※2月1日から10日までのコメントをいたしました。ご確認ください。(2月21日)
2月20日(1句)
★春の水棚田清らにして奔る/小口泰與
春の水の「やわらかさ」、雪を解かした水の「清らかさ」、奔るによって表わされる「勢い」がそろって、山国の春の水となっている。「棚田清らに」が燃える季節のすがすがしさがある。(高橋正子)
2月19日(2句)
★芽柳の更に色濃き枝垂れかな/桑本栄太郎
日々柳の芽も膨らんでいる。二三日見なかった日があったのか、「更に色濃き」と思う日があって、着実に芽吹きが進んでいることを知った驚き。(高橋正子)
★飛騨川の流れ白しや雪解水/古田敬二
もとの句は、「白き流れや」となっていたが、「白き流れ」は、雪解け水のせいであることをはっきりさせ、「流れ白しや」とした。雪解け水の激しく流れる様子が想像できると思う。(高橋正子)
2月18日(1句)
★山の音川の音消す牡丹雪/小口泰與
雪は物音を包んで降る。山の音、川の音がいつもなら耳に聞こえるのに、牡丹雪がちらちら降って山の音川の音がやわらかく消されている。牡丹雪の降るやわらかな景色が見える。(高橋正子)
2月17日(3句)
★勝手口出でては摘みし蕗の薹/廣田洋一
勝手口のような日陰の湿り気のある所にも蕗の薹が出る。勝手口を出て、一、二個摘んで汁の実などにする。「出でては」の「は」は、出てはその度に摘むということなので、嬉しさも読み取れる。(高橋正子)
★雀らの塒の一樹や日の永き/小口泰與
日が永くなり、昼間はうららかさ感じるようになった。雀らが一本の樹を塒に夕方には戻ってくる。まるで我が子が家にもどってくるような安堵感がある。(高橋正子)
★こし餡の當麻の里の蓬餅/多田有花
奈良の當麻の里の蓬はやわらかく生えそろっていそうだ。その蓬を摘んで蓬餅に。こし餡を包むと、おいしそうだ。「當麻の里」と「こし餡」の取り合わせがいい。(高橋正子)
2月16日(1句)
★丘上の嵐に堪えて梅満開/桑本栄太郎
丘の上は風も、時には嵐となって吹くが、その嵐に耐え、梅が満開で、清らかな香りを漂わせている。「梅満開」がうれしい。(高橋正子)
2月15日(2句)
★岩の蔭早緑光る蕗の薹/廣田洋一
岩の蔭に早緑のものを見つけた。きらっと光る早緑色に、蕗の薹と知る。蕗の薹を見つけた嬉しさ。春を見つけた嬉しさだ。(高橋正子)
★また来れば遅速揃いぬ丘の梅/桑本栄太郎
梅の花の開花は、咲き始めこそ日向日陰で遅速があるものの、時期が来たならば、どの梅も一斉に花を咲かせている。幾度も来て、梅を愛すればこその発見だで、それを表現できるのが俳句の良さと言える。(高橋正子)
2月14日(3句)
★土筆野へランドセル置き家遠し小口泰與
家はまだまだ遠いのに、土筆を見つけ、ランドセルを野に置いて土筆取りに夢中になっている小学生。低学年であろう。温かく見守っている作者。(高橋正子)
★オフロードバイクと出会う春山路/多田有花
春の山路でオフロードバイクと出会ったことによって、読み手にも春の山路の息吹が感じられる。元気をもらえる句だ。(高橋正子)
★茎立や上京の日の近づきぬ/桑本栄太郎
茎立ころを思えば、故郷を離れ、就職のための上京する日が近づいているのだろうと思う。今の身で思えば、茎立の季節がくれば、上京する日を思い出す、ということでもあろう。じみじみとする句だ。(高橋正子)
2月13日(2句)
★まだ咲かぬさみどりいろの梅林/古田敬二
白梅の梅林がまだ咲かないうちは、たしかに、梅林全体がさみどり色である。さみどり色が流されているような淡さがあり、寒さも枝にまつわっている。微妙なところがよく捉えられている。(高橋正子)
★紅梅や榛名山(はるな)へ迫る雨の雲/小口泰與
「紅梅」と「雨の雲」の取り合わせがいい。紅梅は真っ青な晴れた空もいいが、雨の雲もいい。花がふっくらと見える。(高橋正子)
2月12日(3句)
★毛の国の雪解しずくは牧からも/小口泰與
毛の国、冬の厳しさから解放される季節が来た。雪解しずくは牧場からも始まる。「牧からも」に、厳しい冬を越えて到来する春の明るさが思われる。(高橋正子)
★白梅や蕊の奥より光る紅/廣田洋一
白梅をよく観察すれば、蕊の奥が紅色がかっている。白梅の五つの花弁を引き絞るように紅が芯にある。それが力強く、光っているのだ。梅の花の生命力。(高橋正子)
★早春の水音確かに流れ継ぐ/古田敬二
早春の水音。雪解け水かもしれない。にじみ出た山清水からも知れない。ころころと音を立てて、とぎれることなく、「流れ継ぐ」。「流れ継ぐ」が上手い。早春の水の本質をよくとらえている。(高橋正子)
2月11日(1句)
★紅梅を見上げ静かに歩みけ/多田有花
白梅に比べ、紅梅にはふっくらとした華やかさがある。紅梅を見上げれば、自然歩みも静かにおっとりしてくる。いかにも女性の句である。(高橋正子)