曇、夕方から小雨。
野牡丹を花屋二軒が並べ売り 正子
椎茸の香りよきこと鍋にして 正子
金木犀雨糸とおる大樹なり 正子
●学術会議のメンバーに、拒否された6人の1人に東大の加藤陽子先生がおられて、びっくり。どこがどうなの? これじゃ普通にものが言えないじゃない。なにがどうなってどうなのか。
●『光年の星』を家探しするが、見つからない。これに一日大方の時間を費やす。とんでもないところにあるんだろう。まったく、見当がつかない。お風呂の棚とか、タンスの中とかを探す。
「 ANN OF GREENGABLES 」の読んでなさそうなのが出てきた。いつ買ったのだか。この前、紀伊国屋で買いたいな、と思ったけど買わないでよかった。英訳サザエさんも出てくる。
晴れ。
●今日は、病院の梯子。午前ハート内科、午後整形外科のリハビリ。
●句集『光年の星』のお礼を書こうと思うが、忽然と紛失。信之先生が読んでいたと思うが。家中探すが見つからない。非常に憂鬱。
●月刊誌「燎」10月号「現代俳句展望」に「俳壇8月号」に掲載の私の句の句評を頂く。すっ飛ばされそうな私の句ながら、目に留めていただいた。「燎」は、師系角川源義。
その記事
「燎/10月号」
★ 田溝のぞく子らに吾子いて夏休み 高橋正子
「俳壇」8月号「プレミアシート『夏休み』」より
たんぼの用水を覗いている子供たちがいる。何気なしに目をやると、その中に我が子もいた、と言うだけの句。そのことに意表を突かれたような思いでいる作者。それが「夏休み」ということなのだ。(蔵多得三郎)
「麻/9月号」
★三つ編みも腕も日焼け宿題す 正子
『俳壇』八月号「夏休み」より。
この子供もやはり、私と同じように夏休みの宿題は、無計画で、最終日に終わらせるタイプの子どもだろう。髪の毛が邪魔にならないようにきりっと三つ編みにして、よく日に焼けた腕で、宿題をこなすのだ。今年は夏休みが短かったようだが、どうか間に合うように泣かずに頑張ってほしいものだ。(「麻9月号」田中幸雪)