俳壇2月号掲載句/西村友宏


「俳壇」2月号に西村友宏さんの6句が掲載されました。
皆様のコメントをいただければ、幸いです。下記のコメント欄にお書きください。
髙橋正子
2024年1月16日
 
  
「松ぼくり」
    西村友宏
朝日あび銀杏黄葉が生きいきと
靴裏にかたきもの踏む松ぼくり
鴨が来てしぶきに拍手止まぬ池
散りこみし紅葉に池のきよらかに
ここにまた千両の実が赤々と
初雪や草木に白を振りかけて
(「俳壇」2月号(2024年)「現代俳句の窓」に掲載)

訂正:第5句目を「千両」とすべきところを、「十両」と書き間違えました。訂正しました。大変失礼しました。(髙橋正子 /1月17日)

《感想》
①桑本栄太郎
★靴裏にかたきもの踏む松ぼくり
秋も晩秋ともなれば、新しい松ぼくりが出来て居り、時には樹下に落ちている事があります。散策などで歩いていて作者はまつぼくりを踏み、思わず見上げて居ります。

★鴨が来てしぶきに拍手止まぬ池
晩秋から初冬にかけて鴨が池に飛来します。気候の所為でこの年は飛来が遅く、待ちに待っていて漸く飛来の飛沫を認め拍手をしてしまった作者が見えます。

★初雪や草木に白を振りかけて
今年初めての初雪です。積もる程でもなく草木にパラパラと塩を振り掛ける程のうっすらです。初雪の情景が描写が見事!!。

?多田有花
西村友宏さま、「俳壇」2月号への掲載おめでとうございます。

★朝日あび銀杏黄葉が生きいきと
銀杏が黄金色に染まり、そこに朝日がさしています。 出勤途上の銀杏並木でしょうか。明るさを感じます。

★靴裏にかたきもの踏む松ぼくり
山を歩いて赤松が多いところにくると、あちこちに松ぼっくりが落ちています。 その感触を確かめるのも山歩きの楽しさです。

★鴨が来てしぶきに拍手止まぬ池
鴨が渡ってくるのを大勢の人が待ち構えているような都会の池でしょうか。 バードウォッチャーたちの拍手があがるのが面白いですね。

★散りこみし紅葉に池のきよらかに
池の周囲の並木が紅葉し、落葉の時期を迎えました。 しばらくは池の面が華やかに染まり、晩秋から初冬の色彩の名残が楽しめます。

★ここにまた十両の実が赤々と
十両はヤブコウジの別名。赤い実がお正月の縁起物にもなります。 十両の赤い実を愛でておられる様子がよくわかります。
※もとの句は、「十両」ではなく「千両」でした。正子の書き間違えでした。失礼しました。「十両」としてのご鑑賞も雰囲気が違って素敵です。(髙橋正子)

★初雪や草木に白を振りかけて
都会の初雪は草木にふりまかれる粉砂糖のような美しさがありますね。 「振りかけて」にその趣が感じられます。

③川名ますみ
西村友宏さま「松ぼくり」へ
友宏さま、『俳壇』2月号「現代俳句の窓」掲載、おめでとうございます。友宏さまらしい、身近な場に新鮮な発見を見出す明るい作品、楽しませていただきました。

★靴裏にかたきもの踏む松ぼくり
晩秋、風の吹いた後によく見られる松ぼくり。今季、初めに出会うそれは、靴の裏にあったのですね。「かたきもの」を踏んだ時の、お?という感覚から、頭上の木の枝、さらに季節や天気へと広がる視点が、とても自然で、すてきです。

④高橋秀之
西村友宏さま、「俳壇」2月号への掲載おめでとうございます。
素敵な句ばかりですが、その中でも気に入った句です。

★朝日あび銀杏黄葉が生きいきと
朝日には、これから1日が始まるとの勢いがあり、その朝日を浴びた銀杏黄葉を生き生きと感じるところに未来への勢いを感じます。

★靴裏にかたきもの踏む松ぼくり
表題句の松ぼくり。道を歩いていると靴裏にかたきものを踏んだ感覚が。何かなとみるとそれは松ぼくりだった。素朴な自然がそこに感じられます。

⑤徳毛あさ子
感覚の研ぎ澄まされたいい句ですね。「花冠」のネットで発表された句も紙面で見ると、別の感動があります。

1月16日(火)

