NEW10月16日(木)

小雨、時々曇り
●『詩を読む人のために』(三好達治著/岩波文庫)
本棚から、『源氏物語』とついでに、この本を取り出した。詩をどのように読めばいいのかを、話している人は結構いる。詩を読む基本というものがあるのだろうが、それはあるようでない、のではと思う。結局、一篇一篇の詩を、著名な詩人がどのように鑑賞しているかを逐一知り、その読み方を、一篇一篇知っていくしかない、と思える。

「千曲川旅情の歌」は単純に読めばよい。明治38年に上田敏の『海潮音』が発表され、翌年の明治39年に薄田泣菫の『白羊宮』の「ああ大和にあらましかば」は、ずいぶん解釈が難しくなっている。フランスの象徴主義の影響があるというのだ。ちょうど、このころリルケが活躍している。リルケは藤村の時代の人である。藤村や泣菫に深く関わろうとは思わないが、リルケは、共鳴するところがある。これは日本の詩とリルケの間で、何が違うかということである。
日本の俳人が小説を書いた例はあるが、成功していないようだ。その理由は、風景描写は良いが、思想、哲学がないということらしい。したがって、俳人の課題は、思想や哲学をどのように俳句に盛り込むことになるだろう。そのまま入れたのでは、詩のある俳句にはならない。