、それから自分の師系の亜浪、臥風、信之、詩は三好達治、短歌は斎藤史がいいと思っている。この路線は、驚くほど一致している。ジャンルは違いながら、違和感がない。ここだけ読んでいればいいと思える。三好達治は詩の純度を守ったと言える。これが一番肝心なところ。ここは譲れない。
臥風系は、
• 言葉の純度
• 精神の透明さ
• 俗を排する美意識
• 余白と静けさ
を守ってきた。私も守っているつもりだ。ここが一番肝心で、これは、達治が言うように、詩が解るには、その詩を読む準備的がすでに読み手にあること。解る人にだけ解る。わからない人に詩を勧めなくてもいい。俳句を勧めなくてもいいのではとさえ思う。趣味や娯楽で俳句を嗜む人の句は、民衆詩と同じであると思っていい。

●俳句を自分独りで作れるようになるには、一体何年かかるのだろうかと、思う。20年も作れば、自分独りで作り、ひとにも指導できると思うのだけれど、現実はそうではない。これは困ったこと。文法的な間違いは気づいて欲しい。日本語として不自然。これは気づきそうなもの。そして、俗な句とそうでない句の区別ができない、など。俳句のレベルをいうのではなく、表現の基礎は、20年くらいでわかって欲しいと思う。