晴れ
残りたるラム酒紅茶に凍つる夜    正子
コーヒー豆挽けば寒夜の椅子軋む   正子
闇の夜の空からこぼれ来る寒さ    正子
●さすが、寒中。正午近くなっても冷えこんでいる。
●「俳句」2月号の「俳句」と「日常」ーー小川軽舟の俳風の意義
堀切実(早稲田大名誉教授・国文学者1934年生まれ。)を読む。
堀切実先生は、生年から計算すれば、現在89歳でご健在な様子。小川軽舟氏は、加藤楸邨の弟子藤田湘子の跡を継ぐ「鷹」の主宰。
「俳句」と「日常」と言えば、小川軽舟の作品が思い浮かぶ、ことから論が始まる。軽舟の俳句は「日常性の美学に貫かれている」と堀切。「俳句はそのようにして忘れさっていく日常のなんでもない日の記憶を甦らせてくれるものである。」と規定する軽舟。以下は堀切の論。
 鶏頭や洗濯物の袖雫 軽舟
ここに軽舟俳句の神髄が示されている。その大半が自分の見た周辺を自分の心で素直に表したものであり、対象を客観的に詠じたものだけではない。作者という主体がつねに周辺の状況や景色を支配している。そして、この周辺を私が支配する世界は近代日本の伝統文学として「私小説」につながっている。けれどもそれは私小説の主流の「境涯」を述べたものではない。
もう一つ軽舟の自負する「日常」は、自宅の生活や職場での毎日だけでなく、「散歩」という日常が大きな地位を占めている。「日常」とこの「散歩」を自らの作句姿勢として合わせて認識し、そうした”日常性”に富んだ”風雅の世界”を、芭蕉の”風雅の世界”と対比して位置づけようしてもいるのである。
堀切は、軽舟のこうした俳句観を俳諧史研究者の立場で検証。以下の論点から始まる。
この「日常性」の獲得は、はやく蕉風の連句の世界から始まっていたのである。
 「蕉風連句の時空意識ーー俳諧における日常と非日常」(岩波現代文庫)
にその見解を示すとある。
 蕉風俳諧が究極的にめざしていた、いわゆる「かるみ」の風は、題材における日常性とそれに伴う表現における平明性ーーすわなち「俗談平話」を基調としたものであったといえる。それでは、ここにいう日常性とはなにか、あるいはそうした日常性への着目は蕉風連句にどのような言語空間をもたらすことになったのか、 ーーまず、この問題から筆を起こしたい。
堀切のこの問題意識から軽舟俳句の存在に気付いている。
蕉風の連句における芭蕉、その門下の連衆の手法はなによりも生きた人間を中心に据え、その意識と行為に鋭いまなざしを送りながら、他方ではまた日々の生活を営む人間の織りなす身辺の世界にも光を当ててゆく点に大きな特長がある。しかし、現代俳句でもこれと通じるような「日常生活」への深い観察を、自らの行動の中でなしとげている小川軽舟の存在があることに気づく。
蕉風俳諧が誕生する史的背景には”詩語”についての貞門・談林以来の日常語に近い「俳言」拡張の主張があったし、さらには当時の蕉風以外の元禄俳諧一般における題材そのものの著しい日常化現象があったことを忘れたはならない。そして、その日常的題材重視を強力に促進したのは、芭蕉の時代から急速に流行しはじめた「前句付」を中心とした「雑俳」と呼ばれる文芸の存在であった。
ここで堀切は、軽舟が芭蕉認識において、「夏草や兵どもが夢の跡」を引いて芭蕉は、「歴史と自然と人間を詠いあげる」俳人と理解しているが、「芭蕉の得意とした連句の世界に光を当てていないようにみえる。芭蕉が晩年にめざした、発句、連句を含めた「かるみ」の俳風を、もう少し吟味している必要があるのではないか。」と言っている。
次に堀切が軽舟の「旅」ついての芭蕉理解に疑問を呈している。
渡り鳥近所の鳩は気負いなし 軽舟
の句について、
芭蕉は奥の細道の冒頭で宣言するように、「日々旅にして旅を栖とす」る生涯の漂白者であり、自分は「近所の鳩」のように、近くを歩き回っているだけだと対比しているが、軽舟の「旅」の理解は、日本人の古くからの旅の系譜からみれば、違っているといっている。
つまり、一般には「日々旅にして旅を栖とす」とは、”永遠の旅人”ともいうべき」芭蕉独自の新しい漂泊観だと理解されているけれども、このような「旅は非日常」ではなく、「旅は日常なり」という世界観ーーすなわち”永遠の旅人”でありたいという芭蕉の願望は、日本人の古来からの旅の系譜の中で、いつの時代にも求められてきたものであり、決して芭蕉独自のものではなかったのである。
「日々旅にして旅を栖とす」という宣言は「旅」を「非日常」と認識する今日われわれの常識とは正反対に、その「非日常」であるはずの「旅」を毎日の日常生活にしてしまおうという、日本人の旅の系譜のなかではある意味で普遍的な真理を示す命題を、強く再確認しているにすぎないともみられるのである。
要するに「日常」と「旅」は、かならずしも全くべつなものではないということであり、軽舟の提言する「日常身辺」の俳句とは、芭蕉も通ってきた「俳句」の「正道」であることを確認したいのである。
以上はあらましであるが、読んで思うことは、私の「旅」の感覚と堀切先生のいう日本古来の旅の感覚がほとんど似ていたということ。方丈記とか、徒然草とか、風姿花伝とか、主に中世の思想が今俳壇をリードしている人たちにどのように引き継がれ、理解されているのか、疑問に思うところだ。軽舟氏は東大出のエリートであるし、教養もおありだ。本人の自覚として、旅を非日常としているが、日常は旅なのだと、あなたは、そうなのだと言っておられる。
私は軽舟作品は誰にでもは作れないし、いいと思う。もう少し世界が広ければ、ゾッコンになるだろう。