NEW2月6日(金)

晴れ
ラッシュ時の吾を囲める黒コート 正子
寒灯は真上に満員電車とは    正子
寒月の下弦となりて滲みたり   正子

●今日は寒くなる予報だと思ったが、暖かい日だった。鶏肉のホワイトシチューを作る。鶏肉は少しいい肉を使ったので、灰汁はほとんど出ない。こう見ると、いい肉の方が味の雑味が消えておいしさがアップしている。

●仏語は1週間に1課ずつ進む予定。今日から第2課。20課あるので、身に付こうが付くまいが6月に終わる予定。

●リルケの住んだミュゾットの館から見える風景はどうであったか。これは『ヴァレの四行詩』を解釈するためには、必要なので、ネットで調べる。ミュゾットの館は、アルプスの麓にあり、高度400mから500m。ミュゾットでのリルケは、長年書けなかった詩が突然流れ出すという奇跡を経験するが、その背景には、“風景の沈黙が、言葉の源泉を開いた”
という感覚があったという。これは、重要なこと。詩人に限らず、人間にとって、風景とはの問になると思う。

ミュゾット地形詩学――アルプスの風景とリルケ晩年の言葉
Ⅰ 垂直の山々と“上昇”の構造
ミュゾットの北側には、ヴァイスホルンを中心とする峰々が、ほとんど垂直に立ち上がっている。その垂直線は、リルケが晩年の詩で語った「上昇するものは、すべて歌である」という一句と深く呼応する。山の白さは、言葉が天へ向かうときの緊張を帯び、館の静けさを支点にして、詩はその垂直性を獲得していく。アルプスの峰々は、比喩ではなく、詩の構造そのものを支える“地形的な骨格”として存在している。
Ⅱ 谷の水平線と“開かれたもの”
ミュゾットの南側にはローヌ谷が広がり、午後の光がゆっくりと館に満ちていく。その水平のひらけは、リルケが『悲歌』で語る「開かれたもの」という概念と重なり合う。閉ざされた室内に差し込む光は、言葉が沈黙から解き放たれる瞬間を照らし、谷の広がりは、詩が外界へ向かうための呼吸を与えている。垂直と水平が交差するこの一点に、リルケの晩年の精神が置かれていた。
Ⅲ 光と影の二重性、生と死の境界
ミュゾットの風景には、光と影が常に交差している。午前の影は深く、午後の光は強い。この二重性は、リルケが「生の半ばは死に属している」と語った晩年の思想と響き合う。ラロンの墓の背後に立つビエッシホルンの孤高の姿は、孤独を世界への入口とした彼の倫理を象徴している。光と影、生と死、可視と不可視――その境界に立つことが、リルケの詩の核心であった。
Ⅳ “ミュゾットが震えた”――地形と精神の共鳴
1922年、創作の爆発が訪れたとき、リルケは「ミュゾットが震えた」と書き残した。それは、風景と精神が共鳴し、言葉が地形に呼び起こされた瞬間である。アルプスの沈黙と谷の光が交差するこの場所で、詩は単なる内的体験ではなく、地形そのものの震えとして生まれた。ミュゾットは、詩が生まれるための小さな震源地となり、リルケの晩年の言葉は、その震えの余韻として今も残っている。

●リルケは1921〜1926年、ミュゾットの館に住んだ。その時代の世界史の動きは、以下のようである。
• 戦後の荒廃• 飢饉と革命• ファシズムの台頭• ドイツ語圏の精神的崩壊
が同時に進行した時代。その中で、ミュゾットの静寂は、世界の混乱から切り離された“最後の避難所”であり、そこで生まれた『悲歌』『オルフォイスへのソネット』は、まさに世界史の暗い背景に対する精神の垂直な応答だったと言える。

NEW2月5日(木)

晴れ
●ネット短信No.453 を出す。2月月例ネット句会の案内と有花さんの『若草ー優嵐歳時記抄2007』発刊の案内。

●句評の要点はなにかと考えれば、花冠の方向では、以下の三点。
⑴〈事実〉句の情景・季語の本意・観察の核心を簡潔に述べる。
(2)〈気配〉句が孕む季節の移ろい、作者の視線の高さを示す。
(3)〈心の動き〉句が読者にもたらす感覚を、静かに言葉にする。